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15:か弱き乙女?

 プラットホームに屋根だけの小さな駅を抜けると、目の前には森林公園が広がっていた。
 ゲートをくぐるより早く、風に乗って夏の緑の匂いがする。木々の葉はいきいきと茂って目に眩しく、強い陽射しを遮って遊歩道に木漏れ日模様を作る。遠くに見える噴水が水しぶきを上げると、涼を求めてたくさんの人が集まっていった。
「思ったより混んでるね」
「ま、キャンプ日和だもんね」
 私の言葉に柳は首をすくめ、それから心配そうに聞いてきた。
「それより、具合はどう?」
「あ、うん。どうにか平気」
 仮病の乗り物酔いはもちろんなんでもなくて、少し気まずく思いながら答える。
「よかった、でも無理しないでね」
 柳がほっとしてくれて、優しいなと感激していれば、真横からお茶のペットボトルが差し出された。
 何かと思えば、伊瀬だ。
「ほら、水分。今日は暑いからちゃんと飲んどけよ」
「あ、ありがとう」
 私がそれを受け取れば、伊瀬は笑ってから荷物を――私のと、私が任されていた買い出しの品、そして自分のリュックサックを全部持った。
「キャンプサイトまでこれは俺が運ぶからな」
「いいよ、もう気分よくなったし! 私も持てるから!」
「だめだめ、無理すんなって」
 伊瀬は笑顔で言い張って、私には何も持たせてくれなかった。
 なおも食い下がろうとすれば、柳にまでたしなめられた。
「伊瀬の言うとおりだよ、無理して倒れたりしたら困るでしょ?」
「う、うん……」
 とっさの出まかせだった仮病がこんな形で影響するなんて。
 私は困ってしまって、しょうがなく冷たいペットボトルだけを握り締めた。

 森林公園のゲートをみんなでくぐり、まずはキャンプサイトを目指す。
 ゆるやかな下り坂の並木道を、緑の風に吹かれながら歩いた。気の早い子は駆け足でどんどん下っていくし、おしゃべりと景色を楽しみながらのんびり行く子もいる。柳は棚井くんと並んで歩いて、時々何か言いあっては小突きあっている。
 そして私は一番後から、伊瀬と一緒に歩いてる。
 小声で会話を交わしつつ、みんなから少し距離を取っていた。
「荷物、持つよ」
「だめだって。病人は楽しろよ」
 でもって、まだこんなやりとりを続けている。
 いい加減しつこいって思われそうだけど、こっちはこっちで後ろめたさがあった。
「嘘だってわかってるのに、どうして?」
 伊瀬にはちゃんと仮病だって言ってあるはずなのに。そう思って尋ねたら、伊瀬は当たり前のように答える。
「嘘でも、みんなは信じてるだろ。ここで黙って歩かせてたら薄情ないとこだって思われんぞ」
「それはそうだけど……」
「借りた金で買ったお茶ならお前のものだろ、飲んどけよ」
 現実には薄情どころか、伊瀬は優しい人だ。
 いとこじゃないけど。あと手紙の返事はくれなかったらしいけど。
 でもこうして接していると、そのことだって本当は、理由あってのやむを得ない結果じゃないかって思えてくる。
 やむを得ない結果って例えば何か、想像もつかないけど――。
「それに、か弱き乙女に重いものなんて持たせられないからな」
 伊瀬がそんな言葉を続けたから、私は思わず顔をしかめた。
「何それ、初めて言われたよ」
「そうだっけ?」
「うん。伊瀬に女の子扱いとか、あんまりされた覚えないけど」
 高校時代の私はそういうふうにされたいほうでもなかったし、そのくらいだったら距離の近い友達でいたかった。
 伊瀬も私の意向を酌んでくれたのか、あるいは単に何も意識されていなかっただけなのか、女友達というよりは同性の友達みたいに接してきた。それが楽しくて、ほんの少し切なくて、結局どうにもならなかった。
「あれ? 昔の俺、そんなにがさつだったか?」
 本人は腑に落ちないのか、私と同じように顔をしかめてみせる。
 そしてしばらく思い出を振り返っていたようだけど、やがて不満そうにこちらを見た。
「まあとにかく、俺は昔からそう思ってたけどな」
「何が?」
「いやだから、お前がか弱い女の子だって」
「嘘だあ」
 私は信じなかったし、それで伊瀬はますます心外そうに言い募る。
「嘘じゃねえって……そりゃ4年近く前の記憶だから曖昧なとこもあるだろうけど」
「すっごい曖昧になってるね」
 そう結論づけてから、改めて思う。

 3、4年も経てば記憶も曖昧になってしまうものなんだ。
 それはしょうがない。容量の限度もあるんだから、ずっと覚えておける思い出なんてわずかだ。
 でもだとすれば、どうして今なんだろう。
 どうして3年後の伊瀬は、今の、2003年の夏に戻ってきたんだろう。
 ここに何か大事な記憶や出来事があった、とかならわかるんだけど――。

「どうして、『今』なんだろうね」
 私がその疑問を口にすると、伊瀬はリュックサックを背負い直してからこっちを見た。
「何の話?」
「伊瀬が戻ってきた理由。去年でも来年でもなく、今なのはどうしてかなって」
「わかんねえよ」
 伊瀬は考えもせず即答した。
「そもそも過去に来た理由がわからんくらいだし」
「そうなんだよね……」
 普通に考えたら――タイムトラベルが普通じゃないのも承知の上であえて考えたら、過去に戻る理由やきっかけは『戻りたい』という気持ちなんじゃないか、というのが自然な考えだ。あの頃に戻りたいという思いは誰にだってあるだろう。
 その時、戻ってくる先はやり直したいとか、どうにかしたいと思うターニングポイントになるものなんじゃないかって。
 もちろん伊瀬に心当たりがないなら、この根拠のない仮説もまるで無意味なものになる。
「何か思い出さない? この夏、何かあったとか」
 私が尋ねると、伊瀬は手の甲で額に浮かぶ汗をぬぐった。
 そうして微妙な沈黙の後で、首を横に振った。
「いや、なんにも。あったら言ってるよ」
 それもそうか。お互い、昨日からずっと考えてることだ。
 となると、帰ってきた理由なんて考えるだけ無駄なんだろうか。それがわかれば帰る方法もわかるかなと思ったのに。

 落胆した私に、伊瀬がささやく。
「柳だ」
 見れば道の向こうから、一足先を歩いていた柳が引き返してくるところだった。私たちが揃って口をつぐんだ時、駆け寄ってきた柳は伊瀬に言った。
「ごめん、ちょっとキク借りていい?」
「いいけど高いぜ、1分1億円」
「わあ、それは暴利! すぐ返すからつけといて!」
 伊瀬の軽口を笑顔でかわすと、柳は私の隣に並ぶ。それを見た伊瀬は苦笑いで歩くスピードを速めた。
 キャンプサイトへ向かう列の最後尾で、柳は言った。
「テントの件、確認するの忘れてて。キクは伊瀬と一緒でいいんだよね?」
「う、うん。それでお願い」
 伊瀬とテントでふたりきり。さすがに緊張するけど、これもしょうがない。『いとこ同士』なんだから。
「ごめんね、予算オーバーじゃない? 私払うよ」
 そう申し出ると、柳はひらひら手を振ってみせた。
「いいのいいの。元からひとつ余分にテント借りる予定だったんだ、荷物置き場にね。ほら、女子4人だと若干手狭でしょ?」
 私に気にさせまいとでもするように、早口になって続ける。
「でも女子だけふたりずつのテントも寂しいかなって思ってたから、けっこう悩んでたんだ」
「そっか……ありがとう、柳」
「ううん。キクと一緒に一夜を過ごせないのは残念だけど!」
 本当に残念そうに言ってくれた後、彼女はにやりと冷やかすような笑みを浮かべた。
「せっかく恋バナできると思ったのにね」
「……したかったの?」
 片想いを引きずる私はともかく、柳はそういうの興味ないのかと思ってた。今まで棚井くん以外と噂になったこともなかったし。
「まあね、キクに好きな人いるのか知りたくて」
「い、いないよ」
 とっさに嘘をつく。
 いるけど諦めなきゃいけない相手だよ、なんて正直に言うのはややこしい。突っ込まれても困るから、私は逆に聞き返す。
「柳こそいないの? 好きな人」
「全然! 今すぐ欲しいくらいだよ」
 柳はきっぱりと言い切って、それから自分でおかしそうに吹き出す。
「私たち恋バナ向かないね! こんなのすぐネタ切れしちゃうじゃん!」
「そうだね」
 私も合わせて笑ってみせつつ――嘘をついた気まずさが、ちょっと胸に残って苦かった。

 つくづく私は嘘をつくのが苦手みたいだ。
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