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花嫁たちは美しく(4)

 クリスターとニーシャの結婚式は、賑やかなまま幕を下ろした。
 結局、ロックはほとんど手伝いに駆り出されて、ゆっくり座る暇もなかった。もっともその懸命な働きぶりはエベルともども正当に評価されたようで、ジャスティアは帰り際にパンや葡萄酒を包んで持たせてくれた。
「余った分だから遠慮なく持っておいき」
 ジャスティアは上機嫌で言うと、ロックの頭をねぎらうように撫でた。
 その手つきは優しかったが、子供扱いされているようできまりが悪い。
「ジャスティア、僕はもう二十歳なんだけど」
 抗議の声を上げたところで返ってくるのは笑い声だ。
「わかってるけどね。なんだか今日は、あんたみたいな息子がいたらいいなって思えてしょうがなかったんだよ」
 そう語るジャスティアも、ロックから見れば十分若い。実際には親子よりもきょうだいの方がしっくり来るほどだ。
「あんたときたら、ここに住み始めた頃から何も変わらず細っこいまんまだからね」
 言外に『頼りない』と言われ、ロックは一層むくれた。
 隣でエベルがロックの体躯にちらりと視線を向けたが、賢明にも無言を貫いた。
「今度また手伝っておくれよ。ちゃんと賄いも出すから」
「あのね、僕にも店があるんだよ!」
 冗談交じりの言葉に本気で答えたロックを、ジャスティアはやはり笑った。
 ただその彼女も、ロックが『息子』になりえないことは知らないままだ。
 この先、打ち明ける機会はあるのだろうか。
 むくれつつも、ロックはふと言いようのない寂しさを覚えていた。

 招待客も招待されなかった客も、ぽつぽつとパン屋から帰り始めている。
 そんな中、酔いつぶれてテーブルに突っ伏している客が一人いた。
「トリリアン嬢、起きなさいよ」
 フィービが必死に揺り起こそうとしているのは、かのトリリアン嬢だ。
 彼女はロックとエベルが勤労奉仕に努めている間も好き放題に飲み食いし、満腹になったところですやすやと眠りに落ちてしまったらしい。
「起きてよ、置いて帰るよ!」
 ロックが加勢してもぴくりともせず、寝顔は憎たらしいほどに安らかだ。
「ねえってば!」
 耳元で声を張り上げれば、トリリアン嬢はむにゃむにゃと微笑む。
「んん……あたしゃ金を数えるのに忙しいんだよ……」
「夢の中でもお金儲けしてる!」
 これはだめだとロックも匙を投げた。
「ったく、若くないのに散々飲むから!」
 フィービは忌々しげにうめく。
 年齢に触れられると機嫌を損ねるトリリアン嬢だが、今は起き上がりもしないところを見るに、本当に寝入っているようだ。
「このままじゃ片づけもできないよ」
「困ったもんだな」
 嘆くジャスティアに同調し、花婿のクリスターもうなづく。
「俺たちも客を全部帰さなきゃ帰れないし……ってことでフィービ、頼む」
「嫌よ。なんであたしが」
 フィービは顔をしかめたが、クリスターは調子よく続けた。
「ご祝儀ってことでさ、頼むよ。他に適任者もいないだろ、あんた以上に鍛えてそうな奴は」
 そうこうしている間にもパン屋からは人が消えていく。数人の男たちが今の会話を聞きつけて、そそくさと立ち去ったのもロックは見ていた。やむを得まい、と思う。
「だからって……」
 なおも渋るフィービに、そこでエベルが口を挟んだ。
「ならば、私が」
「――い、いやいやいや! 閣下にそんなことはさせられないから!」
 フィービは先程のロックと同じ反応を見せた後、不承不承トリリアン嬢を担ぎ上げる。
「あとで介抱代を請求してやるわ」
 そして愚痴をこぼしたが、それを回収するのは何年かかっても不可能に違いない。
「気をつけて帰ってね!」
「くれぐれも優しく運べよ、乱暴に扱ったら逆に金を要求されるぜ!」
 ニーシャとクリスターに見送られ、ロックとエベル、それに酩酊状態のトリリアン嬢を背負ったフィービは店を出た。

 かつて歴戦の傭兵だったフィービも、酔っ払いを抱えての道行きは決して楽ではなかったようだ。
 市場通り近くまでたどり着いた頃には、すっかり疲れ切って顔をしかめていた。
「酒臭いわ意外と重いわ……これだから酔っ払いって嫌なのよ!」
 トリリアン嬢は相変わらず安らかに寝息を立てている。それをどうにか古道具屋の前まで連れて行くと、フィービはロックとエベルに告げた。
「ここで待っててちょうだい。こいつを店に放り込んでくるから」
「『放り込む』?」
 エベルが聞き返したがフィービは答えず、ずかずかと古道具屋に上がり込んでいった。
 そして店の前の夜道には、ロックとエベルだけが残された。
「……あのご婦人には、飲みすぎないよう忠告をすべきだったかな」
 エベルがぼそりとつぶやくので、ロックはかぶりを振っておく。
「言っても聞かなかったと思いますよ、トリリアン嬢ですから」
 辺りにはまだほのかに酒の臭いが漂っていた。ロックはほとんど飲まなかったのだが、もしかすると服や身体に染みついてしまったのかもしれない。
 もっとも、結婚式とはそういうものだろう。
「働かされたりもしましたが、いい式でしたね」
「まったくだ。花婿も花嫁も幸せそうだった」
 ロックの言葉に、エベルが笑顔で同意を示す。
「花嫁もたいへん美しかった。さすがはあなたの仕立てたドレスだ」
「ニーシャに花を添えられてよかったです」
 褒められて照れつつも、ロックは誇らしい気分だった。あの花嫁衣裳の仕上がりにはとても満足していた。いい仕事ができたと思う。
 エベルも満足げにしてみせた後、目の前の古道具屋に目をやった。

 トリリアン嬢の古道具屋は二階建てで、その二階には以前ロックが暮らしていた部屋がある。
 ロックも共に見上げてみれば、星がまたたく夜空の下に明かりの灯らない窓が見えた。
 とりたてて褒めるところのない小さな部屋だが、それでも数年住めば思い出が生まれるものだ。毎日店を閉めた後に帰ってきたあの部屋、その外観を眺めていると、懐かしいような、甘酸っぱいような気持ちが込み上げてくる。
 そういえば人狼になったエベルを泊めてあげたこともあった。
 あの夜のことは、今は温かい記憶としてロックの胸の内にある。

 ロックが感傷に浸っていると、ふいにエベルが視線を戻した。
「この話は、まだ公になっていないのだが――」
 声を落として切り出され、ロックは目をしばたたかせる。
 見下ろしてくるエベルは、真剣な面持ちをしていた。
「近々、帝都を沸き立たせる大きな知らせがある」
「え? 知らせと言いますと……」
 いい知らせか、それとも悪いものか。何にせよ興味を覚えたロックは聞き返した。
 するとエベルは一層声を潜め、
「皇女殿下がご成婚されるそうだ」
 と言ってから、当たり前のように尋ねる。
「皇女殿下のことは知っているな?」
 しかし残念ながら、ロックは首を横に振るしかない。
 皇帝のことは知っている。『知っている』といっても、この帝都に居城があって、そこにいるということくらいしか知らない。帝都やその外周にある貧民街について、いくつかの政策を発令したという話もたびたび耳にする。だがロックにとって皇帝とは、実在するらしいがどんな者かは見たことも聞いたこともない、はなはだ人間味の薄い印象の存在だった。
 皇女ということは、その皇帝の娘御になるのだろう。確か今の皇帝には御子が数人いるという話だ。しかし彼らの名前すら、帝都市民ではないロックは一切存じないのだった。
「皇女リウィア殿下は帝国の第一皇女であらせられる。御年十八歳になられたばかりだ」
 エベルは敬意を示す口調で語ってくれた。
「その皇女殿下が北方の第一伯爵に嫁がれることとなった。直に公式の発表があり、帝都は祝賀一色に染まるだろう」
「さぞお祭り騒ぎになるでしょうね」
 それについてはロックにも想像がつく。今日の結婚式がそのまま、帝都ごと式場になるようなものに違いない。街路のいたるところが花やガーランドで飾り立てられ、あちこちでごちそうも振る舞われ、日がな一日はしゃぐ酔客の歌声で賑わうことだろう。
 帝都内とは違い、貧民街にはその祝賀のおこぼれはそうないかもしれない。だが財布のひもが緩む者はいるだろうし、理性のたがが外れる者も恐らくはいるだろう……。
「めでたい知らせが続きますね」
 ロックは率直な感想を口にした。
 クリスターたちの結婚式と皇女の成婚を並べて語るのは、どう考えても不敬なことだ。それでもエベルは咎めたりせず、真面目な表情で語を継いだ。
「この話をあなたにしたのには、理由がある」
「どういうことですか?」
「皇女殿下はご結婚にあたり、帝都一美しいドレスをご所望された。これまで見たこともないような、世にも美しい花嫁衣裳をだ」
 話の展開が読めなくなってきて、ロックは内心身構えた。
 確かに、エベルが公になっていない国家の重大事項を自分に知らせるのは妙なことだ。世間話として口にできるほど軽い話題でもないだろうに。
「殿下は無茶を仰る方ではなかったのだが……恐らくはお嫁入り前の最後のわがまま、といったところだろう。帝都中にお触れを出し、仕立て屋たちにその腕を競わせることを決められたそうだ」
 一周回って、今度は話が読めてきた。
 だが、まさかと思う。
 まさか自分が、皇女殿下なる存在のためにドレスを――。
「私が言わんとするところがわかったようだな」
 ロックの表情を見て、エベルが意味ありげに微笑む。
「あなたも参加するといい。私からすればあなたこそが、殿下の花嫁衣裳を仕立てるにふさわしい」
「そんな、無理ですよ!」
 思わず叫んだ声は夜空に響き、ロックは慌てて口を押さえた。
 その返答を、エベルは意外そうに受け止める。
「まさか、自信がないのか?」
「そんなことは……ないですけど」
 ないどころか、自信はある。今日の結婚式で確信した。
 ニーシャは比類なく美しい花嫁だったし、そこに花を添えたのはロックが仕立てたドレスに間違いない。自分なら『これまで見たこともないような、世にも美しいドレス』だって仕立てることもできるはずだ。
 しかし相手が皇女となれば、まず身分の隔たりがある。
「貧民街の仕立て屋が、相手になんてされるでしょうか」
 ロックは疑問を呈したが、エベルは気にも留めていないようだ。
「問題ない。私が推挙する」
「ですが……」
「身の上は黙っておけばいいことだ。あなたがしかるべき結果を収めたら、実は帝都外の出身でまだ市民権がないのだと打ち明ければいい。皇女殿下は喜んであなたに市民権と褒賞を与えてくださるだろう」
 そんなにうまくいくだろうか。
 いや、それ以前に。
 本当にそんな機会が自分にも与えられるのだろうか。
「あなたは、自らの力で市民権を得たいのだろう」
 迷うロックを後押ししようとしてか、エベルは顔を覗き込んでくる。
 彼の瞳は今夜も金色に光っていた。星の光のようなその輝きを、ロックはうろたえつつ見つめ返す。
「それなら掴むといい。あなたの手は技術と経験を蓄えた、栄誉を掴むための手だ。全ての花嫁を美しく装わせる手だ。私の力など借りなくても、望む場所まで上り詰めることができる」
 確信めいた口調で言った後、彼はからかうように付け足した。
「私に甘えるより、対等でいたいと思っているんだろう?」
 そこまで言われれば、さしものロックも気づく。
 どうやら結婚式でのクリスターたちとのやり取りを聞かれていたようだ。
「相変わらず耳がいいんですね」
 恥ずかしさにロックが拗ねると、エベルはむしろうれしそうに笑った。
「今夜はそれで得をした。あなたのかわいい言葉が聞けた」
 そして、まだ決心のつかないロックを励ますように、一度ぎゅっと抱き締めた。
「わっ……」
 ロックは声を上げかけたが、心臓が跳ねたのと同時に彼は身体を離してしまう。心地よい体温があっという間に遠ざかり、今度は名残惜しさに胸がきしんだ。
「では、私はこれで。また近々訪ねていく」
「は、はい。また、お会いしましょう」
 気持ちの整理がつかないロックは、おずおずとうなづいた。
 エベルも名残惜しそうに目を細め、何度か振り返りながら去っていった。

 彼の姿を見えなくなるまで見送った後も、ロックはどこか夢見心地でいた。
 持ちかけられた話は途方もなく壮大だった。もちろん実現すれば、ロックの手が栄誉を掴めたら、今の望みは全て叶うことだろう。彼の隣に胸を張って立つことも、離れずにいることもできるに違いない。
 ただ、実現させたいと決意するには気持ちが追いつかない。
 皇女殿下なる存在が、どんな人物かもわからないからだ。
 彼女は、ロックが仕立てた服に袖を通してくれるような人だろうか――。

「ったく、あの婆さんったら!」
 やがてフィービが、トリリアン嬢の店から転がり出てきた。
 栗色の髪はすっかり乱れ、袖をまくった腕には生々しいひっかき傷ができている。
「見てよこの傷! あいつ寝ぼけて引っかいてきやがったのよ!」
 憤懣やる方ない様子のフィービは、しかしすぐにエベルの姿がないことに気づいた。
「閣下は?」
「先に帰られたよ」
 ロックはどこか上の空で答える。
「ふうん……」
 そんな娘を、フィービはしばらくけげんな顔で観察していた。だがらちが明かないと思ったのだろう。やがて尋ねてきた。
「どうかしたの? なんだかぼんやりしてるじゃない」
 それに対し、ロックはやはりぼんやりと応じた。
「あのさ」
「何よ」
「皇女殿下って、どんな方か知ってる?」
 あまりにも唐突なその質問に、フィービは明々後日の天気を聞かれたような顔で答える。
「わかるわけないじゃない」

 貧民街の住人にとって、皇女とは空模様ほどに遠く、知りえない存在だった。
 だが転がり込んできたのはまたとない好機だ。
 知らせてくれたエベルの思いも含め、手放してはならない。ロックはそう思い始めていた。
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