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ふたりの見る夢

 ぐらっ、と一瞬、揺れた気がした。
 とっさに目を覚ました僕は、そのまま身動きせず神経を研ぎ澄ませる。
 地震でも来たかと思ったけどそうではなく、揺れはさっきの一回きり、あとは静かなものだった。慣れない目で見た暗い室内にも、別段の変化はないようだ。
 気のせいか。
 もしかして寝ぼけたかなと思ったら、今度は隣でみゆが身じろぎをした。にじりよるように僕にくっついて、パジャマの胸元にしがみついてくる。
「みゆも起きた?」
 そう尋ねつつ抱き締めようとして、ふと彼女の身体が震えていることに気づいた。暖かい布団の中にいるのに、まるで寒がっているみたいだった。
「どうかしたの?」
 僕の二度目の問いかけに、みゆはか細い声で答える。
「怖い夢見たの……」
 今にも泣きだしそうに言われた。
 だったらさっきの揺れは、悪夢を見たみゆがびくりとした振動だったんだろうか。震えながら起きるほどなんて、本当に怖かったんだろうな。
「どんな夢?」
 次の質問に、彼女は答えなかった。
 黙って僕の背中に腕を回し、抱き枕にでもするみたいにすがりつく。
 答えたくない、思い出したくないほどの夢だったのかもしれない。無神経なこと聞いちゃったなと反省しつつ、僕は彼女の耳元にささやく。
「大丈夫、僕がついてる」
 そうして彼女を抱き締め返すと、みゆはようやく緊張が解けたように息をついた。
「うん……」

 ふたりで寝るようになってから少し経つけど、こんなふうに夜中起こされたのは初めてだった。
 もともと僕は寝ついてさえしまえば朝までぐっすりということが多かった。たまにほんのちょっと早く起きすぎて、隣で眠る彼女の寝顔を眺めたりすることはあったけど、だいたいは目が覚めたらアラームが鳴る直前だ。
 みゆも毎朝よく寝ているし、僕の知らないうちに、夜中にうなされてるなんてことはないと思ってたけど――。

「怖い夢、よく見るの?」
 そう聞いてみたら、腕の中の彼女がゆっくりとかぶりを振る。
「そんなに。でも今日は久しぶりに見ちゃったの」
 返ってきた答えに僕は少しだけほっとした。
 一方、みゆは少しずつ冷静になってきたようだ。もう身体は震えていないし、寒そうにもしていない。ただ僕にはしがみついたまま、今度はどこか悔しげに言う。
「変だよね。もういい大人なのに、怖い夢見て目が覚めちゃった」
「誰だって怖い夢くらい見るよ」
 僕は彼女を慰めた。
 実際、いくつになっても見る人は悪夢を見るものらしい。父さんや母さんは会社で重大なミスをした夢を見て飛び起きたがあると話していた。大人は大人でいろいろ大変みたいだ。
「でも篤史くんは怖い夢見ないでしょ?」
「僕も見たことあるよ、最近じゃないけど……去年の夏だったかな」
「本当っ?」
 今のみゆには慰めよりも、そういう体験談がよく効くらしい。自分だけじゃないって安心したいのかもしれない。
「篤史くんの怖い夢ってどんな夢?」
 さっきまでよりもしっかりした声で尋ねられ、僕は去年の記憶をたぐり寄せながら答える。
「なんか、僕がバトルロワイヤルみたいなのに参加する夢でさ」
「映画みたいだね」
「完璧に映画かマンガの影響だと思うよ。殺す気まんまんの奴から逃げてショッピングモールのトイレに駆け込んだんだ。僕は人を殺すのも、殺されるのも嫌だったから」
 ドアが横開きの多目的トイレだった。開けたらぱっと明かりがついて、タイル張りの床の小部屋にトイレや手すりやおむつ替えの台なんかがあった。夢なのに変なところがリアルだから笑える。
「でも遠くから足音が近づいてきてさ、ああこりゃやらなきゃやられるなって夢の中で思って、持ってた包丁みたいなのを構えてたんだ。そして緊張の中で目が覚めた」
「ふうん」
 みゆが意外そうな声を立てた。
「誰か来て、そこで目が覚めたとかじゃないんだね」
 そうなってたら、もっと派手に飛び起きてただろう。でも僕は緊張したまま目が覚めて、その後で我ながら痛い夢を見たもんだと恥ずかしくなってしまった。
「たぶん、どこかで気づいてたんだと思うな。これは夢だ、起きたほうが楽になるってさ。だからどれだけ待ってても敵なんて来ないし、何にも起きなかっただろうな」
 僕が言うと、みゆがおずおずと顔を上げるのがわかった。明かりの消えた部屋の中、みゆの瞳がかすかに光っているのが見える。泣いている――わけではないようだけど、涙ぐんではいたのかもしれない。
 そんなに彼女を怖がらせた夢、いったいどんなものだったんだろう。
 やっぱり気になる僕をよそに、みゆは気落ちしたような声を出す。
「いいなあ……私、怖すぎてびくっとなっちゃった」
「それでか、ベッドが揺れた気がしたんだ」
「さっきはごめんね、篤史くんまで起こしちゃって」
 彼女は申し訳なさそうにしているけど、別に気になるほどじゃない。むしろ一緒に起きられてよかったとさえ思う。みゆがひとりで怖がっているのに、何もできないほうが嫌だから。
「いつでも起こしてくれて構わないよ」
 僕は彼女の髪を撫でながら告げる。
「一緒にいるんだから、必要な時は頼ってくれるほうがいいな」
 あのシャンプーのいい匂いがして、抱き締めた身体は柔らかく温かくて、できることなら守ってあげたかったなと思う。

 いくら僕らが一緒に暮らしていても、寝る時でさえ一緒にいても、同じ夢を見ることだけはできない。みゆがどんなに怖い夢を見たって、夢の中まで助けに行くことはどうしたって無理だ。
 だからその分、目が覚めた時にこうして包んであげられたらいい。
 怖い夢をすぐに忘れることはできないかもしれないけど、それでも僕が隣にいる。

「ありがとう……」
 少しかすれた声でみゆが言った。
 それからしばらくの間、光が浮かぶふたつの瞳がじっと僕を見つめていた。僕が安心させるように笑いかけても、彼女はまばたきさえしなかった。
 何か言いたいことがあるんだろうか――そう思った時、僕の腕の中で彼女が少し身体を動かした。と同時に顔が近づき、僕の顎のあたりに柔らかい何かが一瞬触れた。
 あ、と思った時には彼女は僕の胸に顔をうずめ、
「お、おやすみっ」
 もう二度と面を上げるものかというように、かたくなにしがみついてきた。
 今の、唇じゃなかったんだけどな。僕が様子をうかがおうとしても彼女は離れようとせず、そして十分もしないうちにまた寝息を立て始めた。だからやり直しはできなかったけど、温かい彼女を抱き締めたまま、僕は僕でけっこう幸せな気分だった。
 みゆが、今度は怖がらずに眠れてよかった。

 翌朝、差し向かいの朝食の席で彼女はちょっと恥ずかしそうにしていた。
「昨夜はごめんね、変なことで起こしちゃって」
 目玉焼きを載せたトーストをかじりながらも、どこか神妙にしている姿がおかしい。
 僕は笑って応じておく。
「別にいいよ。むしろ次からは遠慮なく起こしてくれていいから」
 二人暮らしなんだから、怖い時や辛い時はいくらでも頼ってほしい。僕だってみゆに頼る時がきっとあるだろうから、こういう時はお互い様だ。
「でも篤史くん、寝不足になってない?」
「ちっとも。僕もあの後、けっこうすぐ寝ちゃってさ」
 僕は答えると、みゆはほっとしたように微笑む。
「ありがとう、篤史くんは本当に優しいね」
「このくらい当然だって」
 ところで、彼女をそこまで怖がらせた夢の内容がやっぱり気になってしまう。みゆが見るような『怖い夢』ってどんなものだろう。朝を迎え、明るくなった今なら聞いてみてもいいだろうか。
「あのさ、差し支えなかったら教えてほしいんだけど……どんな夢だった?」
 恐る恐る切り出した僕に、みゆは目をぱちぱちさせてからはにかむ。
「ええとね……お化け屋敷の夢なの」
「お化け屋敷?」
「前に二人で行ったでしょ? あの遊園地の、すごく怖かったからかな。夢に見ちゃった」
 ああ、宿泊研修でも行った遊園地の――って、僕らの思い出の夢じゃないか。
 確かにあのお化け屋敷は本格的だった。みゆなんて、本当におびえてたもんな。割とタフガールぞろいのC組女子がムカデ競争みたいに抜けてった話も納得がいく。
「夢に僕はいなかったの? あの時、一緒に出口まで逃げただろ?」
 そう聞いたら、みゆはたっぷり数秒かけて考え込んだ後、困った顔で答える。
「いなかったなあ。私一人だったから、すごく怖かったんだ」
 それは困る。僕がいたら、夢の中でも助けてあげられたのにな。

 でも同じ夢を見ることは、やっぱりどうしてもできないから。
 いつでも抱き締めてあげられるように、いつも彼女の隣にいよう。
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