Tiny garden

可愛い子、発見

 机の上いっぱいに広げた写真。
 笑顔全開で写っているのは見覚えがあるのに見慣れない、どこか懐かしい顔ばかりだ。
 それもそのはず、この写真は全て、あたしたちが中学の頃の写真だった。

 うちのクラスには、たまたま同じ中学の子たちが多かった。ある時、思い出話が盛り上がって、懐かしい写真を持ち寄ろうってことになった。
 何となく気だるい昼休みの教室で、皆で大騒ぎするにはちょうどいい話の種だ。たった三年前の写真なのに、写っている顔はどれもこれもあどけない。まるで別人みたいに変わっちゃった子までいる。
「うわ、やだ! 私全然顔違う!」
「えー、あの先生ってこんな顔してたっけ?」
「これいつの? やべーよ、白目剥いて写ってるよ!」
 皆がげらげら笑ってる。
 三年前にはごく当たり前のように見ていた光景と顔が、今はおかしくってしょうがない。だってびっくりするくらい変わり過ぎてる。
 あたしも自分の顔は見慣れなかった。中学の頃の顔はまるで子供っぽくて、おまけに格好まで野暮ったい。何の苦労も知らず、悩みもなさそうな笑顔で写真に納まっている自分を見ると、羨ましいとさえ思えてきた。
 昔の写真を見るっていうのも、くすぐったいものだ。
 あたしがスナップ写真の一枚を机の上に戻した時、
「あれ、皆何見てんの?」
 能天気な声が聞こえてきて、思わずそちらを振り返る。

 ふらふらと寄ってきたのは、篠宮だった。
 こういう大騒ぎが好きな、いつも能天気なお調子者だ。だけど今回はお呼びじゃない。
「何かすっげー楽しそう。俺も交ぜて交ぜてー」
 いつものように腑抜けた声で輪に入って来ようとしたから、あたしは顔を顰めた。
「あんたは来なくていいよ。関係ないじゃん」
「え、何で?」
「中学の時の写真見てるから。あんた、栄西中じゃないでしょ。関係ないし」
 あたしは当たり前のことを言ったつもりだったけど、篠宮は不満げに口を尖らせる。
「見るだけでもいいじゃん。大林の昔の写真も見たいしー」
 何をする気だ。あたしの昔の写真なんて、篠宮みたいな奴に見せたら、散々からかわれるに決まってる。
「見なくていい」
 あたしは一蹴した。
「酷いなー大林。あ、もしかして、俺に見せらんない写真でもあるんじゃないの?」
 途端ににやにやし始めた篠宮は、一緒に写真を見ていた子たちに、どうなの、どうなの、と尋ねている。馬鹿みたい。
 そしてあたしにもまとわりついてきて、勝手に髪をくしゃくしゃ触りながら、
「大林、昔はもっと丸いキノコ頭だったとか?」
「違うよ。うるさいから来ないでって言ってるだけ」
「じゃあもしかしてアフロだったとか?」
「馬鹿じゃないの。つか髪触んないで」
 アフロなわけないでしょうが。思い切り呆れてしまったけど、あたしが思うよりも篠宮は、他の子たちには人気がある。どうしてかは知らない。
「篠宮くん、見てみたら?」
 なんて、優しい声をかける子もいて、
「ありがとー! どれどれ?」
 篠宮はあっと言う間に輪の中に溶け込んでしまう。
 喧嘩を売られて買いかけて、途中で放り投げられた格好のあたしは、口を開けたまま二の句も継げずに黙り込んでいた。
 だから篠宮はお呼びじゃない。あたしに向けた拗ねた顔はもう影を潜め、皆にはにこにこ笑顔を向けている。どこにいても楽しげで、周りにいる子たちまでつられて笑わせてしまう。
 でもあたしは、篠宮が皆にへらへらしてる顔を見ると、何となく苛ついた。どうしてかは、よくわからない。

「へえ、皆結構顔違うね」
 篠宮は写真を一枚一枚、丁寧に眺めていた。三年前の写真はまだ色こそ褪せていないけれど、写り込んでいる光景はとっくに古くなっている。
 やがて写真の中を指差した篠宮が、
「これ、里村?」
「当たり!」
「こっちは古川でしょ」
「え、やっぱわかっちゃう?」
 皆の昔の顔を見て、次々と当て出した。
 あどけないばかりの顔を見ただけで、それが誰だか当ててしまう。篠宮はとにかく目敏くて、妙に観察力がある。誰かが髪型を変えて来たら、一番に気づくのも篠宮だった。
「ふふん、まあね」
 得意げな篠宮が、他の写真にも手を伸ばす。
「さーて、大林はどこかなー」
 狙われてる。
 まさか本気で、あたしがかつてアフロだったと思ってんじゃなかろうか。篠宮ならあり得る。確かに昔のあたしは今よりずっと野暮ったかったけど、さすがにアフロではない。マッシュルームカットでもない。
 ターゲットにされたあたしを見て、皆がにやにやし始める。篠宮が写真をつぶさに調べている間、あたしは落ち着かない気分で、とりあえずそっぽを向いていた。
 篠宮が見つけてくれないといいな、と思っている。
 見られたくない。子供っぽいだけでしかない昔の写真の顔なんて。

 しばらくして、篠宮が言った。
「大林どこー? 見つかんないんですけど!」
 それは事実上のギブアップ宣言だ。
 あたしは胸を撫で下ろしながら答える。
「さあね。写ってないんじゃないの?」
「嘘でしょ? 皆にやにやしてんじゃん。こん中に大林の写真、あるよね?」
 篠宮が皆に尋ねる。
 皆は笑ったまま、答えない。
「知らない知らない。さ、写真片づけるよ」
 首を竦めて、あたしは自分の持ってきた分の写真を回収しようとした。
 篠宮に追及される前にしまっちゃおう。どうせ見つけたら見つけたでうるさいし、見つけられなきゃしばらく言い続けるに決まってる。厄介な火種はさっさと隠しちゃうのが一番だ。
 机の上に広げたスナップ写真を一枚、拾い上げた。
 ――その時。
「ちょっと待った!」
 あたしの動作を、篠宮の珍しく鋭い声が制した。
 思わずぎくりとする。
「何、篠宮」
 写真を指で拾った姿勢のまま、恐る恐る尋ねてみた。
 篠宮はあたしが拾った写真を見つめている。じいっと、真剣な表情で。
 あたしが持ってきた写真だ。当然、本人が写り込んでる可能性は大きい。篠宮の目敏さに舌打ちしつつ、あたしは奴を急かした。
「用ないならしまっちゃうよ」
「待ってってば。もうちょいじっくり、見せて」
「……嫌だよ」
 拒否したにもかかわらず、篠宮の無遠慮な手はあたしからそのスナップ写真を奪い去っていく。
 何人かが笑顔で写っている、ごくありふれたワンシーンの写真だった。あたしたちにとっては思い出いっぱいの写真でも、篠宮にとっては何の変哲もない写真でしかないはずだ。
 なのに篠宮はいつになく真面目な顔で、それに見入っていた。
「篠宮。そろそろ返してよ」
「大林さあ……」
「何」
「この子、誰?」
 篠宮が、写真を指差して尋ねた。
 爪の伸びた人差し指が示したのは、見覚えのある制服を着た女子生徒だ。長い髪を二つ結びにして、幼い笑顔で写ってる。
「……何で?」
 あたしは咄嗟に聞き返し、真顔の篠宮から、驚くような言葉を貰った。
「いや、すっごい可愛いから」
「は?」
 可愛い?
 どこが。
 写真の中にいるのは化粧っ気もなくて野暮ったい中学生だ。色気もない、あか抜けなくて、もちろん可愛いはずもない。篠宮が目を輝かせる必要はどこにもない。
 ないはずなのに、篠宮は言う。
「マジ可愛いって! 何かこう、さっぱりした感じでさ。清楚なイメージでさ。俺、きゅんとしちゃったよ! 一目惚れかも!」
 言うに事欠いて、何を。
「この子、名前は? うちの高校? 大林、知ってんだったら教えてよー」
「あんた、何言ってんの」
「本気で言ってんだってば! 何かね、超タイプなの俺! ああもう、俺も栄西通っとくんだったなー!」
 篠宮の口調は熱っぽい。本気か。むしろ正気か。
「好みったってね、篠宮。これ中学ん時の写真だし、皆普通に顔変わってんじゃん。この子だって顔、変わってるかもだよ」
「そんなの、見てみなきゃわかんないじゃん」
 きっぱりと篠宮は言って、その後で写真に頬擦りさえしてみせた。やめろ、人の写真に!
「すげー可愛いよこの子。てか、大林。この子のこと知ってんでしょ?」
「さあね。知らない。写真返して」
「紹介してよー。うちの学校にいる?」
「いないんじゃない」
「名前は? ね、名前だけでも教えてー」
「やだ。知らない」
 篠宮はしつこい。軽い奴だってことは知ってたけど、女の子のことでこうも執着してみせるのは初めてじゃないだろうか。昔の写真だって散々言ってるのに、長々食い下がってくる。
「大林、教えてってば。一生のお願い! 紹介してくれたら飯奢る!」
 そこまでしてお近づきになりたいってか。物好きめ。
 いい加減呆れたあたしは、隙を見て篠宮の手から、その写真を取り上げた。
「ほら、返して」
「ああ!」
 素早く写真を制服のポケットにしまう。さすがの篠宮も、ここから取り出そうとは考えまい。
 篠宮は恨めしげな目でこっちを見ていた。
「大林、何か冷たくない?」
「別に」
 素知らぬふりで他の写真も片づける。篠宮がご執心のその子の顔が、何枚か重ねられて、あたしのポケットに収まった。
「もしかしてさあ」
「何」
「妬いてる?」
「は?」
 何だそれ。自惚れもいいとこだ。
 あたしは篠宮を睨んだ。篠宮も、あたしを睨んでいる。
「だって大林、思い切り邪魔してんじゃん。俺の恋路」
 恋路と来ましたか。
 最早、恋か。写真見て数分でもう恋だと言い切るか。さすが篠宮。短絡的。
「馬鹿じゃないの」
 もちろんジェラシーなんてことはない。断じてない。あたしは首を竦めて奴をあしらう。
 ちょうど昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴ってくれたから、
「ほらほら、次の授業の用意するよ」
 皆を促しつつその場を離れた。篠宮はまだぶうぶう言っていたようだけど、知るもんか。どうせ少しすれば忘れるだろう、馬鹿だから。

 自分の席に戻ってきた時、ほんの少しほっとした。
 溜息をついたあたしは次の授業の教科書と、ノートを机から取り出して――。
「おーばやしっ」
 歌うような節をつけた、篠宮の声に呼ばれた。
 今度は何だ。視線を上げれば、やけに機嫌のよさそうな顔がすぐ目の前に立っている。
「何? 先生来るし、席戻ったら」
 いい加減こいつの相手も疲れた。あたしは投げやりに応じる。
 すると篠宮はこちらの顔を覗き込みながら、言った。
「皆に聞いたよ」
「何を?」
「大林って中学の頃は、髪伸ばしてたんだってね」
 ぎょっとして、あたしは篠宮の顔を見返す。
 得意げで、楽しそうな笑顔が浮かんでいた。
「さっきの写真の子、大林だったんだ」
 篠宮が、言う。
「何で黙ってたの」
 畳みかけるように尋ねてくる。
「教えてくれたって良かったのに。俺、本気であの写真の大林、可愛いって思ってたよ」
 声が出せなかった。
 言えるはずがない。あんなに、可愛いだの清楚だのと言われて、あたしが切り出せるはずがない。一目惚れだとかあり得ない。照れるし、おかしいし、第一そういうのってあたしのキャラでもないから。
 それに本当のことを聞いたら、篠宮だって、がっかりするだろうし。
「照れ屋さんだなあ」
 篠宮が笑う。
 別に照れてるつもりはないけど、かっと頬が熱くなった。
 思わず顔を背けると、篠宮はあたしの耳元で囁いてくる。
「髪、伸ばしなよ」
 優しいその声が、飛び上がりそうになるほどくすぐったかった。
「な、何言って――」
 あたしが反論しかけた声は上擦り、
「絶対可愛いよ、大林。長い髪の方が似合うって。雰囲気、全然違ったじゃん」
 結局、篠宮の言葉に遮られてしまう。
 雰囲気が違うのは当たり前だ。あの頃は本当に野暮ったくて子供っぽくて、全然あか抜けない子だったから。髪を切りたくて切りたくて堪らなかったけど、親がうるさくて美容院なんて行けなかったんだ。可愛いってキャラじゃなかったのは、あの頃もそうだったけど。
 可愛いなんて言われたの、多分、初めてだ。
 しかも男子から。しかも篠宮から。あり得ない。
「髪、伸ばさない?」
 篠宮が聞いた。
 あたしはそれには答えなかった。答えられなかった。
 代わりに篠宮の身体を押して、ここから追い払おうとした。
「授業、始まるよ」
 だけど篠宮は、いつもはあんなにふらふらしているくせに、あたしの力じゃ押し切れない。
 ぐらりともせずにあたしの手をかわして、
「今の大林の髪伸ばした顔、見てみたいなー」
 なんて歌うように言いながら、席へと戻っていく。
 その背中を横目で見送ったあたしは、ふと溜息をついた。

 篠宮のことは嫌いじゃない。
 だけど苦手だ。へらへらしてて、軽くて、気安い台詞を口にしてきて。ずけずけと踏み込んでくるくせに、あたしの気持ちなんて考えもしない。
 そうしてあっと言う間にあたしの中にも溶け込んでしまった。
 髪、伸ばしてもいいかななんて、迂闊にも思わされてしまった。
「……馬鹿じゃないの」
 呟きたくもなる。
 そんなことをしたら、篠宮にも、皆にも、にやにやされるに決まってるのに。
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