Tiny garden

熱帯夜(3)

 各々の飲み物が三杯目に行き着く頃、店内も混み合い始めていた。
 それでなくても気温の高い日だ。いくらか冷房は入っているはずだが人口密度の増加と入り口ドアの開閉に伴う熱風、及び焼きたてピザを筆頭とする石窯発テーブル行き直行料理たちのお蔭でいい具合に蒸し暑い。温度以上にポロシャツすらまとわりつくような湿度も手伝って、すいすいと酒が進んだ。こういう店だからなのかメニューにチューハイやらサワーやらの名前はなく、しかし高すぎない程度のワインとメジャーどころのカクテルは一通り揃っている。度量が狭いのか広いのか。
 こっちも『曲がりなりにもイタリアンだしワインを飲もう』なんてしゃれたことを考える人間は一人もいないから、その度量に乾杯とばかりめいめい好きなものを飲んでる。仕事の飲み会とは違い、ソフトドリンクに移行しようと甘いのばっかり飲んでようと絡んでくる奴もいない。余計に酒が進む。

 ただ、デザートに行くのはまだ早いような気はしている。
「ゆきのさん、どれから行きましょうか!」
 なのに藍子と来たらもうメニューのデザートのページしか見てない。今現在の飲み物も、デザートに合わせてカルーアミルクにしてみます、という謎の意気込みようだ。
 正直、甘い酒のつまみに甘いデザートって合うんだろうかと疑問に思わなくもない。って言うか締めじゃなくて飲むのか、食べながら。いや甘党なのは知ってるし別にいいけど、すごいな。これが若さか。
「ジェラートはやっぱり最後ですよね、となるとまずは……」
 霧島の奥さんも負けず劣らずデザート類に釘づけだ。
 藍子と二人、メニューを仲良く半分こして、頭突き合わせて悩んでる。この為になのかどうか、飲んでいるのはアイスティーだ。そういえばこの人とも何気に付き合い長いが、酔っ払っちゃった姿はまだ見たことない。いつも顔がほんのり赤くなる程度で、足元が覚束なくなることもなければ口が軽くなるということもない。隙もないままきちんとしてる。
「今からもう甘いの食うって、これからどんだけデザート三昧する気だ」
 一応ツッコミを入れておくと、藍子はぐっと拳を握り固めてみせた。
「それはもう心ゆくまでです! まずは第一部、トップバッターにふさわしいケーキを選びます!」
「第一部……何部構成でやるつもりだよ」
「うーん、そんなに多くないですよ。三部か四部くらいじゃないでしょうか」
 多くなくないじゃないか。
 ちょっと酔いが回ってきたんだろうか、藍子の今の答え方は普段よりもはしゃいで聞こえた。俺に向けて笑いかけてくる表情も、明るいだけじゃなく、どことなくふわふわしている。
 彼女の酔っ払った姿は、当たり前だが見たことがある。彼女の実家へお邪魔した時もそうだ。
 あの時を振り返ってみても危惧するような覚えはなく、酒のせいで酷く箍を外すタイプでもないから心配はしていない。むしろこの後、飲み会が終わってからの時間を考えれば大いに回っててくれた方が都合がいい。今日は土曜で俺の誕生日祝いなんだから、どうなったって彼女を連れ帰るのは俺って決まってるわけだし、二人きりの時間をより楽しく過ごす為にアルコールの力を借りておきたい。その時には遠慮なく、箍を外してもらえるように。
「隆宏さんはどうしますか、お誕生日のケーキ」
 小首を傾げる藍子の、ころんとした耳はもう既に赤らんでいる。それが酔いからくるものなのか、店内に充満する蒸し暑さのせいなのかはまだ判別つきがたい。デザートには早すぎる時間だが、三部構成となれば話は別だ。せいぜいいい気分で食べまくって飲みまくって、前みたいに酔っ払っちゃえばいい。
「俺はまだいいや。第三部になったら声かけてくれ」
「はい」
 俺の答えに彼女はにっこりして顎を引き、それからすぐにメニューへと目を戻す。霧島の奥さんとああでもないこうでもないと楽しげにデザートを選んでいる姿が可愛くて、こっちも余計に酒が進んだ。

 女の子たちの華麗なる三部構成計画とは対照的に、男共はまだまだ酒飲みモードだ。
 さすがに三人ともビールは終えてしまったが、適当なカクテルと甘くないつまみを並べて緩いテンションで会話を続ける。
「いいよな、今日の飲み会は華があって」
 安井がしみじみと語る視線の先、藍子と霧島の奥さんが遂に注文の品を決めたようだった。店員を呼びいい笑顔でオーダーする二人を眺めつつ、霧島が言葉を継ぐ。
「男同士じゃ華もないですしね。……って言うとセクハラだと糾弾されそうですが」
「貶してんじゃないんだからいいんだよ。女性は素晴らしいねって話だ」
「そうそう。可愛くて一緒にいると楽しくて、女の子最高、女の子大好き」
「いくら貶してないったって、そんないかがわしい誉め方ありなんですか?」
 誉めてるには違いないんだからいいんじゃね。
 それに事実だ、女の子がいると場が和むのも華やぐのも。とにかくひたすら可愛いのもそうだし、一緒にいて楽しいのも、傍にいてくれるだけでほっとするのも然り。穏やかな幸せも、ちょっと騒々しいくらいの幸せも、どっちもくれるような存在――そして『女の子』って単語からたった一人しか連想できなくなってしまった俺はいよいよ年貢の納め時のようです。いや、こっちは納める気満々なんだけど、放っとくと取り立てが一向にやってきそうにないのが悩みの種。早く納めさせろってんだ。
「しかし、女の子がいるのはいいけど」
 と、安井はそこで意味ありげにグラスを見下ろし、
「これが逆だったら、こういう集まり方はできなかったのかもしれないな」
「逆って?」
 奴の言わんとしていることが掴めず、俺は聞き返す。
 待ち構えていたみたいに安井がにやりとした。
「仮に俺たちが女の子だったら、彼氏連れてきて飲み会、なんてのはなかったんじゃないかってな」
 どんな突飛な仮定だ。思わず顔を顰めた俺と同様に、霧島も嫌そうな表情を取る。
「なんて気色悪い想像するんですか」
「そうだそうだ、せっかくいい気分で飲んでる時に」
「仮にって前置きしただろ。例え話にむきになるなよ」
 安井もそろそろアルコールが回ってきた頃らしい。いやにへらへらしながら馬鹿話を続けたがる。
「女の子って、友達と会うのに彼氏は連れてこないだろ。俺たちが全員女の子だったら、こんな集まりもなかったわけだ。そう思うと感慨深くてさ」
 何の感慨か知らないが、よくわからないことでしみじみしている安井が実に奇妙だ。あれか、深層心理とかそういう類の分析では性転換の願望があったりするとかか。
「お前、この席でカミングアウトとかやめろよ」
「は? 何だよカミングアウトって」
「とうとう女の子の気持ちがわかるようになっちゃいました、みたいな……」
「気持ち悪っ。どんな想像してんだ、石田」
 いやお前のよくわかんねー例え話よりはましだと思うんですが。何でいきなり俺たちが全員女の子だよ。そこで感慨に耽る神経がわからんわ。
「女の気持ちなんて一生わかんないよ」
 安井はそんなことを、藍子や霧島の奥さんを目の前にして言う。藍子がきょとんとする隣で、霧島の奥さんは軽く笑った。
「わかりませんか」
「わからないな。男とは確実に違うってことだけはよくわかってる」
 うん。それは俺もよくわかってる。女の子の考えってのは時々シュールなくらい飛躍するし、そうかと思うと時々堅実で、石橋叩きすぎて壊しちゃうレベルにまで達したりする。――この場合の『女の子』もたった一人の話ですが、いつも振り回されてるし笑わせてもらってもいます。
「だからさ、もし俺たちが、安子ちゃんと石子ちゃんと霧子ちゃんっていう女の子だったとして――」
「その例え必要か? つか誰だよ石子ちゃんって!」
「『霧子ちゃん』はリアルにいそうだからやめてください!」
 あくまで『もしもの話』にこだわる安井にドン引く俺と霧島。ただ、藍子たち女の子は何がツボったのかいきなり爆笑してました。笑いの沸点低くなってんのか。
「人生ってのはさ、ちょっとした違いで変わっちゃうものなんだ、って言いたかったんだよ」
 引かれようが笑われようが至ってマイペースの酔いどれ安井が、締まりのない調子で語る。
「そのちょっとの違いがたまたま上手く行ったから、俺は霧島の奥さんや石田の彼女と一緒に酒を飲めて、こうして楽しい時間を過ごしてる。……っていう真面目な話をしようとしてるのに、何で誰も真面目に聞いてくれないのかな」
 真面目な話に『石子ちゃん』はいらん。酒がまずくなる。
 この取りとめのなさはもうフォローのしようもないな。典型的酔っ払いだ。
「お前、結構酔ってるだろ」
 俺の問いに奴は首を竦める。
「かもしれない。空きっ腹にまず飲んだからな」
「今日は送ってかないぞ、藍子いるし」
 そこでぴくっとした藍子が、『いやいいですよ私ならお供しますし大丈夫です!』と訴えてきたけど、俺がそれにかぶりを振るより早く、安井の方が苦笑を浮かべた。
「わかってるよ。邪魔しちゃ悪いし、今日は一人で帰れる程度にしとく」
 それから軽く息をつく。
「ただ、すごくいい気分なんだ。さっきも言ったけど霧島の奥さんとか、石田の彼女とかがいる飲み会なんてさ、昔は考えもつかなかったから。そういう付き合いができるっていいよな、って思った」
 わかる。それもよくわかる。
 くしくも、俺も似たようなことを考えてた。霧島が結婚して、俺には藍子がいて、そんな状況でもこうして集まれる関係ってのも悪くない。俺は三十一になっちゃったし、安井も今年中には同い年だし、霧島も来年にはついに三十路だけど、それでも変わらず集まって酒飲んで馬鹿みたいな話してって、いいことだよな。
「変わったものも結構、あるのにな」
 つられて俺もしみじみしてみる。そりゃもう、入社当時から比べたらいろんなものが変わりましたとも。髪型は落ち着いたし写真撮る時にふざけたポーズ取ったりもしないし、思うことは多々ありつつも一応主任になったし、可愛い彼女ができてその子とめくるめく幸せの日々を送っていたりもするし。
 これからも変わっていくものはたくさんあるだろう。髪型も乗ってる車も役職も住所もいつかは変わるんだろうし、今の彼女とはもう前のめりなくらい前向きに結婚を考えてます。子供だって欲しい、是非とも藍子似で。
 でも何が起きたってどれだけ年月が経ったってこんな風に集まって酒飲んで馬鹿話できたら、それはそれで絶対楽しいし、悪くないよなって思う。
「そうやってしんみりしちゃうの、歳のせいですよね」
 霧島の小憎たらしい一言が、感傷に浸る俺と安井を打ちのめす。
「てめ、先輩に向かってその口の利き方は何だ!」
「お前だって来年になればわかる! 訳もなく人生振り返りたくなるんだよ!」
「でも今のところはまだ俺、二十代ですし」
 自慢げにも見える顔つきで言い放った霧島が、直後、俺を見て意味ありげに笑んだ。
「そもそも石田先輩は過去なんて振り返る柄じゃないでしょう。いつもは未来しか見てないくせに」
「……まあ、そうですけどね」
 そりゃそうだよ。いつだって未来を夢見ちゃってるよ俺。思い出を探していくら振り返ったところで、俺的いい思い出たちはほぼここ一年に集約されちゃってるんだから。
 過去よりは断然今がいいし、未来はもっと素晴らしいと思ってます。彼女さえいてくれれば。
「お前、いつ結婚する?」
 酔いのせいなのかどうか、安井が妙に真剣な口調で切り込んできたので、一瞬戸惑う。
「俺? いや、俺はいつでもいいけど」
 いつでもよくないのは向こうの方だろうし、と藍子へ視線を向ければ、彼女は急にあたふたし始めた。
「わ、私に振るんですか!?」
「だってほら、皆聞きたがってる」
 俺が言えば、他の三人もうんうんと頷く。藍子が困り果てた表情になる。
「ええええ……それは、あの、将来的にはって考えてますけど、でも時期とかは……」
 皆の視線を集めているせいか、藍子の言葉はごにょごにょと濁すように萎んでいく。しまいには俺のシャツの袖を掴んで、必死に頼み込んできた。
「あ、あの隆宏さん、何て答えたらいいんでしょう」
「何てって、俺はいつでもいいって言ってんだろ」
「私も駄目ってわけじゃないんですけど……けど……」
 困ってる困ってる。かわええのう。
 人生の重大な分岐点にでも立たされたみたいに、彼女は深刻なそぶりでしばらく悩んでいた。そこへ注文したケーキが運ばれてきて、水入りとなるかと思ったら、ケーキを前にしてもまだ考え込んでいる。
「結婚、とか、以前は深く考えたことなかったんです」
 やがて、彼女はこう言った。
「でも、霧島さんとゆきのさん見てたらやっぱ素敵だなって思いますし、憧れる気持ちはあります」
 霧島がちらっと奥さんの方へ目を向けたのを、俺も横目でちょっとだけ見た。奥さんがどんな顔をしていたのかは見なかった。見ないようにしといた。
「ただ私、隆宏さんより七つも下ですから、もうちょっとお料理もできるようになって、人間的にも成長してからじゃないと釣り合わないかなって気持ちもあって」
 藍子はそこまで語ったところで気まずげにはっとする。俺に向かって小声で、
「あっ、これ、前にも同じことで悩んでましたよね。私、あんまり成長してないなあ……何か、ごめんなさい」
 苦笑気味に言い添えてきた。
 彼女のお預け体質はその言葉通り今に始まった話ではなく、俺は以前からそんな調子で長らく『待て』をされてきたわけです。お付き合いする前からです。どっちが犬だかわかりゃしない。
 安井がいつだか言っていた、プライドの高さってのがまさに彼女の足を引っ張ってた。自分にハイクオリティを求める姿勢は悪くないものの、それが思うようにいかずに他のことにまで影響及ぼしてるのはよくない傾向だ。そういうところはルーキーじゃなくなってからも相変わらず。
 俺の方は、当時と比べりゃ今はまだ全然余裕あるけど、でも彼女が同じ理由で足踏みしてるってだけなら、そんな必要はないって知ってもらいたい。
「俺は、今のお前で十分だ」
 だからそう告げたら、藍子はぽかんと口を開け、彼女の代わりに安井と霧島が野次めいた言葉を投げつけてきた。
「人前で臆面もなく口説き文句と来たか! 恥ずかしげもなくよくやるよ」
「カルボナーラが甘ったるくなるんで外でやってください、外で」
 言ってろ言ってろ。俺は全く気にしない、だって本音だからな。
「石田さん格好いい!」
 霧島の奥さんも嬉しそうに声を上げる。すぐさま藍子を肘でつついて、
「藍子ちゃん、どうする? あんな素敵なこと言われちゃって!」
「え、えっと……」
 ここでようやく事態を把握したらしい藍子が、さっき以上に困った顔をして一度俯き、目の前のケーキをやはり放ったらかしで長らくおろおろした後、恐る恐る面を上げてそっと俺に話しかけてきた。
「じゃあ……その、ぼちぼち考えましょうか」
「何を?」
「日取りって言うか、時期って言うか、い、いつ頃かみたいなのを……」
 非常に覚束ない口ぶりではあったが、何が言いたいのかはよくわかった。
 これまで以上に前向きな言質を取ったぜ! とテンション上がる俺の前で、藍子はまだもじもじしている。不意にばちっと目が合えば、ぎくしゃく逸らしながらも言われた。
「あの、ふ、不束者ですけど……よろしくお願いします」
 それ、今言うことか。
 と思ったけど縮こまって恥らうそぶりと逸らした後の伏し目がちな表情が大変可愛かったので許す。むしろぐらっと来ました。つくづく藍子は睫毛の先までもれなく可愛い。
 だから俺は湧き起こる衝動のままに言った。
「ちょっといい雰囲気なんで、俺たちこのままおいとましてもいいですか」
「本っ当に先輩は欲望のまま生きてますよね!」
 切り捨てる霧島。
 したり顔の安井が後に続く。
「残念だけど、小坂さんのデザートは三部構成じゃなかったっけ。最後まで待っててあげないのは彼氏としてどうかと思うね」
 それで俺が藍子の表情を窺えば、彼女の意識はここでやっとケーキの方へ向いたらしく、ちらちらと俺と見比べるようにしながら言われた。
「隆宏さんも食べるんでしたよね、ケーキ」

 つまるところ、『待て』なわけです。
 いや、いいんですけどね。睫毛の先まで可愛い藍子は、ケーキ食べてる顔もやっぱり、可愛いし。
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