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初心者サンタクロース

 結婚生活における困り事の一つは、秘密が持ちにくいということだ。
 別に真琴に対してやましいところがあるわけじゃないし、隠しておきたい秘密を作る予定もない。それに彼女に言わせれば、俺が悩んでたり迷っているような時は態度に出るからすぐにわかってしまうらしい。そんな相手に隠し事をしたままで日々を送れるとも思えなかった。
 ただ、秘密と一言で語るにしても、問題のない悪くない秘密だってある。
 例えば夫婦関係を円満に導けるような秘密――彼女にこっそりプレゼントを準備するとか、内緒でお祝いの用意をするなどといった行動は、隠していても倫理上はまずいことなんてない。

 折りしも季節は雪のちらつく十二月、クリスマス直前だった。
 うちの店にも、母さんと真琴がはしゃぎながら飾ったクリスマスツリーが置かれている。純和風の小料理屋にツリーなんてそぐわないんじゃないかと俺は思ったけど、二人とも楽しそうにしていたから口を挟むに挟めなかった。彼女が喜んでるならいいか、って気もした。
 それで、店先に置かれたツリーや彼女の笑顔に釣られたというわけではないけど、せっかくだから俺もクリスマスらしいことをしようと考えた。
 彼女にプレゼントを用意して、イブの夜、枕元に置いてみようと――つまり、何と言うか、柄でもないのを承知で言えば『俺がサンタクロース』的なことをしようかなと。
 うん、我ながら柄じゃなさすぎる。
 渋澤ならためらいもなく言いそうな台詞だ。真琴は最近、俺があいつに似てきたみたいなことをたまに口走るけど、それは似てきたんじゃなくて男ってそんなものなのかもしれない、と俺は思う。男なら誰でも自分の奥さんには格好いいことをしてみたくなるものだ。
 そういった行動が似合うかどうかは、また別の話だろうけど。

 つまり何が言いたいかと言うと、俺が柄でもなくサンタの真似事をするに当たっての障害は、彼女に秘密を作りにくいという事柄に尽きる。
 プレゼントをいつ買いに出かけ、買った後はどこへしまっておくか。
 家の中に隠しておくのは危険だ。何せ一緒に暮らしてる相手だ、押入れ、クローゼットあたりじゃまず見つかる。
 かと言って面倒くさい場所に隠すと、いざって時に取り出すのに手間取るかもしれない。サンタクロースの任務は深夜に行われる。どたばたと音を立てるのも、時間をかけすぎるのもよくない。
 他の候補としては車の中、もしくは実家という選択肢もあった。でもうちの車は元々真琴のもので、当然乗る機会も彼女の方が多いから駄目だ。そして実家には年甲斐もなくイベント大好きな母さんがいる。秘密を守れない人間だとまで思ってるわけじゃないけど、当日までずっと訳知り顔でにやにやされるのはどうにも落ち着かない。できれば隠しておきたい。
 悩んだ末、プレゼントを何にするかという問題も含めて導き出した結論は――。

 クリスマスイブの夜が過ぎ、日付も変わった二十五日。
「今日は先に上がっていいよ」
 看板後の店の中、のれんを外して戻ってきた真琴に、俺はすかさず声をかけた。
 店じまいは俺たちの仕事で、父さんたちは一足先に上がってしまう。そうして閉店作業を二人で済ませてから、借りてるアパートまで一緒に帰る。
 いつもはそんな調子で仕事を終えていたけど、今夜はそうもいかない。
「え? 何で?」
 案の定、真琴は不思議そうな顔をした。
 遅い時間まで働き通しだというのに疲れたそぶりも見せない彼女は、後片付けだって張り切ってやってくれる。冬でも割烹着の袖をまくっているのが何となく、彼女らしくていい。
「父さんに明日の分の仕込を頼まれててさ。済ませてから帰るから」
 用意しておいた嘘を答えると、彼女は目を瞬かせる。
「そっか。でも、ちょっとなら私、待ってるよ」
「いいよ、一時間以上かかりそうだし。先帰って寝てて」
 こっちは嘘ではなく、実際にその程度はかかりそうだった。
 だから真琴には、是非とも先に寝ていて欲しい。物音じゃ起きないくらいにぐっすりと。
「うん……」
 一瞬、真琴は心配そうに眉を下げた。それからそっと尋ねてくる。
「遅くなる?」
「大丈夫。なるべく早く済ませる」
「あんまり無理しないでね」
 気遣う言葉になぜか罪悪感が湧いた。別に悪い秘密を作ろうとしてるわけでもないのに。
 嘘をついたのが心苦しいというのはあるけど、今日の俺はサンタなんだから仕方ない。そもそもサンタクロースは嘘つきでなければ務まらない。それは一人二人の話じゃなく、世界規模でそう決まっている。この嘘は言わば前例に、あるいは偉大なる先達に倣った意義のある嘘だ。
「じゃあ、お先に失礼しまーす」
「はい、お疲れ様です」
 ぺこっと頭を下げた彼女に、俺も頭を下げ返す。
 真琴は小さく手を振りながら店の奥へと引っ込んでいき、着替えを済ませた後は勝手口から帰宅の途に着いた。

 そして俺一人になった店内で、ようやくプレゼント作りが始まる。
 プレゼントの隠し場所はもちろんのこと、肝心のプレゼント自体も悩みどころだった。
 もっとも後者の方は、彼女に何か贈るのは今に始まった話でもなく、考えればおのずと答えも出た。柄にもないことばかりすると得てして失敗するものだから、贈り物は俺の得意なものにしよう。そうなれば隠し場所だってすんなり決まる。

 店の冷蔵庫にしまってあった、卵と牛乳、バニラオイルを取り出す。プレゼント用にと買ってきたそれらの材料を、父さんは何も言わずに隠しておいてくれていた。どうやら母さんにも黙っていてくれたらしい。さすがは元サンタクロース、話が通じる。
 作るのは蒸しプリンと決めていた。材料の調達、調理と後片付けの所要時間を踏まえての選択だった。それに可愛い容器に詰めてラッピングして、枕元に置いておくのにもちょうどいいサイズだ。朝起きて、彼女がすぐに食べてくれそうなお菓子でもある。
 幸い店にはいい蒸し器もあったから、作業自体は順調に進んだ。卵液を繰り返し漉して滑らかにしてから、この日の為に買い揃えたクリスマスカラーの陶器に流し入れる。そして、普段はもっぱら茶碗蒸しを作っている蒸し器にかける。見た目は似ているからプリンを並べても全く違和感がない。
 蒸し器から噴き出す湯気はバニラの香りがして、仕事の後の空きっ腹には堪えた。ちょうど夜食が欲しくなる時間帯だ。
 蒸し上がったプリンを氷水を張ったバットで冷やし、荒熱を取りながら、俺は彼女のことを考える。
 喜んでくれたらいいんだけどな、と少し弱気になったりもする。
 プリンの出来には自信がある。でも彼女が、いかにも不慣れな初心者サンタクロースをどう思うのか、ちゃんと歓迎してくれるのか、そこだけが今から気がかりだ。

 結局、後片付けまで済ませると予定の時刻を超過していた。時刻は午前三時を回ったところで、雪の降りしきる中をとにかく急いで帰る。
 アパートに着くと、居間は照明が落とされていて豆球だけが点っていた。暖房も切られているようで、電気ストーブはいつもの時間にタイマーがかかっていた。
 念の為に寝室を覗いてみる。こちらは明かりが消えていて、薄暗がりの中には敷かれた二組の布団と、その片方に潜り込んでいる彼女らしき姿がうかがえた。彼女は音もなく開いたドアに反応することもなく、戸口に背を向けたまま、静かに掛け布団を上下させていた。
 どうやら寝入っているらしい。
 俺は胸を撫で下ろす。よかった、サンタクロースの初任務は割と楽にコンプリートできそうだ。

 早速、リボンをかけたプレゼントの袋を提げて寝室へと滑り込む。フローリングの床が軋まないよう最大限に注意を払いつつ、彼女の布団に忍び寄る。
 枕元に膝をつくと、横向きに眠る真琴の寝顔が見えた。
 内側にくるんと巻いた彼女の髪が頬や口元を隠すようにかかっている。今となっては珍しくもなくなったその寝顔は、それでも不思議と見飽きない。仕事中みたいに気を張っていないからか、優しくもあどけなくも見える。
 せっかくだからと俺は指先で、彼女の顔を遮る髪をそっと、慎重にどけてみた。さらさらの髪が頬の上を滑り、小さな耳の後ろまで落ちる。
 そこでなぜか、目が合った。
 寝ているはずの彼女と目が合う、という事実の意味するところは、
「……おかえり」
「――うわっ!?」
 見下ろす顔がはにかむと、俺はうろたえ飛び退かざるを得なくなった。
 何せ手にはプレゼントの袋がある。これを見られたら元も子もない。
 慌てて後ろ手に隠すと、彼女は気づかなかったのかちょっと笑った。
「そんなに驚かせちゃった? ごめん」
 真琴の声ははっきりしていて、寝起きのものではなかった。
「い、いや、寝てると思ってたから……」
 答える俺の声はわかりやすく動揺していた。
 正直、死ぬほどびっくりした。
「起きてたよ」
 寝返りを打って仰向けになった彼女は、妙に嬉しそうにしている。
「だって播上、帰り遅いんだもん。何か気になっちゃって寝つけなかったから、ついでだと思って待ってみたんだ」
 そう話す口調は明るかったけど、心配してくれてたってことは俺にでもわかる。
 悪いことしたな、と密かに思う。
「私の寝たふり、上手かった?」
「うん、すごく。起きてるとは思わなかった」
「そっか、やったあ」
 布団に包まりながら笑う真琴はちっとも眠そうじゃなく、目も冴えているようだった。
 これは一旦引いて、彼女が本当に寝つくまで待つべきだろう。プリンを背中に隠したまま考えた。
「着替えといでよ、待ってるから」
 彼女にもそう言われたので、
「わかった。……ちょっと、待っててくれ」
 俺はよろよろと立ち上がり、不自然な後ろ歩きで寝室を出た。

 プリンを台所の冷蔵庫にしまい、ついでに寝巻きに着替えておく。
 と言っても寝るわけにはいかない。サンタクロースとしての任務を果たすまでは眠れない。何としてでも真琴を先に眠らせて、その枕元にプレゼントを置かなければならない。
 しかしその任務は前途多難のようだ。

 寝室に戻った俺を、彼女は全く眠気を感じさせない笑顔で迎えてくれた。
「おかえり」
「あ、ただいま」
 言いながら、俺は彼女の隣に敷いてあった自分用の布団に入る。冬場だけあって敷布団はおろか、毛布さえも少しひんやりしていた。つい背を丸めたくなる。
 真琴は身体ごとこっちを向く。暗闇にまだ視覚が慣れていなくても、彼女の目がじっと俺を見ているのはわかった。
「お布団、冷たくない?」
 そう聞かれて、寒さに震えつつ俺は答える。
「さすがに、入ったばかりだからな」
 すると彼女は、自分が被っていた布団を少しだけ、まるで招き入れようとするみたいに持ち上げた。
 少しだけためらいがちに尋ねてくる。
「……こっち来る?」
「え」
 気の抜けた声が出た。
 真琴も俺の反応を頼りなく思ったんだろう。すぐに付け加えた。
「こっち、温かいよ」
 温かいのはわかってる。こういう冬場の寒い日は布団を別々にしないで一緒に寝てしまう方が快適だってことも知っている。
 いつもなら全く遠慮もしないけど、今日ばかりは困った。
 真琴の布団に入れてもらったらそりゃ温かいだろうけど、快適すぎてそのまま俺が寝てしまうんじゃないかという不安がある。冷蔵庫のプリンを思えば、俺が先に寝てしまうわけにはいかない。
「いいよ、俺も結構手足冷えてるし。黙ってれば直に温かくなるよ」
 嘘ではなかった。
 でも彼女の好意を拒んだようで、もやもやと罪悪感がくすぶる。いっそサンタ業務なんてさっさと終わらせて、その後は迷わず彼女の隣で寝よう。そう心に決める。
 上げていた布団を元に戻し、真琴は小声で話しかけてくる。
「外、雪降ってた?」
「降ってた。ちょっとは積もるかもな」
「……それなら」
 そう言うなり彼女は、今度は布団から手を伸ばしてきた。俺の布団を捲り上げたかと思いきや、スムーズに、だけどやたら勢いよく滑り込んでくる。
 一瞬冷たい風が吹き込み、すぐに温かくて柔らかい身体がどん、とぶつかってきた。

 いや、飛びついてきた、の方が正しい。
 言葉も出ない俺にしっかり抱きついている。
 絡めてくる細い脚の温かさに、思わず息を呑んだ。

 もっとも、真琴も違う意味ではっとしたようだ。布団の中からくぐもった声が上がる。
「播上、足冷たっ」
「だから言っただろ、冷えてるって」
 手足だけじゃなく、布団もまだ室温とそう変わりないくらいだ。
 わざわざ寒い思いしに来なくても、と苦笑していれば、真琴は顔を上げて言った。
「う、うん、そう思って……ほら、温めに来たんだよ」
 大胆な行動の割に、言葉はちょっと、恥ずかしそうだった。
 冷たさに抱き締め返すのを迷う俺の手を抱きかかえるようにして、彼女は続けた。
「播上の手が凍えちゃったら、大変だもん」

 その言葉を口にしてから数分もしないうち、真琴はうとうとし始めた。
 黙って見守っていたらすぐに寝息が聞こえてきた。無理して起きていてくれたのかもしれない。
 それ以前に間違いなく、俺は彼女を心配させていたようだ。帰りを待っててくれて、こうして温めにも来てくれて、真琴は俺にはもったいないくらいの、いい女だ。

 寝入ってからも彼女は俺の片手を握ったままだった。
 だから空いた方の手で彼女の肩を抱き締めておく。サンタクロースの任務のことはまだ脳裏にあったけど、今はそれよりも果たさなくてはならない役目がある。このまま一緒に眠ってしまおう。
 大体、柄にもないことなんてするもんじゃない。俺にはきっと、やましくない秘密や些細な嘘さえ似合わなくて、そういうものがなくても手に入る幸せこそがふさわしいってことなんだろう。
 真琴を心配させたり、無理させたりしないクリスマスの方が、格好よくはないかもしれないけど、ずっといい。

 それから俺たちは少し遅めの時間に、ほぼ同時に目覚めた。
 俺は冷蔵庫の陶器入りプリンを寝ぼけ眼の真琴に手渡した。直に贈るのは気恥ずかしかったけど、眠気も吹っ飛ぶ勢いで喜ぶ彼女を見ていたら、これでよかったんだと思えた。
「私は、サプライズはいいよ。今度は本当に泣いちゃうかもだし」
 真琴が照れ半分、拗ねてるの半分でそう言うから、俺のサンタ業務は恐らく、別の機会までお預けだ。それがいつになるかはわからないけど、その時は全世界のサンタクロースと同じように、あるいはうちの父さんみたいに、無難にこなせたらいいと思う。
 とりあえず彼女に対しては、俺はサンタにはならない。
「美味しーい!」
 朝食代わりにプリンを食べ始めた真琴は、とびきり幸せそうな顔をしている。
 これは特別格好いいことをしなくても手に入る、俺だけの幸せだ。
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