最初の秋の決意
清田くんが写真部に加わり、半年が過ぎました。彼は入部するまではカメラも持ったことがない初心者でしたが、とても楽しんで部活動をしているようです。
その証拠に、活動日の度に欠かさず顔を出してくれるのは彼くらいのものですし、部室で話をする時はいつもにこにこと楽しそうです。
私も清田くんとお話をするのが楽しく、彼を勧誘したのは正解だったとしみじみ思う毎日です。
ただ、困ったことが一つあります。
これは写真部に限ったことではないのですが、定期考査前の数日間は部活動を禁止されています。
つまりテスト前になると、清田くんにも会えなくなってしまうのです。
これは困ります。
私は清田くんのことをとても気の合う後輩だと思っていますし、実際に彼と過ごす時間は居心地がよく、何もかもがめまぐるしい学校生活の中のオアシスのようだとすら感じていました。
その時間が失われるのは耐えがたいことです。
これが普通のお友達ならその数日間にもお茶に誘ったり、一緒に勉強をしようと声をかけることもできます。でも清田くんは部活の後輩であり、これまで部活以外の理由で顔を合わせた機会はありません。彼が部活以外の時間をどのように過ごしているのかさえわからないままです。
実を言うと私は彼のことを、まだほんの少ししか知らないのです。
彼が私に歩幅を合わせてくれる、のんびりだけど優しい人だということ。
そして彼がいると、私はとてもいい気分になれるということです。
きっとそれは清田くんが世にも珍しい、私と気の合う人物だからなのでしょう。そういう人とのご縁は大切にしなければなりませんし、会いたいと思ったら誘ってみるべきです。
とは言え、どう誘うかは悩みました。
私の思っていることをそのまま口にするのはどうしても抵抗があります。なぜだか酷く恥ずかしいことのような気がして――部活の先輩後輩という間柄でそこまでの感情を抱くのは、何というか、重いのではないかと思えたのです。
そこで私は口実を設けました。
『今日は部活動禁止期間ですが、部で使用する消耗品を買い物に行くだけなら部活動に当たらないと私は思います。よかったらお買い物に付き合ってくれませんか?』
清田くんにはそんなメールを送りました。
彼がどんな反応をくれるか、私はどきどきしながら待ちました。するとメールを送った昼休みのうちに、清田くんが返信をくれました。
『喜んでお供します!』
それを見て、私は心底ほっとしました。試験前だから、そもそも部活ではないから、二人きりでお買い物に行くほど親しくないから――などという理由で断られてしまう可能性もありましたから。
そして別の意味で、とてもどきどきしていました。
かくして私と清田くんは、郊外のショッピングモールへと足を運びました。
十一月も半ばを過ぎると、商業施設はいち早くクリスマスの準備を始めます。各テナントにはイルミネーションきらめくツリーやスノーマンの人形が飾られ、ケーキの予約開始を知らせる看板もそこかしこに置かれていました。さすがにクリスマスソングこそ流れていませんが、時間の問題だろうと清田くんは言います。
「クリスマス商戦が始まると、冬だなって感じがしますよね」
「そうだね。もう秋も終わりなんだなあ……」
私はしみじみ呟きました。
清田くんと出会ってからの一年間は本当にあっという間でした。
来年には私も三年生、高校生活の半分を既に消化していることになります。それを感傷的に思えるほどの実感はまだありませんが、来年の今頃は思っているかもしれません。
私たちはモール内にある写真屋さんで買い物をしました。
本日の買い物は写真データを記録しておく為のメモリーカードと、写真を挟んで贈るアルバム数冊です。先輩がたの卒業が近くなると、こうして記念品を贈呈する準備を始めるのが習わしでした。
もっともまだ十一月、少し早目の購入ではあるのですが――清田くんを誘う口実としてこれを挙げたので、買わないわけにはいかなかったのです。
「持ちますよ」
写真屋さんのテナントを出た私に、清田くんがそう言いました。
差し出された手を見るに、お店で渡されたばかりの紙袋を、という意味のようです。
「いいです。荷物持ちにする為に誘ったんじゃないから」
私はかぶりを振りました。
すると清田くんは怪訝そうな顔になります。
「え? 俺に荷物持たせないなら、誘った意味ないじゃないですか」
なかなか鋭い指摘です。
確かに男の子を誘うとなれば、そういう解釈もできなくはありません。でも私はあくまで口実だったので、指摘されて非常に困りました。
「それはそうですけど……あ、ほら、予想していたより少な目の買い物で済みましたし」
慌てて紙袋を持ち上げます。
しかしアルバム数冊を入れた紙袋は決して軽くはなく、腕があまり上がりませんでした。
「普通に重そうっすよ。持ちますって」
清田くんは笑って、私の手からさりげなく紙袋を攫っていきます。
優しい人、です。
「重くない?」
「大したことないっす」
尋ねてみても本当に平気そうにしているから、頼もしいなと思います。
「ごめんね。結局荷物持ちにさせちゃって」
私は申し訳なさと後ろめたさから彼に詫びました。
しかしそこで――ふとひらめいたのです。
荷物を持ってもらったお礼に、何かごちそうをするというのはどうでしょう。
買い物だけ済ませて帰るのは何とも味気ないものです。清田くんとはもっとお喋りがしたいと思っていたので尚のことです。そこで何か美味しいものをごちそうして、休憩がてらもう少しだけ一緒にいられたらと考えました。
我ながらいいアイディアです。
そこで私は切り出しました。
「じゃあお詫びの代わりに提案です」
「提案?」
「私、お腹が空いたの。晩ご飯前におやつを食べるのはよくないことだけど――」
目を瞬かせる清田くんに、先輩らしく告げてみます。
「荷物を持ってくれた君へのお礼、というなら話は別です。帰るなら、何か食べてからにしませんか。先輩が中華まんくらいなら奢ってあげます」
すると彼はどういうわけか、非常に複雑そうな顔をしました。
困ったような、うろたえたような、何とも言えぬ表情です。
「あ、あの……」
そして言いにくそうに口をもごもごさせるので、きっと買い食いがよろしくないのだろうと私は思いました。
「晩ご飯が入らなくなるから駄目なら、それはしょうがないです」
「いえ、そういうことじゃなくて!」
清田くんが否定してきます。
「じゃあもしかして、中華まんの気分じゃないとか? それ以外なら……ポテトくらいなら大丈夫です」
私は財布を取り出し、中身を確かめておきました。
ポテトにシェイクをつけるくらいならどうにか、大丈夫そうです。
「あの、俺、何か奢ってほしいとかじゃなくてですね」
清田くんはますます慌てた様子で手を振ります。
「実は俺――今日、誕生日で」
予想外の言葉が、彼の口から飛び出しました。
清田くんの、お誕生日。
私は彼のことをまだほんの少ししか知りませんでした。それどころか、『柊くん』だから冬生まれだろうと何となく思っていました。柊と言えばクリスマスか節分というイメージでしたから。
ですが言われてみれば、柊の花は秋の終わりに咲くそうです。
「誕生日……?」
私は愕然と呟き、財布を再度覗き込みました。
でもそれで中身が変わっているはずもありません。
「私、中華まんかポテトくらいしか……」
「いやいいんすよ先輩! 奢りとかいいですから!」
「でもお誕生日なんでしょう? なのにお買い物につき合わせて、そのお礼にジャンクフードしかごちそうできないなんて」
とてもがっかりです。
事前に知っていたら、教えてもらえるほど仲良しになれていたなら、今日の口実はお誕生日のお祝いになっていたかもしれないのに。
清田くんのお誕生日、お祝いしたかったのに。
「もっと持ってくればよかったです。せめてお買い物する前だったらなあ……」
「いや、あの、本当に! 本当にいいですから先輩! 軽く祝ってもらうだけでいいんで!」
落ち込む私を見かねてか、清田くんは気遣うように言ってくれました。
「つか、先に言っとけばよかったですね」
それは全くその通りだと思います。
「本当です。前もって言ってくれればよかったのに」
「すみません……。何か、言い出しづらくて」
謝られると余計に胸が痛みました。
今日がお誕生日であることを言い出せないくらいには、私と清田くんの間にはまだまだ距離があるようです。
そしてそのことを、無性に寂しく思っている私がいました。
「いいです、怒ってるというわけではないですから」
私は清田くんにそう告げます。
「ただ、誕生日っていうのも結構な口実だと思うんです。惜しいことしました」
全く、知っていたら絶対に活用していたのに。
私の言葉を清田くんは不思議そうな顔で聞いています。
「俺は、先輩にお祝いしてもらえるだけで十分なんで……」
その上フォローするみたいに言ってくれたので、私はどぎまぎしてしまいました。
私にお祝いされると、清田くんは嬉しいのでしょうか。
私がお祝いしたがっているのと同じように?
そもそも今日がお誕生日という大事な日なのに、他の人と約束もしないで、私についてきてくれたのはなぜでしょう。もしかしたら――。
すっかり困ってしまった私は、あたふたしながら喚きます。
「そういうこと言われると私は単純なので、何で大事なお誕生日に、私の些細な買い物についてきてくれたのかなって考えちゃうんです!」
そうして混乱したまま踵を返し、言い放ちました。
「――先輩命令です、約束どおり中華まんを奢るのでついてきなさい!」
照れ隠し半分、口実半分の命令です。
こういう言い方をしないと、下手なことを口走ってしまいそうで怖かったのです。
「はいっ、先輩!」
背後からは威勢のいい返事がありました。
清田くんはいい人です。紙袋を提げたまま、私についてきてくれました。
モールを出た私たちは、宣言通りにコンビニに立ち寄ります。
清田くんには中華まんの中でも一等高価なフカヒレまんをごちそうしました。
私は甘いチョコまんです。猫舌なので、木枯らしで冷ましながら食べます。
「お誕生日おめでとう」
二人で中華まんを食べながら、私は改めてお祝いを言いました。
「ありがとうございます、先輩。……次はもっと早く言います」
清田くんが言い添えた言葉には頷いておきます。
「本当です。でも来年のお誕生日は大丈夫。もう覚えちゃいましたから」
そうして胸を張った後、来年のことを思い出します。
来年の今頃、私は三年生です。文化祭も終わった後ですし、部活動を引退していることでしょう。
「でも、来年の今頃は写真部にいないからなあ」
思わずぼやけば、清田くんもはっとした様子でした。
「あっ……そ、そうっすね。来年は先輩、三年生ですもんね」
「そうです。それまでに、何とかなるといいんだけど」
これは独り言です、あくまでも。
何とかというのは、清田くんともっと仲良くなりたいという意味です。
部活動を離れてもお誕生日をお祝いできるように。
彼自身のことを今以上に教えてもらえるように。
口実なんてなくても、こうして会ってもらえるように。
「ところで君、晩ご飯前におやつ誘って、大丈夫だった?」
チョコまんに息を吹きかけつつ、私はふと気づいて尋ねます。
すると清田くんは一笑に付しました。
「平気っす。俺、一人暮らしなんで」
「え? そうなの?」
それも初めて聞く話です。
驚く私に、清田くんも驚いていたようだった。
「言ってませんでしたっけ? 実家こっちじゃないんで、部屋借りてそこから学校通ってるんです」
「初耳です。君はそういう肝心なことは話しておいてくれないんだから」
私は拗ねたくなりましたが、拗ねたところで何も始まりません。
なのでもっと聞き出してみることにします。
「そう、一人暮らしですか……大変だね」
「でもないっす。案外気楽ですよ」
清田くんは平然としています。
高校生の一人暮らしなんて負担が大きそうですが、何とも頼もしい限りです。
しかしそうは言っても苦労もあるでしょうし、寂しくなることだってあるはずです。
「ふうん……」
ですから私は唸ります。
「ど、どうかしました、先輩」
「何でもないです。今、ちょっとした決意を固めてたところ」
「へ? 決意?」
「口実探しも大変なんです。君が相手だと余計にね」
この時、決めたのです。
清田くんの家にどうにかお邪魔して、彼のことをもっとよく教えてもらおうと。
そして彼にも頼られるような、何でも話してもらえるような存在になりたいと。
思えばこれが最初の決意であり――。
私の恋のきっかけ、でもあったのかもしれません。