Tiny garden

身の内に潜む(4)

 後日、俺は霧島と安井を飲みに誘った。
 目的は言うまでもなくプロポーズについてのご報告だ。二人とも、特に説明しないうちから結果の程を察していたようだった。事前の電話でもあんな調子だったんだから当たり前か。

「では改めまして……おめでとうございます、石田先輩」
「おめでとう、石田。仕方ないから祝ってあげよう」
 こういう場では真面目になる性質の霧島と、こんな時でも余計な一言は忘れない安井から、乾杯の前に祝福の言葉を貰った。
「ありがとう二人とも。今、最っ高に幸せだ」
 俺は感謝の意を示してから、いい気分でビールを呷る。
 いつものがやがやうるさい居酒屋の喧騒が、今日ばかりは喝采に聞こえてくるから不思議だ。まるで世界中の人間から幸せになれと背を押されているような……誰に言われなくても、なるけどな。
 霧島も安井も、俺からいろいろ聞き出したくてうずうずしているようだった。今日こうして飲みに誘うまでだって、俺は二人に何か聞きたそうな視線を事あるごとに送られる数日間を送っていた。男から送られる熱視線なんて嬉しくもなく鳥肌ものでしかないので、繁忙期の仕事を片づけてすぐに二人と約束を取りつけた。
 俺の真向かいに並んで座る霧島と安井は、この日この時を待っていたと言わんばかりの張り切りようだった。芸能リポーターばりのパワフルさで質問を矢継ぎ早にぶん投げてくる。
「それで、プロポーズの言葉は何だったんですか?」
「その時の小坂さんの反応は? きっとあたふたしてただろうな」
「先輩なら、指輪はちゃんと買っていったんですよね?」
「どうせまめまめしく誕生石調べていったんだろ?」
「式はいつ頃にするか、もう決まったんですか?」
「何にするんだ? 神前か? 教会か? まさか海外か?」
「ハワイですか先輩!」
「いやグアムだろ!」
「バリ島っていうのも聞いたことありますよ!」
「モルディブもなかなかいいらしいぞ、おいどうする石田!」
 どうするじゃねーよ……。
 次々とぶつけられる質問に答えるどころか、何聞かれたか覚えてるのさえ大変だ。俺よりはしゃいでんじゃないか、こいつら。
 でもまあ、それほど祝われてるってことでもあるよな。こっちとしても嬉しくなくはない。覚えられた分だけ、広い心で答えてやることにする。
「プロポーズの言葉は……何て言うか、普通? 無難なとこだよ」
 とは言え正直に打ち明けるとなったら、それはそれで照れる部分もあったりする。俺が誤魔化そうとすれば、たちまち二人に突っ込まれてしまう。
「や、駄目ですよ先輩。そこは具体的にぶっちゃけてもらわないと!」
「そうだぞ石田、もったいぶらずに一字一句漏らさず言ってみろ!」
「この場でそこまで克明に言うのも変だろ。何か、お前らにプロポーズするみたいで」
「じゃあこうしましょう、安井先輩をあえて小坂さんだと思って再現を!」
「よし、今から俺はお前の可愛い可愛いスイートハニーだ!」
「気持ち悪っ! そもそも藍子の可愛さが安井なんかに再現できるか!」
 想像力も妄想力も逞しい俺ではあるが、さすがに三十のおっさんを見て俺のかわいこちゃんを妄想するのとか無理だ。萎え萎えだわ。
「いいだろ別に何て言ってようと。そんな練りに練ったプロポーズとかしたわけでもないし、聞いたら聞いたでがっかりするぞ、お前ら。無難すぎてつまらんって言われても困るしな」
 やたらとハイテンションな霧島と安井を落ち着けようと、俺は冷静なコメントを返す。
 これは嘘でもないし、がっかりされるかどうかは知らんが実にありふれた求婚をしたと自分では思ってる。こういうのは捻ればいいってもんでもないだろうし、藍子に対しては何よりもわかりやすさが肝要なはずだった。
 しかし一旦弾けちゃったお二人さんがその程度で引っ込むかと言えば、そうでもなかったらしい。
「どうしてそこで言いたがらないんですか。ますます気になりますよ」
「まさか照れてるのか? 恥ずかしくて言えないとか柄でもなさ過ぎるぞ」
「いや、そういうわけじゃ……。照れとかじゃないですけど!」
 反論しつつもつい緩んでくる口元を抑え切れない。
 照れがあるっていうのはあながち間違ってもないのかもしれない。こっちだってプロポーズしたのはつい先週末の話だ。その時の会話も、妙な高揚感も、その後の藍子の一挙一動も全部、記憶の中に鮮明なうちから再現しろって言われても困るよな。身体の奥に染み込むようにじわじわと、幸せだとか、嬉しいとか、今すぐ藍子の顔が見たいとか、いっそいろいろすっ飛ばして早く嫁にしたいとか、そういう想いや衝動や情熱にすっかり浸食されてしまっている。
 それで俺が一人にやにやしてれば、霧島と安井があからさまに『引くわ……』という顔をしてくる。
「石田先輩の照れ顔の方がよっぽど気持ち悪いです」
「くそ、何だこいつ、でれでれしやがって。その顔を写真に撮るぞ!」
「うわっ、止めろよ馬鹿! この顔はちょっと、さすがに撮影NGだ!」
「いえ撮ります。いっそ小坂さんに送ってあげましょう!」
「それいいな。小坂さんも未来の夫の締まりのない顔を見たら、考え直すかもしれない」
「直さねーよ! あと撮るなってマジで!」
 制止しても二人は聞き入れず、携帯電話のカメラを起動して次々とこちらに向け始めたので、俺は乙女のように両手で自らの顔を覆った。そのせいかフラッシュは一向に光らなかったが、少しして指の間からちらっと覗いてみたら、あいつらは携帯をしつこく構え続けている。本当に芸能リポーターのようだ。
 最終的には俺の鉄壁ガードに根負けした霧島が先に携帯を下ろし、次いで数分後に安井も下ろしたので、俺もそろそろ両手を外した。途端、安井がフェイントとばかりに再び構え直してきたが、間一髪でそれも防御してやった。

 攻防戦が一通り済んでから、俺はすっかり脱線した話を元に戻す。
「時期とかも、はっきり決めてはないんだがな。藍子も、できるだけ迷惑かけない形で退職したいって言ってるから、早くても来年になるだろうな。俺の予想では多分、九月くらいになるんじゃないかと思ってる」
 その話題の時だけは、霧島も柄にもなくしんみりした顔つきになっていた。
「ちょうど一年先ですか。随分遠いような、とても短いような……」
「そうだな。今は俺も、結構あるなって思ってるが、案外あっという間なんだろうな」
 俺は頷く。
 もう何度もイメージしてみた、『小坂のいない営業課』をまた思い浮かべてみる。やっぱり寂しくて、でも寂しいとは決して言ってはならない未来の図だった。
「俺も寂しいですし、皆もきっと寂しがりますよ。小坂さんがいないと、電気消えちゃったみたいですから」
 霧島は堂々と本心を口にする。奴が言ったところで誰も責めはしない。彼女を攫っていく張本人以外なら、誰にでも寂しがる権利がある。
 それでもやっぱり複雑な思いはあって、そこを霧島は眼鏡による補正視力で見抜いたんだろう。したり顔で言われた。
「こないだも言いましたけど、先輩、これからが大変ですよ。課の皆にはきっと誘拐犯扱いされますよ」
「そのくらいは覚悟の上だよ。そもそも今に始まった話でもない」
「ちなみに俺もそう思ってます。赤ずきんちゃんが面倒な狼に捕まったなと」
「うるせえな……お前だって似たようなことやらかしてんじゃねえか!」
 この点においては霧島くんも前科持ちのはずだ。俺の指摘を奴はわざとらしく無視すると、あらぬ方へ視線を飛ばした。
 しかしそこで、安井が大きく嘆息する。
「いいなあ小坂さんは……。俺が営業課離れるってなった時は、誰も惜しんでくれなかったのにな……」
「あっ、安井先輩が何か拗ね始めましたよ」
「本当だな。スルーするか」
「俺もあの時、同じように言われたかったな……営業課の連中は薄情だったよな……」
「そもそも比べるのが間違ってますよね」
「お前なんて歩いて五分のところに移っただけだろ。惜しむ必要あったか?」
 寿退職と転属を同列に語られても困る。同じ社内にいればちょくちょく顔だって合わせるし、安井が営業課を出てった時は、寂しさを覚える必要すらなかった。
 いや、正直に言えば、あの時だって何とも思わなかったってわけじゃない。むしろ安井がいなくなってしまった後で、もしあいつがまだ営業にいたら、と考えた機会だって何度かあった。いつだったか言っていたように、安井がまだうちの課にいたならば、ルーキー小坂の教育担当はあいつがやっていたのかもしれない。
 寂しかろうが何だろうが、いつまでもずっと変わらないものなんてあるはずがない。俺は小坂を見送らなきゃいけない。彼女の言葉通り、頼りになる素敵な主任として。
「石田まで結婚したら、いよいよ俺はひとりぼっちになっちゃうしな」
 安井は未だにいじけている。
 本当はそれが一番辛いのかと俺は踏んで、いい機会だから聞いてみた。
「むしろ、安井は最近どうなんだよ。何か俺たちに報告するような話はないのか」
「報告するような話はないな」
 奴は軽く肩を竦め、どっちとも取れる物言いをする。
「それも思わせぶりな言い方に聞こえますけど」
 すかさず霧島が突っ込めば、安井は自棄になったみたいな表情で、、
「あったら大いに自慢してやるよ。それまで黙って待ってろ、二人とも!」
 と言い切ったから、俺は生温かい気持ちで安井を気遣う。
「あんまり悲観的になるなよ。お前だってほら……何かあるって、そのうち」
「そうですよ。安井先輩にもそのうち……何かいいことありますよ」
「何かって何だ! 気遣う気持ちがあるんなら具体的に言ってみろお前ら!」
 霧島にも珍しく思いやりを見せられ、安井は遂に切れた。そりゃそうか。
「もういい。こうなったら石田の結婚式でも歌ってやる。下ネタ満載の歌にしてやる」
 しかもとんでもねーこと言い出しやがった。霧島の時とえらい違いじゃねえかおい。
「それは自重しとけよお前……。出世を遠ざけ、女子社員を敵に回す諸刃の剣だぞ」
 かえってご縁を遠ざける羽目になるぞ、とまでは言わなかったが、安井だって本気じゃあるまい。多分。
 ともあれそこで、またしても脱線しまくった話題が戻り、
「あ、先輩。結婚式の話に戻りますけど、やっぱりハワイなんですか?」
「いやグアムだろ。な、石田」
「俺はどっちとも言ってねーし。式だって普通でいいよ、普通で」
 いろいろ言われて、俺は彼女との結婚式に思いを馳せる。藍子もあまり特別なことはしたくない様子だったが、どうなるだろうな。まず海外はないだろうが。
「小坂さんならドレスも和装も似合いそうですよね。楽しみだなあ」
 更に霧島がそんなことを口走るから、俺だって想像したくもなる。およそ思いつく限りの藍子の晴れ姿。それは押し並べて可愛くてきれいで、でもせっかくだから本物をこの目で見たい。
「ですよねー。俺も超楽しみ。藍子なら何着ても似合うはずだしな」
 ついつい浮かれてしまった俺を、目ざとい安井は見逃さなかった。
「またこいつは、幸せそうにでれでれしやがって……やっぱ写真撮ってやる!」
「やーめろって! この顔は本当、まずいから! 放送コードに触れるから!」
「自分で言っちゃうんですか先輩! いや確かに酷いですけど!」
 いい大人が三人も揃って、居酒屋で大騒ぎすることもないだろう、とは思う。
 でも今日ばかりはこうやって、馬鹿みたいに騒いで、上々の首尾ってのを実感してみたかった。身体の奥からじわじわと侵食してくるような幸せに、緩みきった表情筋はもはや機能しなくなっている。この顔を藍子が見たら、一体何て言うだろう。
 彼女ならそれでも『素敵です』って言ってくれそうな気はするが――なんて、惚気が過ぎますかね。
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