色気もない佐藤さん
目当ての手芸店は、古いアーケード街の一角にあった。僕と佐藤さんはそこに入り、貴婦人の衣装に使う生地を探し始める。
「お母さんのドレス、丈が足りないから。スカートだけ付け足そうと思ってるの」
佐藤さんは念を押すように繰り返した。
「ここに、いいのがあるといいんだけど……」
手芸店なんてこれまで縁のなかった店だ。ボタン付けくらいなら小学校の時に買った裁縫セットだけで十分だった。
初めて入った店は思ったより狭く、その狭い中に置けるだけ並べた棚と、その棚に置けるだけ陳列した色とりどりの毛糸、折り畳まれたカラフルな布なんかが目につく。ラインストーンやハトメなどの金具類や工具も一揃い取り扱っているようだ。雑然とした品揃えは初心者には探しにくく、無闇(|むやみ)に歩き回ったらくたびれそうだ。
「それで、どんなのを買うつもり?」
僕は彼女に尋ねた。
「ドレスに合わせて浮かないようなのがいいの。質感が似てて、あんまり派手過ぎないので」
「質感か……どんなドレス?」
「ええとね、黒くて膝丈くらいなの」
黒か。ドレスって言葉からイメージしてたのとは違うな。もっとはっきりした色なのかと思っていた。
戸惑う僕に、彼女はさらに続ける。
「材質はどっしりしてる感じかな。艶(|つや)がなくて地味めなんだ」
「へえ」
聞いているとドレスというより喪服っぽい印象がある。佐藤さんのお母さんがどんな人かは知らないけど、お母さんも地味めなファッションが好きなんだろうか。
「黒いドレスなら、全身黒にしちゃうと重くなるかもしれないな」
イメージを固めるのに苦労しつつも、僕はそう助言してみた。
佐藤さんも納得したように頷く。
「黒一色にしたら、魔法使いのおばあさんと間違われちゃうよね。一応……えっと、ああいう役柄だし」
最後の言葉を口にする時、佐藤さんはわかりやすく照れてみせた。貴婦人と自分で言うのは恥ずかしいらしい。
そういうところがかわいいなと思いつつ、僕はごまかすように話を進める。
「どんな色を合わせるかは決めてるの?」
「特には決めてないんだ。山口くんの意見も聞いてみたくて」
そう言いつつも、佐藤さんは何かを見つけたようだ。
不意に棚の一つへと歩み寄ると、折り畳まれた布を指差した。
「あ、こういうのはどうかな?」
彼女が見つけたのは明るいグレーの布だった。
グレーと言ってもピンからキリまであるだろうけど、佐藤さんが選んだのは彼女らしく地味なグレーだ。例えるなら、おじいさん世代の人がスーツを仕立てていそうな色合いの渋いグレー。
「地味じゃないかな」
率直に僕は告げ、途端に佐藤さんがうなだれた。
「そうかな……地味な色の方がよくない? ステージ上でも目立たないし」
「目立ちたくないんだ?」
「それは、やっぱり……」
苦笑いする佐藤さん。
まあそうだろうなと僕も思う。劇で目立ちたい奴はそういう役柄を率先して引き受けるだろう。佐藤さんも僕もくじ引きであの役を当てた身。つまり、目立ちたくない同士だ。
特に、僕は絶対目立ちたくない。ネズミと馬、しかも衣装は全身タイツだ。これから買いに行かなきゃならないと思うと憂鬱だった。
思い出すと嫌な気分になるから、話題を変える為にも僕は店内を見回し、佐藤さんのドレスに合いそうな生地を探す。
「そうだ、あのピンクなんてどうかな」
ロール状に巻かれて売られている、つるつるしたサテン地を見つけて僕は言った。
ピンクと言っても鮮やかな色合いではなくて、淡くて少し子供っぽい感じのピンク。シャーベットの色みたいな優しい色味は、佐藤さんによく似合うと思った。僕の中では彼女と言えばピンクだ。
「山口くんはピンクが好きなの?」
佐藤さんが、ぱちぱち瞬きをしながら言った。
「お誕生日にくれたリボンもピンクだったよね」
覚えていてくれたのか。忘れられていたらどうしようかと思っていた。
僕は照れたくなるのを押し隠す為に目をそらす。
「佐藤さんに似合う色だから選んだんだ」
「ありがとう、私も好きだからうれしいな」
好きだから、なんて言葉に一瞬どきっとした。
もちろん色の話だ。僕のことじゃない。完全に違うとは思いたくないけど。
「そ、そっか」
目をそらしたまま、どぎまぎする僕をよそに、佐藤さんは続けた。
「でも黒のドレスとピンクのスカートじゃちょっと合わないかな」
「まあ、そうだね」
僕も佐藤さんに似合う色を選んでみたまでで、黒いドレスに合う色を探したわけじゃない。というより、どんなドレスか見てもいない状態で、元のドレスに合う色、合う素材の生地を探すのは難しいような気もする。今更だけど。
彼女も気が利かないな。そのドレスを持ってきてくれればよかったのに。見てみたかったし。
「じゃあさ、スカートに足す生地は黒にして、差し色を足すっていうのはどうかな」
僕の提案に、彼女は怪訝そうにする。
「差し色?」
「そう。例えばだけど、ドレスの上に一枚羽織るとかさ。そうしたら魔法使いには見えないだろ?」
特にドレスなら一体感は大切だろうから、下手にスカートの色を変えない方がいいかもしれない。その分、羽織りで色を足せば魔法使いっぽさを打ち消すこともできそうだ。
「羽織るって、ショールとかかな」
顎に手を当て佐藤さんが考え込む。
少ししてから、僕に向かって笑ってみせた。
「いいかもしれないね。山口くん、さすが」
「役に立ててよかったよ」
「実はね、もう一つ困ってたことがあったの。お母さんのドレス、肩が出るデザインだから、ちょっと恥ずかしいなと思ってて」
はにかむように彼女は言い、カーディガンを着た肩を自分で叩く。
肩が出るデザインのドレス、その情報は初耳だった。
僕は思わず食いついた。
「それって、キャミソールみたいなやつ?」
「うん。ステージに立つだけでも恥ずかしいのに、肩とか背中とか出せないよって困ってたんだ。でもショールを羽織れば見せなくて済むし、スカート丈は足せばいいだけだし、一安心」
彼女は大きく胸を撫で下ろす。
その上、うれしそうに言い添えてきた。
「ありがとう。山口くんのアドバイス、とっても助かっちゃった」
思えば、夏場でも彼女が肩を出したところは見たことがなかった。一緒に出かける時はいつだって地味な服装ばかりだったからだ。彼女のことは好きだけど、かわいいと思っているけど、色気はないよなとずっと思い続けていた。
見てみたかったのに。そういうデザインのドレスなら先に言ってくれたら、余計なアドバイスはしなかったのに。
役に立ててうれしい気持ちと、惜しいことをしたなという気持ちとで、僕はしばらくぐらぐらしていた。