サンタクロースと優しくない人
俺のところには毎年、サンタが土下座にやってくる。「今年も、お世話になります」
深々と頭を垂れる作原。
栗色のカツラみたいにつむじしか見えない彼女の前にはケーキの箱が二つ、まだ包みも解かれていないオードブルと寿司桶が各一つずつ鎮座ましましている。
俺はそれらを丁寧にこたつの上へ載せてから、残業帰りの作原をまずは労う。
「毎度のことながら大変だよなー、サンタクロース」
「本っ当にそう! 大変だった!」
がばっと顔を上げる作原。くたびれきった表情は化粧だけがばっちり直っていて、それがかえって今日の激務を連想させる。
クリスマスイブの午後八時、彼女はサンタクロースとなって、あちこちへ配達に行った帰りだ。要は体のいいサビ残である。
「友人身内常連さんにケーキ売ってもノルマは達成できず、後に残るは当日のケーキ配達と自腹を切ったがゆえのボーナス現物支給化……今年も例年通りの世知辛いクリスマスです」
切々と訴える作原の仕事は小売業、いわゆるスーパーマーケット勤務。それも全国チェーンのでっかいとこだ。小売に限らず食品関係は大体そんなものらしいけど、クリスマス時期にはケーキ販売のノルマがあり、作原は毎年必ず自腹を切る羽目になっている。
彼女とは長い付き合いだが、そういう要領の悪さは学生時代から全く進歩がない。
昔からなぜか飲み会の幹事とか、ゼミリーダーとか、しち面倒くさそうな役割ばかり回ってくる体質のようだった。誰かの為に頑張る、を基本理念として動く作原に小売は適職じゃないかと思っていたが、ノルマの為に他人にケーキを売りつけるのはいかにも苦手そうでもある。俺は学生時代から彼女の苦労を傍で見守りつつ、時々手や口を出す役回りを買って出ていた。
そして今は、一緒にケーキを食べる役を担っている。
「毎年お付き合いくださってるシゲさんには全くもって頭が上がりません!」
作原が再び土下座を始める。
「重本様、クリスマス苺ショート五号、クリスマスショコラ同じく五号、ミートデリカ謹製中華オードブルセットにファミリー握り寿司セット、以上四点お持ちいたしました! ご確認のほどよろしくお願いいたします!」
「どれどれ」
一人暮らしの俺の部屋に運び込まれた、一人分には多すぎる量の食料品をとりあえず検分する。去年は寿司はなかったよな、とビニールの風呂敷を解けば、つやつやした握り寿司の列が顔を出す。
「お前んとこ、寿司も始めたんだ」
「うん、鮮魚でやってるの。ネタはいいから美味しいと思うよ、作ったの私らだけど」
「は? 職人でもないのに握ったのかよ」
「握ったって言うか、乗っけた」
作原は箸で刺身を拾うジェスチャーつきで、知りたくなかった裏側をあっけらかんと暴露する。
「も、これ用意すんの大変なんだから。社員総出で予約分仕上げたんだよ」
「つかそれなら握り寿司じゃねーじゃん。乗っけ寿司じゃん」
「でも酢飯は握ってあるから、機械で」
何が楽しいのか、作原は子供みたいにけたけた笑っている。
「……まあ、海鮮丼と思えばいいよな」
スーパーの寿司の過剰な期待をする方が間違いだ。俺もそこは受け入れておく。何より、これらの食事が全部タダだと言うんだから不平不満は筋違いだ。
自腹を切りまくる作原も食欲自体は人並みだから、もちろん全部は食べきれない。そこで友人代表として俺にお声がかかるというわけだ。毎年ご馳走になってるものだから、俺が金を出すよといつも言ってるが、作原が受け取ってくれたこと一度としてなく、むしろ食べ物を無駄にせずに済んだと感謝されている始末だ。お返しと言ってはなんだが、飲み物は俺が用意するのが恒例となっている。
そうだ、これはもはや恒例行事だ。こんなクリスマスがもう七年も続いている。
「とりあえず、作原も座れ。今ビール取ってくるわ」
「ありがと、喉渇いてたんだ! ごちそうになりまーす」
いそいそとこたつに入る作原を横目に、俺は冷蔵庫の前へ行き、冷やしておいたビールを二本取り出す。シャンパンもなければツリーもない、作原が持ってくるケーキ類だけがそれらしいクリスマスイブがここから始まる。
作原の要領の悪さは酒の飲み方にもよく表れている。アルコールに弱いというわけでもないが、いつもぐいぐいと調子よく飲んでは割と早い段階で酔っ払う。学生時代はまだ自重しているそぶりもあったが、俺の部屋に来るようになってからは一層ピッチが早くなった。
「本当にシゲさんには毎年迷惑かけてるよね」
酔ったところで酷く絡んでくることも具合を悪くすることもないのはいい。ただ普段のしゃきっとした態度が消えて、くらげのようにふにゃりとしているのは何だか無様だ。スーツの上着を脱いだ白いブラウス姿で、オードブルのカニ爪コロッケを器用に平らげている。
俺は明らかにかさ増し目的であろう、オードブル中央部に盛られた枝豆の山をやっつけているところだ。
「迷惑? そうでもねーよ」
「付き合わせて悪いなあとはいつも思ってるんだよ」
「いいよ、そんなん思わなくて……お前が持ってこないとオードブルなんて買う気もないし」
あいにくとここ数年は独り身で、何もなければパーティどころかクリスマスらしいことすらする気になれずにいる。ただでさえ年末進行でばたばたと忙しい時期なのに、一人メリークリスマスなんて寂しい真似ができるか。
でも作原が運んでくるクリスマスの空気は嫌いではない。
「昔はもっと大人数で集まってたから、シゲさん一人にも無理させることなかったし」
彼女がぼやくとおり、俺たちは昔から二人きりだったわけじゃない。学生時代からつるんでた友人はもっと多く、最大時で七、八人のグループを形成していた。作原の自腹も当初は皆に振る舞うというスタイルだった。それが卒業やら就職やら、あるいは結婚やら転勤やらで一人また一人と抜けていき、残ったのが俺と作原だ。
「別に無理もしてねえし、気にすんな」
そう言ってやれば、作原はとろんとした目で笑う。
「優しいね、シゲさんは」
「馬鹿、ただ飯に乗っかってるだけだよ」
誉められるのはこそばゆい。何せ俺の優しさなんてスーパーの寿司以下のおざなりさだ、作原のお蔭でごちそうにありつけるのがありがたいだけだし、ついでに言えば一人クリスマスが寂しいから、どうせなら女と過ごしたいという浅ましい考えがあるだけだ。
慣れてしまえばどうってことないのかもしれないけど、こうして何年も続いてきた以上、今更一人でこの日を迎える気にはなれない。世間一般に浸透した『十二月二十四日を一人で過ごすべからず』という呪縛に、俺もまた例外なく縛りつけられているってことだ。
だから作原が来てくれるのが嬉しい。幸せだと思う。
「ねー優しいシゲさん、中トロ貰っていい?」
「そう言われて駄目とか言えねーだろ……お前の持ってきたもんだし、好きに食え」
「やった!」
作原はさっと中トロに箸を伸ばし、俺は彼女が食べないあなごを片付ける。社員総出で仕上げたという寿司は前評判に違わぬ意外な美味さで、ますます俺の優しさが見劣りする結果となった。
「もったいないよねー。シゲさんみたいな人が独身なんて」
「そっか?」
曖昧に聞き返せば、作原はビールを傾けつつ目を逸らす。その後で言う。
「絶対他の子より結婚早そうだと思ってたもん」
何を根拠にそう思ったのかはわからないが、俺としては現在の状況が十分に予想できる範疇のものだったし、今の今まで独身でいることは意外でもなんでもない。むしろ生涯独身かもしれない、とすら考えている。
こっちの沈黙をどう受け取ったか、作原は酔っ払いなりに少し慌ててみせた。
「あっ、別に変な意味じゃないよ! シゲさんなら彼女作るのも簡単だろーなー、って思ってただけ」
「簡単にできるもんか。その辺にでも落ちてんなら別だけど」
「落ちてたら拾う?」
結構真顔で聞き返された。ので、鼻で笑っておく。
「世話が面倒じゃなかったらな」
作原の言うことも間違いではないと思っている。――俺なら彼女を作るのも簡単だろう、自惚れでもなく、また選り取り見取りという意味合いでもなくそう思う。
昔から作原は要領が悪くて、貧乏くじを引かされてはその後始末に奔走するような子だった。そのくせ他人に頼るのが嫌いで、ぎりぎりまで無理を重ねては事が済んでから一人ぶっ倒れるタイプだ。それはクリスマスメニューの自腹っぷりにもよく表れている。俺はそんな作原に学生時代からこっそり手を差し伸べてきたが、それに対する彼女の態度が近年変わったと感じている。頼るのが嫌いだった彼女が、俺には謝り倒しつつも頼るようになってきた。イブを二人きりで過ごすようになってからだ。
俺も鈍感ではないつもりだから、作原のそういった微妙な変化には気づいている。残業後でもしっかり直ってる化粧や、俺の前で簡単に酔っ払うところや、酔っ払った時にこちらを見る目なんかで、わかる。それでなくともお互い忙しい社会人であるにもかかわらず、イブだけは相手と会う為にきっちり空けとく関係なんてものが、純粋な友情だけで保てるはずもない。彼女を作るのは、作るだけならきっと簡単だろう。
でも、俺は作原が思うほど優しい人間でもないから、そこで踏みとどまってしまう。
「結婚しないの?」
作原が尋ねてくる。
「相手いねーもん」
あっさり返した後で、付け足しておく。
「それに結婚だけが幸せってわけでもないよなと、今んとこは思うから」
「そうだよね。幸せってもっと身近なものだよね」
うんうん頷く作原はちょっと可愛い。頼りないところも多分にあるけど、俺は彼女の明るさ、女らしさをいいと思っていたし、好きかどうかと聞かれれば、好きだと答えるよりほかない。
ただ、友情を恋愛にシフトさせるのにはどうしても抵抗がある。本気で好きになったら今のような関係ではいられない。作原と同じように、あるいは彼女以上に要領の悪い人間である俺は、程よいバランスを保って女と付き合う、なんてことができない。確実に独占欲が芽生えるだろうし、クリスマスイブだけの逢瀬じゃ耐えられないだろうし、他人に頭を下げてケーキ類を買ってもらってるくらいならいっそ俺が全部買うと言いたくなるだろう。
今のように、イブだけ会って一緒にケーキやらオードブルやらを食べて、彼女が俺以外のどんな奴にケーキを売っているかなんて知らないままの方がいいに決まっている。女友達に頼られる優越感だけで満足しておくのが幸せに違いない。
「クリスマスって、皆が幸せになれる日だよね」
そうして作原はこたつの上で頬杖をつく。
「今日あちこちにケーキ届けてきたけど、どこの家も幸せそうだったなあ。そういう日なんだろうね、きっと」
自腹切りまくりのサンタクロースが言うのも妙な話だが、そういう日だというのは理解できる。イルミネーションでごってごてに飾っても許されるし、同じ音楽ばかりかけっぱなしでも誰も文句は言わない日。皆が浮かれているからだ。
そういう日に一人で過ごしたがる奴なんていない。だから俺も作原と過ごす。
「私も、幸せだよ」
ビールの缶を真っ赤になった頬に押し当て、彼女は言う。
一瞬ためらったものの、俺も言っておく。
「俺もだ。こんな美味いもん食えてさ」
ところが作原はそこでいかにも不満げな顔をした。むっと唇を尖らせた後、何を思ったかこたつからのそのそ這い出てきて、覚束ない足取りで俺の傍までやって来ると、すぐ隣にぺたんと座る。
更に、俺の肩へ頭を乗っけてくる。体温が高いのが触れたところからわかる。俺は手にしていた缶ビールを置き、彼女が倒れないようさりげなく手を添える。
「私は、シゲさんと一緒だから幸せだって言ってんの」
作原はかすれた声で言う。
何度目になるかわからないその台詞を言う。
「知ってるよ」
俺も、去年と同じ答えを言う。作原の台詞はその都度変わるが、伝えたがってる内容はほぼ一緒だ。それを俺が、素直に受け止められないところも一緒。
それで作原は頭を起こし、首を動かしてこっちを睨んだ。
「わかってないじゃん。鈍感なんだから」
そう言うってことは、作原の方こそ鈍いんだろう。俺の本心には気づいてない。俺が作原を好いていることも、だからこそ『優しいシゲさん』でありたい事実もわかってないんだろう。幻滅されるのが嫌なんだって、いっそはっきり告げたらいいんだろうか。
その思いだけは年々募るばかりだ。本気で好きになったら、優しくはできないだろうという不安。作原はクリスマスイブにやってくるサンタクロースでいてくれなきゃ困る。土日祝盆暮れ正月も関係ないような仕事の彼女に対して本気になったら、俺はそれこそ仕事帰りを待ち伏せでもするか、あるいは同棲でもしないと気が済まないようになるんじゃないかって――。
軽い葛藤の後、俺は逃げを打つように、いつもは言わないことを言った。
「俺と付き合ったって、お前は幸せになんないと思うよ」
束縛されて、要領の悪さを発揮する間もなく世話を焼かれるのがオチだ。
そのくらいなら適度に頼れる男友達をキープするに留めておくのが、お前にとっては幸せなんじゃないのか。結局お前は不器用でも無理してでも、誰かの為に何かする方が好きな人間なんだろうから。
「――。そんなの、そんなことない」
作原は短く黙り、息を吐き、それから目の前の缶ビールを――俺がさっきまで飲んでた奴を引っ掴んで、何を思ったか勢いよく呷った。
こん、と軽い音で置かれたアルミ缶に目をやるより早く、作原は身を乗り出して俺の眼前まで迫り、声を張り上げた。
「言ってるでしょ! 私はシゲさんといるだけで幸せなの! 幸せにしてもらう必要なんてない、むしろこっちが幸せにしてやるってんだ!」
啖呵を切られて呆気に取られる俺を尻目に、例年になく酔っ払った様子の作原が、今度はこっちに倒れ込んできた。こたつ布団に覆われた俺の膝に頭を置き、拗ねたみたいに背を丸める。
「お、おい、作原」
「……とりあえず、クリスマスの次はお正月とかどう?」
こっちを見ないまま彼女が尋ねてくる。
何のことかと思っていれば、ふと溜息をつかれた。
「今まで秘密にしてたけどね。ノルマあるの、クリスマスだけじゃないの」
「へ?」
「おせちも。毎年、自腹切ってた」
作原はそこで笑うように声を震わせる。
次の言葉は、
「一人で食べるの結構大変なんだ。三食おせちとかになってさ。だから今年は、元日に休み取っちゃった、ここ押しかけるつもりで」
いやに明るくて、膝の上の重さ温かさと合わせてなんだかどぎまぎさせられた。
よくもまあ易々と男に膝枕なんてされてしまうものだ。作原は俺をそこまで優しい人間だと思っているのか。期待を裏切らないようにするのも一苦労だ。
「三段重ねの高い奴だよ、きっとシゲさんも幸せになれるよ」
そうしてこっちを動揺させるだけさせておきながら、幸せにしてくれるのはお前じゃなくておせちかよ、と思わせたりもする。本当、どんだけ要領悪いんだ。それじゃプレゼントばかりが喜ばれるサンタクロースと同じ扱いじゃないか。
――で、そこまで考えて、何となく俺も気づく。
俺は毎年、サンタの持ってくるプレゼントを楽しみにしてたんじゃなくて、来るなり土下座で謝り倒すサンタクロース本人を楽しみに待ってたんだよな、と。
本気になって、年に一回じゃ耐えられないと言うなら、年二回になったらどうだ。
「作原」
彼女の真上から俺は問いかける。
「お前のノルマって、その二回だけ?」
それはもう、独占欲が隠しきれていない質問をぶつける。
「……一杯あるよ。お正月の次は、二月の節分。恵方巻」
作原がちらりとこっちを見る。その窺う感じが今更恥ずかしげで、やっぱりちょっと可愛いと思う。
わかってる、俺の負けです。
「そのノルマ分、全部俺んとこ来てくれたら、俺は幸せになれると思う」
だからそう告げたら、ものすごい勢いで起き上がった作原が嬉しそうに笑った。
「本当っ? やった、シゲさん大好き!」
俺もだ。
あとは、あれだ。作原のノルマ分で俺の独占欲が満たせるかどうかが鍵か――それで試してみて、だけどどうしても耐え切れなくて駄目だったらもう後は最終手段。
その時は俺が自腹切るしかないよな、と思う。給料の三ヶ月分的な意味で。