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笑う甘党主義者(2)

 次の日、お昼ご飯を食べた後で私たちは買い物に出かけた。
 いつもなら夕方、いくらかでも涼しくなってから出るんだけど、海里くんがちょっと足を伸ばして行きたい店があると言ったから、今日は時間を前倒しして出発することにした。

 田舎町は買い物も何かと不便なようで、普段は伯父さん家から歩いて二十分のところにある個人経営のスーパーに通っているものの、品揃えはあんまりよくない。昨日、せっかくかき氷器があるんだからとシロップを探しに行ったんだけど、どうやら取り扱っていないみたいだった。
 こういう時、普通ならコンビニ行けばいいやって思うのに、ここは田舎だから普通のコンビニチェーンもなし。それでも一応、コンビニ『もどき』はある。けど、こっちも雰囲気的には個人商店と大差ないし、今時珍しいことに二十四時間営業じゃない。この町に住んでいる人たちは、もしも夜中につい甘い物が食べたくなってしまったら、事前に買い置きを用意しておくか、そうでなければ自分で作るしかないわけだ。
「だから、のどかさんがずーっとこっちにいてくれたらいいのに」
 と、海里くんは流れる汗をものともせず、屈託なく語る。
「そしたらいつでもお菓子作ってもらえるだろ。こんな遠くまで買いに来なくてもいい」
「君の専属コックかあ……。ま、お給料次第で考えてもいいかな」
 私は冗談のつもりで応じたけど、意外にも海里くんは本気にしたようだ。すぐさま食いついてきた。
「え、マジでいいの? じゃあさ、時給でどのくらいならアリ?」
「いや、海里くんね。時給ってとこからして微妙なんですが」
「駄目? ああそっか、福利厚生のちゃんとした正社員希望とか、そんな感じ?」
「当然だよ。今時バイト生活じゃそうそう暮らしてけないでしょ」
 すると、海里くんは手をひらひらさせながら言った。
「大丈夫だって。ここに住んでたら、そんなにお金使う先ないから」
 確かにこの田舎町じゃ、ろくに買い物もできないしお金を使う機会もなさそうだ。
 私の住んでいるところより家賃は安いし、遊ぶところはほとんどないし、それなら食費さえ賄えればどうにかなりそう、なんて短絡的な考えが頭を過ぎってしまう。だけど、少しの間の避暑ならともかく、実際に暮らすならさぞ不自由も多いだろう。店なんて古い個人商店ばかりだし、若い子とか、どこで服買ってるんだろうなって思う。海里くんはいっつもシンプルなTシャツやタンクトップだから、別にどこでも買えそうだけど。
 私たちが本日足を伸ばした商店街も、いかにも田舎らしい年季の入った趣だった。色褪せたアーケードの下にはいかにも先祖代々やってます、って雰囲気の店が立ち並んでいる。半端な都会だとこういう商店街はシャッター街になっていることも多いというけど、ここまで田舎だと他に買い物に行くあてがないせいか、それなりに賑わっているようだった。アーケード通りを行き交う人はそこそこいたし、そういう人たちが店に出入りする度、店内から冷えた空気が溢れ出てくるのが歩き通しの肌に心地よかった。
「さすがに炎天下でこの距離はきつかったかな」
 海里くんが気遣うように私の顔を見る。生まれてこの方田舎町暮らしの彼は目を瞠るほど足腰が強く、一時間近く歩こうが全く疲れた様子がない。
 一方の私はすっかりくたびれていて、ここからまた伯父さん家まで帰るのかと思うと悲嘆に暮れたくなっていた。
「あちー……」
 ゾンビのような呻き声を上げながら、私は従弟に訴える。
「こう暑いと干からびちゃいそうだよ。帰りに冷たいものでも買って帰んない?」
「いいねそれ。買い物済んだら何か買おうか」
 海里くんが即座に同調してくれたので、私たちはまず目的の買い物をさっさと済ますことにする。
 行き先は和菓子屋さんだ。祖父の大好物だった、金つばの美味しいあのお店に行きたいと海里くんは言っていた。もちろん金つばを購入して、それをお仏壇に供えるつもりだという。
「のどかさんの夢についてだけどさ」
 優しそうな店員さんから金つばの入った紙袋を受け取ると、海里くんは得意げに語る。
「じいちゃんからのお供物の催促だとしたら、好物を供えときゃ収まるかと思ったんだ」
「それで鎮まるかなあ、あのおじいちゃんが」
「味を占めて、かえって荒ぶったりしてね」
 割とシャレにならないことを言った後、にんまり笑って海里くんは続けた。
「でも、のどかさんがあんまり気にしてるようだから、俺なりに考えてみたんだよ。どうせ仏壇にお菓子は必要なんだし、試してみてもいいって思うだろ?」
 生意気なことは言っていても、この従弟は私の見る奇妙な夢について、あれこれ気にかけてくれているようだった。
 口は悪くても心根は素直で優しい子だ。口の方ももうちょい優しくてもいいと思うけど。
 冷房の効いた和菓子屋を後ろ髪引かれる思いで離れた私たちは、次の涼を求めてアーケード街の中にある駄菓子屋さんへと向かった。海里くんはこの商店街まで足を運んだ際は、いつもそのお店でアイスやジュースを購入するという話だった。
「ところで、昨夜は何か夢見た?」
 歩きながら彼に聞かれ、私は顎に手を当てて唸る。
「それがさあ……いつものことながら、思い出せないんだよね」
「夢で見た、ってひらめく瞬間までは、まるで出てこない感じなんだ?」
「そう。それはそれで変だと思わない?」
 夢の内容を目覚めた直後は覚えてない、ってのも、そう珍しくない現象だと思う。
 ただ私の場合、こうして予知夢が何回か続いた後は、目覚めてすぐに夢について思い出そうと努めてみたことがあった。ところが、意識して思い出そうとしても頭に重くもやがかかったようで、全く浮かんでこなかった。夢に見たことを自覚するのはいつも、夢と同じ場面に遭遇してからだ。
 こんなんじゃ、海里くんの言ったように予知としてはあんまり役立たない。祖父の思惑が反映されているのだとすれば、祖父は私に一体何を伝えたいんだろう。
 それとも、食わせ者の祖父のすることに、そこまで壮大な意味などないのか。
「俺はやっぱ、のどかさんが食べたい物の夢を見てるだけだって思うけど」
 海里くんはどうしても、私が甘党の食いしん坊だと言い張りたいようだ。にやにやしながらそう言われたので、私は首を竦めておく。
「ロマンがないねえ海里くんは」
「のどかさんこそ、十九にもなって中二病だね」
「いくつになってもロマンを忘れぬいい女と言って欲しいな、この場合」
「いい女はそもそも、そういうのにかぶれないと思うよ」
 そうだろうか。オカルト沙汰に巻き込まれるヒロインってのは、大抵美人だったり美少女だったりするもの、のはずだけど。いい女には夢もロマンも、少しの不思議も自然と寄ってくるものなのかもしれない。じゃあ私がそういう夢を見るのだって致し方あるまい、なんてね。
 あとはもう少し、理解しやすくわかりやすい不思議が欲しいです。予知夢の意味をあれこれ推測するのも結構体力使うし、そろそろ片づけたい時期だしね。おじいちゃん、聞こえているならどうぞよろしく。
「……で、のどかさんはアイス、どれ食べる?」
 駄菓子屋さんの前まで辿り着くと、海里くんは私の方を振り向いた。
 アイスケースの蓋を開けながら彼にそう尋ねられた時、靄が立ち込めていたような頭が、急にすっきり晴れた。
 ――夢で見た。昨夜、この光景、まさにこの通りに。
 田舎町らしい佇まいの駄菓子屋さん。金つばが美味しい和菓子屋さんの紙袋を提げた海里くん。そして彼が霜だらけのアイスケースから引っ張り出したのは、ナッツを散りばめたチョコレートがけの棒アイスだった。
 私は私で、今の気分はすっきり爽やかなソーダ味を欲していた。喉が渇いていたせいか、もう他の味は論外、眼中になかった。アイスケースの中を覗くと、ちょうどスタンダードなソーダアイスは切らしているようで、真ん中でぱきっと割れる、棒が二本ついた方のソーダアイスしか残っていなかった。
 つまり、何もかも夢で見た通りだった。

 アイスを食べながら、私たちは商店街を後にする。
 入道雲がもくもく湧いている夏空の下、身体中にまとわりつくような熱気と湿度を冷たいアイスで緩和する。口の中が冷えると気分がすっとして、不思議と頭まで冴えるような気がした。
 食べたかっただけあって、ソーダ味のアイスは本当にすっきり爽やかで美味しかった。ただこのアイスは棒が二本でちょっとばかし食べづらい。炎天下でなければ真ん中で割って、一本ずつ大事に大事に食べるんだけど、ここでは急速に溶けてしまう恐れがあるので慌しくかじらなければならなかった。
「のどかさん、一口ちょうだい」
 ソーダアイスと格闘する私を面白そうに見やりつつ、海里くんが言った。
 ああ、そういえばこんな場面も夢の中にはあったっけ。そう思い、私はソーダアイスを十センチほど高いところにある彼の口元に差し出す。
「あいよ」
「ありがと」
 海里くんは遠慮なくぱくっとかじりつき、溶けかかって崩壊の危機を迎えているソーダアイスを、実に美味しそうな顔で食べた。アーモンド形の目を細めて、にまにまと。
「ほっひもふまいれ」
 何言ってんのかわかんない。私はつい笑ってしまった。
「咥えたまんまで喋んないの。行儀悪いよ」
 食べ歩きしてる身分で指摘できるもんかとも思うけど。行儀の悪さならどっこいどっこいか。
 それにしても。また夢と、同じになった。
 海里くんと二人で出かけて、買ってきたものも、歩きながら食べているアイスの種類も、こうして一口食べさせてあげたところまで全部同じだった。夏の強い日差しに干上がったような、からからの田舎道を二人で歩いている。
「のどかさんも食べる? チョコ剥がれかけてるけど」
 ぼんやりする私に、海里くんが食べかけのアイスを向けて寄越した。
 私はそれを横目で見てからかぶりを振る。
「いや、いいよ。今日は何か猛烈にソーダの気分だから」
「へえ。そんなに食べたかったんだ」
「そうみたい。夢で、見たせいかもしれないけど」
 何気なく言ったせいだろうか。海里くんはチョコアイスを引っ込め、一度自分の口に運んでから、再び勢いよくこっちを向いた。
「夢のこと、思い出したの!?」
「ついさっきね」
 私は今にもほろっと崩れ落ちそうなソーダアイスを頬張り、きちんと溶かして飲み込んでから打ち明ける。
「昨夜は、海里くんとこうして買い物に行った帰り、アイスを食べる夢を見たんだ。あのお店の紙袋も、私がソーダ味のアイスを、海里くんがチョコのアイスを選んだところもぴったり同じだった」
 話す私の手の中には、二本のアイス棒だけが残った。これって、当たりとかないやつだっけ。どちらも何も書いていない。
 でも夢は当たった。大当たりだった。
「それにさ、海里くんが『一口ちょうだい』って言ったのも、夢で見たよ」
 私の言葉に、彼は心外そうに眉を顰める。
「何か俺、のどかさんの夢の中じゃ食いしん坊ってことになってそう」
「なってるってか事実、空前絶後の食いしん坊ですがな……」
「のどかさんほどじゃないし。同類扱いみたいでショックだな」
 どの口が言うか。私は軽く睨んでやったけど、問題はそこじゃないってことも忘れていない。
 この夢は多分、私が海里くんをどう思ってるかとか、私が甘い物を好きだって事実も、関係していないんじゃないかと思う。あくまでも見るのは本当になることだけで、だから、つまり。
「本当に、予知夢なのかもしれないね」
 海里くんもそう言った。
「だって、いかにのどかさんが無類の甘党で類稀なる食いしん坊だとしてもさ」
「海里くん。女の子にそこまでの物言いはいかがなものか」
「まあ、それは置いといて。甘党パワーだけじゃ、こんなに細かく当たんないよ」
 彼もチョコアイスを平らげてしまうと、アイスの棒を指揮棒みたいに振りながら続けた。
「俺が金つばを買いに行こうって言い出すとことか、俺がチョコアイスを選ぶとことか。いかにのどかさんでももれなく当てるなんてできっこない」
「そうだよねえ……」
 昨日のかき氷もそうだった。私の知らないはずのことまでが夢の中にはあらわれていた。
 となると問題は、これらの予知夢にはどんな意味があるのか、その一点に尽きるわけだけど。
 祖父が金つばを求めていたのだとして、それを私に見せて、しかもすぐには思い出せないようにすることに意味はない。今日だってお供物を買いに行こうと言い出したのは海里くんだし、私はアイスを買う段まで、夢の内容を忘れていた。つまり、私が海里くんを、買い物に出るよう誘導することはできなかったはずだ。
 じゃあ祖父は、私に一体何を伝えたいんだろう。
 それとも海里くんが主張してきた通り、祖父は全く関係なく、私の甘党パワーという可能性は……あるのかなあ。さすがに超能力発揮できるほどじゃないと思うんだけどな。
「けど、じいちゃんのせいだとしたら、ちょっと大事だよね」
 海里くんはそこで呆れたように笑った。
「自分は高い金つば買わせておいてさ、のどかさんにはたかだか六十円のソーダアイスだろ。どうせならもっと美味いもの食べられるような夢を見せてあげればいいのに」
 確かにそうだと私も笑った。
 今日はたまたまソーダアイスが食べたい気分だったけど、せっかくだからもっといいものを食べられるよう、予知夢を見せてくれてもなと思わなくもない。
 すると海里くんは何かひらめいたらしく、
「あ、じゃあさ! のどかさんの今食べたいもの教えてよ」
「え? 何で?」
「俺が今晩、のどかさんの枕元で食べたいものをずっと囁いてあげるから」
 無邪気な従弟は、いかにも名案だと言わんばかりの笑みを浮かべて語った。
「そしたらのどかさん、好物の夢見れるかもしれないじゃん」
「ずっと枕元でぶつぶつ言われ続けながら寝つくの? ってか、寝れっかな……」
「なら、のどかさんが寝ついてからそっちの部屋行くよ。それでどう?」
「却下。伯父さん伯母さんに目撃されたら、それこそ大事になるっつうの」 
 もっとも伯父さんと伯母さんが、真夜中に私の部屋を訪ねる海里くんを見かけたところで、おかしな解釈はしないとは思うけど。最後の最後で無用なトラブル起こすのもどうかと思うので、丁重にお断りしておく。
「駄目か」
 海里くんは軽く肩を落とした後、すぐに言葉を継ぐ。
「ま、それはそれとして。もし食べたいものあるなら本当に教えて。のどかさん、明後日には帰っちゃうだろ。最後に何か美味いもん食べてって欲しいからさ」
 お盆に入ると、海里くんのお兄さん一家が帰省してくる予定になっていた。遠方に住むそちらの従兄には既に奥さんとお子さんがいて、伯父さんと伯母さんは孫ちゃんたちに会うのを大層楽しみにしているようだった。私には『気にしないでいいから、ずっといなさい』と言ってくれたけど、さすがに三世代水入らずのところをお邪魔しちゃ悪い。
 ちょうど昨日の晩、我が家のエアコンが無事直ったと母から電話があった。お墓参りも済ませたことだし、お盆前に帰ることにしたわけだ。
 唯一、奇妙な予知夢についてだけが未解決で、心残りではあったけど――。
「食べたいものかあ」
 私は少し考える。
 やっぱ甘い物がいいなと思い、脳裏に浮かんだのは昨日使った赤いかき氷器と、昨日食べたつるんとした食感の白玉だった。
「いちご白玉とかどうかな」
「何それ。美味そう」
 名前を出しただけで、海里くんは目を輝かせ食いついてきた。
「白玉粉に潰したいちごとか、ジャムでもいいんだけど、混ぜて茹でるときれいなピンクの白玉ができるでしょ。それに練乳と、かき氷にいちごシロップかけたのを添えたら、我が世の春って感じになるよ」
「うわあ……食べたい! のどかさん、明日のおやつはそれにしよう! 俺も白玉ならもう作り方覚えたし、何だったら俺が作るよ!」
 海里くんは途端にはしゃぎ出す。
 それで私も、よし二人で作るか、って気分になったけど、直後海里くんが表情を曇らせた。
「あ、でも、シロップ買うんだったらさっきの商店街じゃないと……」
 そうだった。伯父さん家の近所のスーパーには、かき氷シロップは置いてなかったんだ。さっきの商店街でなら買えたのかもしれないけど、復路も一時間弱の道のりをもう半分近く歩いてきてしまったから、戻るのは非常に億劫だった。
「明日買いに来ればいいじゃん。今日みたいに、ちょっと早めに出てさ」
 私が勧めると、海里くんは残念そうにしながらも頷いた。
「しょうがないか……。のどかさんといられるのも、明日一日しかないのにな」
「今生の別れじゃないんだから。また来るよ、そのうちに」
 そう言いつつも私は、従弟が別れを惜しんでくれていることが素直に嬉しかった。
 だからこそ、明日のおやつは腕を振るおうと心に決めて、今日は彼と二人、のんびりと帰路を辿った。
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