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いつか、王子様が

「春の白馬の王子様って、どんな人?」
 昼休み、お弁当を食べながらの会話の中で、温子が不意に尋ねてきた。
 母手作りの卵焼きを口に運ぼうとしていた春は、その唐突な問いに思わず箸を止める。
「白馬の王子様って……何?」
「だからさ、春の好みのタイプってどんなのかなーって思って!」
 楽しげに語る温子の額を、隣にいた美和がぺしっと叩く。それを見て静乃がくすくす笑う。
 四人で座るベンチはぎゅうぎゅう詰めで、一番右端に座った春が身を乗り出すと、一番左端に座っていた温子が叩かれた額を押さえているところだった。
「あいたっ。美和、ツッコミ厳しくない?」
「いや、今のは突っ込むべきでしょ。白馬の王子様とか、言われた方が面食らうわ」
「いいじゃん。何かそっちの方が可愛いし」
 温子は痛そうにしながらも、何やら愉快そうに笑っていた。
 校舎の中庭には五月の柔らかい日差しが溢れ、肩を寄せ合いベンチに並ぶ四人を明るく照らしている。
「それに春ってそういう感じしない? どことなくお姫様チックな顔立ちって言うか」
「そうかな。そんなの、言われたことないけど」
 春は即座に笑い飛ばしたが、温子のみならず美和、そしてすぐ隣に座る静乃までもが箸を止め、しげしげと顔を覗き込んでくるものだから、何となく照れて縮こまりたくなる。友人たちの目に春の顔はどう映ったのか、やがて三人は揃って息をつき、ベンチの背もたれに寄りかかる。
 そして真っ先に静乃が、納得したように呟く。
「確かに、春ってそういうイメージかも。いつか王子様が来てくれそうな感じ」
「それってどういうイメージ?」
 理解が追い着かない春が聞き返すと、今度は静乃が笑った。
「今は可愛い感じだけど、大人になったらすごく美人になってそうって言うか……」
 その言葉に、春の胸裏にはちらりと双子の兄の顔が過ぎった。
 よく容貌を誉めそやされる兄とは対照的に、春の顔立ちは地味そのものだ。両親や友人たちこそ可愛いと言ってくれるものの、それが親しい間柄ゆえの贔屓目であることは春自身がよくわかっている。まして顔立ちの整った兄との共通点を見つけてくる相手など、今まで誰一人としていなかった。
 まだ高校二年生の春には、大人になった自分の顔なんて想像もつかない。でも静乃の言う通りのことがもし起こるとしたら、その時自分は兄とよく似た顔つきになっているのかもしれない。双子であることが誰の目から見てもわかるくらいに――やはり想像はできなくて、春は密かにおかしさを噛み殺した。
「って言うか春って、好きな人いないの?」
 温子のまたしても唐突な問いが、春の意識を現実へ呼び戻す。
「好きな人? 男子でってことなら、いないよ」
「えー、何かもったいないよ。頑張ればどうにでもなりそうなのに!」
「そんなの春の自由でしょ。あんたは単に恋バナする相手が欲しいだけでしょうが」
 残念がる温子に美和が溜息をつくと、温子は途端にむくれて口を尖らせる。それを見て、春と静乃はくすくす笑う。
 四人で過ごす昼休みのひとときは、二年に進級してからも変わらず和やかで、楽しかった。

 二年に進級した際、世にも無情なクラス替えもまた同時に行われていた。
 結果、春は他の三人と、そして堂崎新とも違うクラスに振り分けられてしまった。堂崎と同じクラスになったのは静乃で、温子と美和はまた同級生だ。温子が静乃を大変に羨ましがったり、静乃が堂崎と挨拶くらいはするようになったり、美和が温子のツッコミに忙しいと嘆いたり、そんな話を春は微笑ましい気持ちで聞いていた。
 クラスがばらばらになってしまってからも、こうして時々、四人で昼休みを過ごした。
 春にとっては三人とも大切で、大好きな友人だったし、外部入学の春は新しいクラスに馴染むのにも時間がかかりそうだった。もっとも、馴染めないのには別の理由もあったが――さておき他の三人もこの関係を大切に思ってくれていると見えて、ちょくちょく声を掛け合っては一緒にお弁当を食べたりしている。
 さすがにお互い、よその教室へ乗り込んでいくほどの度胸はなかったから、集まるのはよく晴れた暖かい日、中庭のベンチが空いている時に限られていた。
 今日も五月晴れの、日差しがぽかぽか降り注ぐ暖かい日だった。芝生の上に置かれたベンチに四人で並んで座れば狭いくらいだったが、四人で肩寄せ合ってお弁当を食べながら、くだらない話に花を咲かせていれば狭さなんて気にならなかった。

「だって考えてみたらさ、春からそういう話、聞いたことないし」
 温子はむくれながらも恋の話への興味を募らせている。
 それは純粋に、彼女自身が恋愛をしている真っ最中だからということでもあるのだろう。
「ね、せめて好みのタイプくらい聞かせてよ! ほらチョコあげるから!」
 いち早くお弁当を食べ終えた彼女が、春に個包装のチョコレートを分けながら尋ねてくる。春はそれを受け取りつつも、聞かれた問いには上手く答えられない。
「ありがとう。でも……好みとか、あんまり考えたことないんだけど」
 春が答えに窮すると、すかさず美和が口を挟んでくる。ついでにちゃっかり温子の手からチョコレートを拝借するのも忘れない。
「ほら温子、嫌がってんのに無理に聞き出さないの」
「無理になんて聞いてないもん。だよね、春?」
「うん。聞かれるのが嫌じゃないんだけどね。本当に考えたことないだけ」
 現在の春は温子のように恋をしているわけでもないし、彼氏が欲しいと思ったこともない。理想を語ろうにも、これまで接してきた同年代の男子はほんのわずかだから上手く考えることもできなかった。
 初恋の記憶は、まだ胸の内にある。ほんのりとした温かみの中に微かな痛みを伴う思い出を、春は忘れようにも忘れられないと自覚している。だから別の恋がしたいと思うことも当分はないだろうし、自分がこれからどんな男の子を好きになるかだって考えもつかない。
 ただ三人の友人たちはそれぞれに理想というものがあるらしい。
「私は堂崎みたいなのがタイプだけどな!」
 温子がチョコレートを頬張った後、目を輝かせて語り始める。
「やっぱ顔いいし、硬派って感じするし、最近は挨拶しても返事くれるし……」
 彼女の言葉を、春は少々複雑な思いで聞いていた。
 温子の好意については兄本人にもそれとなく伝えているのだが、当の堂崎は温子の名前すらまだ覚えていないのが現状だった。
「ね、例のカラオケの話、そろそろ行こうよ! 試験始まっちゃう前にさ」
「そうだね。堂崎にも改めて言っておくよ」
「やった! お願いね、春!」
 まるで祈るようなポーズでせがむ温子を、春も優しい気持ちで眺めている。兄に無理強いをするつもりはないものの、兄を好いてくれる人がいるのはやはり、嬉しかった。だからせめて兄がそういう人たちの気持ちに、気づいてくれるようになればいいのに、と思う。
「堂崎ねえ。温子は本当、あいつのこと大好きだよね」
 一方、美和はまるで理解できないというふうにかぶりを振った。春の方をちらっと見てから、
「春の友達だから悪くは言いたくないけどさ……」
 と前置きして嘆き始める。
「あいつ愛想なさすぎじゃん。こっちが挨拶しても『おう』って一言だけだし、付き合いたいって発想すら私には出ないよ。仮にあいつが温子の彼氏になったら、どう接したらいいんだか」
 美和の意見を春も否定するつもりはない。以前よりも丸くなり、授業も真面目に出るようになった堂崎ではあるが、だからと言って以前までの悪評がすっきり消えてなくなるわけでもない。彼の変わりようをただの気まぐれとしか見ていない者も多いし、未だに彼を恐れて遠巻きにする空気が校内には色濃く残っている。時間がかかるであろうことは春もわかっているのだ。
 ただ、彼の為にも軽くフォローはしておきたい。
「まだ慣れてないだけだよ。打ち解けたらもう少し話せるようになるよ」
「そうそう! 愛想ないからこそ、ちょっと話してくれた時が嬉しいんじゃん!」
 温子もフォローを入れてから、拗ねるような顔を美和へと向けた。
「美和だって堂崎は格好いいって思うでしょ?」
「まあ、顔はね。私はもっと年上の、しっかりした人がタイプだけど」
「おじさん好きだもんね美和。誰だっけ、こないだのドラマに出てた俳優とか」
 美和の理想の男性は二十歳以上も年上の俳優とのことで、携帯電話の待ち受けにした彼の笑顔を、春も何度か見せてもらっていた。確かに穏やかで素敵な人だとは思うものの、春からすれば同時に途方もない年の差に思えてならない。
「静乃の好きな人も芸能人だしさあ、話してても恋バナって感じにはならないんだもん」
 温子の言葉に静乃はぱっと頬を染めた。
 普段はおとなしい彼女からは想像もつかないがとあるアイドルのファンらしく、コンサートにも足繁く通っていると聞いている。桂木家はあまりテレビを見ないので春も芸能界の話題には疎いのだが、静乃からCDを借りたりして、彼女の好きなアイドルのことは多少知っていた。
「アイドルを好きになるのって、恋とは違うのかもしれないけど……」
 静乃はもじもじしながらも語る。
「でももし誰かとお付き合いするんだったら、やっぱりああいう人がいいなって思っちゃうよね。温子の言う白馬の王子様って、私にとってはあの人かなあって」
 そう語る彼女は恥ずかしそうだったが、同時にとても幸せそうだった。温子が堂崎について語る時と、何の違いもない顔つきに見えた。
 隣でその横顔を眺めていると、春にもそれがほんの少し、羨ましくなるような素敵なものに映る。
「白馬の王子様、かあ」
 声に出して、考え込んでみる。
 そんな人が自分にも、いつか、現われるだろうか。

 お弁当を食べ終え、持ち寄ったお菓子を分け合い、ひとしきりくだらない話も交わした後、春は友人たちと別れて一人で教室へ戻った。
 四月からの新しいクラスにはまだ馴染めた気がしない。クラスメイトたちは春が堂崎の友人という話もとうに知っているからか、どこか腫れ物に触るような態度を取ってくる。クラスの中で春にも物怖じせずに話しかけてくるのはたった一人だけだった。
「あっ、いた! 桂木!」
 教室の前で明らかにいらつきながら立っていた吉川が、春を見つけるなり声を上げる。
 相変わらずてかてかした硬そうなオールバックの彼は、廊下に居合わせた他の生徒からの視線などものともせず、春の方へと駆け寄ってきた。
「あれ、どうしたの? 吉川さん」
 春がのんびり返事をすると、吉川は歯を剥き出しにしながら吠えた。
「どうしたのじゃねえよ! どこ行ってたんだよお前!」
「どこって、友達とお弁当食べにだよ」
「馬鹿、さっき堂崎さんが探しに来てたんだぞ。うろちょろしてんじゃねえよ!」
 堂崎とはクラスこそ違ってしまったが、やはり現在でも友人らしい付き合いをしていた。こんなふうに春の教室まで訪ねてきたり、昼休みを一緒に過ごそうと声をかけてくることもよくあり、春も時間が許せばそれに応じていた。
 ただ春には他にも大切な友人がいたから、今までのように全ての時間を堂崎の為に使うことはできない。それは彼も理解しているらしく、そういう時は黙って譲ってもくれていた。
 しかし堂崎を慕う吉川からすれば、春の行動は許しがたいものらしい。
「お前もどっか出かけるなら堂崎さんに一言断るとかしろよ」
 彼は鼻息も荒く春を責める。
「俺だって、堂崎さんがお前に用あるって言うから、昼休みの間中ずっと校内あちこち探し回ってたんだからな! おかげでまだメシも食えてねえし、買えてすらねえし!」
「え、そうだったんだ。ごめんね」
「ごめんで済むか馬鹿!」
 吉川は詰る途中で自分の腹を押さえ、恨めしげな目を春に向けてきた。
 さすがに春も申し訳ないと思い、友人たちと分け合ったお菓子を制服のポケットから取り出す。結局昼休みの間はお喋りと考え事に夢中で、温子からもらったチョコレートさえ食べる余裕がなかったのだ。
「よかったらこれ、食べる? 余りもので悪いんだけど……」
 お菓子をいくつか吉川に差し出すと、思い切りうろんげな表情をされた。
「何だよこれ。俺を懐柔しようってのか」
「そういうんじゃないよ。走り回らせちゃって悪いなって思って、お詫びだよ」
「お詫びとかするくらいならまず、堂崎さんと連絡取れっての」
 吉川は一度お菓子に目をやったものの、春の申し出は突っ撥ね、頑として受け取ろうとしない。それも堂崎を一途に慕うがゆえなのだろう。
 確かに春も堂崎の用事が気になっていたから、そういうことならと自分の携帯電話を確認する。
 しかし堂崎からの連絡はなし。メールも電話も来ていなかった。何か急ぎの用事であればメールくらいはくれるはずだから、それがないということは大した用件ではなかったのだろう、と春は判断した。
「私のところには連絡来てないよ。そんなに急ぐ用でもなかったんじゃないかな」
 春がそう言えば、吉川はうんざりした様子で息をつく。
「お前な、堂崎さんの用事が大事じゃないとか言うなよな」
「そこまでは言ってないけど……、あ、それで、お菓子食べない?」
「話逸らすなよ! つか俺は懐柔されねえっつってんだ!」
「じゃあ要らない?」
「……いや、要る」
 吉川はどこか悔しそうに春からお菓子を受け取った。それを廊下に立ったまま、性急に口に放り込む様子を見て、春は一層申し訳ない気分になる。
「吉川さんも、今度から私に連絡してよ。そしたら校内探し回らずに済むよ」
「ああ?」
 春の提案を聞いた吉川が、眉を顰める。
「連絡ってどうやってだよ。俺はお前の連絡先なんて知らねえっつうの」
「だったら教えるよ。電話番号と、メールアドレスも必要かな?」
「お前の? いや、でも、それはな……」
 すると吉川は急に気まずげになった。昼休みも終わりに近い廊下をきょろきょろと見回した後、声を潜めて答える。
「そういうのはちょっとまずいだろ。堂崎さんがいい顔しねえよ」
「何で堂崎が嫌な顔するの? 吉川さんも私も、同じ堂崎の友達だよ」
「や、俺は友達じゃなくて舎弟だし……そもそもそういう問題でもねえし」
「じゃあ、何が問題? クラスメイトなんだから、知ってた方が便利じゃないかな」
 春からすれば吉川は、新しいクラスで唯一まともに話ができる相手だった。もしかしたら初めての友達になれるかもしれない、とも、こっそり思っていた。他のクラスメイトは春を恐れるようにあまり近づいてこないから、春は吉川と同じクラスになれて本当によかったとさえ考えているのだ。
 もっとも、吉川のほうはそんなこと全く思っていないようだったが。
「……はあ。お前なんかと同じクラスになったのが運の尽きだ」
 唸り声みたいな溜息をつき、観念したように携帯電話を取り出す。そして春を急かしたててくる。
「ほら、番号交換するぞ。またこんなことになったら飢え死にするわ」
「あ、うん。いいよ」
 春も急いで携帯を用意する。
 内心、少し嬉しかった。
「言っとくけど緊急用だからな。用もないのにかけてくんなよ!」
「うん。でも学校のこととか、クラスの用事とかならいいよね?」
「そのくらいはまあ……けどお前、イタ電とかかけたら女でも容赦しねえからな!」
「しないよ、そんなこと」
 吉川は随分と疑り深く念を押してきたが、それでも電話番号及びメールアドレスの交換はすんなりと終えることができた。春は画面に表示された彼のメールアドレスを確かめ、その新鮮さに思わず笑い声を立てる。
「吉川さんでも、メルアドには自分の名前と誕生日を入れたりするんだね」
「はあ?」
 春の指摘に、吉川は目を丸くする。
 それからちょっとむっとしたように、
「そりゃ入れるだろ、その方が覚えやすいし。何だよ。何か変かよ」
「ううん。ただ意外だなって思っただけ」
 春も笑いを止めようとはした。でもどういうわけか、笑いたくてしょうがない。馬鹿にしたいわけではなくて、ただ吉川の意外な一面を見せてもらえたような気がして、不思議と楽しい気分になった。
「訳わかんねえ。そんなんで笑うなんて趣味悪いし……」
 吉川はぶつぶつ言いながらも、さほど気分を害した様子はないようだった。その代わり、そこはかとなく訝しそうに、笑う春の顔を見ていた。
 彼の視線に気づいて春が目を瞬かせると、吉川は一瞬迷うそぶりを見せてから、ふと言った。
「お前さ、昔、どっかで会ったことある?」
「吉川さんと?」
 聞かれて春は記憶を辿ってみたが――吉川のてかてかしたオールバックも、目つきの悪さも、高校生にしては割りかしいい体格も、どれも最近知ったばかりのものだった。高校に入る前に会ったという記憶はない。初めて会った時はオールバックにしていなくて前髪が長く見えた、でもその姿だって、見たことがなくて誰だろうとぎょっとしたくらいだ。
「心当たりないけど……。吉川さんは中学、ここなんだよね?」
 彼は中等科からのエスカレーター組だと、堂崎が言っていたはずだ。春が聞き返せば吉川は頷き、釈然としない顔で首を捻る。
「どうもどっかで見たことある気がすんだよな、お前の顔」
「そう?」
「ああ。何かここまで出かかってんのに出てこなくて、もやもやする」
 吉川は自分の喉を指差した後、春にじっと鋭い視線を浴びせてきた。何かを探しているみたいに熱心な目つきだった。
 春も黙ってそれを受け止めながら、彼の言葉の意味を考えてみる。小さな町のことだから、過去にどこかですれ違っているくらいのことはありそうだが、果たしてそれだけだろうか。見たことがあるという事実を、彼が確かめたがっているのはどうしてだろう。
 図らずも廊下で見つめ合う格好となっていた二人の耳に、
「――おい」
 低い声がかかったのはその時だ。
 春は別に驚きもしなかったが、その分吉川が飛び上がるほど驚いていた。
「うわっ、ど、堂崎さん!?」
「何やってんだお前ら、こんな廊下で突っ立って」
 いつの間にか堂崎が、仏頂面で吉川の背後に立っていた。
 たちまち慌てふためいた吉川が、なぜか必死になって弁解を始める。
「ち、違うんすよ堂崎さん! 俺は桂木にふらふらすんなって説教してただけで!」
「まだ俺は何も言ってねえ」
 堂崎が短く答え、吉川を一瞥する。思わず吉川が言葉に詰まると、すうっと目を細めてみせる。
「同じクラスになったせいか、最近随分と仲いいみたいじゃねえか」
「な、何を言うんすか! 全然っす! ありえねえっす! 誰がこんなのと――」
 吉川は更に弁解しかけたが、堂崎の前で春を貶すのもよくないと思ったのだろう。途中で言葉を止めぐっと詰まってから、やがて堂崎に向かって頭を下げた。
「じゃ、じゃあ、桂木も見つかったことですし、俺はこの辺で……」
「おう」
 堂崎はそれを引き止めず、吉川は一目散に教室へと飛び込んでいく。ただし一度こちらを振り向き、堂崎にはわからないよう春を睨んで、『お前のせいだ!』と訴えてくるのも忘れなかった。
 春は笑いを噛み殺しながら去っていく彼を見送った。
 それから兄に視線を戻すと、兄は苦々しげな顔をしていた。
「仲良くしてんのか、あいつと」
 そう聞かれたから、少し考えてから答える。
「うん。クラスメイトだからね」
「そうか」
「まだ他に話せる子、クラスにはいないから……吉川さんがいてくれて助かってるよ」
「……そうか」
 堂崎は目を伏せ、軽く溜息をついた。
「それより、私を探してたんでしょ? 何か用だった?」
 今度は春が尋ねると、堂崎はまあな、と答えてから続けた。
「たまに一緒に飯でも、って思っただけだ」
「そうだったんだ……。ごめん、今日は友達と食べてたんだよ」
「だろうと思ってた。だから俺もあいつに、探さなくていいって言ったのにな」
 ちらっと教室に目を向けた後、また春に視線を戻し、堂崎は肩を竦める。
「どうせいつもの面子で、訳のわかんねえ話でもしてたんだろ」
「うん。男の子はそう言うかもしれないね」
 きっと堂崎にも、吉川にもわからない話だ。春だって友人たちと話したことを、兄たちに教えたいとは思わない。口にするのはもったいないような、恥ずかしいような気がするからだ。
 でもいつか、自分にも、王子様が現われたらいいのにと思う。
「たまには俺との時間も作れよ」
 堂崎が少し寂しそうにしていたから、春はすぐに応じた。
「もちろんいいよ。明日は一緒にご飯食べる?」
「ああ」
「わかった。約束したからね」
 春が兄に向かって笑いかけると、兄もまた柔らかい笑みを浮かべて、それから妹の頭に軽く手を置いた。
 その後で、でも何か気がかりなことを思い出したように言ってきた。
「けどな、お前――男を見る目ってやつは、もう少し養っとけよ」
「え?」
 脈絡のない、それでいて内心を読み取られたような言葉に春が目を見開くと、堂崎は酷く憂鬱そうにぼやいてみせた。
「さすがに、あいつってのはな……。負けた感じして腹が立つ」

 高校二年生の春には、まだ白馬の王子様などいない。
 兄の助言通り、見る目を養う必要があることも自覚している。
 ただ、王子様がまだ現われていないのか、それとも本当は既にめぐり会っているのかなんて――そんなことは春にも、わかるはずがない。
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