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14:かえるの子はかえる

 集合場所は駅舎の近くにあるモニュメント前だ。
 夏休み中とはいえ平日の朝早く、駅前を行き交う人はそこそこいたし、駅のロータリーにも数台のタクシーが止まっていた。これから出勤の人もいる中で堂々と遊びに行けるのは、学生ならではの幸せなのかもしれない。

 私と伊瀬が汗だくになりながら辿り着いたのは、6時半過ぎのことだった。
 その時にはもう柳と棚井くんが先に着いてて出迎えてくれた。
「おはよう! ふたりとも早いね!」
 柳が愛想よく手を振る横で、棚井くんは相変わらずむっつりとしている。
 リュックひとつの柳に対し、棚井くんはキャンプ用品を詰めた紙袋をふたつも提げていて、このふたりらしいなと改めて思う。
「おはよう、柳たちこそ早いじゃない」
 私が駆け寄って声をかけると、柳はそこで不満そうに隣をにらんだ。
「だって私が早起きしないと棚井が起きないんだもん」
「柳が起こしてあげたの? 家まで行って?」
 幼なじみふたりの家は隣同士にあるらしい。行き来も気軽にできる関係だって聞いたことがあった。
 でもまさかそこまで、と思って尋ねたら、彼女はあっさりうなづいた。
「そう! 聞いてよ、こいつってば今朝も寝坊しやがったの」
 柳が棚井くんについて語る時はいつだって容赦も遠慮もない。指をさして怒る姿を見てか、伊瀬がこっそり吹き出した。
 それで柳はますます勢いづいたのか、さらに愚痴をこぼしはじめる。
「ね、笑うよね? なかなか迎えに来ないから家まで見に行ったら、まだパジャマ姿だったんだから! どう思う?」
「……言うなよ」
 ぼそりと棚井くんが抗議する。困ったような顔をしていた。
「言うよ!」
 それを柳は一蹴する。
「モーニングコールしようかって言ったらいらないって言ったくせに、結局ふつうに寝坊すんだもん。本当、私がいないとなんにもできないんだから!」
「間に合ったんだからいいだろ」
 棚井くんはさすがにやめてほしそうだ。
 見れば、短く刈り込んだその髪には少しだけ寝癖が残っていたし、柳に起こされてあわてて出てきたのかもしれない。
「しかも言い訳がなんだと思う? 『昨日の夜、緊張して全然眠れなかったんだ』だって! まるで遠足前の子供じゃない、どんだけ楽しみにしてんのって」
「言うなって」
 恥ずかしかったのか、そこで棚井くんが柳の肩を小突いた。
 柳もその手をぱしっと弾き、黙ってにやりと笑い返す。棚井くんは何か言いたげにしながらも唇を結び、幼なじみふたりのその空気が私には親密そうに見えた。
 棚井くんが眠れなくなっちゃうタイプの人だっていうのも意外だけど、柳とはこうやってじゃれあうのも意外だ。私には幼なじみっていたことないから、ずっと一緒で仲良くしていられる関係がうらやましくも思える。
 もっとも、私が笑いかけたところを棚井くんに見とがめられると、すぐさまにらまれてしまった。
「ご、ごめんなさい」
 あわてて謝ると、彼はぷいっと目を逸らす。
「別にいいけど」
「そうだよ、キクは気にせず笑ってやって」
 言いながら柳の肘が棚井くんをつつく。
 棚井くんは無言でそっぽを向いたまま、失礼だったかなと私は自己嫌悪にとらわれた。
 とことん棚井くんには嫌われてるみたいだ。伊瀬に言われたとおり、合わない相手とは無理に近づこうとしないほうがいいのかもしれない。
「にしても、仲いいねえ」
 気まずくなった空気に、タイミングよく伊瀬の声が割り込んだ。
 見れば、どこか冷やかすような笑顔を柳たちに向けている。
「柳と棚井くん、ボケとツッコミのバランスいいじゃん。夫婦漫才みたいだな」
 実際冷やかすつもりで言ったのかもしれない。それで棚井くんは眉をひそめたし、柳は思いっきり笑ってみせた。
「そんなんじゃないって! 単に子供の頃からずーっと一緒にいるだけだから」
 それから柳はやり返すように続ける。
「キクと伊瀬だってずいぶん仲いいじゃない? 親戚でそんな仲いいとか珍しくない?」
「えっ……そう、かな」
 どきっとしたのは、私たちが本当の親戚ではないからだ。
 まさか不自然に見えたんだろうか、疑われたんだろうか――焦りだした私の肩を伊瀬が急にぐいっと抱き寄せ、その瞬間別の意味でどきっとした。
「おかげさまで仲いいよ、まあ当たり前だけど付き合い長いしな」
「ちょ、ちょっと伊瀬!」
 大急ぎで振りほどこうとしたけど伊瀬の腕力には敵わず、柳からは微笑ましそうに見られてしまった。
「わあ、ほんとに仲良し! うらやましいね、棚井!」
 水を向けられた棚井くんは何にも言わずにこっちを見ていて、私は気まずさを積み重ねていく思いでようやく伊瀬の腕から逃れた。
 伊瀬にはあとで文句言っとこう。

 しばらくして約束の午前7時になり、キャンプに参加するメンバー全員が駅に集合した。
 伊瀬はいきなりの飛び入り参加になったわけさけど、柳が根回ししておいてくれて、みんなも温かく迎え入れてくれたのがありがたかった。もちろん柳の紹介がうまかったおかげでもあるはずだ。
「彼がキクのいとこの伊瀬くん。なんと22歳のお兄さんです! キャンプのことならお任せって言ってくれてるから、みんなもどんどん頼りにしちゃって!」
「今日は交ぜてくれてありがとう。なんでもやるから気軽に声かけてくれ、よろしく」
 伊瀬も物怖じしない態度で笑顔を振りまく。
 こういう時に緊張せず挨拶ができるところは高校時代と変わらない。誰とでも仲良くなれて、打ち解けるのも早かった。比較的人見知りだった私とでさえ、すぐ友達になれたくらいだ。

 そんな伊瀬だから、みんなに溶け込むのもすごく早かった。
 キャンプ場のある森林公園へは電車での移動で、ボックス席を作ってみんなで遊んだ。ウノやら古今東西やらで盛り上がる中でも、伊瀬はあっさりとみんなの輪に入って楽しんでいる。
「柳、ウノって言い忘れてる」
「あー! 今から言ってもいい? だめ?」
「伊瀬さん教えちゃだめだって、せっかく柳嵌められるとこだったのに」
 悔しそうにする子もいたけど、柳はうれしそうに伊瀬の肩を叩く。
「ありがと伊瀬! ナイスアシスト!」
 たしかにいいアシストだ。そういうところも、伊瀬は昔と変わらない。
 人をからかったりふざけたりもするけど、ここぞと優しくフォローしてくれて、頼りになる。高校時代からそういう人だった。そこは何にも変わってないんだってうれしくなる。伊瀬は伊瀬、かえるの子はかえるってところだろうか――ちょっと違うか。

 私も当初は伊瀬と一緒にみんなで遊んでいたけど、途中でちょっと席を外した。
「乗り物酔っちゃったかも。少し外見てるね」
 柳にだけそう言って、自分の座席に戻る。
 もちろん本当に酔ったわけじゃなく、ひとりで考えたいことがあったから嘘をついた。
 伊瀬は、どうして過去に来たんだろう。
 そのことは未だにわからないままだ。伊瀬自身がわからないんだからしょうがない。でもやっぱり何の理由もないとは思えないし、そこを突き止めないことには帰り方もわからないだろう。
 ここで考え方を変えてみる。
 人が過去に行きたいと願うことがあったら、それはどんな時だろう。
 昔をやり直したい、今に不満がある、どうしても心残りがあって悔やんでいる――そんなところじゃないだろうか。
 でも22歳の伊瀬は、幸せそうだ。
 少しは大人になっているけど陽気さも優しさも昔のままだし、特に未来に不満もこぼしてなかったし、悲しいけど彼女がいるらしいし。だから『戻りたい、やり直したい』なんて気持ちはなかったはずだ。なのにどうして過去へ来てしまったんだろう。
 そこが、全く腑に落ちない。
 そもそもタイムトラベル自体が腑に落ちないし、戻りたいと思っても戻れないのが過去、のはずなんだけど――考えれば考えるほどこんがらがって、訳がわからなくなる。

 思わず溜息が出た。
「……菊池さん」
 溜息の直後に低い声がして、私は面を上げた。
 すると座席の間の通路に大柄な影が立っていて、それが棚井くんだと察するのに少しかかった。彼はこちらを心配そうに見ていたけど、目が合うと素早く逸らされた。
 唐突に名前を呼ばれて、私も言葉に詰まる。
「ど、どうした……の?」
 恐る恐る尋ねると、棚井くんは目線を外したまま答えた。
「具合悪いって聞いたから、大丈夫かなって」
「え?」
 びっくりした。
 棚井くんが私の心配をしてくれるとは思わなかった。
 あまりに驚いて、みんなに嘘をついたことも一瞬忘れそうになったほどだ。どうにか立て直して応じる。
「少し休んだらよくなったよ、ありがとう」
 すると棚井くんは視線をうろうろさせて、何か言おうとしたようだ。
 ぎこちなく口を開いて、でも何か言われる前に、
「キク、平気か?」
 今度は伊瀬が近づいてきて、私の座席を覗き込む。
「うん、だいぶいいよ」
 そう答えると伊瀬は目を細め、それから棒立ちの棚井くんに告げた。
「心配してくれてありがとな、ここは俺が見とくよ」
 棚井くんはじっと伊瀬を見返した後、会釈のようにうなづいた。
「……じゃあ、お願いします」
 そして棚井くんとすれ違うように伊瀬は私の隣に座り、改めて顔を覗き込んでくる。
「顔色は悪くないな」
「う、うん。なんていうか、口実だから」
 私は声を潜めて、伊瀬にだけ本当のことを打ち明ける。
「ちょっと考え事がしたくて、ひとりになりたかったの」
「考え事? 俺のこととか?」
「ちがっ……いや違わないけど! そういうことじゃなくて!」
 ふざけた答えに思わずにらむと、奴は喉を鳴らして笑ってみせた。
「わかってるよ。俺も付き合おうか?」
「いや、伊瀬は遊んでていいよ。私も考えまとまってないし……」
 せっかく楽しんでたんだから、みんなと一緒にいてもいいのに。
 なのに伊瀬は私の顔を見て、今度は少しだけ優しく笑う。
「隣にいるよ。俺もちょっと喉乾いたし」
 その笑顔が、思索に行き詰まる私の気分をちょっと軽くしてくれた。
 こういうところも全然変わってないな、伊瀬。
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