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営業課アイドル争奪戦(2)

 しりとりの順番はじゃんけんで決めた。
 その結果、一番手は石田主任、二番が霧島さん、三番目が私の順に回すこととなった。
 まさか職場でしりとり勝負をする日が来るなんて、入社当初は考えもしなかった。ルーキー時代の、今よりもずっと石頭だった私は、職場をもっと神聖な場所だと考えていたからだ。既にルーキーではない私は以前よりかは柔軟な頭になれてると思う。
 こうなったら意地でも主任に勝ってみせたい。

「よし、順番も決まったしさっさと始めるぞ」
 主任の音頭を皮切りに、三人でのしりとり勝負が始まった。
「まず俺からな。しりとりの『り』から、リール」
「『る』ですね。ルーレット」
 霧島さんが難なく続ける。私もすぐさま繋いでいく。
「『と』……とんぼ!」
 一巡目は全員、特に考え込む必要もなかったようだ。頭に戻って、また主任から。
「ボール」
「また『る』ですか? ……ルビー」
「『い』でいいんですよね? じゃあ、イカ」
「カップヌードル」
 三巡目に入ったところで、いち早く霧島さんは察したようだ。途端に眉を吊り上げた。
「先輩、さっきから俺に『る』ばっかり回してません?」
 どうやら今回の主任は『る』攻め作戦でいくみたいです。考えてみたら、『る』も『ず』と同じで、なかなか該当する単語が見つけにくい頭文字ではあるし、実に巧妙な作戦だ。
「お、さすがは霧島。小坂より気づくの早かったな」
 感心したように笑む石田主任を、霧島さんは呆れ顔で睨む。
「やっぱりわざとですか……」
「一文字攻めは俺のしりとりでの基本プレイスタイルだ」
「しりとり如きでプレイスタイルとか! 大人げないな先輩!」
 床に穴が開くんじゃないかというほど深い溜息をついた霧島さんが、その後で思い当たったように顔を顰めた。
「って言うか小坂さんが相手の時でもやってるんですか、この卑怯な戦法」
「そうなんです。前回はそれで惨敗しました」
 私は恥ずかしながらも打ち明ける。その上さっき主任も言ってたけど、『ず攻め』されていることにしばらく経つまで気づけなかった。もちろんそれはあの時、ばりばりに緊張していたからというのもあるだろうけど――いやいや、思い出さない思い出さない。
 それにしても、本当に霧島さんはすごいな。主任と付き合い長いだけはある。
「かわいそうに……。ぶっちゃけ、女性相手にこのやり方は男としてどうかと思います」
 霧島さんの指摘にも石田主任はどこ吹く風だ。
「何言ってんだ。男女平等が謳われて久しいこのご時勢、女だからって手ぇ抜いたらかえって失礼だろ」
 それも一理ある。一人前として見てもらえない辛さも、女性だからというだけで待遇が違うなんてことも社会人になってからそれなりに味わってきた。だからこういう真剣勝負の場で手加減されないのって、一人前扱いみたいで嬉しいかもしれない。
 ただ、喜んでばかりもいられない。しりとりは知的で高度な言葉遊び。語彙力がそのまま強さとなって表れる。ボキャブラリーのなさは戦いが長引けば長引くほど響いてくるだろうから、日頃から表現力豊かな主任が相手ならなるべく短期決戦に持ち込んだ方がいいだろう。
 その為にも、私も何がしかの作戦を考えないと――何だかだんだんと燃えてきている自分に気づいて、今更ながらちょっと照れたけど、楽しいんだからいいよね。
「そんな汚い手を使って、小坂さんに幻滅されないといいですけどね」
「ないない。それどころか『知略を巡らして勝利を収める隆宏さんって素敵!』って惚れ直すはずだ」
 自信たっぷりに言い切った主任は私を見て、
「な、小坂?」
 と同意を求めてくる。
 もちろん主任は素敵な人だけど、その魅力が一番表れているのはしりとりに全力を注ぎ込んで楽しむという性格だと思っている。だから惚れ直すというならいつも、事あるごとに惚れ直しているんじゃないかなって……そんなこと、口に出しては言えないけど。
 口に出すのはもっと違う言葉にしておく。
「今回は私が勝っちゃうかもしれませんけど、主任が負けたからって幻滅したりはしませんよ」
 ちょっと大胆に、挑発に出てみる。
 石田主任は一瞬驚いたようだった。でもすぐに、嬉しげににやっとして、
「言ったな。そこまで大見得切ったからには、一抜けなんかするなよ」
「もちろんです。私、頑張ります!」
「……何か小坂さん、先輩に影響されつつありません?」
 どうしてか心配そうにしている霧島さんから、しりとり再開。
 さすがに三巡目ともなると少し悩んでしまうようで、
「る、る……。ええと……ルアー」
 数十秒かけてからようやく言って、ほっとしたように肩を竦めた。
「『あ』ですよね? アイス」
 私がすかさず続けると、石田主任も間髪を入れずに繰り出してくる。
「スケジュール」
「またですか! 何て卑劣な人だ」
 霧島さんが愚痴を零した。もちろん聞き逃すような主任じゃなく、途端にたまらなく嬉しそうな顔をしてみせる。
「何なら白旗揚げてもいいんだぞ、霧島」
「嫌です、まだ行けます! る……る……」
 唇を真一文字に結び、霧島さんは尚も考える。眼鏡のつるを指先で持ち上げ、思索に耽る面持ちは真剣そのものだった。写真に収めて奥様に見せたいくらい格好いい表情だったけど、さすがにゆきのさんにだって『この写真、しりとり勝負の真っ最中なんですよ!』とは説明しにくい、かな。やめておこう。
 二分近く考えた結果、何か閃いたらしい。そこで霧島さんの顔色にわかに明るくなり、叫ぶように言った。
「ありました! 『ルーツ』!」
「わあ、すごい! やりましたね霧島さん!」
 まるで我が事のように嬉しくなって、私は拍手で霧島さんを労う。
「ここで詰まってる時点で、もう後がなさそうだがな」
 一方、主任は悪役みたいな台詞を口にしていた。おかげで霧島さんはげんなりした様子だ。
「小坂さんはともかく、先輩にだけは負けたくないな……」
 私も霧島さんとだったら普通の勝負になりそうでいいかなと思う。主任は手強すぎるから、この先の為にもどうにかして打ち勝つ方法を見つけ出しておかなければならない。
 ともあれ、次は私の番だ。
「『つ』、と言えば……鶴!」
 声に出してからふと気づく。――あ、次が『る』だ。
 もちろん石田主任も、そして霧島さんもすぐに察したようだった。二人揃って含んだような笑みを浮かべた。
「小坂も『る攻め』で来るとはな。学習したな」
「けど先に卑怯なことしたのは先輩ですし、責められないですよね」
「責める気なんか端からない。むしろ面白くなってきたとこだ」
 主任に『る』が回って、さてどう応えるんだろう。固唾を呑んで出方をうかがう私の前で、主任は間を置かず次の言葉を放つ。
「ルール」
「うわ……っ、まだあるのか!」
 霧島さんが自らの額を押さえ、蹲る。その頭上では石田主任がこれ以上ないほどの得意満面で胸を張っていた。
「どうした霧島。降参か?」
「ちがっ、まだです! 何か……何か『る』のつく単語があるはずです!」
 そう言って霧島さんは単語を探し始めたようだ。目に見えて焦っているそぶりだった。
 私も一度経験しているからわかるけど、こうして追い詰められると思考力が著しく低下してしまうものだ。代わりに浮かぶのはしりとりに使っちゃいけない単語ばかり。
「留守番、ルーチン、ルサンチマン……しまった、いよいよ浮かばない……!」
 霧島さんもいつぞやの私と同じ状態になっている。ぶつぶつといくつかの禁止ワードを呟き、苦しげに何度か息をついた後、よろけながら立ち上がった。
 そして肩を落として、一言。
「……俺、一抜けでいいです」
 投了宣言だった。
「よっしゃあ! まず霧島を倒したぜ!」
 片腕を振り上げて喜ぶ石田主任を、霧島さんは恨めしげに見ている。その後、私に向かって必死に訴えてきた。
「小坂さん、是非とも石田先輩を倒してください! 俺の仇を討ってください!」
 そう言われたら張り切らないわけにはいかない。
「任せてください! 頑張りますから!」
 私は大きく頷く。
 それを聞いていた主任は、煽るように指招きをしながら言った。
「残るは小坂一人だな。来るなら全力で、もしくは色仕掛けで来い!」
「私に色仕掛けとか期待されても困ります……えっと、全力で行く方でお願いします!」
「何だ、残念だな」
 あながち冗談でもない口調の主任は首を竦め、
「霧島が抜けたから、次は小坂の番な。ルールの『る』だぞ」
 と促してくる。
 恐らくだけど主任は、『る攻め』路線を継承してくるだろう。
 私も今のうちはまだ『る』のつく単語がいくつか浮かんでいるけど、主任のボキャブラリーを踏まえて考えるならそれだっていつか尽きると思うべきだ。追い込まれたら不利になるのは日頃から落ち着きのない私の方だし、正攻法じゃこの人にはまず勝てない。
 そうなると何か、何がしかの作戦が必要だ。
 私は考える。石田主任の勝つ為の方法。いつぞやのリベンジ、そしてあの時敗北した自分自身を乗り越える為の――。
 そしてふと、ひらめいた。
「じゃあ、行きます」
 目には目を、歯には歯を。『一文字攻め』には『一文字攻め』を!
「ルミノール!」
 私が叫んだ単語に、
「おおっ」
 霧島さんは声を上げ、石田主任は静かにつり目がちな瞳を丸くした。それも長くは続かず、すぐ興味深げに笑んでみせたけど。
「そう来るか。どうやら俺たちは既に似た者夫婦らしいな、小坂」
「わあ、な、何を言うんですか。動揺させようったってそうはいきませんから!」
「今のは別に作戦じゃないんだがな」
 何と言われたって動揺しない。うろたえたらその隙を突かれてしまう。常に相手の先を行く思考を持てなくちゃ勝てっこないだろう。
「『る』だな。ルクソール」
 今回も主任はほぼ即答だった。だけど私だってそのくらいは予想済みだ。
「では、ルノワール!」
「また『る』か! る……ルーブル!」
 一瞬だけ、主任が顔を顰めた。少しだけ次の言葉を考えてしまったのかもしれない。
 ここが攻め時とばかりに私はやり返す。
「ル・アーヴル!」
「何だと……ルゴール!」
「ルナール!」
「ん? 何だそれは」
「ジュール・ルナール、『にんじん』の作者です。ご存じないですか」
「タイトルしか知らん。やるな小坂」
 苦々しく応じた主任は、いよいよ険しい顔つきになって熟考を始めた。『る』で始まって『る』で終わる言葉を探しているんだろう。語彙力においても人生経験においても、とっさの判断力においても私よりはるかに勝る石田主任は、だけどこの時初めて苦悩の色を見せた。
 私はその悩む姿をじっと見つめていた。私の方もそろそろ単語のストックが心許なくなってきたところだ。これ以上長引いたら作戦を変更しなければならなくなる。だから主任がどう出るか、身じろぎもせず見守った。
 主任が悩みながらも、ちらりと横目で私を見る。なぜか口元に苦笑が浮かぶ。
「小坂、そんなに熱い視線送られると困るんだが……」
「何言われても私、動揺なんてしませんから!」
「いや、そういうことじゃなくて。一応こっちも集中してんだがな……」
 そう言った直後、主任は思案をやめて困ったように首の後ろ辺りを掻く。
 それからまた私を見て、軽く苦笑して、
「わかった。俺の負けだ」
 遂に。
 遂に石田主任から、降参の言葉を引き出した。
「やった、やったあ! やりました! 私の勝ちですね!」
 嬉しい。すっごく嬉しい!
 私はようやく主任に、そしてあの日の、脆くて空気に呑まれるばかりだった未熟な私自身に打ち勝てたような気がする。
 思わず飛び跳ねて喜ぶ私へ、主任は軽い拍手すら贈ってくれた。
「見事だったよ小坂、お前のしりとりテクニックも、そして色仕掛けも」
「え? 別に仕掛けてないですよ」
「俺にはわかる。お前は存在自体が色仕掛けだ」
 そう断言されてしまったけど……うーん、そうかなあ。一番縁遠い単語のように思えるけど、もしかしたら主任なりの負け惜しみなのかもしれない。負けず嫌いなところは似た者同士みたいだし。
「おめでとうございます、小坂さん。ナイスファイトでした」
 霧島さんには一層拍手を貰ってしまった。ちょっと照れた。
「ありがとうございます! おかげさまで頑張れました!」
「これで小坂さんがプリンタ一番乗りですね」
「……あ! そういえば、そんな話でしたっけ」
 言われるまですっかり忘れてた。
 そうだ、このしりとり勝負は元はと言えば営業課の新アイドル争奪戦だったんだ。しりとりに熱中しすぎて、勝つことが目的になっちゃってた。
「忘れてたのか。小坂らしいな」
「本当ですね。ある意味、無欲の勝利だったのかもですが」
 主任にも霧島さんにも苦笑いされて、私は今更ながら恥ずかしくなる。随分と熱くなっちゃった自覚もあるし、勝てたのが嬉しかったとは言え場違いにはしゃいでしまったたような気もする。
 でも、楽しかったな。今となっては石田主任も霧島さんもどことなく満足げな顔をしてるし――大人になったって、たまにはこういう時間も必要なんだ。そう思っておこう。
「それじゃ、優勝賞品だ。早速プリンタ動かしていいぞ、傍で見ててやるから」
「はいっ」
 主任の言葉に私は頷き、例のプリンタへ、我が課のアイドルへと近づいた。家電量販店と同じ匂いを鼻に感じて、新しい物っていいなあ、としみじみ思う。あまりにもぴかぴかだから触るのがもったいなくも感じられたけど、せっかく勝ち取った権利だ。行使しないのだってもったいない。
「――朝っぱらから楽しそうだな」
 その時、背後からふと声がした。
 私たち三人が一斉に振り向けば、営業課のドアが開いていて、その戸口に安井課長が立っていた。こちらを見て眉を顰めている。
「あれ。いつからいたんですか、安井先輩」
「霧島が一抜けした辺りから外で聞いてた。と言うか廊下まで筒抜けだったよ、君たち」
 そういえばしりとりを始めてから結構な時間も経っている。時計を確かめればそろそろ出勤してくる人もいる時分だ。私たちの白熱したやり取りが廊下まで、他の課まで聞こえていたんだとしたら、さすがにちょっと、いやかなり恥ずかしいかな……。
「いい大人が朝も早くから真剣にしりとり勝負するとはな。なかなか面白かったよ」
 からかうような安井課長の言葉に私は恥じ入ったけど、石田主任は素晴らしい笑顔で答える。
「いい大人がやるから楽しいんだろ。何せうちの課のアイドルを賭けての真剣勝負だからな」
「アイドル? 誰のことだ?」
 安井課長が疑問を呈してきたから、私たちは揃って新品のプリンタを手で指し示した。課長は理解したようなしてないような顔で首を捻りつつ、言った。
「何だ。石田があんまり真剣だから、てっきり小坂さんでも賭けて勝負してたのかと思った」
「そんなわけないだろ。小坂は皆のアイドルじゃない、既に俺だけのものだ」
 あっさりと言い切る石田主任。
「なっ、主任、何を言うんですか安井課長の前で!」
「全然自重してないじゃないですか先輩!」
 私と霧島さんが突っ込むと、主任は悪びれもせずに続ける。
「だって小坂可愛いんだもん。心配になっちゃうだろ、所有権を主張しないと」
 真顔でそういうことを言うのが石田主任という人だ。
 おかげで私は更なる恥ずかしさに打ち震える羽目になったし、霧島さんは居たたまれなさそうに明後日の方角を見ていたし、安井課長はドアに背を預けてぐったりと息をついていた。
「俺は参加してないのに、なぜだろう、どっと疲れた……」

 しりとりでは勝てても、私、石田主任にはずっと勝てないような気がします。
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