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小悪魔の素養

 息が詰まる。言い知れぬ圧迫感を受け、思わず唇を噛んだ。
 こんなことなら雛子に金だけ渡して、好きなものを買って来させた方がよかったかもしれない。実は一度、それも考えはした。さすがに無粋だろうと思い、結局彼女は待たせて俺が一人で入店した。しかし初めて足を踏み入れたその店内は、想像していた以上に異質で居心地の悪い空間だった。
 アーリーアメリカン調の内装。だが、なぜか店内に流れているのはがちゃがちゃとうるさいポップスだ。洒落た造りのようにも見える木製の陳列棚には、可愛げのない原色のぬいぐるみやら、嵩張りそうなクッションやら、使い勝手の悪そうな文房具やらが所狭しと並んでいる。取り合わせがいいとは思えない。そうかと思えば片隅には香水の小瓶も売られていた。雑多な並べ方で匂いが混ざり合ったのか、うっかり前を通り掛かった拍子、鼻が曲がりそうになった。
 店員が迂闊に話し掛けてこないのはいい。しかし中高生と思しき連中ばかりの客層で、俺は明らかに浮いていた。男の客はほとんどおらず、いたとしても女連れだった。つまり男一人の客は俺だけということだ。先程からちらちら視線を感じるように思うのも気のせいではないのかもしれない。赤の他人の目など気にするものでもないが、何人か東高校の制服姿を見かけた時にはぞっとした。知っている奴がいなければいいと切に願う。誰かに見咎められぬうちに買い物を済ませてしまうのがいい。

 そもそもどうして、俺はこんな目に遭っているのだろう。誕生日の贈り物をすること自体に異存はないが、彼女と行動を共にするようになってからというもの、まるで拷問かと思うような目に度々遭遇していた。
 従順そうに見えて、あれでなかなか底意地の悪い女だ。素直さには欠けるし、強情だし、そのくせこちらの反応を見て楽しんでいるような節さえ窺える。
 今日も、誕生日だということを俺に隠していたばかりか、プレゼントは要らないだの、原稿用紙が欲しいだのと捻くれたことを口にした。身に着けるものにしろと言ったのは勢いもあったが、苛立ち半分でもあった。他人に金を掛ける気のないけちな奴だと思われるのも癪だ。上手く乗せられたように思うのは決して気のせいではあるまい。悪魔だとまでは言わないが、知恵の林檎を贈った蛇くらいには賢しい。
 今更従順さを求めるつもりはなかった。退屈しない程度に予想しない反応が返ってくる方が、俺の好みに合っている。あえてもう一つ注文を付けるとするなら、もう少し素直で可愛げのある性質であって欲しい。年上をからかったり反応を楽しんだりするような真似は慎んで貰いたいと思う。齢の割には落ち着いたところもあり、普段は扱い易い奴なのだが、時々何かのスイッチが入ったかのように底意地悪くなる。振り回される側の俺からすると堪ったものではない。

 狭いはずの店内を五分ほどさ迷い歩き、ようやくアクセサリーのコーナーへ辿り着く。
 過剰なまでに照明の当てられた商品は目映く光り輝いていて、思わず眉を顰めたくなる。比較的安価な商品ばかりだが、だからと言って何でも贈りつけてやればいいというものではない。雛子はまだ高校生だ。学生の身分にそぐわないような品を渡す訳にもいかない。金額のみならず、デザインもなるべく華美ではないものを選んでやるべきだろう。その方が似つかわしいに違いない。
 目を眇めつつ棚を見回すと、ふと、或る物が目に付いた。


 買い物に要した時間は十五分ほどだった。それ以上、あの店内に留まり続けることは不可能だっただろう。
 商店街のアーケードの下、おとなしく待っていた雛子に、購入してきた品を手渡す。
「ほら」
 サテン地の小さなリボンがつけられた紙袋を、彼女は少し怪訝そうに受け取った。そしてこちらへ告げてくる。
「ありがとうございます。開けてみてもいいですか、先輩」
「そう思って、包装を断ってきた」
 俺は正直に答えた。
 それで雛子は丁寧に紙袋を開き、指先で中身を摘んだ。銀色のチェーンをゆっくり引き出す。購入したとおりのものがその中にはしまわれていた。
 雛子の表情が静止した。瞬きすらも止めて、その目がじっとペンダントを見据える。驚いているような顔つきだが、気に入ったのか、そうではないのか、全くわかり辛い。
 その様子を横目に見ながら、俺は思わずぼやいた。
「ああいう店は男がひとりで行くものじゃないな。非常に居心地が悪かった」
 もう金輪際ごめんだ。一人ではなくとも、出来れば足を踏み入れたくない。あの店の空気は肌に合わない。向こうだって俺のような客は願い下げだろう。
「でも、早かったですね。お買い物」
 尋ねられて、俺は首を竦めた。
「すぐに見つけたからな。お前に贈るならそれだと思った」
 他の選択肢はなかった。端から女の喜ぶ品物を探し当てることは諦めていた。雛子に似合いそうな品を見立てるのも恐らく、無理だ。あの店に長く留まり続ける事も不可能だった。
 短い思案の結果、選び取ったのがそれだった。天使の羽を模したペンダント。半ば皮肉も込めたつもりだ。
「……そうなってくれたらいいんだが、と言う願いを込めつつ、な」
 今日のこの短い時間だけでも十分に振り回してくれた、無意識の底意地の悪さを思えば、他に選びようもない。雛子に必要なのは天使の機知と洞察力、そして扱い易い素直さだ。
 しみじみと思いを巡らせながら、彼女に言ってやる。
「思い返してみても、お前にはいつも振り回されてばかりだ」
「そんなの、お互い様です」
 間髪入れず、雛子は言葉を返してきた。いつの間にやら生意気になったものだ。少し前まではまだ従順だったはずだが、すっかり捻くれて扱いにくくなった。可愛くない奴だとたまに思う。
「先輩からご覧になって、私は天使のようではありませんか?」
 その生意気な奴が、いかにも腑に落ちないという顔で尋ねてくるから、俺も正直に答えてやった。
「天使には見えない。そのくらい素直なら、誕生日のことを俺だけに隠して、他の奴には話すなどと言う捻くれたことはしないだろうからな」
 ましてや、村上が知っていることを俺が知らないなどということがあって堪るか。何者よりも真っ先に、俺が教えて貰っていなくてはならない事柄だ。
「先輩……、まだ怒っていらっしゃいますか」
 恐る恐る確かめるような口振りに、思わず目を逸らす。こんな些細なことで腹を立てていると思われるのも心外だったが、気分を害したのは事実だ。二度とこのようなことのないよう、釘を刺しておく必要はある。
「当たり前だ。もうおかしな気は遣うな」
 勘の鈍い奴が余計な気を回すことほど、ややこしく物事を拗らせる。よくよく心に留めておいて欲しいものだ。
「はい」
 今度は素直に、雛子は首肯した。
 ようやく満足のいく思いを得、俺は改めて彼女を促す。
「着けてみないのか」
 その時雛子が、ちらとレンズの端でこちらを見た。一瞬笑いかけた表情がすぐに引き、澄ましたような面持ちになる。
 直後、含んだ物言いで告げてきたのは、
「アクセサリーの場合は、贈り主の手で着けていただくのが一般的だと聞いておりました」
 誰が決めたのだろう、そんな傍迷惑な常識を。少なくとも俺はこれまで聞いたことがなかった。しかも贈ったのはペンダントという、いささか厄介な代物だ。あれを、俺が着けてやらなくてはならないと言うのか。
 当然のように困惑し、慌てて辺りを見回す羽目となる。思案の為の時間はなく、結局雛子の言葉を鵜呑みにするほかなさそうだ。せめて他人の目のつかぬところでと、俺は渋々問い返す。
「……部屋に来るか?」
「はい、お邪魔します」
 雛子は即座に頷いた。その拍子、目に留まった首の白さを、余計に厄介だと思う。
 彼女にあの簡素なペンダントは、きっとよく似合うだろう。しかし天使の羽が似つかわしいかと言うと、断じてそうではない。先程は遂に悪魔の尻尾が見えたような気がした。どうやら目の錯覚ではなさそうだ。
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