秋の祭典の裏側
私の目の前には四枚の写真があります。ふかふかに蒸し上がったあんまん、ピンク色のふわふわわたあめ、たくさんのお菓子に囲まれたプリン、つややかで瑞々しいみかん――それぞれに食べ物を捉えたこの写真は、私が自分のカメラで撮影したものです。
そして写真部員として、文化祭の展示に提出した連作でもあります。
今は写真部の壁に飾ってあり、文化祭の間、たくさんの人に見てもらうことができました。
もちろん、見る人にはただの食べ物の写真にしか見えないことでしょう。
あんまんから立ちのぼる湯気やプリンにピントを合わせた構図を誉めてくれる人はいるかもしれません。でもほとんどの人はこの連作写真を見ても、『早坂ふゆという生徒は食いしん坊だなあ』としか思わないはずです。もちろんそれも事実の一部ではありますから、否定はしません。
ただこれらの写真は、私にとっては大切な思い出を切り取ったものなのです。
連作のタイトルは『四季の思い出』です。
目を閉じれば浮かぶのは、それぞれの季節に得たかけがえのない記憶たちです。
春、私は清田くんの寝顔を見ました。すぐ近くで――。
その帰り道にあんまんを食べたいとねだった理由を、まだ彼には打ち明けていません。
夏、清田くんは私に縁日で買ったわたあめを届けてくれました。
私はそれが本当に嬉しくて、かじってみる前にカメラに収めてしまいました。
秋、ほんの少し前。私は清田くんとの距離を測りかねています。
それでも彼は私に優しく、お菓子を食べたいと言えば買い出しに付き合ってくれるのです。
そして冬。私の名前と同じ季節。
清田くんのお部屋でこたつに入り、一緒にみかんを食べたこと、忘れてはいません。
どれもが私の胸に残る、素敵な思い出の数々です。
だから私はこの写真を形にして、写真部に展示することにしました。
たった一人、伝えたい人には本当の意味がわかるように。
でも、もしわからなかったら?
清田くんは私ほどではないにせよぼんやりした人です。少なくとも勘が冴えているタイプでは決してありません。そんな彼にこの婉曲的なメッセージが伝わるかどうか、という不安はあります。
そうでなくても彼は、私に先輩であることを求めています。
先輩はいつまでも先輩です――彼がつい先日、私にかけた言葉です。
私はそれを引っ繰り返す為にこの写真を用意しました。
でも、もし伝わらなかったら?
時間はまだあります。
私は文化祭が終わったら写真部を引退し、受験勉強に備えるつもりです。でも次期部長を清田くんにお願いする予定ですから――これは私の独断ではなく、部内の意見を聞いた上で決めたことですが、清田くんなら引き受けてくれると思っています。
そして彼が部長になったら、私は先代部長として彼に教えることもたくさんありますし、相談に乗ってあげることもできるでしょう。
卒業したって繋がってはいられるはずです。
焦る心配はないのです。
でも、いつまでも伝わらないままだったら?
本当は、わかっています。
きっと言葉にする方が間違いなく、正確に伝えられるはずです。
清田くんにもはっきり告げた方が、ちゃんとわかってもらえるはずです。
だけど私にはその勇気が出ません。勇気なんてものの持ち合わせがあったなら、もっと前に告げられていました。私にほんのひとかけらでも気概があれば。
私の手元にはもう一枚、写真があります。
目の前に掲示された『四季の思い出』とは別の、だけどとても大切な思い出の写真です。
春、校庭に咲き乱れた桜の木の下で撮った、清田くんの写真です。
撮ったというよりは不意を打ったという方が正しいでしょう。私は彼から了承を得たりはせず、黙ってカメラを構えてシャッターを切りました。
清田くんはそのことについて当然ながら抗議をしてきました。間抜けな顔に写っているはずだから取り直して欲しいと――でも私は承諾せず、また撮れた写真を彼には見せませんでした。
写真の中の彼は、びっくりした様子で目を瞠っています。
口を微かに開け、何か言いたそうにしています。
春風が巻き上げる花びらの中、彼の前髪もまた風に揺れています。
そして男の人らしい手が、大切そうにカメラを構えています。
私はこの写真がとても好きです。写真、だけではないのですが――だからこそ、大切な写真になりました。
本当は、この写真を見せたらいいのかもしれません。
撮った本人どころか誰にも見せたことのない、この先も見せることなどないであろう写真を、わざわざプリントした理由を、彼に告げたらいいのかもしれません。
それは思い出を見せるよりももっとわかりやすく、直截的です。
でも、そんな勇気は――。
今だって胸がどきどきして、頭がくらくらで、足が震えているくらいなのです。
清田くんが隣にいて、二人きりの部室で写真を眺めているこの瞬間も、緊張しすぎて訳がわからなくなりそうです。
文化祭も今日で終わり、この後に待つのは後夜祭、キャンプファイヤーです。
私はこの後夜祭に、清田くんを誘ってみようと思っています。
その為にわざわざ彼を探して、校内を一人でうろうろしていたんです。彼のクラスの教室も覗いてしまいましたし、片づけを始めた屋台も一通り見て回り、そこで写真部の後輩と出会って『清田なら部室です』と教えてもらったのです。私が誰を探しているかばれていたようなのがとても恥ずかしかったですが、お蔭で清田くんを見つけることができました。
あとは後夜祭に誘うだけです。
今はそれだけで精一杯で、なけなしの勇気も使い尽くしてしまいそうな気分です。本当はもっと言いたいことがあるのに、今日も言えない気がします。時間はまだあります、でも無限ではありません。
こんな調子で私は、いつか清田くんに告白ができるのでしょうか。
迷いとためらいと臆する気持ちを呑み込みます。
そして制服の胸元に手を当てて、一呼吸――胸ポケットにしまってある、見せられない大切な写真に祈ります。
どうか、いつも通り振る舞えますように。
彼を後夜祭に誘うことができますように。
「清田くんは、この後のご予定は?」
その言葉を、どれだけの勇気を振り絞って告げたか、清田くんは知らないでしょう。
「この後って、後夜祭……っすよね」
「そうです」
「予定なんて全然、何にもないです」
「本当ですか? では、あの……」
この瞬間だってどれほど緊張していたか、逃げ出したい気持ちと戦っていたかも知らないはずです。
わかるはずがないのです。言わなければ伝わりません。
でも、言えそうにはないから。
精一杯、こう続けるのがやっとでした。
「も、もしよかったら、私と……キャンプファイヤーしませんか」
この時、もっと違う言葉を口にできていたら、何かが変わっていたのかもしれません。