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僕たちの修学旅行リベンジ(4)

 海鮮丼は、評判通りにとても美味しかった。
 でも一つ誤算だったのは、評判の店にちょうど昼時に行ってしまったことだ。僕たちがその店を見つけた時、店の前にはちょっとした行列が出来ていて、その列に加わってから店に入れてもらえるまで、そして目当ての丼が出てくるまでにかなり時間を取られてしまった。
 やっとのことで食事を終え、店を出てきた頃にはもう午後二時を過ぎていた。
「美味しかったねえ、お刺身」
 佐藤さんがいたくご満悦のようだったから、僕も待ち時間を愚痴る気にはならなかったものの――彼女と来たら、食べ終えた今でも頬っぺたがぽたぽた落っこちそうな顔をしてる。よっぽど美味しかったんだろうな。そんな顔見せられたらこっちだって、機嫌悪そうになんかしてられないじゃないか。
「そうだね。でも、やっぱり食い倒れの旅って感じだ」
 独り言みたいに僕は呟き、改めて腕時計を確認する。
 午後二時を過ぎている。
「もうこんな時間なんだ……そろそろ戻った方がいいのかな」
 佐藤さんも僕の時計を覗き込み、そう尋ねてくる。
「帰りの電車のことを考えたら、その方がいいかもしれない。自転車だって返さなきゃいけないし」
「そっか……」
 僕が答えると肩を落として、それでも小さく笑んでみせた。
「でも、ゆっくり行くくらいの余裕はあるよね? さっきよりももっとのんびり戻らない?」
 低速運転のくせに安全運転では決してない佐藤さんが言うから、僕はどこから突っ込んでいいのか困った。とりあえず、疑問は呈した。
「さっきよりも? そんなに遅く漕げるかな」
「ううん、そうじゃなくて。押して行こうよ。あ、山口くんが疲れてなかったら、だけど」
 疲れてはいなかったし、僕ものんびり戻ること自体には異存ない。せっかくの自転車とサイクリングロードをわざわざ歩いていくのも妙な気がしたけど、佐藤さんがそうしたいならと合わせることにした。自転車を押しながらなら、話だって出来るし。

 話したいことはたくさんあった、ように思う。
 僕は佐藤さんに対しては昔からそうで、一人でいる時はあれを話そう、今度こそああ言おうとあれこれ考えるくせに、佐藤さんと会っている間はそういうあれこれがすっかり抜け落ちてしまう。彼女と一緒にいるだけで満足してしまうのか、それとも彼女と一緒にいるから、下手なことは言うまいとするブレーキが働くのか――何にせよ、また一人になった時に後悔するんだから始末に終えない。
 高校を卒業して、毎日会えなくなって寂しいとか。でもこうして会ってくれてるからすごく、すごく助かってるとか。今日の旅行は本当に楽しくて、いつもと違う佐藤さんが見られたのがうれしくて、でもまだ終わりって時間でもないんだから、もう少しくらいいい思い出が出来たらいいな、とか。
 そういう気持ちは今のうちに、今こそ伝えておくべきなのかもしれない。旅に出ている今なら、いつも言えそうにないことだって告げられそうだ。

 自転車を押して辿るサイクリングロードはまだ十分に明るくて、なのに全然人気がなかった。どぶ川一歩手前の川沿いじゃ、地元の人には好まれないのかもしれない。旅行中の僕たちにはこんなものでもきらきら光って見えるんだけど。
 沈黙の中、僕が最初の一言を考えあぐねていると、佐藤さんが先に口火を切ってしまった。
「旅行、楽しかったね」
 彼女は既に、帰りの会モードだった。
 楽しかったって、過去形にされてしまった。どうやらこの旅行をもう締めくくるつもりでいるらしい。まだ午後二時なのに、まだ駅にも着いてないのに、この気の利かなさは実に佐藤さんらしい。
「家に帰るまでが旅行だよ」
 そしてそんな彼女に、どう不満を伝えていいのかわからない僕にも困ったものだ。今の言葉は何だか拗ねたみたいに響いて、佐藤さんがびっくりした様子でこっちを見たから、僕の方が慌ててしまった。
「あ……いや、別に、楽しかったのは僕もそうだけど」
 とっさに取り繕うと、佐藤さんは安心したように笑った。
「そっか。うん、まだまだ旅行中だよね」
 その後すぐに、傍を流れるコンクリ造りの川に目をやって、
「まだ帰りたくないって思うよね」
 ぽつんと零す。
 当然佐藤さんの言うことなのでそこに色気なんてかけらもあったものじゃなくて、深読みする気にだってなれはしなかった。もっとも僕は僕で似たようなことを考えていたから、動揺するのもおかしいのかもしれない。下心を抜きにしても、佐藤さんとずっと一緒にいたいのは事実だ。少なくとも高校時代は毎日のように会っていたんだから。
 今はそうもいかない。佐藤さんは月曜日からまた仕事に行くんだろうし、僕は今こそ夏休みの真っ最中だけど、それが終わってしまえば佐藤さんのいない大学に通わなくてはいけなくなる。そしていつものように、いないってわかってる彼女を探す日々を送る訳だ。
 もう少し新しい思い出を、それもとびきりいい思い出でも作っておかないと、全くもってやってられない。――と僕は思うんだけど、佐藤さんはどうだろう。
「修学旅行のやり直しは、上手くいった方かな」
 勾配の緩い上り坂は自転車が重くなる。そこを越えた辺りでやっと、僕は切り出した。
 道が下りに切り替わる。まるで待ち構えていたように佐藤さんも頷く。
「うん。来てよかったって思う」
「僕も。……でも、考えたんだけど」
 同じく頷いた僕は、更に続けてみる。
「僕たちの場合、やり直しが必要なのって、修学旅行に限ったことでもないよな」
「山口くんも?」
 そこで佐藤さんは意外そうに、少しうれしそうに目を丸くした。
「私も同じこと思ってた。やり直しておきたいこと、たくさんあるよね」
 意外だというならむしろ僕の方こそ、だけどな。佐藤さんが同じこと思ってるとは……いや『やり直したいこと』そのものまでそっくり一緒だとは考えてないものの。彼女ならきっと、僕にとってはすごくどうでもいいような、色気もへったくれもない事柄を挙げるはずだ。
 そういう用件は先に済ませておくに限る。僕は彼女の言葉を促す。
「佐藤さんのやり直したいことって、何?」
「いっぱいあるよ。すごく、いっぱい」
 彼女は思いのほか真面目な声音で答えた。先を急ごうと逸る自転車を制する為か、ハンドルを掴む手はぎゅっと握られる。
「覚えてるかな、山口くん。卒業式の前に、公園で話したこと」
「もちろん。当たり前だろ」
「ありがとう。……あの時、言ったよね。私、山口くんがずっと前から好きだったけど、でも言えなかったんだって」
 佐藤さんの言う『ずっと前から』は僕と比較すればそんなに前でもないはずだった。それでも佐藤さんを待たせていたのは事実だ。僕はタイミングを計りつつ、佐藤さんが僕の方を向いてくれるのを待っているつもりだったけど、本当はその間、彼女をひたすら待たせていたに過ぎなかった。
「私、時々思うの。もっと前に言えてたら、何回も思ったみたいに言いたい時に口に出せてたら、高校時代のうちでも、もっといっぱい思い出が出来たんじゃないかって。山口くんに対して変な遠慮なんてしないで、素直に話せてたら……学園祭もクリスマスもバレンタインも、もっと違う風に過ごせてたのかもなって。毎日会えなくなってからは余計に、そう考えてたの」
 僕は返答に窮し、相槌一つ打てずにいた。
 彼女が変な気の遣い方をするのもいつものことだけど、そうさせたのは他ならぬ僕だ。たらればを考えればきりがない、でもつい考えてしまうのもやむを得まい。僕だって後悔もするし、やり直したいと思ってる記憶はいくらでもある。それらをくよくよ振り返るより、新しい思い出を手に入れる方が早いって、さっき実感したばかりだ。
 ただ、好きな子にそういう後悔をさせるのは、男としてどうかと思う。
「でもね。そういうのも、山口くんとなら何回だってやり直せる気がする」
 僕の内心も知らず、佐藤さんはふっと、柔らかい微笑を浮かべた。
「山口くんは優しいもん。私はすごくのんびり屋だけど、そんな私に付き合って、こうして修学旅行のやり直しもしてくれた。他のことだってやり直してみたら、高校時代よりもずっと楽しくなるんじゃないかなあ」
 その顔を横目で眺めてみる。彼女は別に美人じゃないし、地味だし、社会人になったからといって化粧をするのかと思ったら僕と会う時はそんなこともなかったし、とにかく見た目がいい訳じゃない。
 でも、優しい顔をしてる。
 そして、その顔の通りの性格をしていた。
「だから昔のことは後悔するんじゃなくて、一つ一つやり直せばいいって、今は思ってる。クリスマスもバレンタインも、次は別の過ごし方をすればいいんだから、『こうしとけばよかった』じゃなくて『次はこうしよう』って風に考えたいんだ。付き合ってくれるよね、山口くん」
「いいよ」
 僕の答えに佐藤さんは一層笑って、
「ありがとう、うれしいな。学園祭だけは、ちょっと難しいけど……他のことは全部、何回でもやり直そうね」
「学園祭も、大学にはあるよ。遊びに来るといい」
「本当? じゃあ絶対行くから」
 幸せそうな彼女の視線の先、サイクリングロードの終わりが見えてきた。
 僕はちっとも優しくなんかないけど、佐藤さんは優しい。行動でも言葉でも、後で悔やむことはしょっちゅうある。でも佐藤さんとならそういう失敗だってきっと、取り返しが利くだろう。やり直しの出来る人生はない、でも佐藤さんとなら、やり直しと銘打った新しい挑戦に取り組めるんだ。そう思う。
 だって僕は、佐藤さんを酷く傷つけたことがあったけど、今はこうして一緒にいる。隣にいることを許されてる。取り返しが利いたからだ。一度は言えなかったことを、上手く言えるようになれたからだ。佐藤さんが僕を待っていてくれたからだ。
「山口くんのやり直したいことは?」
 佐藤さんが尋ねてきたから、僕は自転車と足を止めた。
 二秒後、彼女も同じように立ち止まる。少し怪訝そうな顔。
 昼下がりのサイクリングロードには人気がなく、川の流れる音が響く。旅先の景色は無闇にきれいだ。水面も木漏れ日もオーナメントみたいに光ってる。何だかロマンチックだと、柄にもないことを思ってみる。
 これも旅の醍醐味ってやつ。素直になれそうなのも、同じく。
「ええと、佐藤さんが覚えてくれてるといいんだけど。卒業式の前に、公園でさ」
「うん」
「僕がキスしようとしたら、佐藤さんのおでこに当たっちゃったことがあっただろ?」
 あれを、是非やり直したい。
 最後まで言わなくても佐藤さんはわかってくれたようで、たちまちものすごく気まずげな、明らかにどぎまぎしてる表情になる。
「あっ、お、覚えてる……」
 こっちはちょっと安心した。忘れてましたなんて言われたらショックだし、覚えてても平然とされてたらそれはそれでへこむ。
「やり直してもいい?」
 僕は尋ねて、彼女からの答えは一分くらい後、ぎくしゃくと錆びついた頷きで貰った。
 それで僕は二台の自転車越しに、四ヶ月越しのキスをする。
 佐藤さんはこんな時でも可愛く振る舞ってくれるはずがなく、ぎゅっと硬く目をつむって、眉間に皺を刻んで、唇は柔らかさもわからないくらいにきつく結ばれていた。それはキスされる時の顔というより、あたかもお化けか何かに取って食われる直前の顔だった。お蔭でこっちは緊張せずに済んだものの、笑いを堪えるのに大変だった。

 ともあれ、やり直しの修学旅行では思い出をたくさん作った。
 帰りの電車で僕は、ずっと彼女の手を握っていた。本当の修学旅行中、バスの中でも僕たちは隣同士の席に座っていたのに、こうして触れ合うこともまるで出来なかった。やり直しが利くってのは幸せだ。
 佐藤さんは珍しく赤い顔をして、時々僕の方を見ては、困ったように微笑んでいた。正直、さっきのキスの時よりもよっぽど可愛く映ったけど、そこまで素直に指摘するのもどうかと思って、黙っていた。
 もっとも、それだって『やり直そう』って言ってやればいい訳だ。そのうちに、電車を降りてからだっていい。僕らの間ではそれが、しっかり通用するんだから。
 佐藤さんみたいな子はそうそういない、探したっているはずがない。地味でとろくて気が利かなくて、でも僕に対してはすごく、すごく優しい子。お人好しすぎると思うこともあるけど、僕みたいにたまにしか素直になれない奴にはちょうどいい。僕もあれこれ後悔するんじゃなくて、『次はこうしよう』って思えるようになろう。
 そうしたら会えない時間も、ちょっとはいい気分で待ってられるはずだ。
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