Tiny garden

三年と二十三年(4)

 連れて来てもらったのは、駅近くにある随分とおしゃれなカフェバーだった。
 外観よりもずっと広く見える店内、三日月みたいな形をしたカウンターが抉り込む角度で置かれている。天井は吹き抜けになっていて、高い位置にある窓から夜空が見えた。通りに面した窓には白地のロールカーテンが下がっていて、そのせいか店内全体がほんのり明るく見えていた。
 丸テーブルの席は八割方が埋まっていて、なのにお店の中は騒がしくない。詳しくないからよくわからないけど品の良さそうなバックミュージックが、わからないにしてもちゃんと聞き取れるほどに静かだ。お客さんは若い人が多く、しかもどうやらカップルが多かった。皆、音楽よりも穏やかに会話を交わしているのがわかる。
 このお店は居酒屋と比べるとまるで別世界。席に着いた途端、自然と背筋が伸びてしまった。

 石田主任のお言葉によれば、ここのお薦めメニューはパフェらしい。
 お薦め、というフレーズほど魅力的な宣伝文句はない訳で、よって私も迷わずパフェを選んだ。ストロベリーパフェ。主任は抹茶パフェを頼んでいたので、ウェイトレスさんが立ち去った後ですかさず尋ねてみた。
「主任は和食がお好きなんですか」
 初め、怪訝そうな顔をした主任は、すぐに私の疑問の起因するところを理解したらしい。笑いながら聞き返してくる。
「パフェは和食か?」
「抹茶味なら和食になると思います」
「そりゃ新解釈だな」
 機嫌良さそうに首を竦める主任。
「確かに和食は好きだけど、今は気分で選んだだけだ」
 よし、覚えておこう。――主任は和食、特にお魚が好き。だけどパフェは気分で選ぶ。その気分の中の一選択肢として抹茶はありらしい。なるほど。
「飲んだ後に冷たいもの食べるのはいいよな」
 そのお言葉には全力で頷いた。
「ですよね。口の中を仕切り直し、って感じで」
「わかるわかる」
「だからいつも迷うんです、締めをデザートにすべきか、ご飯にすべきか。さっぱりしたものもいいんですけど、しっかり食べるのもまたいいんですよね」
 私はいつも悩んでしまう。主任には笑われた。
「何とまあ幸せな悩みだ」
「全くです。両方いっぺんには食べられないのが余計に悩ましいです」
 先刻、居酒屋でもめいっぱい食べたり飲んだりしてきたのに、パフェが来るのが待ち遠しくてしょうがなかった。お酒の後でもそうじゃなくても、美味しいものを食べられるのは幸せだ。特にそれが、好きな人と一緒なら、より幸せだ。
 会話の途切れたタイミングで、私は主任の表情をうかがった。テーブルに頬杖をついた主任は、ぼんやりと店内に視線を這わせている。よくわからない音楽の流れているお店の中、改めて見ても相変わらずカップル率が高い。気後れしたくなるくらいに高い。だから私は主任だけを見るようにした。
 主任は、ぐるりと半周見遣った後で、こちらを見ずにふと呟いた。
「霧島の奴、本当にいつ結婚するんだろうな」
 視線が戻る。目が合って、主任が曖昧な顔つきになる。穏やかな笑みにほんの少しの心配を加えたような。
「指輪のカタログなんて会社に置いとくもんじゃないだろうに」
 それは確かに思う。と言うか私も気をつけよう。見られちゃまずい代物は会社に置かない。いつ誰が引き出しを開けてしまうかわからないもの。
「大体あいつら、長らく半同棲してんだからな。何をもたもたしてるんだって話だ」
 主任はそう言ったけど、私には同棲と半同棲の違いがわからなかった。半分くらい一緒に暮らしているってことなのかな。半分って、どんな風に?
 考えてみてもわからなかったので、別のことを聞いてみた。
「霧島さんと長谷さんって、もうずっとお付き合いしているんですか?」
「ん? あ、どうだっけ」
 眉間に皺を寄せ、
「もう三年……いや二年か。多分、まだ三年は経ってないはず」
 考えを巡らせながら主任が答える。その後にやりとして付け足した。
「と言ってもあの二人の場合、付き合う前からいちゃついてたようなもんだからな。交際期間は二年だろうけど、傍目にはもっと長い付き合いに見える」
 失礼ながら、何となく想像がつくなと思ってしまう。霧島さんと長谷さんはおっとりして見える同士で、きっとのんびり恋愛をしてるんだろうなって気がするから。その頃のお二人も見てみたかったなあ。
「今からもう既に夫婦って感じだよな」
 主任が笑う。つい、つられてしまう。
「そうですね。やっぱりすごく、お似合いだと思います」
「お似合いかどうかはともかくだ、彼女を部屋に通わせるくらいならとっとと結婚すりゃいいんだ。あんなのはタイミングだろ?」
 同意を求められるのは困る。
 何せ私は結婚なんて、端から考える機会のなかった人間だ。答えに詰まって、とりあえず言ってみた。
「え、ええと、どうなんでしょう。そもそも考えたことがないので、よくわかりません」
 すると石田主任はきょとんとしてみせた。それから少し考えて、何か応じかけたタイミングで、ウェイトレスさんがこちらにやってきた。トレーの上にはパフェが二つ、赤いのと緑のとが並んでいた。

 ストロベリーパフェの美味しさは筆舌に尽くしがたかった。
 まず、苺がいい。酸っぱくもなく水っぽさもなく、また甘過ぎず柔らか過ぎずと言うぎりぎりのラインを潜り抜けている優等生。それがパフェの上に五つも六つも乗っかっているんだからサービスにも程がある。
 クリームはあっさりめで、代わりにアイスが濃厚な味。ストロベリーとバニラの二段構成で、ストロベリーの方にはご丁寧に果肉が入っている。これがまた、お酒を飲んだ後の気分にてきめんに効いた。酸味と甘味と口どけの絶妙なバランス。素晴らしく美味しい。
「とっても美味しいです」
 パフェの頂上部分をあらかた切り崩してしまってから、私は初めて口を開いた。それから視線を上げれば、主任は肩とスプーンを持った手をぶるぶる震わせながら、絞り出すような声で言った。
「それは、見てりゃわかる」
 震えているから寒いのかなと思ったら、直後思いっきり吹き出していたので、笑いを堪えていたのだとその時気づいた。いつものように笑われていた。
「相も変わらず一生懸命食べてるな」
 結局、遠慮もせずにげらげらと笑い始める主任。遠慮をして欲しかった訳ではないけど、ちょっと恥ずかしい。
「そんなに見ないでください、食べにくいです」
「こんなに面白い姿を見ないでどうする」
「面白くないですよ! ……多分」
 多分と言い添えたのは、私自身が主任を観察していることが多いからだった。好きな人を観察するのは面白いと言うか、何だか楽しい。テーブル越しの距離に浮かれて、はしゃぎたくてしょうがなくなってしまう。でも主任の場合は本当に、動物観察みたいな形容だから。
「お前の口はいい口だな」
 しみじみと言われて、私はパフェを食べるスピードを落とした。細長いスプーンをのろのろ動かしつつ、意味のない反論をする。
「でも、美味しいのは本当なんです。美味しいからつい夢中になってしまってですね」
「わかってるって」
 主任は満面の笑みを浮かべていた。何を『わかって』いらっしゃるのか、知りたいような知りたくないような思いだった。
 更に、
「そこまで美味いなら、一口くれ」
 スプーンの先を向けられて、いろんな意味でどきっとした。
「え? いえあの、よ、よろしいんですか?」
「よろしいんですかって、俺が頼んでんだよ」
「そうですけど……あの」
 平然としている主任に、私は、ためらいの理由さえ述べられない。頂上部分のアイスクリームが消滅した状態のパフェを差し出すのは、いろいろと勇気の要るものだった。これも間接キスって言うんだろうか。言わないか。こういうの主任は気にならないのかな。私が意識し過ぎなだけかな。
 あれこれ考えている間に、主任は私のパフェから一口分、浚っていった。ストロベリーアイスの部分だった。食べてから大きく顎を引いて、確かに美味いと言った。
「お前も食べるか?」
 おまけに主任の抹茶パフェを差し出してくださった。抹茶パフェはまだ運ばれてきた当初の原型をきちんと留めていて、濃緑の抹茶アイスにぷるぷるの寒天を添え、きなこと黒蜜を掛けた夢のような仕様だった。下部にはたっぷりの小豆が詰め込まれているのがグラス越しに見える。
 必要以上にどぎまぎしながら、私は抹茶アイスの端の方、前人未到の丸い部分にスプーンを入れた。削れてくるりと丸まったアイスが、やけに大きくなって慌てた。だけどもう戻しようもなく、そのまま掬って食べた。お茶のいい匂いがした。
「寒天も食べていいぞ」
 私の内心を読んだみたいに主任が言う。
 結局、そのご厚意にも素直に従った。きなこと黒蜜のよく絡んだ一つをいただいて、堪能した。
「美味しいです、ありがとうございます」
 後でお礼を告げたら、また満面の笑みを返された。
「餌付けって楽しいな、小坂」
「……餌付け?」
「ああ、心配するな。今の二口だけで餌付けした気にはなってない。そのうちにまた美味いもの食わせてやるから」
 そもそも餌付けと表現されるのが、何と言うかとっても切ない。
 どこまで行っても犬か部下か、二択の扱いなんだなあ……当たり前か。それならまだルーキー扱いの方がいいんだろうけど。
 テーブル越しの距離が近いと思っているうちは、まだまだだ。きっと。
PREV← →NEXT 目次
▲top