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冬の楽園の裏側

 冬のある日、私は清田くんのお部屋の潜入に成功しました。
 作戦は実にたやすいものでした。
 というのも彼はお部屋にこたつを出したそうで、
「こたつ? いいなあいいなあ、私も入りたいなあ」
 などとしきりにねだったら、呆気ないほどあっさりとお部屋に招いてくれたのです。
 私の思惑も知らず――。

 もっとも、この先は何にも考えていないのですが。

 だって考えてみれば、男の子のお部屋に入れてもらうなんて初めてのことです。
 独り暮らしという清田くんのお住まいを訪ねたら、もっと彼についてわかるかもしれない、もっと彼に近づけるかもしれないと思っていました。
 でもいざ入ってみると、彼のお部屋は清田くんのイメージ通りの雰囲気でした。こじんまりとした1DK、余分なものがなく片づいている室内、それゆえに居心地のいい空気、そして部屋の中央に置かれたこたつ。
 大変素敵なお部屋です。
 まさに清田くんそのものというこの場所で、私は満足な感想も言えずに突っ立っていました。
「先輩、どうぞどうぞ」
 すると彼が座布団を勧めてくれ、更にお茶を淹れようと台所へ向かいます。
 私も勧められるがままこたつに入りまして、ひとまず機を窺うことにしました。
 何の機かはともかくです。

 そうしてお茶が入り、清田くんも戻ってきて、二人でこたつを囲みます。
 季節は冬、外は雪がちらつく寒い日でした。清田くんのお部屋の窓も真っ白に曇っていますが、こたつの中はぽかぽかと楽園のような温かさです。最高です。
「はあ、暖かーい」
 私は先程までの緊張も忘れ、天板の上に突っ伏しました。
「本当、こたつって最高だよね」
 そうです。口実にしたとはいえ、そもそも私はこたつが大好きなのです。
 何なら一年中こたつがあってもいいと思うほどなのですが、家では本当に雪が積もる時期まで出すことを許されません。私が入りっぱなしのこたつむりになってしまうからだそうです。
 しかしだらだらしていたら、清田くんの驚いた目と視線が合いました。
「すっかりくつろいじゃってごめん」
 つい気を抜いていた私は、恥ずかしくなって詫びました。
「いえ、いいんですけど」
 清田くんが困ったように首を竦めるので、言い訳を重ねておきます。
「もうね。こたつ、大好きなんだ」

 ですが、こたつだけを堪能していても話が進みません。
 ここへは何しに来たのか、そのことを思い出さなくては。

 ひとまず彼が淹れてくれたお茶をいただくことにしましょう。
「清田くん、番茶冷めたかな?」
 私の問いに、清田くんはわざわざ湯呑みの中を覗きます。
 湯呑みからはうっすらと湯気が立ち上っていました。
「冷めたみたいですよ。淹れ直して来ます?」
「あ、いいのいいの。私猫舌だから」
 冷めている方が都合がいいのです。
 私は起き上がり、湯呑みを両手で持ちました。そしてお茶を啜りましたが、これが思いのほか舌に熱かったのです。
「あち」
 つい声を上げてしまって、清田くんが心配そうにします。
「そんなに重度の猫舌だったんすか」
「です。もう全然だめなの」
「はあ……すみません。水、入れて来ましょうか」
 そう言うなり、清田くんがこたつから出ていこうとしました。
 ですがそこまでしてもらう必要はありません。
 そもそも私はもてなされに来たのではなく、清田くんともっと親しくなりたくてここへ来たのです。こたつを堪能したりお茶を美味しく味わったりするのもいいことですが、もっと大事なことがあるはずです。何より、彼には私の傍にいて欲しかった。
「だめ」
 そこで私は彼を制しました。
 しかし言葉と同時に、足が出ていました。

 私の足は清田くんの意外としっかりした足首を挟みます。
 すると当然ですが清田くんは立ち上がれず、勢いをつけてしまったせいでバランスを崩してしまいます。
 ずしんと響く音がして、彼はしりもちをついたようでした。当たり前です。

 私のよくないところは、言葉があまりにも不器用なことです。
 言いたいことを上手く言えなくて、つい余計なことを言ったり、手や足が出てしまいます。
「な、何ですか!」
 清田くんもさすがにうろたえたようでした。そう尋ねてきたので、私は精一杯の気持ちを口にします。
「だめ、行かないで」
 お気遣いは無用です。
 私は清田くんと仲良くなる為にここへ来たのです。
 だから私の傍を離れないで欲しいのです。そう伝えたかったのですが――。

 清田くんがはっとしたように見つめ返してきます。
 そうです。今、私は彼に見つめられているのです。
 これは大事です。私もちょうど彼に目で訴えていましたから、私たちは小さなこたつを挟んで見つめ合っていることになります。
 この至近距離で。
 うら若き男女がです。

 そのことに気づくと私の頭はぷすんとショートしてしまいました。
 まずいです。とてもまずいです。あっという間に訳がわからなくなってしまって、心拍数が跳ね上がって、眩暈さえ感じ始めます。
 でもそれを清田くんに知られるのは非常に恥ずかしいですから、私はとっさに誤魔化しました。
「――寒いから」
 言い訳にも程があります。
「布団捲ると、寒くなるから行かないで」
 でも嘘や出まかせは、驚くほどすんなりと口にできました。
「……はあ」
 清田くんが呆気に取られたような声を上げます。
「君が出ていったら寒くなるでしょう。暖かいのが逃げちゃうから、傍にいて」
 だめ押しのように私はそう告げました。
 最後の一言だけに本音を込めて。

 傍に、いて欲しかったんです。
 上手くは言えませんでしたけど――。

「わかりました」
 清田くんは私の嘘を信じてくれたようです。
 少し苦笑しながらも座り直し、私に優しく尋ねてきました。
「でも、温くしなくていいんすか、お茶」
「いいの。冷めるまで待つよ」
 君と一緒ならいくらでも。
「一緒にのんびりさせてよ」
 ねだるように言い添えたら、彼はもう一度苦笑を浮かべます。
「いいですけど、足、離して貰えません?」
 そういえば私、まだ清田くんの足を掴まえたままでした。
 でもせっかくですから、もう少しだけこのままがいいような。
「えー、どうしようかなあ」
「何で迷うんすか」
「だって逃げられそうなんだもん」
 私が懸念を示すと、清田くんはむしろ不思議そうに応じます。
「逃げませんよ。ここ、俺の部屋ですし」
 確かにそれもそうです。
 お願いすれば私の傍に、ずっといてくれるのかもしれません。
 もし、そう言えたら。
「ほんとに逃げない?」
「ほんとですって」
「そっか、じゃあ――」
 今度は、ちゃんと言いましょう。
 そう思って一度目を伏せます。

 そしてこたつの中で彼の足をぎゅっとした後――。

 深く息を吸い込んでから、意を決して切り出しました。
「明日もまた、清田くんの部屋に来ていい?」
 でも意を決した割に、酷く弱々しい声になりました。
「いいすよ」
 対照的に清田くんはあっさりと答えてくれます。
 しかし肯定の返事です。これは、いいことです!
「ほんと?」
 私は内心大喜びで、そしてどきどきしながら聞き返しました。
 清田くんが歓迎してくれるなら、少しは期待してみてもいいのかもしれません。お近づきになりたいという気持ちも、もっと口にしてみてもいいのかも――。
「あ、何なら部の連中も呼びますか。皆で鍋とかするのもよさそうっすよね」
 と、清田くんが続けます。
 私は思わず目を瞬かせました。
「皆で?」
「ええ」
「鍋?」
「はい。何か問題でも……あ」

 期待がしぼむ音がどこかでしました。
 そうですよね、彼が歓迎してくれるのは私だけではないのでしょう。自分だけが特別だなんてさすがに思い上がりです。わかっていたつもりだったのですが。
 やっぱり、落胆する気持ちが抑えられません。

「私、そういう意味で言ったんじゃないんだけど」
 拗ねる思いで突っ伏す私に、宥めるような彼の声が降ってきます。
「すみません! 先輩が猫舌だってことすっかり忘れてて」
「だからね、そういう意味じゃなくて」
「鍋はやめて、焼肉にしましょうか!」
「もういいです。遠回しにし過ぎた私が悪かったです」
「はい?」
 口下手なのを直さなくては、清田くんには伝わりません。
 今日、私はそのことを学びました。
 それともう一つ。
「……先輩の為にみかんの皮を剥きなさい。これは先輩命令です」
「はあ……いいっすけど」
 私の偉そうな命令にも、清田くんは嫌がることなく従ってくれます。
 彼は本当に、とても優しい人でした。

 彼が剥いてくれたみかんは程よく酸っぱくて、とても美味しかったです。
 二人で共有するみかんの美味しさ、こたつの暖かさ、お部屋の居心地の良さ――とても幸せな時間でした。
 私のいたずらにも怒らず、こうして優しくしてくれる清田くんは本当に素敵な人です。
 だからこそ、もっと自分の気持ちを上手く伝えられるようになりたい。
 私はぽかぽかのこたつの中でそう思いました。
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