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最後の春の裏側

 卒業式の日、写真部の部室で、私は彼に本音を打ち明けました。
 でもそれは辛いことでした。私は本当に憶病で、いくじなしで、おまけに手の打ちようがないほど不器用な人間です。思っていることをそのまま口にすることさえできないのです。
 清田くんが好きです。
 あなたに気づいて欲しくて写真を撮りました。
 そんな言葉すら満足に紡げないまま、私はみっともなくも泣きそうになってしまいます。

「俺も!」
 そんな私の涙を遮るように、清田くんは、その時声を上げました。
「俺も文化祭で思い出の写真を撮ったんです! 全部、早坂先輩との思い出です!」
 それは、目の覚めるような言葉でした。
「俺も――先輩が好きです!」
 それは、私がずっと言いたくて、でも口にできなくて、泣いてしまうほど苦しんだ私の本心と同じでした。

 私は、ずっと気がつかなかったのです。
 文化祭にて、清田くんが展示していた四枚の写真――春の桜、夏の花火、秋の街路樹、そして冬のこたつ。
 それらが私の撮った写真と、全く同じ意味を持つことに。
 それらに込められた想いが、閉じ込められた思い出が、私たち二人のものであることに。

 でもこうして振り返ってみると、とてもわかりにくいやり方だったと思います。
 写真は思い出を残してくれますが、その思い出の全てを見る人に伝えるのは難しい。
 ましてやその思い出から撮った人の想いまでもを伝えるのは、きっと至難の業でしょう。

 ですから清田くんが言葉にしてくれたのは、本当に、本当に嬉しかった。
 そして私は気づいたのです。
 先輩でありたくないと思っていた私自身が、実は年上であることにこだわっていたという事実に。
 後輩だと思っていた清田くんの頼もしさと勇敢さに。
 私はもっと早くから素直になって、彼に弱い面を晒しておくべきだったのかもしれません。そうしたら遠回りもせずに――いえ、今となってはそんな後悔も些細なことです。
 これからの私は、もっと素直になります。
 そう誓うだけで十分でしょう。

 そういうわけで、素直になった私は清田くんに抱きつきました。
 清田くんは一瞬戸惑ったようですが、私をちゃんと抱き締め返してくれて、
「……ふゆ、さん」
 私がねだった通りに、欲しい言葉をくれました。
 早坂先輩、ではなくて。
 ふゆ、として彼の傍にいたかった。
 そんな私の願いを叶えてくれたのです。
 清田くんは本当に、素敵な人です。
「これからは、『先輩』じゃなくなるんですね」
 彼がそう言ってくれたので、私は面を上げて返事をします。
「そうです。だから、今度からはもう、そう呼ばないでください」
「わかりました」
「あと君は敬語禁止。今日からは、いかにも彼女に接するような口調でお願いします」
「それは……あの、急に言われても」
 清田くんはそこで困ったような顔になりました。
 でも私としては、ここで線引きをしっかりしておきたいのです。先輩のままでは嫌ですから。
 だから、こう告げました。
「これは恋人からのお願いです」
 本日からはもう『先輩命令』ではありません。
 先輩扱いをされたくないのなら、そんな偉そうなことを言うのもよくないでしょう。
 ですのでこれからはお願いという形で彼にねだろうと思っています。
「じゃああの、徐々に慣れていくっていう形でどうっすか」
 妙にこわごわと清田くんが尋ねます。
 そこは私も譲歩をすることにしました。
「……それでもいいです。その代わり、ちゃんと慣れてね」
 そう言って、彼に改めてぎゅっと抱きつきます。
 清田くんはそれに応じるように、私の髪に優しく触れました。

 でも考えてみれば。
 彼が私を『ふゆさん』と呼ぶのなら、私も『清田くん』と呼ぶのは卒業すべきかもしれません。
 となると――『柊くん』か、もしくは『柊さん』でしょうか。
 どちらも少々面映いですが、確かに恋人同士という感じがします。

 写真部の部室で抱き合ううち、ふと、清田くん改め柊くんが切り出しました。
「せんぱ――ふゆさん、俺からもお願いがあるんですが」
「何でしょう」
 ちゃんと言い直したところはさすがです。
 私が聞き返すと、彼はせがむように微笑みます。
「一枚だけ、写真撮らせてもらえませんか」
 しかしその頼みごとは今の私にとってあまりに残酷です。
「だめです」
「何でだめなんですか」
「だって、泣いた後だからみっともないです」
 今日はそれほど大泣きはしませんでしたが、目は真っ赤になっているでしょうし、瞼が腫れているかもしれません。鼻まで赤かったら絶対に、絶対に嫌です。
 なのに柊くんは、おかしそうにしながら言いました。
「みっともなくないっすよ。いつだってきれいです」
 いつの間に、そんなことをさらりと言える人になってしまったのでしょう!
 私は慌てて彼の胸を拳で叩きました。
「そ、そんなこと言ったってだめですからね!」
 どんどん叩いても彼はびくともしません。さすが男の子です。
「けど恋人っていうなら、写真の一枚くらい持ってるもんじゃないですか」
 更にはそんなふうにも言われて――それで私は、はっとするのでした。
「そうですね。私は柊くんの写真、ちゃんと持ってます」
 今も、制服の胸ポケットにしまってあります。
「え? 部で撮ったやつですか?」
 柊くんが怪訝そうにするので、かぶりを振っておきました。
「いいえ。君が一人で写っているものです」

 去年の春に、校庭の桜の木の下で、不意を打って撮らせてもらったものです。
 とてもいい写真ですが――言ってしまえば無許可撮影、隠し撮りみたいなものですから。
 ここはお互い、一番新しくて、一番幸せな写真を撮り合うというのもいいかもしれません。

 ただ私は、せっかくですからもう一つ欲しいものがあるのです。

「どうしてもというなら、私からももう一つお願いがあります」
 私は真面目な口ぶりで告げました。
「何すか。それも、『彼女のお願い』?」
「そうです」
 卒業式と言えば、好きな人から貰っておくべき品があります。
「私、ボタンが欲しいです」
 すると柊くんはにわかにうろたえました。
「は? え? お……俺の?」
「他に誰がいるの? 卒業式と言えば、好きな人からボタンを貰うものと相場が決まってます」
 クラスの友達からも聞きました。
 卒業式に告白をした際、了承のお返事の証として男子生徒からボタンを譲り受けるのが習わしだそうです。
 ちなみにボタンの箇所にも意味があって、一番重要なのは胸元に近い第二ボタンと聞いています。
「いや、まあ、そうらしいっすけど」
「だから君のボタンをください。第二ボタンです」
 私が繰り返すと、柊くんは困り果てたように頬を掻きます。
「でもですね、俺はまだ高校生活、残り一年あるんですけど」
 そうなのです。
 私が先輩ではなくなっても、卒業してここから飛び出しても、柊くんには残り一年の高校生活がある。その事実だけは何も変わりません。
 ですから尚のこと、ボタンを貰わなければならないでしょう。
「ボタンついてないと、さすがに目立ちますし……」
「その方がいいよ。ほら、浮気の予防にもなるじゃない」
「し、しませんって!」
 柊くんは慌てていました。
 もちろん私もそんな心配をしているわけではありません。彼の誠実さ、優しさは十分知っていますし、彼が私を好きでいてくれたことだって今はよくよく理解しています。
 こうして抱き締められているだけで、わかります。
 でもせっかくですから――もうちょっとだけこのままでいたいのです。
「くれるまでは写真もだめ。離れませんからね」
 口実めいた言葉を盾に、私は彼にしがみつく腕の力を強めました。
 柊くんは困り果てていたようですが、でも彼が逡巡したお蔭で、たっぷりと抱き着いていることができました。

 そして結局、ボタンを貰うことはできませんでした。
「俺が卒業したら渡しますから! 約束します!」
 柊くんが手を合わせて懇願してくるので、惚れた弱味で譲ってあげることにしたのです。
「ボタンの代わりに何でも奢ります! 帰りにコンビニ寄ってきましょう!」
 多少、食べ物に釣られてしまったというのもなくはないです。
「せんぱ――ふゆさんの、好きなものごちそうしますよ。何がいいですか?」
 学校帰り、手を繋いで寄り道したコンビニで、柊くんが私に尋ねます。
「じゃあ、あんまんがいいな」
 そう答えたら、あんまんみたいなほっぺたの柊くんが笑いました。
「ふゆさん、あんまん好きですよね」
「もちろんです」
 どうして好きなのか、柊くんはまだ知らないようですけど。

 でもせっかく、恋人同士になったのですから――。
 そろそろ打ち明けてもいいかもしれないですね。
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