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三度目の春の正直(2)

 春は、校庭で満開の桜を撮った。
 逆光のせいできれいに撮れなかった俺に、先輩は優しく教えてくれた。
 夏は、夜空に上がる花火を撮った。
 花火大会に行かない先輩に、音のない花火を見せてあげたかった。
 秋は、葉が落ちた街路樹を撮った。
 先輩が見せた涙のことを、どうしてか忘れられなかった。
 そして冬は――冬だけは写真がなくて、仕方なく部屋にあるこたつを撮った。
 こたつ好きな先輩が俺の部屋に来た日のことを、すごくいい思い出だと感じていたからだ。

 俺の高校入学からの二年間も、早坂先輩でいっぱいだった。

「えっ!?」
 先輩は、俺の告白にすっとんきょうな声を上げた。
 潤んだ目を大きく見開き、口もぽかんと開けたまま、しばらく黙って俺を見ていた。
「だって、俺の写真。先輩も見たでしょう?」
 俺が尋ねると、早坂先輩は考え込む顔で頷く。
「はい……見ましたけど」
「あれだって全部思い出です。俺が、先輩と過ごした大切な思い出ばかりです」
 そう告げれば、先輩は記憶を掘り起こすように目を伏せた。
 もしかしたら思い返すだけでどんな写真か思い出せるくらい、じっくり見ていてくれたのかもしれない。
 そうして思い出した後、腑に落ちた様子で頬を赤くしていた。
「あ……そういえばそうですね。ということは、えっ、つまるところその、りょ、両想いというものでしょうか……えええ、どうしましょう……」
 まるで困ったように俺の前でくるりと一回転した後、はたと我に返って俯く。
「でも写真だけだと、かなりわかりにくいかな」
「それ、先輩が言いますか」
「うん。こんなやり方で伝わるはずがなかったね」
 俺が突っ込むと、早坂先輩は恥ずかしそうに肩を揺らした。

 俺たちは写真を撮ったけど、そこに込めた想いや、その瞬間の思い出を、写真を見た人にそのまま伝えられるわけじゃない。
 残しておける思い出は、撮影した人だけの特権だ。
 今となっては俺と早坂先輩、二人だけのものだ。

 早坂先輩がおずおずと顔を上げる。
 赤い唇を震わせて、静かに切り出した。
「清田くんが好きです」
 ずっと聞きたかった言葉をくれた。
「私の傍にいてくれて、ありがとう……」
 そう言ってから造花が飾られた胸に手を当てて、ようやく微笑む。
「両想いなら、もっと早く言っておけばよかったな」
 それは俺も同じように思う。
 もっと早く言えてたら、クリスマスイブの夜も、あの秋の日だって、先輩を泣かせることはなかったのに。
 怖がっていたのは俺も同じだ。
「遅くなってすみません」
 俺が詫びると、早坂先輩はちょっと笑った後で唇を尖らせた。
「全くです。もう少し早く聞きたかったな」
「本当にすみません」
「……なんて、偉そうに言うことならできるんですけど」
 拗ねていたのは一分も続かず、先輩が溜息をつく。
「私だって、本心はちっとも言えませんでしたから。おあいこです」
「でも、俺が――」
「それ以上言うと、責任を取らせちゃいますよ!」
 尚も謝ろうとする俺を、そうやって先輩が遮る。
 責任って、前にも聞いた言葉だったな。そう思いつつ聞き返した。
「責任取るって言うと、カイロですか」
「違います!」
 先輩はきっぱり否定して、俺の方へ一歩踏み出してきた。
 まるで怒ったように眉を逆立てつつ、こちらを睨みつつ、俺の胸倉を両手で掴む。
 そうは言っても小柄な先輩だ。引き寄せられるどころかびくともせず、逆に先輩の方が引きずられるように俺の影に入ってきた。
 縋るように制服にしがみつく先輩が、いやに硬い表情で言う。
「私、君に言ってもらいたい言葉があったの」
 そういうふうに強がらないと、言えないのかもしれなかった。
「前に話したことがあったはずだけど、わかる?」
「俺に……ええと」
 すぐには思いつかなかった。
 だけどヒントはあるはずだ。今までの会話の中に、思い出の中に。
「その言葉を君が言ってくれたら、嬉しいです」
 早坂先輩の身体が、ぐらりとこちらに倒れ込んできた。
 具合でも悪くなったのかと思いきや、違った。先輩は俺の制服を掴んだまま、そっと頭を預け、寄りかかってきた。胸元が温かくなる。
 俺は黙って先輩の背中を見下ろしている。
 ふと思い立って手を回してみたら、拒まれなかった。だからそっと両手で触れた。包むように抱き締める。
「前よりずっとずっと大好きになるから――言ってみて、ください」
 顔を伏せた先輩が、俺に言う。

 先輩の言って欲しい言葉って、何だろう。
 たくさんあるようなのにわからない。先輩との思い出はたくさんあるのに、その中からそれらしいものを見つけ出せない。思い当たる事柄は浮かんでこない。
 俺が責任を持って言わなくちゃいけない言葉。
 多分『好きです』でも『ごめんなさい』でもない、先輩が心の底から欲しがっている言葉なんだろう。
 二年間の貴重な思い出の中にあっただろうか。
 ――『先輩』との、思い出の中に。

 そうか、わかった。
 ようやくわかった。
 先輩が何度も繰り返し言っていたこと、それそのものが答えなんだ。
 単純で、いたって短い言葉だった。でも先輩にとってはそれが一番大切なはずだ。他の言葉の何よりも大切なもののはずだ。
 そして俺にとっても、すごく大切で、口にするのがもったいないくらいの言葉だ。

 俺は、その写真が撮りたかったんだから。

 最初はほんの少しためらった。
 何せ初めてのことだ、緊張もする。上手く言えるかどうか、いきなり声が裏返ったりしないか、不安もある。だけど言いたかった。
 俺も、呼んでみたかった。

 先輩を抱き締めたまま、恐る恐る口にする。
「……ふゆ、さん」
 早坂先輩の、これまで一度も呼んだことがなかった名前を、俺は初めて口にした。
 春夏秋冬の『ふゆ』の写真を、撮りたかった。とても頼めなくて、言い出せなくて、こたつの写真にしていたけど――。
 ややあって、
「……はい」
 腕の中で早坂先輩が返事をした。
 顔を上げて俺を見る表情が、まだ拗ねている。
「柊くんは、ずるいです」
 俺の名前を呼ぶ声は、やっぱりぎこちなくて不器用だった。
「何がですか?」
「本当はずっと前からわかってたんじゃない? 私が何を言って欲しいかを」
 俺はわからないつもりでいたけど、もしかすると先輩の言う通りなんだろうか。
 それとも単に、ぼやけて見えてなかっただけなのか。傍で見る先輩がいつもぼやけて、ちゃんと見えなくて、だからわからなかっただけなのかもしれない。もう少しだけでも近づけたら、はっきり見えていたのかもしれない。だって現に、今のこの距離はすごくわかりやすいんだ。
 先輩を両腕で抱き締めてると、何もかもわかる。
 お互いにすごく緊張してることも、心臓が速くなってることも、こうして体温を感じるのがいかに幸せかってことも。
「これからは、『先輩』じゃなくなるんですね」
 何気なく俺が言うと、先輩はその顔にあどけない表情をひらめかせた。
「そうです。だから、今度からはもう、そう呼ばないでください」
「わかりました」
「あと君は敬語禁止。今日からは、いかにも彼女に接するような口調でお願いします」
「それは……あの、急に言われても」
 今まで先輩だった人に、いきなりタメ口なんて利けるだろうか。俺は無理だ。
「これは恋人からのお願いです」
 先輩は――ふゆさんは、慣れた口調でそう言った。
 先輩命令ですって言う時と同じように言った。
 つまり逆らえないってことだ。
「じゃああの、徐々に慣れていくっていう形でどうっすか」
 こわごわ提案した俺に、
「……それでもいいです。その代わり、ちゃんと慣れてね」
 彼女は答えて、それから強くしがみついてくる。
 毛先の方で緩くカールした髪を、俺は初めて撫でてみた。触れてみても滑らかで、きれいな髪だった。
 前に一度だけ触れてみたことがあったけど、あの時はするりと逃げられた。今はそんなこともない。

 ようやく実感が湧いてきた。
 これは最高のハッピーエンドって奴じゃないのか。
 紆余曲折あったものの、終わりよければ全てよし。まさに文句なしの結末!

 と、そこで俺は一つだけ、心残りだったことを思い出す。
「せんぱ――ふゆさん、俺からもお願いがあるんですが」
「何でしょう」
 目を瞬かせる彼女に俺は言う。
「一枚だけ、写真撮らせてもらえませんか」
 春夏秋冬の『ふゆ』、あの写真をちゃんと完成させたかった。
「だめです」
 答えはにべもなかった。
「何でだめなんですか」
「だって、泣いた後だからみっともないです」
「みっともなくないっすよ。いつだってきれいです」
 我ながら歯の浮くようなセリフだと思う。だけど事実だ。
 もっとも彼女は喜ぶどころか、拳で俺の胸をどんどん叩いた。
「そ、そんなこと言ったってだめですからね!」
「けど恋人っていうなら、写真の一枚くらい持ってるもんじゃないですか」
 俺が反論すればその動きがぴたりと止まって、さくらんぼみたいな唇がふっと緩む。
「そうですね。私は柊くんの写真、ちゃんと持ってます」
「え? 部で撮ったやつですか?」
「いいえ。君が一人で写っているものです」
 そんな写真、撮ってもらったことあっただろうか。
 俺一人でなんて覚えがないけど――寝顔でも撮られたかな。
「どうしてもというなら、私からももう一つお願いがあります」
 ふゆさんは、真剣な顔で口を開いた。
「何すか。それも、『彼女のお願い』?」
「そうです」
 大きく頷いて、それから重々しく続ける。
「私、ボタンが欲しいです」
 俺はと言えば、さすがにぎょっとした。
「は? え? お……俺の?」
 尋ね返せば、やっぱり真顔の彼女が俺を見ている。
「他に誰がいるの? 卒業式と言えば、好きな人からボタンを貰うものと相場が決まってます」
「いや、まあ、そうらしいっすけど」
「だから君のボタンをください。第二ボタンです」

 彼女は、わかって言ってるんだろうか。
 いや、わかってないな、多分。何たってあの先輩の――ふゆさんの言うことだ。

「でもですね、俺はまだ高校生活、残り一年あるんですけど」
 俺は慌てて弁解した。
「ボタンついてないと、さすがに目立ちますし……」
 そう説明したけど、案の定と言うか何と言うか聞く耳持たずだ。平然と言い返してくる。
「その方がいいよ。ほら、浮気の予防にもなるじゃない」
「し、しませんって!」
 何でそんなところで信用ないんだ、俺。
 彼女は俺にぎゅっと抱きついたまま、一ミリだって離れない。潤んだ大きな瞳には、ちらちら光が揺れている。柔らかそうな頬は適度に赤みが差して、今はとびきり可愛く見えた。
「くれるまでは写真もだめ。離れませんからね」
 だったら、余計に渡せません。
 ずっと離れないでいてくれる方が、俺にとってもいいですから。

 さて、少ししたら考えよう。
 ボタンの代替品になりそうな、彼女の好きなもの。
 みかんがいいか、あんまんがいいか、わたあめがいいか、それとも――まあ、本人の意向を聞いてみた方が早いな。
 それまではもうしばらく、この幸せを噛み締めていようと思う。

 俺の腕の中で、ふゆさんも同じように幸せそうだった。
 まるで楽園にいるみたいだった。
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