Tiny garden

カメラマンとその恋人(2)

 到着したお店は話に聞いていた通り、一般的なレストランとは違っていた。
 レンガ塀で囲まれた敷地内には白亜のチャペルと、丸い屋根のきれいな建物とが並んでいる。二つを繋ぐ道は滑らかな石畳で、辺りは緑の芝生と葉の落ちない木々が賑わいを見せている。
 ちょうど時刻は日没前。チャペルの軒先に早くも柔らかい明かりが点る。その中をちらちらと、細かな雪が瞬く。
「ロマンチックですね」
 私が感嘆の思いを、いささか貧弱な語彙で表すと、
「結婚式場だからな」
 主任はものすごく説得力のある一言で応じてきた。なるほど。
 店内――と言っていいのか最早わからなくなってきたけど、建物の中に入るとまずウェルカムボードが目に留まった。木枠の中、歓迎の言葉と新郎新婦の名前が飾り文字で書いてある。更にそれを飾る白いバラと緑の葉が添えられていて、しばらく足を止めて見入ってしまう。いいなあ、こういうのも。
「素敵ですね……まるでここから既に、式が始まっているみたいで」
「ここからして幸せ一杯な感じだな」
「早くも当てられた気分になるな」
 主任と課長は相変わらず素直じゃない、でもいつもよりは柔らかめの感想を漏らしていた。ちゃんとそこで写真を撮っていたのがいかにもらしくて、私も早速それに倣う。今日の記念にまず一枚。

 建物内は外観と同じようにきれいで、静かな雰囲気に満ちていた。天井は高く、見上げれば大きな天窓ときらめくシャンデリアがある。床は黒い大理石で、歩く度にこつこつと靴音が響いた。
 入ってすぐのところには案内カウンターがあった。それから荷物を預けられるクロークが設えられていて、奥には長椅子の並ぶ広いロビーもある。どちらかと言うとホテルの入り口に似ているかもしれない。こういうところには来たことがなかったから、ついきょろきょろしたくなってしまう。
 私たちはクロークにコートを預けてから、まず受付を済ませた。ご挨拶とご祝儀を手渡し、記帳を済ませてから席次表をいただく。
 その後は一旦、ロビーへと向かった。

 ロビーではちらほらと招待客とわかる人たちは見かけた。我が営業課の課長も奥様と一緒にいらしていたので、軽くご挨拶をする。仲人を立てない式なのだそうだけど、営業課の代表として祝辞は読むのだとか。どうも緊張しているご様子だったので、石田主任と安井課長が軽く励ましの言葉を贈っていた。
 それから、主任が長椅子の一つに近寄って、静かに腰を下ろした。持参したデジカムをケースから取り出し、真剣な顔つきで調整を始めている。
 安井課長は椅子には座らず、うきうきした表情で言ってきた。
「ちょっと花婿の様子を見てくる。代役が必要かどうか聞いてこないとな」
 必要だと言われることはまずないんじゃないかなと思ったけど、私は黙って会釈をした。主任が顔は上げず、片手だけを挙げて応じる。
「任せた。大丈夫そうだったらテスト撮影するからって言っといてくれ」
「了解」
 課長も手を挙げてから、控え室の方へと歩いていく。所在無くその背中を見送る私は、少し離れてから初めて、略礼服の後ろ姿に新鮮さを覚えた。
 そういえばうちの課の課長もフォーマルなスーツ姿でいらっしゃったし、もちろん石田主任だってそう。――デジカムの液晶モニターを覗く主任の姿を、傍からそっと見下ろしてみる。
 チャコールグレーのスーツにシルバーのネクタイという格好の主任は、ちゃんとベストも着ていたし、胸ポケットには白いチーフが収まっている。そして筋張った手首の覗く袖口には、四角いカフスボタンが光っていた。同期の子たちがこういうのを付けているのは見たことなかったから、それだけで大人っぽいなと感じてしまう。
 勤務中のスーツ姿も素敵だけど、こういうかっちりした姿も素敵。華やかな席でも全く見劣りしない人だ。エスコートされてみたい、なんて場違いな考えが頭を過ぎって、ちょっと上せそうになる。でも本当にそう思う。今日の主任は紳士とお呼びして差し支えないお姿だと思う。
 私がすっかり見とれていたら、顔を上げない主任がふと、
「お前は座らないのか?」
「――あ」
 あんまりしげしげと観察していたもので、傍の長椅子に座るという考えすら浮かばなかった。恥ずかしかった。
「じゃあ、失礼します」
 そう答えて、長椅子の、主任のすぐ隣に腰を下ろす。何だかぎくしゃくした動きになる。主任にも気付かれたか、直後に低く笑われた。
「まだ緊張してんのか、小坂」
「いえ、さっきよりは大分、落ち着いたような気がしています」
 あくまでもタクシーに乗っていた時よりは、というくらいだけど、少しは気が紛れたように思う。と言うより見るべきものが多過ぎて、好奇心が緊張感に勝ってしまった風でもある。今は別の意味でどきどきしている。
 例えば、このロビーを眺めてみるととても品がいい。
 黒い大理石の床は照明を滲むように映し出している。その上を誰かが歩くと、ごく音を絞ったBGMと重なって、荘厳な雰囲気が感じられた。首をぐんと伸ばして見上げた大きな天窓の向こう、暮れゆく空が広がっている。月や星が見えないのは残念だけど、代わりに粉糖を降ったような雪が、ガラスの上をかすめてゆくのが見えた。
「うちの課長も、よそ行きの顔をしてたな」
 主任は囁くような声を立てたから、私は視線を下げ、すぐ真横へと戻す。
 手元に目を留めたままの主任が、珍しく心配そうに続けた。
「上がってないといいんだがな。しゃちほこばるのが苦手な人だし」
 確かに、先程お会いした営業課長は若干緊張していらっしゃる様子だった。私には祝辞を読んだ経験もないけど、誰かの結婚式ともなれば責任も重大だし、プレッシャーもあるだろうなと思う。きっと営業の比じゃない。
 そこへ行くと人事課長はすごい。先程までの態度からはさほど緊張がうかがえなかった。比べては失礼なんだろうけど、でもつい、聞いてみたくなる。
「安井課長はお歌を歌われるのに、あまり気負ったご様子もなかったですね」
 小声で言えば、主任はひょいと肩を竦めた。
「あいつは歌に掛けちゃ場数を踏んでるからな。わざわざ緊張することもない」
「そうなんですか。見習わなくちゃ……」
「本当だな。お前が緊張する理由は全くもってない」
 そこで主任が顔を上げた。隣に座る私を見て、眇めるような目つきをする。
 少し笑んでから唐突に言われた。
「可愛いな、その格好」
「え、あ……ありがとうございますっ」
 不意を突かれてどきっとしたけど、お礼は口に出来た。
 もっとも出来たのはその辺りまでで、あとは姿勢を正したまま、ひたすら俯き加減でいただけだった。恋人同士になったからと言って、すぐ褒め言葉に慣れてくるものでもなかった。むしろ今日みたいな日はかえって、緊張の上にどぎまぎしてしまう。そもそも祝辞を読む訳でも、歌を歌う訳でもないのに、慣れていないのはお呼ばれする結婚式についてもそうだから、本当に大変だ。
 直にこういう、式典へお招きいただく機会だって増えるのだろうし、慣れておかなくちゃいけない。
「服は今日の為に買ったのか」
「いいえ。これは大学の、卒業パーティで着たものなんです」
「へえ、物持ちいいな」
「そ、そうでもないですよ。まだ一年経ってませんから」
 卒業パーティの頃から十ヶ月が過ぎ、久し振りに袖を通したドレスは若干窮屈になっていた。だけどそこは気合と、数日前からの努力とでどうにかした。紫のベルベットのドレスはパフスリーブがお気に入りで、これに薄手のショールを羽織ると、私でも少しは大人っぽく見える。だとしても三十歳には程遠いものの。
「ああそうか、卒業して一年経ってないのか」
 主任が驚いたような口調で言ってから、溜息をつく。
「つくづく若いな」
「いえ、それほどでも!」
「それほどでもあるだろ。そこは謙遜していい箇所じゃないぞ」
 笑われた。
 でももっともな言葉でもあるから、私が反応に窮していると、今度は手首を軽く掴まれた。優しく持ち上げるようにした後で、聞かれた。
「香水、つけてきたんだな」
「は、はい。今日はお祝いの席ですから、大人っぽくしているべきかなと思いまして」
 華やかな席でも浮かないようにしたかった。お祝いの気持ちをまず身なりから表せるように、社会人として相応しいいでたちをしてきたつもりだ。中身の方はまだちょっと、いやもしかすると相当未熟なままだけど、せめてぼろが出ないように頑張ります。
 密かに気合を入れ直す私の肩を、大きな手がぽんと叩く。
「なってる。心配するな」
 穏やかに告げてきた主任が、手元のデジカムへ視線を戻す。私はその横顔を何とも言えない思いで注視していた。
 欲しいのはちょうどこんな感じの、いかにも大人らしい余裕だ。

 しばらくすると安井課長が戻ってきた。
 早足気味の課長は、なぜか笑いを堪えるような面持ちでこちらに近づいてくる。私たちのいる長椅子の傍まで来ると、声を落としてまず言った。
「霧島の奴、意外としゃっきりしてたぞ。早くも所帯持ちの自覚が出来てきたのか」
「そうでなきゃ困る。あんなきれいな嫁さん貰っといて頼りないんじゃな」
 苦笑いを返した主任が、その後で椅子から立ち上がる。
「どれ、所帯持ちの自覚とやらを撮影しといてやるか」
 そして後に続くべきか迷う私を顧みて、さも当然のように、
「お前も見たいよな、小坂」
 声を掛けてくれた。
 私の答えは、もちろん決まっている。
「ご迷惑でなければ是非、拝見したいです」
 霧島さんのしゃっきりとした晴れ姿、きっと素敵に違いない。以前見せてもらった画像とは違う、本物の晴れ姿なんだから。
「今なら空いてるから、来てもいいって言ってたよ」
 そう言った安井課長が、早速私と主任を手招きする。
「畏まった顔ばかりじゃつまらないからな。多少揉んでやらないと」

 かくして私たち三人は、式直前の花婿さんを訪ねることとなった。
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