世界で一番すきなひと(2)
正直に言えば、断られる可能性も考慮していた。断られるというよりも、後になってから冷静になってしまった小坂に、やっぱり泊まりはちょっと……なんて気まずげに口にされるんじゃないかという危惧はあった。その場合こっちとしては、そこからどうにかして説き伏せて、今回ばかりは譲りたくないって意思を明確にしようかと思っていた。
上手いこと泊まりに来させることができたら、後はもう押し切るしかない。小坂はきっと大層うろたえるだろうし、怖がりもするだろう。そりゃ小坂が怖がる理由も知らないわけじゃない。ないけどな。
経験上、寝る、という行為について、男と女の捉え方はかけ離れているように思う。
女の子たちにとっては、こと最初の一回は非常にしんどくて、負担が大きいものらしい。そうは言われても俺がそのしんどさや負担を身をもって知る機会なんて一生かかっても訪れないわけで、せいぜい毎回辛くないように、怖くないようにって気を配ってやるくらいしかできない。
そういう前提があるからか、女の子たちは男が自分と寝たがるのを見下したり、非難したり、時に嫌悪したりする。寝るのが嫌だというわけでもないくせに、いざこっちがそういうそぶりを見せると、頭の中にそれしかないのかと呆れた目を向けてくる。デートの度に事に持ち込もうものなら『所詮身体目当てなんでしょ?』とかいかにもわかった風に言い出す。俺に言わせれば、それは半分当たりで半分外れだ。
最初っからそれ込みで好きになってんだ。切り離しては考えられない。身体目当てっていうのは間違いでもない、ただ、それ以外にも好きなとこがあるってだけ。身体的な魅力を感じない相手を好きになるなんてありえないし、だから好きになった子に対して、会う度にやりたいって思うのも普通じゃないか。心身共に惚れ込んだ相手を、こっちも全身全霊を懸けて愛さなかったらかえって失礼だろ。
――とまあ、詭弁を弄しつつも主張しておく。
頭の中がそればっかりなのは事実です。仕様です。そうじゃない男ももしかしたらどっかにいるのかもしれないが、少なくとも俺の周りにはいない。あいつとか、あいつもそうですよ。同類ですよ。そんなもんなんだって。
小坂が今回の件についてどう思っているのかは、実のところよくわからない。
約束をしてから数日間、俺は身構えつつ様子を見ていた。その日から一緒に帰る機会がしばらくなく、二人でじっくり話をすることもあまりなかった。それでもメールや電話ではやり取りしていたから、断る暇がないというほどではなかったと思う。
そして今のところは断られてない。
ただ意識はしてるらしい。会社にいる時に目が合うと、何やらぎくしゃく会釈をされた。こっちが笑いかけても非常にぎこちなかった。メールや電話ではバレンタイン関係の話題が全く出なくなり、ならこっちも触れずにおこうとした結果、未だに断られずに済んでいる。
思えば泊まりの誘いは拍子抜けするほどあっさり了承されたが、喜んで、という様子ではなかった。とりあえず断っちゃ悪いと思って頷いてはみたものの、覚悟は決まってない。そんな感じかもしれない。小坂は以前、『付き合う前にキスなんてするのはおかしい』と真面目な奴らしい発言をしていて、でも俺の部屋に初めて来た時は、付き合ってもいなかったのに、させてくれた。俺が押しまくったからとか、雰囲気に流されただけとは思いたくない――が、どうなんだろう。向こうは向こうで、心の奥底ででもそれを望んでてくれたって、前向きに思っときたいんだけどな。
怖いって感じるのは、わかる。わかると言うか、俺の理解なんて事実には程遠い当て推量でしかないんだろうが、それでもできるだけ考えて、正解に近いところまでには辿り着けるようにする。だから小坂も、俺の気持ちを少しずつでいいから、ゆっくりでいいから、わかってくれないかなと思う。
頭の中がえろいことで一杯なのも、お前がめちゃくちゃ好きだからだ。ここ半年ほどの俺の妄想は、自慢じゃないがほぼ小坂オンステージだ。お前と外へ遊びに出かけたり、一緒に酒飲んだり飯食ったりするのが楽しくて、幸せなのと同じように、思いっきりやらしい気分でいちゃいちゃしたりべたべたしたりするのも絶対楽しいし、幸せなはずだ。だからお前も俺を信じて、一人で怖がったりしないで、一歩踏み込んだ後はここぞとばかりに頼って縋ってくれればいい。
とりあえず決めてることがある。その時には思いっきり好きだって言ってやろう。小坂が本当に必要で大切でいとおしいんだってこと、言葉でもそれ以外でも精一杯伝えておきたい。あと最初くらいはなるべくノーマルに。突っ走んないように気をつける。
それから、名前で呼んでやろう。
本人の前ではまだ呼んだことがない。だって呼んだら小坂のやつ、絶対照れるし慌てるし真っ赤になっちゃってそのまましばらくショートしたみたいに動かなくなるだろ。それなら動かなくなってもいい時に呼ぶ。
考えを巡らせつつ数日間を過ごし、遂に二月十二日を迎えた。
明日は運命の十三日。しかし今日は今日で忌まわしき、営業的バレンタインデーである。
小坂は朝、菓子屋の紙袋を提げて出勤してきた。包装紙からしてそこそこ立派な、小ぶりのチョコをいくつも用意していた。仕事だからってのはもちろんわかってるんだが、やっぱ面白くない。
営業課の女の子はあいつだけだから、他の連中は俺も含めて貰ってくる側だ。俺も出先で挨拶程度に貰った。霧島なんかは担当が多くていろんなとこ回ってこなきゃいけないから、収穫量も俺よりぐっと多い。
外回りが終わって戻ってきてから、机の上にチョコの山を築いている霧島。俺は憂さ晴らしも兼ねて、奴にちょっかいをかけておく。
「大漁だな霧島。こんなに持って帰って、奥さんに不安がられたりしないか?」
「大丈夫ですよ。全部仕事上の付き合いだってちゃんと言ってありますから」
うんざりした答え方にはしかし、多少の余裕も見受けられた。
先月式を挙げたばかりの新婚さんとあって、近頃の霧島は俺以外の営業課員にも盛大にからかわれるようになっていた。それどころか営業先でもあれこれ冷やかされているらしく、困るんですよね、なんてもっともらしく語っていた。満更でもないくせに。
そんなわけで、俺ごときのあしらいなんぞ慣れたものだ。
「お、何だ。結婚したら急に亭主関白になったのか」
「なってないです! それと、この間から言ってますけど勤務中にそういうこと言うのやめてください!」
こっちのツッコミもぴしゃりと封じてみせたが、居合わせた他の連中には笑われていた。
社内恋愛がめでたく結婚に切り替わると、この手の話題もおおっぴらに祝福されるようになる。霧島が皆に公然と笑われ、からかわれている光景が、今の俺には眩しくもあり、先のことを思うと憂鬱でもあり。これから行く道、だもんな。
こっそりと視線を巡らせれば、小坂も自分の席で、肩を揺らして笑っていた。やたら可愛い、悩み事もなさそうな顔をして。――少し、意外に思う。
「そんなことを言うなら、先輩こそどうなんですか」
俺が気を取られている隙に、霧島がやり返してきた。
「あんまりたくさん貰って歩いたら、できたばかりの彼女に愛想尽かされるんじゃないですか?」
誰が、と名前は口にしない。もう課内には知れ渡っているらしくて、結構にやにやされたりもしてるのに、霧島はわざとらしくそういう言い方をする。そこが恋愛と結婚の差なのかもしれない。
そして、愛想尽かされる心配もなさそうだ。なぜそう思うかと言うと、去年までは義理とも本命ともつかない受身がちなチョコを貰う機会がちらほらあったのに、今年は今のところゼロ、営業チョコオンリーという状況だからだ。それだけなら別に、俺たちがお付き合いしてるのは事実だから他の課にまで知られてようと構わない。問題があるとすれば、――俺が小坂に骨抜きにされちゃって、もうめろめろなんだって噂になってることだ。だから逆だっつってんだろ。そりゃ俺の骨も大分なくなっちゃったけど、あいつだって既にないよ。両成敗だ。って言うか誰だそんな噂流した奴は!
そういった噂のせいで、小坂に心配される要素はほとんど消滅している。残るは営業チョコくらいのもんだが、それは小坂自身がほうぼうで配り歩いてんのと同じだから、真面目なあいつならちゃんと理解もしてくれるだろ。
「あいつは、やきもちを焼く性格じゃない」
だからそう答えたら、
「そうでしたね」
霧島は深く納得した表情になる。わかってんな、と俺も感心した直後、
「むしろ先輩の方が妬いてるんですよね。彼女があちこちにチョコを配って歩くから、朝から心配で心配でしょうがないって顔を――いたっ」
むかつくことを口走り始めたから、奴の足を思いっきり踏んづけてやった。
図星かどうかは言うまでもない。
営業チョコと似た意味合いで、営業課にもバレンタインの贈り物があった。
小坂と霧島夫人の連名で用意されたのは、おかきだった。クリスマスの鮭と言い、あいつの持ってくるものは例によってどこかずれてる。説明がなかったら誰もバレンタインのだってわかんなかったんじゃなかろうか。
もっとも、チョコばかりじゃ喉の奥まで甘ったるくなるから、ツッコミどころは別として、こっちとしてもありがたい贈り物になった。
「やっぱり甘いものの後には、しょっぱいものが食べたくなるよな」
「なりますよね!」
拳をぐっと握り締め、小坂は表情を輝かせる。何がそんなに嬉しいのやら、可愛すぎて俺の心まで甘ったるくなる。早速おかきで中和してもらおう。
おかきの缶の横には、『皆さんでお召し上がりください』って手書きのメモが。小坂の丸っこい字とは違う、でも女性の細身の筆跡。その下には同じ字体で『霧島ゆきの』とあった。小坂は更にその下に、『小坂』と判を押していた。
「こういう、一味違うものだとありがたいですね」
霧島の感想にも、小坂ははしゃいでるみたいなテンションで応じる。
「ありがとうございます。実は、ゆきのさんが出してくださったアイディアなんですよ! チョコレートじゃなくって、何かしょっぱいものにしようって」
「へえ、そうなんですか」
「――『ゆきのさん』?」
クリスマスに鮭買ってくる小坂みたいな発想を、霧島の奥さんもしたのか、という点も引っかかったが。
それ以上に引っかかったのはたった今、小坂がしたその呼び方だ。
ゆきのさん、って言ったか?
「小坂、お前、いつの間に霧島夫人を名前で呼ぶようになった?」
即座に俺が尋ねると、小坂は待ち構えてみたいに得意げに笑った。
「この間からです」
だから、それはいつだ。先月の結婚式ではまだ苗字で呼んでなかったか。
「そういえば、彼女も小坂さんのことを『藍子ちゃん』って呼んでました」
霧島は思い出したように言うと、小坂に対して確かめる。
「二人で買い物に行かれたんでしたよね」
「はいっ。先日、仕事の後にご一緒しました。それからです」
小坂が力一杯頷く。
「仲良くなるのが随分と速いな」
感心してしまう。女の子同士ってこう、よくわかんないうちに仲良くなってたりするよな。知らない間柄でもなかったとは言え、仕事帰りにちょっと買い物して、そこで名前呼び合っちゃうまでになるとかどんだけハイペースだよ。俺に対してもそのくらいさっささっさと歩み寄ればよかったのに。
まあ、バレンタインにおかきとか、そういう感性が似てたのかもしれないがな……。
「ゆきのさん、すごく優しい方なんです。私がどうお呼びすればいいか迷っていたら、名前で呼んでくださいって言ってくださったんです」
小坂がまるで惚気るみたいに嬉しそうだから、俺としては無性に羨ましいし、ちょっとだけ悔しくもなる。
藍子ちゃん、か。俺はまだ呼べてないのに、まさか他の男どもじゃなく、霧島夫人に先を越されるとは思ってもみなかった。南蛮揚げと言い苺のパフェと言いこの件と言い、つくづくライバルの多い相手だよ小坂は。
でも、彼女が笑ってると俺も嬉しい。ここ数日はぎくしゃくしているように見えていたのに、うってかわって明るい表情を見せていることが嬉しい。他のもやもやした感情が、やきもちとか心配とかそういうの全部がどうでもよくなってしまう。
ジンクスの効果は絶大だ。今日は特に、そう思った。
「そうか、よかったな」
「はいっ」
返事もよくて大変結構。今日の小坂は俺の好みのツボをことごとく押さえた小坂だ。
お蔭でこっちもボケる余裕が持てた。
「奥さんもこれから旦那に対してあれこれ不満募らせるだろうからな。そういう時は愚痴でも聞いてやるんだぞ」
「何で不満持つのが当然みたいな言い方するんですか!」
霧島はむきになって怒ってたが、実際そういう不安なんてないことは本人だってよくわかってるはずだ。お前の奥さんも、それから小坂も、そんな他人についての愚痴とかで盛り上がる女の子じゃないだろ。じゃあ二人でいる時はどんな話するのかって聞かれたら、さしもの俺にも想像つかないところだが――何話してても可愛いって。あの二人なら。
小坂の笑顔ばかりが印象に残る十二日も、思っていたより平穏に終わった。
その日、俺は八時過ぎに退勤した。いよいよ明日は十三日、今日は帰ったら飯より先に部屋の掃除だ。それと、小坂に明日の予定について話しておかなければならない。
彼女は俺より一時間前に退勤していて、今日も一緒に帰ることは叶わなかった。でも帰り際の表情はいつになく明るかったから、俺は逆に戸惑ってもいたりする。いや笑ってくれてるのは嬉しいんだけどな。でもしつこいようだが明日は十三日なわけで、もっとこう、がちがちに緊張した感じで挨拶されるかと思ってた。十三日の約束をよもや忘れたわけではないだろうが、全く意識されてないように見えるのは今までにないケースだ。
現時点においても、まだ断られてはいない。それどころか難色を示すような発言もなく、こうなるとお互いにその話題を避け続けてきた事実が不安の影を落とし始める。小坂のことだから、断りたくてもなかなか言い出せなかった、ってのもありえなくはない。それ以前に、仕事が忙しくて明日の話なんて本気で忘れてた、ってのも可能性として否定できない。だって小坂だぞ。いかにもうっかりとやらかしそうだ。
どちらにしても、俺の取る手段は決まっている。
駐車場に停めてある愛車に乗り込んだ直後、俺はエンジンをかけるよりも先に、あいつに電話をかけてみた。
この時間ならもう家に着いているのは間違いない。そう思っていたが、小坂はすぐに出なかった。味気ないコール音が六回続いて、あーこれは飯時か風呂かなと、帰ってからかけ直すつもりで電話を切りかけた時、ようやく繋がった。
『――あっ、主任! お疲れ様です!』
がさがさと何かを掻き集めるような音と一緒に、慌てふためいた小坂の声が聞こえてきた。
急かしたようで悪いことしたなと思った直後、今度は電話越しに別の音が聞こえた。ざわざわした大勢の人の気配。構内アナウンスみたいなわんわんと響く声。駅っぽいな、ととっさに察した。
「小坂、もしかしてまだ帰ってなかったのか?」
『はい、そうなんです。これから電車乗って帰るところです』
俺より一時間も早く上がったのに、今から電車乗るのか。何か用事でもあったのかな。
それで俺は、今日聞いたばかりの新ネタを思い出して、
「お、何だ。まさか今日も霧島の奥さんと一緒か」
水を向けてみたら小坂は、えへへと子供みたいに笑った。
『今日は違いますよ。一人で買い物です』
「そっか。……俺は今上がったとこだから、何なら家まで送ってやっても」
『い、いえいえいえお構いなく! もう電車乗るだけですから平気です!』
俺の申し出は大慌てで蹴っ飛ばされた。小坂なら遠慮はするだろうなと思ってたが、会いたい気持ちもすごくあったから、断られたのはちょっとへこんだ。
明日の予定まで断られたわけではないけど、これからその話をしようと決めてたから余計に、幸先よくない感じがするじゃないか。会ってじっくり話した方が、もしかしたら及び腰かもしれない小坂にも、よりわかってもらえるんじゃないかって考えたんだけどな。
微妙な沈黙があった。
お互い出方を窺うような、少し気まずい時間が続いた。
「――小坂」
それでも俺が話を切り出そうと呼びかけた時、小坂の方も口を開いていた。
『あ、あの。今日は、明日の準備があって』
もじもじと、恥ずかしそうに聞こえた。
明日の、と言われてなぜかこっちが緊張した。だってまさか、小坂の方からその話題を出すなんて思ってもみなかった。
しかも準備と来たか! ってことは断ったりしないってことだよな。そして明日に備えて、何か――何らかの品を買ってきたってことだよな!
「準備って何だ」
興味本位で突っ込んじゃう俺も俺だ。気になっちゃうんだからしょうがないだろ。
『内緒、です……』
小坂はやっぱり恥じらい気味に、でも思わせぶりに答えた。
うわ、何だこれ。どういう意味で内緒だって? つい鼻息も荒くなる。
「それはあれか、俺が期待しちゃってもいい類のやつか」
『え? うーん、期待、していただける……かなあ』
今度は考え込むような間があり、
『何て言うか、失礼のないようにって思って買ってきたんです』
「失礼って何が」
『ですから、それは内緒です』
「楽しみにしててもいいかどうかくらいは教えろよ」
『うーん……あ、でも、誉めていただけたら嬉しいなって思います』
だから何をだ。誉めるのはもちろんやぶさかじゃないが、どこに注目しとけばいいかだけでも教えてくれればいいのに。それともいちいち注目しなくても、流れで自然に目にするような、拝ませていただけるような品なのか。――やばい、こっちがどきどきしてきた。
「で、何を買ったって?」
『内緒です!』
「ヒントだけでも寄越せって。身に着けるものだろ?」
『駄目です。絶対言わないですもん』
あくまで小坂がそう言い張るので、俺は追及を諦めた。まあ明日には判明するんだから期待するだけしとけばいいよな。失礼のないようにって一言が若干、ロマンを減退させるが。
どちらにせよ、もう断られる心配はなさそうだ。
「明日、四時くらいでいいか?」
俺は張り切って明日の予定を告げ、
『朝のですか?』
小坂にはお約束のボケで返された。
「釣りに行く気か? 早すぎるだろ!」
『あ、そ、そうですよね。私も随分早いんだなあって驚いてたところです』
「そんなに俺と長くいたいって言うなら、今からでも来ればいいだろ。迎えに行くぞ」
『いえそういうことでは……その、別に主任と長く過ごしたくないってことでは全然ないですけど! ちょっと受け取り方を間違えちゃっただけで、私、えっと、そういうつもりでは』
困ってる困ってる。この反応もいいよなあ、初々しくて。
しかし今から来られると実は俺の方が困る。掃除とか洗濯とかいろいろやっときたいことがあるんでな。からかうのも程々にしないと。
「わかってるよ。午後四時だ、それでいいか?」
『は、はい。了解しました!』
「四時になったらお前の家まで迎えに行く」
『家ですか? あの、できれば駅で待ち合わせがいいです……』
またもじもじし始めた小坂が続ける。
『家族に見られたら、と言うか絶対見送りに出てくると思うんですけど、それはちょっと、すごく恥ずかしいから……お、お願い、できませんか?』
震える声の懇願が、明日の予定がいかに特別かを物語る。
確実に、今までとは違う。ただのデートとはわけが違うんだ。心せよ。
「駅まで行けばいいんだな?」
だから俺も、その程度は妥協してやった。何なら小坂のご両親に挨拶して、その足で連れ帰ってもいいんだが、それやるとその後の小坂がぷすんといきそうだからやめとくか。
『ありがとうございます! すぐわかるように外でお待ちしてますから』
「いいよ、中で待ってろよ。夕方なんてまだ寒いから風邪引くぞ」
『大丈夫です。風邪を引かない何とかなんです、私』
自分で言われるとツッコミにくい。確かに入社してからこっち、風邪引いてるとこ見てないけどな。
でも小坂は、馬鹿じゃないだろ。
それどころか俺が思ってたよりずっと大人だ。七つも下だといろんなことで心配になるが、説き伏せなきゃいけないとか、詭弁を弄して、なんて考えたところで結局は杞憂だった。俺なんかが気を揉む必要もあまりなく、小坂は自分でもしっかりと考えてるし、俺との関係も思っていた以上に、前向きに捉えてくれてる。
きっと、わかってくれるんじゃないかって思う。
不安が通り過ぎた後、残ったのは年甲斐もない緊張感だった。
うわ、冗談抜きにどきどきしてきた。今日は眠れぬ夜を過ごすことになりそうだ。でもそれならそれで、みっちり掃除するにもってこいかもしれない。