佐藤さんの遊園地リベンジ(1)
「山口くん、遊園地って好き?」「嫌いじゃないけど。そもそもあんまり行ったことないよ」
僕が答えると、佐藤さんは勢い込んでこう言った。
「じゃあ今度行かない? 二人で!」
聞き返すまでもなく、彼女は遊園地が好きみたいだ。
「一度、山口くんとも行ってみたいって思ってたの」
あまりにも目をきらきらさせながら言うもんだから、たまにはいいかと僕も付き合うことにした。
先に言っておくと、僕は遊園地が嫌いなわけじゃない。
ただ『遊園地』と一口に言ってもいろんなのがあるわけで、とりあえず日本で遊園地と言えば千葉にある可愛いキャラクターいっぱいの夢の国か、関西にある名作映画をモチーフにしたやつを想像すると思う。世界的に有名でアトラクションもものすごく凝ってて、その分料金は割高だけどそれなりの満足は保証されそうなアミューズメントパーク。そういうところなら僕だって興味があるし一度くらいは行ってみたい。
でもそのどちらも、僕らの住んでいる街からは遠い。日帰りで行ってたっぷり遊べるような距離じゃないし、泊まるとなると結構なお金がかかる。そもそも交通費だけで一月分のバイト代が飛ぶ。もしそういうところへ行くなら、何ヶ月も前からの計画と準備が必要だろう。
「そこまでしなくても、遊園地なら近くにあるよ」
と、佐藤さんはにこにこ顔で言った。
そう、あるのだ。僕らの街の近くにも遊園地が、一応は。
「佐藤さん、あんな近くのでいいの?」
「もちろんいいよ。私、また行ってみたいなって思ってたんだ」
駅前からバスで三時間半、山の中に分け入っていくみたいな道程の先にそれはある。スキー場とゴルフ場、それにタワーみたいな大きなホテルが建っている一大リゾート。僕らが行こうとしている遊園地もその広大な敷地内にあり、地元では遊園地と言えばまずそこというのが共通認識だ。
当然、僕も佐藤さんも行ったことがある。
「高二の時、宿泊研修で行っただろ」
「うん。あの時も楽しかったね」
佐藤さんにとって、東高校時代の宿泊研修はいい思い出だったらしい。
「皆でいろんなアトラクション乗ったりしたよね。座ったまま高く上がった後ひゅーんって落ちるのとか、ボートで落ちると水しぶきが気持ちいいのとか! 夜はホテルで内緒話したりして、楽しかったなあ」
語るうちにまた目がきらきらし始めて、堪能したんだなとこっちまで微笑ましくなる。
だけど僕の方はあの宿泊研修にあんまりいい思い出がない。学校行事だから何かにつけて班行動を強いられるんだけど、この班分けが最悪だった。野球部の笹木、外崎、新嶋が一緒だ。キャプテンの笹木はまだマシだったものの、残りの二人は何かと言うとうるさいし時間守らないし先生に怒られるようなことを率先してやるという問題児の権化だった。もちろん悪い奴らじゃない、それはわかってるけど長時間一緒にいるとだんだん鬱陶しくなって疲れる。そういえば修学旅行もあいつらと一緒だったんだよな。それでポーカーでボロ負けしてジュース奢らされる羽目になって、自販機の前で佐藤さんと――つくづく、あの野球部トリオには祟られてる。
六人班の残りのメンツは僕より猫被ってそうな優等生の恩田と、現役バスケ部員で天然入ってる緒方だった。外崎と新嶋が問題起こす度に恩田が機嫌悪くなるのが薄々わかって、そこへ緒方が気を遣うつもりで空気読めない発言をして、笹木が一人ではらはらして――そんな火種だらけのグループの中で、僕はずっと『どっか女子の班に交ぜてもらえないかな』などと現実逃避に走っていた。それが宿泊研修の思い出だ。
もちろん各種アトラクションも班行動厳守で乗らされた。感想は言うに及ばず。だから僕は女の子と乗りたかったのに。
「……山口くん、どうかしたの?」
気がつくと佐藤さんが、僕の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「い、いや、何でもないよ」
高校時代の思い出の数々を蘇らせた僕は、きっとさぞかし微妙な顔をしていたことだろう。
だけど今回は佐藤さんと二人きりだ。もしかしたらかつての思い出を塗り替えるような楽しい一日になるかもしれない。何より思いつきレベルの気安さで行ける距離なのがいい。
件のリゾートは、もともと近隣の山を三つも跨ぐ、だだっ広いスキー場がメインだった。
雪質よし設備よしで評判らしく、冬期間には併設のホテルもスキー客で連日満杯という盛況ぶりだそうだ。とは言えスキーは年中できるものじゃないし、オフシーズンの客入りを狙うにはゴルフ場だけじゃ弱い。
そこで設けられたのがこの遊園地だ。
「わあ……三年前と全然変わってない!」
入園券を購入した後、ゲートをくぐって園内に入るなり佐藤さんが歓声を上げた。
一周するだけで歩き疲れるような敷地面積の中に、ありとあらゆる絶叫マシーンがこれでもかこれでもかと置かれている。ジェットコースターだけで七種類あるという豪快さで、その他にもフリーフォールありフライングカーペットありゴムボートに乗って水路を急流下りするやつありと、アトラクションは枚挙に暇がないほどだ。
もちろん定番の大観覧車もある。青々とした夏山と初夏の晴れ空を背景に、見てるだけで眠たくなるほどゆっくりゆっくり回っている。
「いい天気だし、絶好の遊園地日和だね!」
佐藤さんは屈託なくはしゃいでいる。貰ったばかりの園内マップを広げて、早速どこへ行こうか何から乗ろうかと思案を始めていた。
彼女は今日のこの日をとても楽しみにしてたらしくて、ワンピースの下にレギンスをはいてくる準備ぶりだった。僕としてはそのコーディネートは残念だと言わざるを得ないのだけど、遊園地デートであれば仕方ない。
「ね、山口くんは何から乗りたい?」
「佐藤さんの好きなのでいいよ、順番に乗ってこう」
「いいの?」
「もちろん。だって佐藤さん、すごく来たがってただろ」
そうやって格好つけつつ、僕もちょっとわくわくし始めている。
何だかんだで高二以来の遊園地だし、天気はいいし、佐藤さんと一緒だ。入園料は学割が利いて少し安く上がったから、この分で佐藤さんと美味しいお昼ご飯でも食べようと思っている。
六月、梅雨入り前の週末。そして好天とあって園内はかなり混み合っていた。アトラクションはどれも行列ができ始めていて、あちらこちらから悲鳴にも似た歓声が響いてくる。
「じゃあ、まずはこれがいいな」
佐藤さんはしばらく考えた後、マップの左下を指差した。
そこは絶叫マシーン類の並びが途切れ、アミューズメント施設が立ち並んでいる一帯だ。ミラーハウスやミュージカルを上映するミニシアター、子供用のトランポリンドームなんかが並んでいる。佐藤さんのお目当てもその中にあった。
「お化け屋敷?」
僕が聞き返すと、彼女は笑顔で頷いた。
「うん。山口くんはお化け屋敷って平気?」
「文化祭でしか入ったことないけど、多分ね」
高校生クオリティのお化け屋敷じゃ怖いも何もなかったけど、それなりに楽しかった覚えはある。
「宿泊研修の時は入らなかったの?」
「入るって選択肢がそもそもなかったな」
暗くて狭い閉鎖空間にあのメンツで突入したら、どんなトラブルが起きるかわかったもんじゃない。まず確実にお化けの皆さんには迷惑をかけてしまう。入りたいって言ってた奴もいたけど、協議の結果見送らざるを得なかった。
でもまあ、佐藤さんとだったら楽しく入れそうかな。お化け屋敷は好きな子と入るのが一番いい。
「佐藤さんは入ったことある?」
「宿泊研修の時に、班の皆で入ったよ」
「へえ。ここのお化け屋敷、怖かった?」
「うーん……実はね、ほとんど見てないの」
そこで佐藤さんは恥ずかしそうに首を竦めてみせた。
「見てないって? 入ったんだろ、皆で」
「そうなんだけど、私も、それに皆もすごく怖がっちゃって」
「そんなに怖かったんだ」
「って言うか雰囲気負けかな……私なんて、入ってすぐ目つむっちゃったくらい」
お化け屋敷の雰囲気に負けてずっと目をつむってる佐藤さんは、なかなか可愛いと思う。
でもここのお化け屋敷はポピュラーなウォークスルー型、目を閉じたままじゃ抜け出すことはできないはずだ。ましてや他の女の子も怖がってる状況を、一体どうやって突破したんだろう。
「それでよく無事に出られたね、佐藤さん達」
僕がからかうと、佐藤さんははにかんだ。
「本当だよね。結局、皆でむかで競争みたいに、肩掴んで列になって進んだの」
「佐藤さんは目つむったままで?」
「うん。先頭の子が引っ張ってってくれたから、全員安心して目閉じてられたんだ」
それはなかなか愉快な光景だろうと思う。僕がお化け役だったら吹き出さずにはいられなかったはずだ。一人の勇敢な子を先頭に、むかで競争みたいに連なって歩く女子高生達。しかもほとんど目つむってるなんて、ちょっと見てみたかったな。
「ところで、勇敢だった先頭の子って誰だったの?」
笑いを堪えつつ、僕は最大の疑問点を佐藤さんにぶつけてみた。
すると佐藤さんははにかみ笑いを消して、急に眉を顰めた。
「えっと……私の前が倫子ちゃんで、その前がひかりちゃんだったのは覚えてるんだけど」
彼女は思い出そうとしていたけど、どうにも出てこないようだ。しきりに首を傾げている。
「そういえば、誰だったんだろう。確かめたことなかったなあ」
何だかベタな怪談みたいな話だ。
一瞬、佐藤さんがお化け屋敷を前に僕を怖がらせようとしてるのかとも思った。でも彼女は本気で思い出せないようだったし、僕が予想したオチを口にしたら逆に怖がらせてしまいそうなのでやめておく。
「今回は大丈夫? 僕が手を引いてあげようか」
代わりにそう持ちかけると、佐藤さんは笑顔で首を横に振る。
「大丈夫! 私ももうすぐ二十歳だし、お化けが怖いなんて言ってられないよ」
「じゃあ目開けてられそう?」
「もちろん。前回はほとんど見られなかったから、今回はちゃんと見ないとね」
頼もしげに言い切った後、彼女は飛びつくように僕の手を取った。
僕が目を瞬かせると、照れたように視線を逸らす。
「手は、繋いでてもいいよね? 怖いわけじゃないんだけど……」
この場合はどういう意味の照れなんだろう。
判断に迷いつつも、僕は彼女を安心させようとその手を握り返しておいた。
入園料さえ支払ってしまえばあとはフリーパス、というのがここの遊園地のいいところだ。
そしてお化け屋敷は絶叫マシーン類よりも客入りが少ないようで、僕らはさして並ぶこともなく中に通された。
「行こうか、佐藤さん」
「う、うん……」
ごくり、と喉の鳴る音が聞こえて、僕は横目で佐藤さんを見た。
お化け屋敷の暗がりの中に、佐藤さんの硬い表情が白く浮かび上がっている。まだ目は開いていて、こわごわと辺りの様子を窺っている。僕の手をもう既に強く握り締めていて、そのせいで僕は佐藤さんの手は柔らかいな、なんて場違いなことを思っている。
このお化け屋敷のテーマは『打ち捨てられた幽霊屋敷』というものらしい。かつては裕福な一家が暮らしていた洋館。だけどある日惨劇が起き、屋敷からは人の気配が消えてしまう。果たしてそこに何があるのか、一家はどこへ行ったのか――そんなイントロダクションが入口に記されていた。
裕福な一家の持ち物にしては狭いエントランスを抜け、僕らがまず辿り着いたのはキッチンだった。
「や、山口くん。あそこ、包丁があるよ」
「そりゃ、キッチンだからね」
「うん、でもあの包丁、何か赤くない?」
「きっと料理の最中だったんだよ」
アメリカのドラマでしかお目にかかれないようなアイランドキッチンの上、まな板に垂直に突き立てられた包丁が見える。その包丁もまな板も、そしてアイランドキッチンの足元も血糊で赤々と染められている。更にその周りにはちょっと意味ありげな料理の材料が散らばっていたりして、なるほどこれは女の子達が目をつむりたくもなるだろう。
佐藤さんが黙ってこちらへ身を寄せてくる。僕がちらりと目をやると、彼女はたちまち俯いた。
「まだ目つむってないから……」
別に、怖かったらつむっててもいいんだけどな。今回は僕が出口まで連れてってあげられる。
でもそれを言うと、せっかく頑張ってる佐藤さんに悪い。
だから僕はあえて笑って、暗いのをいいことに彼女の肩をそっと抱いた。
「大丈夫、僕がついてる」
お化け屋敷は好きな子と入るのが一番だ。
こういう役得もあるし、彼女に格好いいところを見せられる。