Tiny garden

この「好き」はお前にやるよ

 ケーキ屋さんの店内は、紅茶とケーキの甘い匂いでいっぱいになっていた。
 暖かい空気はそのままクリームや砂糖やバニラの匂いがしていて、中にいるだけでお腹が空いてくる。駅前にあるこのお店のケーキはとても美味しくて、私はここが大好きだった。
 と言っても、実際にはそれほど頻繁に足を運ばない。ファミレスやファーストフード店に比べるとやや敷居が高く感じられたし、放課後に制服姿でふらりと立ち寄るのも抵抗があった。何より放課後を一緒に過ごす友人たちのほとんどが甘い物をそれほど好まなかったので、寄り道の選択肢に加えられることは珍しかった。
 だけど今日の放課後は、制服姿のままで立ち寄った。メニューとにらめっこをして何を食べようか悩んでいる。その間中も心臓がどきどきと落ち着かないのは早くケーキを食べたいから、だけではなかった。今日が誕生日だから、というだけでもなかった。
 メニュー越しに見る店内。テーブルを挟んで真向かいにクラスメイトの彼がいる。いつもは友人一同をまとめて、楽しいイベントごとを牽引していく役目の彼が、今日は私一人だけを連れてケーキ屋さんへやってきた。彼曰く、今日は貸し切りらしい。私にとっての彼が貸し切りなのか、それとも彼から見た私のことなのか、その辺りははっきりしていないけど。

 ちらちら表情を窺っていたら、ふと目が合う。驚いた私に彼は笑って、こう尋ねてきた。
「何にするか決まった?」
「あ……ごめん、まだなの」
 私は慌てて、メニューで顔を隠した。じっと見つめていたなんて知られたら恥ずかしい。そうでなくてもさっきから緊張していて、いつものようには話せていないのに。
 こんな風に二人で出かけることなんて初めてだった。友人たちが皆いなくて、彼と二人きりだというたったそれだけで、どうしていいのかわからなくなってしまう。せめて、せっかくのケーキの味がわからない、なんてことがないといい。
「遠慮すんなよ、値段で決めなくたっていいんだからな」
 彼の声はいつもどおりの明るさ。私と二人でも特に緊張しているようには見えない。いつも堂々としている人だから、きっと心臓がどきどきして困ってしまうことなんてないんだろう。授業中、私を手紙で誘ってきた時だって、結構堂々としていたように見えていた。先生の目を盗むタイミングも実に慣れた様子だったし、要領のいい人だと思う。
 そんな彼はもう頼むものを決めたんだろうか、既にメニューを畳んで、テーブルの上に頬杖をついていた。甘い物をそんなに食べないはずの彼は、一体何に決めたんだろう。
 また目が合う。少し笑われた。
「迷ってんだ?」
「うん……。美味しそうなのがたくさんあるから、なかなか決められなくて」
 どぎまぎしながらも正直に答えると、彼はひょいと首を竦めた。
「食べたい奴、全部頼んでもいいけど。予算には余裕あるしな」
「そんな、食べ切れないよ。一個で十分だから」
 発言の豪快も彼らしくて、私も思わず笑ってしまう。ごちそうになるんだから遠慮だって必要だ。でも一個だけ決めるとなると、なかなか難しくて決めあぐねてしまう。
「じゃあさ、二択に絞れよ。そしたら俺が決めてやるから」
 彼がそう言うから、私はもう一度メニューとにらめっこをした。美味しそうなケーキの写真を穴の開くほど眺め、やがて二つを選び取る。
「アップルパイとチーズタルトならどっちがいいかな?」
 早速私は尋ね、すぐに目の前の彼がうれしそうな顔をするのを見た。
「それならアップルパイにしとけよ。俺がチーズタルトにするから」
「えっ? 今日はケーキ食べるんだね」
 珍しい。甘い物があまり好きじゃないはずなのに、私の誕生日だからケーキにも付き合ってくれる、ってこと?
 怪訝に思う私に、彼は得意げな口調でこう言った。
「ちょっとくらいはな。でも半分くらい残すと思うから、残りはお前が手伝えよ」
「え……あ、うん」
 そういうことか、と気付いた時には、彼は店員さんを呼び寄せ、注文を始めていた。ケーキセットを二つ、アップルパイとチーズタルトで、と。

 今日は私の誕生日だ。だけどそれにしても良過ぎる待遇だと思う。こんなに贅沢をさせて貰えるなんて、何だかもったいないくらい。
「お前、すごいびっくり顔になってる」
 注文を終えて、店員さんが立ち去った後で彼が言った。からかうような笑みを向けられ、私は少し照れてしまった。
「だって、本当にびっくりしてるもの」
「ケーキのことなら気にすんな。俺、紅茶だけ飲みたかったんだ。けど単品で頼むと損した気になるからさ」
 それも彼らしい言い分だ。さりげない気配りが上手で、皆を楽しませるのも上手い。そんな彼と二人きり、貸し切り状態なんて、最高の贅沢のような気がした。
「私、今日は驚かされてばかり」
 自然と笑いたくなる、幸せな気分。呟くように告げると、彼も大きく頷いた。
「そうだろ。びっくりさせてやろうと思ってたんだ」
「じゃあ大成功だね。本当にびっくりしちゃった」
 授業中の誘いもそう、いつの間にか貸し切られていたこともそう、さっきのケーキのことだってそう。驚きっ放しで心臓の休まる暇がない。
「まだ、あるけどな」
 と、不意に彼が言った。
「まだ?」
「そう。こんなの序の口」
 言いながら、鞄から何かを取り出す彼。
 どきどきしながら見守る私の目の前に、そっと小さな箱が差し出された。きれいな紙に包まれて、赤いリボンが掛けられている。
「誕生日プレゼント」
 彼がそう言った時、かっと頬が熱くなった。
 あまりにもったいなくて受け取れない。だって、こんなにたくさんして貰えるなんて贅沢過ぎる。誕生日だからって出来過ぎの、最高の贅沢だ。
「びっくりしただろ?」
 笑顔の彼が尋ねてくる。
 私はもう感激と驚きのあまり、声すら出なくなっていた。ぎくしゃく頷く。それだけがやっと。
「俺さ」
 と、彼は私の手を取って、プレゼントの箱を乗せながら言った。温かい手は、指先がほんの少し震えていた。
「人をびっくりさせるの、好きなんだよな」
 その言葉、すごくよくわかる。彼はそういう人だと思う。皆を驚かせて、びっくりするようなアイディアで楽しませてくれる人。一緒にいて、絶対に退屈しない人。
 だから彼と過ごす誕生日は、とびきりの贅沢になる。
「特に今日は、お前のことは、誰より一番びっくりさせてやろうと思ったんだ」
 震える彼の手が、私の手から離れた。
 テーブルを挟んだ向こう、珍しくぎこちない笑みの彼は、深く息を吸ってから、そっと小声で付け足した。
「好きだから」

 それは一体、どういう意味で受け取ったらいいんだろう。
 幸せ過ぎて、贅沢過ぎて声も出ないくらいだけど、私も深呼吸をしたら尋ねてみようと思う。答え次第では今よりもっと、声が出なくなってしまいそうだけど。
 宝物が増えてしまった誕生日。こんなにいいこと尽くめで、どうしよう。幸せだ。
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