Tiny garden

主任とルーキー、大団円(4)

 駅から徒歩五分という物件はそうそうあるものではなくて、霧島さんご夫婦の新居は、最寄り駅から歩いて十五分ほどのところにあった。
 駅から遠くなってしまったことも、お二人はあまり気にしていないらしい。以前よりも増えた所要時間なんてものともせず、毎朝一緒に家を出て、一緒に通勤しているのだとか。新婚生活が幸せ過ぎて他のことは目に入ってないんだろ、というのは石田主任のお言葉だけど、それはそれでいいことなんじゃないかなと私は思う。
 辺りはいわゆる新興住宅地で、すぐ近くには小学校やスーパーが建っている。通り道には児童公園もあって、寒さをものともしない小さな子たちがきゃあきゃあはしゃぎ回っている。何となく家庭的な立地条件だなと思ってみたりもする。霧島さんもゆきのさんも、通勤の便利さ以外のことを重視したからこそ、この辺りに決めたんじゃないかなって。

 その新しい住宅地の一角にこれまた真新しいアパートがあって、そこの一室がお二人のお住まいだった。
 以前の霧島さんのお部屋よりも、玄関もリビングも広くなっていた。大きな食器棚やスライド式の本棚はお正月にお邪魔した時にはなかったと思うし、食器棚の中に小さなガラス細工の動物たちを見つけた時は、こういうのっていいなとしみじみ感じた。家具が増えたせいか、お部屋に招かれたというよりも、ご家庭に招かれたという印象を抱いた。
 私と主任が到着した数分後に安井課長もやってきて、その後は以前と同様に、私はゆきのさんのお手伝いをし、主任と課長と霧島さんとはリビングで仲良く喧嘩を始めた。
「何ぐだぐだ言ってんだ、いいからとっととリモコンを寄越せ」
「そうだぞ霧島、キスシーンのエンドレス再生くらいで抵抗するな」
「抵抗しますよ! リモコンは渡せません!」
「そんなに見るのが嫌なら、お前だけ目隠しでもしてりゃいいだろ」
「それか霧島にモザイク処理をするかだな。石田、何とか出来ないか」
「変な加工も止めてください! って言うか俺も主役なんですから、気分良く見せてくださいよ! 普通に!」
 今日は結婚式のビデオ上映会をすると聞いていた。普通に見るって選択肢はないのかなあ、と流し台でレタスをちぎりながら思う。私はお料理の盛り付けを任されていて、ゆきのさんは現在ガス台の前、エビのフライを揚げているところだった。
 そのゆきのさんが少し笑う。
「楽しそうな言い争いをしますよね、皆さん」
「本当ですね!」
 私も力一杯頷いて、それからつられて笑ってしまう。何だかんだで仲良く喧嘩の出来る関係は素敵だ。誰かに恋人が出来ても、結婚しても、こうして付き合っていける友達ってすごく貴重じゃないだろうか。主任と課長と霧島さんなら、きっとおじいさんになってもあんな風に仲良くしているに違いない。
 そして出来れば私も、その様子をずっと傍で眺めていたいなと思うし、当たり前だけどゆきのさんだってずっと一緒にいるだろう。いつか、安井課長の奥さんとお会いする日も来るかもしれない、なんてぼんやり考えてみたりする。その時までには私も、主任みたいに、誰かの為に快く動ける人でありたいとも思う。
 今はまだ、ちぎったレタスをお皿の上に並べる程度が精一杯の私だけど。
「藍子ちゃん、こっちの揚げ物をお願いしてもいいですか」
「はいっ」
 あと、揚がったフライを盛り付けるのも。
 キッチンペーパーの上で一度油を切ったフライを、レタスを並べたお皿に盛り付けていく。何となく、見映えのいいように。ゆきのさんはやっぱりお料理が上手で、エビフライも白身魚のフライもイカリングだってとっても美味しそうだった。こっそりつまみ食いもさせてもらったけど、それは二人だけの秘密。見た目の通りにとっても美味しかった。
 私もこのくらい作れるようになりたいな。それで主任や、ゆきのさんたちにも美味しく食べてもらえるように。あと自分でも美味しく食べられるくらいには――なんて結局は食いしん坊と言われてもしょうがない感じではある。
「藍子ちゃんがいてくれたら、私も寂しくなくてうれしいです」
 菜箸で器用に揚げ物を捌くゆきのさん。こちらを見て、そっと告げてくる。
「映さんたちの会話に入っていくのって、なかなか技術が必要になりますから」
「わかります」
 甚く同感。お三方のやり取りは楽しいけど、あまりにもハイテンポ過ぎて口を挟むどころか、誰が何を言っているのか把握するだけで精一杯。急に水を向けられようものなら途端に慌てふためいてしまう。
 今もリビングでは言い合いが続いている。いつの間にか話題は『飲んだ時の締めを何にするか』に移り変わっていて、締めは麺類でなくてはならないと主張する霧島さんが熱弁を振るっている。そこに主任と課長が茶々を入れる構図は変わらず。
「お酒を飲んだ後こそあっさりした麺ものの美味しさが生きるんです!」
「何言ってんだ、お前は飲んでる最中も食ってるだろ」
「飲み会でいきなりラーメンから入るのも霧島くらいのものだよ」
 ちなみに主任はアイスクリームがいいと言っていて、課長はあられの入ったお茶漬けがいいのだとか。私は甘いものもいいけど、やっぱりご飯ものがいいなあと思う。麺類ならうどんがいい。――結局何でもいいのかもしれない、美味しければ。
 もっとも、締めの楽しみの前に飲む楽しみがある訳で。私はフライの盛り付けをしながら言ってみる。
「ゆきのさんと一緒にお酒飲むの、初めてですね。すっごく楽しみです」
「私もです。これから何度でもそういう機会、あるといいですね」
「はいっ、大歓迎です!」
 私の言葉に、ゆきのさんはくすくす笑う。そして揚げ油の火を消しながら応じてきた。
「確か、藍子ちゃんはお酒に強いんだそうですね」
「え……それも主任が言ってたんですか?」
「いえ、これは映さんから聞きました」
 そういえば霧島さんからも、そんなような話を尋ねられたことがあったっけ。誤解されている気がするなあ。
「ぜ、全然ですよ。霧島さんたちに比べたら私なんてまだまだです」
 営業をやっているとお酒を飲む機会も多いので、自然と強くなってしまうものらしい。だから課の飲み会ではうっかり羽目を外す人もいない。私も皆みたいに、もうちょっと強くなっておかないとなと思っている。もちろんそれより大事なのは、自分のペースを守ることだけど。
「じゃあ、もしかしたら酔っ払っちゃった藍子ちゃんから、惚気話なんて聞けるかなって期待しててもいいですか」
 いたずらっぽい表情で聞かれると、二重の意味で心拍数が上がる。
「い、いえ、むしろそうならないよう気を引き締めておきます! そんなことしたら恥ずかしくて、酔いが覚めた時が居た堪れないですから!」
 私はうろたえた。お酒の席での失敗もなくはないので、アルコールが入ったら気を付けなくてはならない。
 だけどゆきのさんは楽しそうに言ってくる。
「どうぞ遠慮なく惚気てください。こういう集まりって無礼講ですから」
「わあ、そんな……」
「そうだぞ藍子、遠慮することない。堂々と言えばいいだろ」
 と、キッチンに割り込んできた主任の声。
 ぎくりとして振り向けば、キッチンの戸口には主任と、課長と、霧島さんの姿があった。三人とも押し合い圧し合いしながらこちらを覗き込んでいる。
 さっきまでリビングで言い合いをしていたと思ったのに、一体、いつからいたんだろう。フライの揚がるいい匂いに誘われてきたんだろうか。
「酒が入ると口も軽くなるもんだからな。気にせず惚気てやれ」
 主任が私に言ってくる。無理なことを。
「むむむ、無理です。本当に無理です主任!」
 私が大慌てでかぶりを振ると、なぜか主任は照れたような顔になり、同じタイミングで霧島さんが突っ込んできた。
「その言葉、先輩が言いますか。いつもお酒が入るとあっさり軽くなる人が」
「しょうがないだろ、惚気たいお年頃なんだから」
「今日は小坂さんがいるんですから、あんまり品のないこと言わないでくださいよ。あっさり振られちゃっても知らな――いたっ」
 霧島さんが今度は脇腹をつつかれている。
「馬鹿、縁起でもないこと言うな。――そんなことないよな、藍子?」
「あの……そ、そうですね」
 皆のいる前で水を向けられても困るんです、主任。
 それにしても、私がいない時に主任がどんな話をしているか、知りたいような、知りたくないような。
 そこへ安井課長が怪訝な顔をして、
「石田、お前いつの間に小坂さんを名前で呼ぶようになった?」
「この間からだ。羨ましいだろ」
「羨ましいも何も……俺たちにとっては今更だよ。なあ、霧島」
「そうですね。付き合う前から遠慮なく惚気てられるのは石田先輩くらいのものです」
 皆の会話を聞いているだけで居た堪れなくてもじもじしたくなる。無礼講だとしても、王様の耳はロバの耳だとしても、主任はもうちょっと控えてくれないかなとこっそり思う。嫌じゃないけど、絶対に振ったりもしないけど、とにかくものすごく恥ずかしい。
「じゃあ、そろそろ始めましょうか」
 いつの間にか、ゆきのさんは油の跳ねたガス台をきれいにしていた。それから冷蔵庫を開けて、今度は浅漬けの盛り付けを始める。全てにおいて手際が良い。
「今、お料理持っていきますから。座って待っていてください」
 ゆきのさんの言葉に対しては、主任も課長も霧島さんもびっくりするほど素直だった。三人が先を争うようにリビングへ戻っていくのを見て、ゆきのさんはおかしそうに笑い、私もちょっとだけつられてしまった。

 居た堪れなさも確かにあるけど、ここにいるのは楽しくて、幸せだ。
 こういう機会がこれからもたくさん、何度でもあればいいな、と思う。
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