平行する思惑(4)
恋とは、誰よりも一緒にいたい相手を見つけること。牧井はそんな風に言った。
それは割とわかりやすい気持ちだと思う。少なくとも、全く気付かずにスルーしてしまう可能性はないだろう。
もしも牧井の言葉通りなら、俺も好きな子が出来た時にはそうなるんだろう。今までみたいに、事あるごとに大和とつるむんじゃなくて、そういう時にも好きな子と一緒がいいと思うようになるんだろう。放課後の帰り道、アイスを食べる為の寄り道、毎年行ってた夏祭り。全部の時間を好きになった子と一緒に過ごしたいって、思うのかもしれない。
「何か、ちょっと安心した」
自然と、俺は胸を撫で下ろしていた。
「そう言われるとわかりやすいな。さすが牧井」
やっぱ優等生は違う。言ってることが俺にだってわかりやすいし、説得力だってある。尊敬の眼差しを送ってみれば、当の牧井ははにかんでいた。
「それほどでもないよ。私はそう思うなってだけで」
「いや、俺も同じように思うよ。だから大和だって、黒川と一緒にいたがる訳だし」
「そうだね。好きな人と一緒の方がいいよね」
深く頷く牧井。さっきからずっと、照れながらも優しい表情でいる。
以前、デパートでの買い物の時に思った通り、彼女の方がお姉さんって感じがする。背丈のちょっとだけ小さいお姉さん。
「あとは、肝心要の好きな子を見つけてくるだけだな」
息を吐きながら言い、俺はベンチの背凭れに寄りかかる。木陰の恩恵を受けて、ここはとても涼しく、居心地がよかった。葉っぱが風に揺れる音すら涼しげに聞こえてくる。
少しは気楽になって、呟いた。
「もっとも、それが最難関って奴なんだろうけど」
好きな子を見つけるのは難しい。何せ十七年間生きてても見つからなかったんだから。うっかり、初恋をスルーしてきたんじゃないか、なんて考えてしまうくらい、そういう気持ちにはご縁のない人生だった。
どうしてなんだろうなあ、思案を巡らせてみれば、行き着くのはやっぱり身長。自分より背の高い子は駄目、俺の背丈を馬鹿にする奴は嫌だって、意識的に選別してきた。大和に言わせると、気にしてるのは俺だけらしいけど。
しょうがないだろ、気になるんだから。
「進藤くんは、背のちっちゃい子が好みなんだよね?」
牧井もタイミングよく、そんなことを尋ねてきた。そういえば前に話してたっけ。
「うん。やっぱ身長は気になるからな」
「そっか。そういう子、見つかるといいね」
少し大人っぽく笑う牧井。その顔を見て、逆にこっちから質問してみたくなる。迷いもせず実行に移す。
「牧井は? どんな男が好みとか、ある?」
「うーん……考えたことないかな」
答えは割とあっさり返ってきた。
でもまあ、そんな感じする。彼氏を作る云々だって、俺に言われるまでちっとも考えてなかったって話だし。黒川に彼氏が出来なかったら、ずっと考えてなかっただろうなと。そういうところはいかにも優等生っぽいな。
「牧井の一番は、今のところ黒川だけってとこ?」
俺の問いに、彼女はまたはにかんだ。
「うん。そうかも」
それからふっと視線を外す。握り締めたハンカチを見下ろす。ぱっつん前髪の下、伏し目がちになる顔つき。日陰にいるからか色が白く見える。
少し、妙な沈黙が続いた。
蝉の声と風の音だけが聞こえてきて、静かじゃないのに、静かだった。
しばらくしてから慌てたくなった。彼女がそこでどうして黙ったのか――わからなかったけど多少は察した。あれ、もしかして俺、無神経なこと聞いちゃった? いや、でも、牧井にも似たようなこと聞かれたし、まずくないよな? でも俺と牧井の、大和たちに対する気持ちは似てるようで結構非なるものだから、やっぱ不用意に黒川の名前出したのはまずかったかもしれない。何て言うか、傷口に塩擦り込んじゃったみたいな。
そこまで考えが辿り着いた時、とっさに口を開いていた。
「あ、あのごめん! 俺、無神経なこと言ったよな」
「……え?」
牧井が視線を俺へと戻す。目が合って、不思議そうにされる。
「だからその、牧井が寂しがってるのに、黒川の話を持ち出しちゃって」
「ああ」
合点がいった様子の彼女。すぐにかぶりを振った。
「ちっとも無神経じゃないよ。進藤くんは優しいよ」
「え、い、いやそれほどでも」
「ごめんね、思い出してただけなんだ。美月と初めて話した時のこと」
真っ直ぐに、牧井は俺を見ていた。
影の中にいるからだろうか。それとも目線の高さが同じだからだろうか。眼差しが強い。突き刺さるみたいに強い。
「進藤くん」
その眼差しと一緒に名前を呼ばれたら、ものすごく、どきっとした。
「な、何?」
俺の動揺には気付かなかったのか、彼女はそっと口にした。
「私の話、……もう少しだけ、聞いてくれないかな?」
瞬間、目が逸らせなくなった。
ややあってから、俺はからからの喉でいいよと答えた。
穏やかに牧井の話が始まった。
「私ね、中学の頃にこっちに引っ越してきたの」
「へえ」
「それまではうちのお父さん、転勤が多くて。酷い時には年に二回も引っ越ししてた。私もずっと転校続きで、だからなかなか友達も作れなかったの」
気のせいか、いつもよりあどけない話し方だった。
「中三になってすぐに、お父さんの仕事が変わったの。それで引っ越しはもうしなくてもよくなったんだけど、住み始めたのはやっぱり知らない街で、私はここでも転校生だった」
牧井は話しながらも俺を見ている。
ちょうど百五十五センチの身長。同じ高さの目線。俺も、牧井を見ているより他なかった。
「友達を作るの、すごく苦手だった」
その部分はやや辛そうに言われた。
「私、その頃は人見知りで、クラスの子と話すのが憂鬱で堪らなかったの。今までと違ってもう転校することもなくなったのに、ここに馴染めなかったらどうしようって、いつもびくびくしてた」
思い出話の内容は、今の彼女からはあまり想像出来なかった。牧井は人見知りってタイプじゃない。俺とだって普通に、気さくに話しているし、大和とだってそうだった。
びくびくしている牧井なんて、今は考えもつかなかった。
「その頃なんだ。美月が私に話しかけてくれたのは」
牧井が黒川の名前を口にする。大切な秘密を打ち明けるように。
「美月はその頃からすごく大人っぽくて、私が憂鬱そうにしていることも、びくびくしていることも、見てわかったみたいだった」
ああ、そうだった。牧井が言うには、黒川の方がずっと大人っぽいんだって。そういう意味だったんだな。
「私のこと放っておけないって言ってくれて、仲良くしようって言ってくれて、それからなの、友達になったのは」
俺は相槌も打てずにいる。
絶対に、踏み込めそうにないと思った。
「初めて話しかけてくれた時のこと、覚えてる。美月は私の名前を誉めてくれたの。八重一重だね、きれいな名前だねって。すごくうれしかった」
八重一重。牧井の下の名前は、八重。
その単語は、大和も以前口にしていた。
馬鹿な俺にはそれがどういう意味なのか、ちっともわからなかったけど、今もわかってないけど――大和が知っているのは黒川がそう言ったから、なのかもしれない。ふと思った。
「美月が友達になってくれてから、人見知りも少しずつ、克服出来たの。そうやって話しかけてくれる人もいるから、一人でびくびくすることなんてない。自分から話しかけるのは無理でも、せめて話しかけられた時、普通に話せるようになろうって、そう思った。そう思って頑張ってみたら、意外と何とかなったみたい」
そこで牧井は目を伏せた。
「だから、美月は私の恩人」
静かなのに強い口調で言われた。
「友達だけど、それ以上にすごく感謝してるの」
彼女はもうこっちを見てない。だけど俺は目を逸らせなかった。
「私にとってはまだ、美月が一番、大切な人」
知っていたけど。
牧井の一番が黒川だってことはもちろん、当たり前にわかっていたけど。
でもいざ、その絆の強さを見せ付けられると、どうしようも出来なくなった。牧井と黒川の間に踏み込んで、割り込める奴なんているんだろうか。牧井にとっての黒川はただの親友じゃない、恩人なのに、それ以上になれる奴なんているんだろうか。黒川に代わって牧井の一番になれる奴なんて。
そんなことを考えたら、無性にもやもやした。