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聖なる夜の白髭

 食べたかったおでんを、お腹いっぱい食べました。
 あとはこたつと柊くんさえいれば、他に何も要らないのです。
「私、とっても幸せです」
 彼の胸に頭を預けて、夢見心地で呟けば、頭上ではどこかぎこちない返事があります。
「そ、そうっすか。それはよかった……」
 気のせいでしょうか、まるで他人事みたいな口振りです。
 私を両腕で抱き締めて、こたつに二人で並んで入って、いかにも恋人らしい甘いひとときです。
 ここはせめて、俺もです、とか、あなたの幸せは俺の幸せです、みたいなお砂糖でできた台詞を聞きたかったものです。柊くんがそんなことを簡単に言える人でもないのはわかっていますけど、夢を見るなら自由のはずです。

 クリスマスの夕べに、彼の部屋で二人きり。
 お互いに体温を分け合いながら、隙間風も入り込まないほどぴったりと寄り添っていますが、私たちの心にはまだ若干の隙間、というより思惑の違いがあります。
 私はようやく素直になって、思いの丈を全て打ち明けられたのですから、もっと甘い時間を過ごしたいと思っています。
 でも柊くんはそうではないようで、もしかしたらまた私の空回りであったり、独り相撲なのではないかと不安になってしまいます。もっと近づきたい、傍にいたいと思っているのは私だけなのでしょうか。そんなはずはないと思いたいのですが。
 
 私はあえて気持ちを切り替え、こちらから尋ねてみることにしました。
「柊くんは今、幸せですか?」
 私の問いに、彼は慌てたように答えます。
「も、もちろんっすよ」
 なるほど、幸せだと思ってくれてはいるようです。
 ですがその割に先程からそわそわと落ち着きがありません。私が顔を上げたら、思いっ切り目を逸らされました。あらぬ方を見ている彼は、額に汗を掻き始めています。
「その割に、こちらを見てくれないですね」
 ずばりと指摘をすれば、彼はぎくしゃく首を動かして、ようやく私を見下ろします。
 真っ赤な顔に引き攣った微笑が浮かんでいます。何だか私の方まで居た堪れなくなってしまうほどの緊張ぶりです。そういうところも確かに可愛いのですが、こちらまでどぎまぎがうつってしまいそうです。
「もしかして緊張していますか?」
「そりゃあ、そうっすよ」
「私もどきどきします。でも、幸せです」
「お、俺もです……」
 同意の言葉がどこか上滑りしています。
 そして今日はクリスマスです。二人で過ごす初めてのクリスマスです。
 どうせならほんの少しでも特別な日にしたいと思うのですが、どうしたら彼の緊張を解きほぐせるでしょうか。

 黙って寄り添い合う時間が、しばらく続きました。
 もたれっぱなしの私は、次第に柊くんのことが心配になってきます。
「体勢、辛くないですか」
 私は寄りかかっているので楽なくらいですが、私を抱えてくれている彼は結構大変かもしれません。
 そう思って尋ねたら、彼はぶんぶんかぶりを振ります。
「いえもう、全然大丈夫っすよ! 心配しないでください!」
 ものすごく元気に答えて貰いました。あまりの威勢のよさにびっくりしてしまったくらいです。
 それならそれでいいのですが――私もまだ、離れたくない気分ですから。
「今日はクリスマスですよね」
 私は、私を抱き締める彼の両腕に、そっと手を添えました。
 途端に彼の腕がびくりと緊張します。
 緊張し過ぎです。取って食われるとでも思っているんでしょうか。私、山姥じゃないですよ。
「実は、君にクリスマスプレゼントを用意しようかな、と思っていたんです」
「えっ、俺にですか」
「はい」
 改めて彼が私を見たので、大きく頷いておきました。
 でもすぐに、こう言い添えなければいけませんでした。
「でもですね、何にしようか迷った挙句、何も用意できなかったんです」
 すると彼もすぐに、笑顔になって答えます。
「そんな、ふゆさんのお気持ちだけで十分です!」
「いえ、そんなわけにはいきません」
 今度は私がかぶりを振ります。
「恋人の為にクリスマスプレゼントを用意するのは義務であり権利なのです」
 つまり今日は、私が柊くんのサンタクロースになろうと思っていたわけです。
「恋人はサンタクロース、と昔の人も言っています」
「それはまた何と言うか微妙な昔っぷりっすね」
「とにかくです。具体的なプレゼントが用意できないので、柊くん本人に聞いてみたかったのです」
「俺にですか?」
 そうです。私はもう一度頷きます。
 そして、彼の緊張で引き攣った顔を見上げながら、少し笑って切り出しました。
「今、何か欲しいものはありませんか」
「欲しいもの、ですか。うーん……」
「何でもいいですよ。今日は君のお願い事を、私が叶えてあげます」

 私がサンタクロースです。
 白髭も赤い衣装もプレゼントも持ってきていませんけど、それでも贈ることのできるものがあります。
 彼がそれを望んでくれさえすれば。

「ふゆさんが俺のお願い事を?」
 彼は私に向かって聞き返しました。
「そうです。いつもは逆で、私がお願い事を聞いて貰っているばかりです。なのでたまには、君のお願い事も聞いてあげたいと思ったのです」
「でも申し訳ないっすよ」
 眉尻を下げる彼に、急いで私は言葉を重ねます。
「遠慮なんてしないでください。恋人同士なんですから」
「じゃあ考えてみます」
 すると彼は、私を抱きかかえたまま熟考に入ったようでした。
 視線が天井をうろうろさ迷い、眉間には珍しく皺が寄っています。難しい顔をした彼をこんな至近距離で眺められるのは貴重です。こうして見ると実に男らしい顔つきをしているので、どぎまぎしてしまいます。

 そもそも、私は彼のことが好きなのです。
 お付き合いをする前からそうでしたが、恋人として同じ時間を過ごすようになり、今や言葉では形容しがたいくらいに好きになってしまいました。
 柊くんのお願い事なら何でも聞いてあげたいのです。
 私にできることなら何でも叶えてあげたい。その気持ち、彼にも伝わるでしょうか。

 長い間、彼は天井を見上げて思案に暮れていたようでした。
 だけどふと口を開けて、あ、と小さく声を上げてから、視線を下ろします。
 目が合いました。
 柊くんはいつになく真剣な顔をしています。
「ふゆさん」
「……何でしょう」
 問い返したのとほぼ同時に、彼の手が私を抱き締めたまま、ぎゅっと私の手を握りました。
 覚悟はしていたものの、いざとなるとやっぱりどぎまぎします。急に体温が上がったようで、私はこたつから出たくなりました。
 でも、彼の傍は離れません。決して。
 強い眼差しで私を見つめてくる柊くんは、男らしい顔つきをしています。額がきれいだったり、鼻筋が通っていたり、唇の形がとても好みだったりするので、私は存外にまごついてしまいます。
 私だってこういう状況は、望んではいましたが不慣れです。動揺して当然です。今はもう顔に出てしまっているかもしれません。
「お願いがあります」
 彼ははっきりした口調で言いました。
 私ははい、と答えたつもりでしたが、声がかすれてしまいました。

 暑さでぼうっとする頭が、彼の動作を追い駆けます。
 形のいい唇がゆっくり動くのを、真剣な眼差しが私を射抜くのを見つめています。

 そして柊くんは私の手を強く握り締め、語を継ぎました。
「これからもずっと、俺の傍にいてください!」
「はい。――……えっ?」
 思わず頷いてしまいましたが、ええと、これは。
「その……今のが、お願い事?」
 まだかすれる声で尋ねると、彼は真顔で、張り切って答えてくれました。
「そうっす!」
「いえ、でも、あの……それだけ?」
「それだけって何ですか、俺にとってはこれ以上望みようもない願いです!」
「ふ、ふうん……。でも、思ってたよりも抽象的かなって……」
「むちゃくちゃ具体的じゃないすか!」
 そうでしょうか。
 そうかなあ。
 私はいまいち、そうは思えません。
 大体、これからもずっと傍になんて当たり前のことのような気がするんですけど、彼にとっては違ったのでしょうか。
「ふゆさんさえ傍にいてくれれば、もう他には何にも要りません!」
 力説する彼に、私は呆気に取られる思いで言いました。
「無欲なんですね、君って」
「そんな、ふゆさんと一緒にいられるだけで身に余る幸せですから! 俺は日本一の幸せ者、贅沢者です!」
 すかさず彼が力説を続けます。

 なるほど。これは光栄だって思っていいんでしょうか。
 そうでしょう、きっと。そうとしか思えません。
 だって私、そういう柊くんが好きなんです。
 今の言葉を聞いて尚のこと思います。小さな幸せを拾い集めて、全て大切にしてくれるような彼のことが大好きなんです。
 私だってそんな彼の傍にいられて、とってもとっても幸せなんです!

 そして、今日の私はサンタクロースです。
「お願い事、叶えてあげます」
 溜息をついてから、私は彼に言いました。
 それから柊くんの手を握り返してあげると、彼も私を強く抱き締めてくれました。
 隙間風も入り込めないほどぴったりと寄り添って、並んでこたつに入っていると、少しばかり暑かったりもします。
 でも、彼が暑いと言い出すまではずっと傍にいようと思います。

 私は文句なんて言いません。
 私の方こそ、きっと世界一の幸せ者、贅沢者ですから。
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