お姫様はもう嘘をつかない
「あ……これ」つい手に取ってしまったのは、携帯電話用のケースだった。
何気なく立ち寄った雑貨店の店頭で、たくさん陳列されていた中から運命みたいにそれを見つけた。
一目で引き寄せられてしまうくらい、とても可愛い絵柄だった。
淡いクリーム色のベースにピンクのガーベラが一面に飛んだデザインで、ところどころに覗く瑞々しいグリーンの葉とのコントラストがきれいだ。ぱちんと留める手帳型なのもいい。今使っているものと同じで、ちょうど買い換えようかと思っていた頃合いだった。
「それ、気に入った?」
一緒に買い物に来ていた瑞希さんが、私の手元を覗き込む。
だけどその瞬間気が引けて、慌てて棚に商品を戻した。
「いえ、どうしようかと思って……」
「気に入ったなら買いなよ、きれいな柄じゃないか」
瑞希さんは笑顔で勧めてくる。
きっと私が見惚れていたのに気づいているんだろう。ためらう私の背を押してきた。
「前に、ケースを買い換えようかって言ってただろ?」
「そうでしたね、どうしようかな……」
「ピンクのガーベラ、一海に似合うよ」
他の人が言った言葉なら、お世辞だろうと信じなかったかもしれない。
でも瑞希さんの言葉には嘘がなく、信じられないようなことでもすんなり納得させる不思議な力があった。
「じゃあ、これにします」
それで私は決断し、その可愛い絵柄のケースを購入した。
ピンクの花柄なんて、かつて私なら絶対に選ばなかっただろう。
子供の頃から、花柄は似合わない方だった。
それは卑下でも何でもなく、そういう顔立ちだからだと思っている。柄で言うならストライプやくっきりした色合いの幾何学模様の方がよく似合った。大人になってからは似合う服を見つけられるようになったけど、子供の頃はしっくり来る柄があまりなかったのを覚えている。
一方で、私は花柄自体が嫌いではなかった。
もちろん似合わない以上は身に着けたいと思っていなかったけど、一時期は身の回りの小物を花柄ばかりにしていたこともある。ハンカチや給食袋、あるいは上履き袋なんかが可愛い花柄だと、何だか嬉しかったのを覚えている。
でも友達はそれを見る度、私らしくないと言った。
いつだったか、友達の家でクリスマス会を開いた時のことだ。
プレゼント交換の段階になって、皆で輪になり歌いながらプレゼントの周りをぐるぐる回った。
そして歌が終わった時、私の目の前にはピンクの花模様の可愛らしいヘアバンドがあった。嬉しかったし、家に帰ったらこっそりつけてみようと思っていたけど、友達の一人がそれを欲しがって私に言った。
『かずみちゃんには、お花模様は似合わないよ』
その言葉に賛成する子はいても反対する子はいなかった。私を含めて。
ヘアバンドは無事その子の手に渡り、私は――あの時、何を貰って帰っただろう。覚えていなかった。
むしろ、こんな子供時代の記憶さえしまい込んでいることの方がおかしい。傷ついた思い出ばかり取っておいても仕方がないのに。
ただその日以来、私は花柄のものを選ばなくなった。
服以外も全て、自分に似合うものばかり選ぶようになった。
だけど大人になった今、私はピンクの花柄模様を幸せな気分で眺めている。
買い物を済ませて家に帰ってすぐ、携帯電話のケースを取り換えた。新しいケースはピンクのガーベラ柄が可愛くて、私は上機嫌でためつすがめつしていた。
「よっぽど気に入ったんだな」
そんな私を見て、隣に座る瑞希さんはおかしそうに笑っている。
「店でも食い入るように見てたもんな、いい柄とめぐり会えてよかったよ」
「はい、嬉しいです」
一瞬気後れしてしまったことが馬鹿みたいに思えるほど、心からそう思っていた。
「電話ごと生まれ変わったみたい……」
私が呟けば、瑞希さんもその感激を分かち合うように、そっと髪を撫でてくれる。
「確かに見違えたな。すごく可愛い」
「機種変したわけでもないんですけどね」
「人間と同じで、電話もたまには着替えが必要なのかもな」
彼がそう言ったから、私は黙って頷いた。
服を選ぶのが楽しいと思うようになったのも、つい最近のことだった。
着たい服を着ることにした。
鏡に映る自分を好きになることにした。
そして私を惜しみなく誉めてくれる瑞希さんの言葉を、信じるようにした。
おかげで今の私は、服選びの楽しさを知っている。
「昔は、自分に嘘をついていたんです」
ピンクのガーベラを眺めつつ、私は彼に打ち明けた。
「人に似合わないって言われるのが嫌で、可愛いものは好きじゃないふりをしてました。ピンクのお花模様だってそうです」
「僕なら耐えられる気がしないな」
瑞希さんは言う。
私の髪を撫でながら、想像を巡らせるように目をつむっている。
「嘘をつくのは得意じゃない。ましてや自分が相手なら騙しきれる自信もない」
「私も騙しきれていたかはわかりません」
今となっては、ただ目を背けていただけかもしれない。
本当に欲しいものを見ないようにして、その気持ちを封じ込めていただけかもしれない。
だけど私はもう子供じゃない。無邪気な言葉に傷つけられた思い出を大切に取っておく必要はないだろうし、誰が何と言おうと欲しいものを手に取っていいと思う。私だって本当は可愛い花柄が好きだったんだから。
「今は胸を張って言えます、この柄にしてみてよかったって」
ピンクのガーベラ柄のケースを手に取って、今の幸せを噛み締めた。
私は近頃になってようやく、幼い劣等感や傷ついた思い出を振り切って、ちゃんと大人になれたような気がする。
もちろんそれも全て自力でというわけではなかった。
瑞希さんの支えがあってこそだ。
「その柄、本当によく似合うよ」
すぐ隣で、瑞希さんがそう囁いてくれる。
いつでも傍に、私のことをうんと誉めてくれる人がいる。
このことに勝る幸せなんてないだろう。
「そういえば一海は、花柄の服って持ってないよな」
それから瑞希さんは思い出したように言って、私に額をくっつけて、瞳を覗き込んできた。
「今度は服にチャレンジしてみるってどうかな」
「服ですか……。あんまり似合わないかもしれないですよ」
「そんなの、着てみないとわからないだろ」
瑞希さんはいつも不思議なくらい前向きで楽観的だ。
その繊細な端整さ、美しい顔立ちからは想像もつかないくらい、思い切りのいい人だ。
「それに花柄なんて一口に言ってもたくさんあるじゃないか。小花柄とか、ボタニカルとか、レトロ風とか――君が好きで、君によく似合う花柄もきっとあるよ」
整然と唱えた後、はにかんで付け加える。
「一番の理由は、僕が見てみたいってだけだけどな」
そう言われると、試しになら着てみてもいいかな、と思えてしまう。
瑞希さんなら誉めてくれると知っているからだ。
「でも、本当に似合わなかった時は正直に言ってくださいね」
私が念を押したら、彼は額に短いキスをくれた後で言った。
「僕が君に嘘をつくと思う?」
「思いません」
「なら安心して。君が一番可愛くなれる服を選ぶよ」
そんな言葉と惜しみない愛をくれる人に出会えるなんて、かつては想像もできなかった。
それなら私も、自分に嘘をつくのはやめてしまおう。
私は可愛いピンクの花柄が好き。
そして、瑞希さんが大好きだ。