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20:現状打開策

 さらさらと静かに流れる川は、月明かりを跳ね返して眩しかった。
「いきなり呼び出して、ごめん」
 棚井くんの第一声はそれだった。
 さらさら流れる川の水音に、かき消されそうになるほど小さな声だった。
「別にいいんだけど……」
 それに応じる私の声も、負けず劣らず弱々しい。
 棚井くんは思っていたほど怖い人じゃなくて、むしろいい人かもしれない。それは今日の電車の中なり、さっきの花火なりで感じた正直な気持ちだ。
 でもたとえいい人であっても話し慣れない相手には違いないし、話したいと言われても困るというのも本音だった。
 そもそも私に何の用だろう。

 河原でふたり、突っ立ったまま向き合っている。
 じっとり重い湿った空気の中、見つめあうことはできずにお互い視線を泳がせている。

「あー……」
 棚井くんは早速言葉に詰まったようだ。低く唸った。
 それでも沈黙が落ちる前に、こう続けた。
「柳、変なこと言ってなかったか?」
「変なこと? どんな?」
 私が聞き返せば、彼は一瞬口をつぐむ。それからゆっくりかぶりを振った。
「なんでもない。何も言ってないならいいんだ」
 柳が言っていたことといえば、『好きな人がいた』という話くらいだ。
 過去に戻ってやり直したいくらい後悔している、とも。
 その為には子供の頃まで遡らなくてはいけないらしくて――もしかしたらその相手、棚井くんなら知っているのかもしれない。さすがに聞くつもりはないけど。
 どんな人なんだろうな、柳の好きだった人って。
「俺……」
 物思いにふける私を、棚井くんのかすれる声が現実に引き戻す。
 改めて彼を見た瞬間、うつむいていた顔がすっと上げられた。真っ直ぐに目が合う。
「俺、菊池さんと話がしたかったんだ」
 そう言われた。
「私と?」
「ああ」
 聞き返すと彼はうなづき、意外な申し出に私は戸惑う。
 話がしたかったって、ずっとぶっきらぼうな態度を取られていたのに。話しかけても無愛想に返されて、目も合わせてくれなくて。柳の友達だからしょうがなく会ってるだけで、本当は私のこと苦手なんだろうなって思っていた。
 でも、今日は少し違った。私のことを心配してくれたり、一緒に花火をしてくれたりした。
 棚井くんって、どういう人なんだろう。
「ずっと、うまく話せなくて」
 彼は続ける。
 少し苦しそうに、だけど言葉を止めまいとするように話してくれる。
「本当は話したかった。もっと普通に接したかった。そう思ってたけど、菊池さんの顔見るとどうしても無理で……今まで態度悪くてごめん、嫌な奴だったよな」
「ううん、そんなこと」
 顔のせい、か。
 私も知らず知らずのうちに、棚井くんを睨んだり仏頂面したりしてたのかもしれない。苦手に思っていたのも事実だったし、そういう態度はきっとお互い様だったんだろう。
「でもこのままじゃだめだと思って、今回のキャンプに参加したんだ。菊池さんと話をするために」
 棚井くんがそう言ってくれたので、私も今日までのわだかまりがほどけて消えるのを実感した。
 嫌われてたんじゃなくて、よかった。
「私もね、正直言うと今日までは棚井くんが怖かったんだ」
 私も素直に打ち明ける。
「だけどこうして話せて、棚井くんが本当はいい人だってわかってよかった」
「いい人、かな……」
 棚井くんはそこで困ったような顔をしたけど、すぐにぎこちなく笑ってみせた。
「でも、俺、菊池さんと友達になりたい。これからはもっと話がしたいんだ」
 その言葉が、今の私にはすごくうれしかった。
 苦手だと思っていた人が本当は私のことを嫌いじゃなくて、仲良くなりたいと思ってくれていて、これから友達になれそうなんだから、うれしくないはずがない。
「私でよければ……これから、仲良くしてね」
 そう告げたら、棚井くんは勢いよく顎を引いた。
「ああ、こちらこそよろしく!」
 その勢いのよさ、元気のいい返事は今までの彼のイメージとは違っていて、私は改めて思う。
 棚井くんって、どういう人なんだろう。

 ふと、高校時代のことを思い出す。
 伊瀬に初めて会ったのは高一の入学式で、新入生の挨拶を読み上げたのが彼だった。
 クラスでも入学初日から目立っていて、次々に新しい友達を作っては交友の輪を広げていくのを横目に見ていたのを覚えている。私は人見知りするほうだし、親しくもないのに親しげに話しかけてくるような人は特に苦手だった。当時の伊瀬が軽そうに見えていたから、近づきたくないと思っていた。
 それが変わったのは、初めて迎えた文化祭だ。
 実行委員の私がひとりで居残りをしていたところに、伊瀬が声をかけてきて、手伝ってくれた。それどころか他のクラスメイトにも声をかけて、非協力的だった空気を団結ムードへ一変させてくれたのも彼だった。私は伊瀬を見直したし、それ以上に助けてもらえたことがすごく、うれしかった。

 彼の傍にいたいと思った私を、伊瀬は友達にしてくれた。
 そうして一緒にいて、普通に話したり遊びに行ったりしているうちに、本当はどんな人なのか知っていって――いつの間にか伊瀬は、私にとって苦手な人じゃなくなっていた。

 これから、棚井くんのことも知っていくことになるのかもしれない。
 そうしたら苦手な人じゃなくなって、いいお友達にもなれるかもしれないな。
 うれしい予感に思わず微笑むと、棚井くんがそっと目を伏せる。
「本当はもっと早く言いたかったんだけど……菊池さんを怖がらせてたなんて申し訳ないな。今までなかなか話せなくて」
「私ももっと早く打ち明けてたらよかった。けっこう一緒にいる機会あったのにね」
 柳と遊ぶ時、高確率で棚井くんもついてきた。機会はありそうだったのに、今日までお互い切り出せなかったんだからもったいない気もする。
「あいつのせいにするわけじゃないけど、柳がうるさくて」
 棚井くんがそこで顔をしかめた。
「普段からダメ出しがすごいんだ。誰かと会って帰る時はいつも反省会だ、人には愛想よくしろ、仲良くしろって」
「柳らしいね」
 交友関係の広い柳だから、棚井くんのそういうところは気になっちゃうんだろうか。微笑ましさに思わず笑うと、棚井くんは気まずげに頬を掻く。
「菊池さんのことも、俺はただ『話がしたい』って言っただけなのにこんなふうに呼び出したりしてさ。急でびっくりしたよな? あいつ、言い出したら本当に聞かないから」
 棚井くんも柳のこととなると饒舌だからちょっとおかしい。幼なじみってこんな感じなのかな。子供の頃からの付き合いだから、お互いのこともよく知ってるんだろう。
「びっくりしたけど、大丈夫。むしろこういう機会を作ってくれた柳には感謝したいくらいだよ」
 私の言葉に、棚井くんはなんとも言えない苦笑を浮かべる。
「そう思ってもらえてよかった。もっとも、あいつにはまたダメ出しされそうだけど」
「これでもダメ出し? どうして?」
「いや、それは……」
 彼がそこで、言葉を濁した。
 そして次に、視線を私の肩越しに投げた。

 同時に背後で気配がして、月明かりの河原に誰かの影が差す。
 私が振り返るより早く声がした。
「ここにいたのか、探したよ」
 振り返らなくてもわかった。伊瀬だ。
 それでも後ろを向けば、伊瀬が河原に下りてくる姿があった。薄ら笑いを浮かべていたけど、月光を背負っているせいか暗く、絶望めいた表情にも見えた。その陰りのある顔つきにどういうわけか背筋が震えた。
 伊瀬は、こんな顔をする人だろうか。
「危ないだろ、こんな遅くに河原なんて来たら」
 言いながら近づいてきた伊瀬は、断りもなく私の手首をつかむ。
 そうして私だけを見据えながら言う。
「柳さんに聞いて迎えに来たんだ。さ、戻るぞ」
「う、うん……」
 有無を言わさぬ調子に私はしぶしぶ応じ、棚井くんの方をうかがう。
 呆然とした顔の棚井くんに、私より先に伊瀬が声をかけた。
「お前も。一緒に戻るんだったら構わねえけど?」
「あ……はい、じゃあ」
 棚井くんがうなづくと、伊瀬は私の手を引いて歩き出す。
 その足取りはずかずかと乱暴で、私たちを河原から引き離したがっているようにさえ思えた。
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