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ふたりのお買い物

 遅い朝食の後、僕らは連れ立ってショッピングモールに出かけた。
 町の外れに立つモールには高校時代からよく足を運んでいて、テナントをはしごして服を見たり、町中より品揃えが充実した書店で立ち読みしたり、疲れたらフードコートで安価に休憩したりと学生にはすごく便利な場所だ。みゆと初めて映画を見に来たシネコンもここの最上階にあって、来るたび一緒にそのことを思い出したりする。
 もっとも今日の目的は服や本や映画ではなく、食料品の買い出しだ。
 僕らの住むアパートからここまではバス一本で来られるし、ちょっと時間に余裕ができたら他の買い物もできる。ついでにお昼ごはんも食べられるってことで、二十歳になった僕らもよくここに来る。

 少し肌寒い食品売り場を、みゆとふたりでカートを押しながら歩いた。
「篤志くん、今日の晩ごはん何がいい?」
「今日はバイトがあるから、さっと食べていきたいかな。僕が作るよ」
 夕飯を作るのはもっぱら僕の役目だ。平日は勤めに出ているみゆよりも僕の帰りが早いから、温め直してもおいしいものを作っておくことが多い。たまにみゆが早く上がれる日には外食する場合もあるし、休日には彼女に作ってもらうこともある。彼女の得意料理はまずカレー、それから焼きそば、焼きうどん、お好み焼き。今は時期じゃないけど、そうめんを茹でるのもけっこう得意らしい。夏になったら作ってもらおう。
 僕が作る日は彼女の得意料理ではないメニューから選ぶ。
 今日はまだ寒いからグラタンにでもしようかな、鍋にソースを作っておけばあとは焼くだけで、お互い好きな時間に食べられるし。
「じゃあまず玉ねぎと……」
「玉ねぎだね」
「ブロッコリーと……」
「ブロッコリーはこれがいいかな?」
「何かキノコ類でも入れようかな、安いやつ」
「ブナシメジ、特売やってるよ」
 僕が挙げた商品を、みゆが売り場に駆けてって吟味してからカゴに入れていく。その様子がなんとなく、『とってこい』って投げられたフリスビーでも取ってくるみたいだと思う。言えないけど。
「あ、オレンジジュースも買わないと」
「そうだった! 篤史くん、ちゃんと覚えててえらいね」
「まあね」
 ふたりで買い物に出られる機会は週に二度しかない。今日の夕飯分だけじゃなくて、一週間に必要な食料品その他も買い込んでおかなくちゃいけない。もちろん買い足しはできるけど、僕だって大学帰りにスーパー寄るのはちょっと億劫なこともある。
 だから、ないものは今日のうちに買っておこうと思っていた。僕らは青果売り場を離れ、さらに空気がひんやりしているドリンク売り場へ向かった。

 ドリンク売り場の中でも、紙パック飲料が並んだ冷蔵ケースの前で僕らはカートを止める。
 みゆ愛飲のオレンジジュースは濃縮還元じゃない果汁百パーセントのものだ。僕も何度か飲ませてもらったけど、寝起きの頭にがつんと響くほどすっぱい。
「たくさんあるのに、それじゃないとだめなんだ?」
 オレンジジュースのパックを持ち上げた彼女に、僕はそう尋ねてみた。
 ひとくちにオレンジジュースといっても品揃えは実に豊富だ。紙パック飲料のコーナーにだって三、四種類はあるし、ペットボトルのコーナーを覗けばそちらにだって何本もある。だいたいの飲料メーカーで一本は出してる商品なんじゃないだろうか。
 その中でもこいつの何が彼女のお眼鏡に適ったんだろう。僕の疑問に、みゆはちょっと得意げになる。
「いくつか飲み比べてみたけど、これが一番効きそうだなって思ったの。甘すぎないし、飲んだらぱっと目が覚めるから」
 確かに、このすっぱさは目覚ましの代わりにもなった。さすがに僕は毎日飲む気にはなれないけど。
「みゆの大事なエネルギー源なんだろうね」
 僕が言うと、彼女は楽しそうに笑った。
「うん。オレンジジュース飲まないと、燃料切れでエンストしちゃうんだ」
「それは困るな、切らさないようにしないと」
 みゆらしい突飛な発想に僕も笑うと、話に乗ってくれたと思ったんだろう。うれしそうに聞き返された。
「篤史くんは何で動いてるの? やっぱりコーヒー?」
「えっ、僕に振る? 唐突だな……」
 残念ながら僕は彼女ほど発想力豊かじゃない。それに彼女のオレンジジュース好きほどコーヒーが好きなわけでもない。飲めない朝があっても困るほどじゃないし。
 それでもせっかく聞かれたので考えてみる。
 僕のエネルギー源、これがあれば一日がんばれるぞっていうもの、切らしたら困るほどのもの――考えれば考えるほど、たった一つしか浮かばない。
「篤史くん、すごい真剣」
 僕の視線を受けて、みゆが感心したように目をみはる。
「コーヒー以外にあった? 篤史くんの好きなもの、他にあったら知りたいな」
「……いや、まあ、たくさんあるけど」
 さすがに『それは君だよ』なんて言葉がすかさず口をついて出てくるはずもない。というかそんなのためらいもなく言える人間なんているんだろうか。
 もちろん僕も言えなくて、結局逃げを打った。
「たくさんありすぎて、特にこれってものが浮かばないな」
「そうなんだ」
 その中でも一番、すごく大切で何より好きなものがあるだけだ。
 ――って、寒くならないようスマートに告げる方法があるなら知りたい。ものすごく知りたい。

 食料品売り場をひととおり回る頃には、僕らのカゴも精算前の商品でいっぱいになっていた。
「そろそろお会計しようか?」
「そうだね、買い忘れないかな」
「どうだったかな……」
 雑貨類で何か、なくなりかけてたものがあったような気がする。僕は少し考えて、そういえば洗濯の時に使う柔軟剤が切れかけてたことを思い出した。
 同時に、みゆがあっと声を上げる。
「私、シャンプーがなくなりかけてたの! 買っておかないと」
「柔軟剤もだったよ。売り場順番に回っていこう」
 僕らはカートを反転させると、まずはシャンプーの売り場へ向かった。そして彼女が使っているシャンプーの詰め替えをカゴに入れると、次に洗濯用洗剤の売り場へ足を向ける。
 カゴの一番上に載せられたシャンプーは、確かに彼女が使っているものだ。もっとも僕がそれを知ったのは二人暮らしを始めてからのことで、それまではみゆがどこのメーカーのシャンプーを使っているか、全然知らなかった。いくら彼女でもそんなことは聞きにくい、変態っぽいし。

 でもこっそり、知りたいと思っていた。
 みゆのなめらかで柔らかい髪はいつもいい匂いがしていて、彼女で会った時、隣に座った時、彼女を抱き締めた時――その度に、ああこの匂いだって思った。
 ふたりで会った後、家に帰ってからひとりで思い出すこともあって、おぼろげな記憶にもかかわらず不思議と胸が締めつけられた。

 僕がそんなことを考えているうちに洗剤の売り場に着いて、僕より先にみゆが柔軟剤の詰め替えを手に取る。僕の実家でずっと使っていたものだけど、彼女もこれを気に入ってくれたようで、そのまま洗濯の時に使っている。
「この香りのだよね?」
「そうだよ」
 うなづいて答えると、みゆは神妙な顔でぷよぷよした詰め替えを見つめた。
 表面に書かれた商品名をつぶさに観察するような、何か思うところがある様子の眼差しだった。
「どうかした?」
 僕の問いに、彼女はなぜか言いよどむ。
 だけど少ししてから、おずおずと答えた。
「ずっと思ってたの。篤史くんの服って、いい匂いするなって」
 目をそらして恥ずかしそうに、そして言いにくそうに続ける。
「会うたびに同じ匂いがしたから、お洗濯した匂いなんだろうなって思ってたけど、なんか聞けなくて」
 それはわかる。僕だって聞けなかった。
「最近になってこの匂いだってわかって、私の服も同じ匂いになって、好きだからちょっとうれしいなって……」
 そこまで言って、彼女はつむじが見えるほど深くうつむいた。ひとつ結びの髪の結び目が見えるほどだったけど、それでも赤くなった耳は隠せていない。
 見つめる僕の目の前で、彼女はつぶやくように言う。
「へ、変かな、こういうこと考えてるの……」
「全然」
 僕は自信をもって答える。
「変じゃないし普通だよ、よくあるって」
「そ、そう?」
 みゆがすかさず面を上げた。本当にうれしそうな顔で僕を見たから、僕も白状せざるを得なかった。
「実は僕も、みゆが使ってたシャンプーがずっと気になっててさ。いい匂いだったから、どこの使ってるのかって」
「え、本当?」
 変態っぽいかなと思っていた僕の懸念は、彼女のはにかみ笑いであっさりと払拭された。
「そういうのってあるんだね。私だけじゃなくてよかった!」
 うん、本当に。
 そして正直に言ってみてよかった。僕の話を聞いた彼女は、なんだかすごくうれしそうだ。

 きっと彼女にもあったんだろう。
 二人で会った後、家に帰ってからその匂いを、僕について思い出したことが。
 僕らは離れていてもお互いのことを考えていた。そして今は一緒に暮らしていて、離れずにいられることをすごく幸せだと思っている。
 僕のエネルギー源は、そんな幸せそのもの、なのかもしれないな。
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