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一年目(4)

 それからというもの、俺は清水と二人で昼休みを過ごすようになった。
 食堂で相手を見つけたら、必ず隣の席に座る。弁当の中身を交換する。なるべく率直に感想を告げる。そして作り方を教え合う。――憂鬱な五月を抜け、夏の終わり頃にはすっかり日課になっていた。
 俺達の話題は弁当と料理のことばかりで、それに時々仕事の愚痴が交ざるくらいだ。プライベートでの付き合いはメールの送り合いだけ。渋澤あたりに仲がいいなと突っ込まれると、そうなんだろうかと首を傾げたくなる。
 でも、一緒に過ごす昼休みが当たり前になりつつあるのも確かだ。

「今日のお弁当は自信があるよ。得意のしょうが焼きだから」
 清水は表情まで得意げにそう言った。
 五月からこの八月まで、お互いに弁当作りを一度として欠かしたことがない。初めて経験した繁忙期を乗り切れたのも、弁当作りから派生する自己管理のお蔭なのだろう。
 もっとも、清水の料理の腕は未だそこそこといったところだ。筋が悪いわけではないのだが、随所で詰めが甘い。もちろん、弁当作りが続いているというだけでもよくやっていると思うのだが。
「播上は、今日は何を作ってきたの?」
「イカのチリソース。あと味つき卵と春雨サラダ」
「春雨サラダって水気切るの大変じゃない? どうしてる?」
「茶漉しで切ってる」
 弁当の蓋におかずを載せて、交換し合うのも当たり前になっている。子供の頃の遠足みたいだなと思う。こういやり取りが遠足みたいに楽しいのも事実だ。
「そういえばチリソースって作ったことなかった」
 清水が呟き、イカチリを一口食べる。ちらと視線が動き、唇が緩んだ。その表情だけで感想がわかってしまうから面白い。
「美味しい」
「美味いよ。ちゃんと味見して作ってるからな」
 そう告げると、彼女には不満げな顔をされてしまった。ここ数ヶ月で、彼女が割と負けず嫌いであるらしいことを知った。そういう相手の方が料理の感想を率直に伝え易いからいい。
「今日は私も味見してきたんだから。出来立ては普通に美味しかったし」
 弁当というのは大概、冷めても美味しいかどうかが問題だ。ともあれ俺も、彼女の作ったしょうが焼きをいただく。冷めた豚バラに醤油としょうがの味がよく染み込んでいる。
「美味いな」
「本当? また持ち上げて落とす?」
「落とすつもりはないけど……そうだな。もうちょっと脂は落とした方がよかったかもしれない」
 それで清水も自分のしょうが焼きを口にして、ああ、と唸った。
「そうかも。冷めると結構、きついね。脂が」
「豚バラだからな。好きな奴は好きだと思うけど」
「私はもっとヘルシーな方がいいな。いろいろ気になるし」
 清水は服の上から自分のバラ肉のあたりをつまんでいた。太っているとも痩せているとも言い切れない彼女が、何を気にしているのかはよくわからない。
「清水でもダイエットとかするのか」
 そう尋ねたら、彼女が怪訝そうにする。
「え? 何、清水『でも』ってどういう意味?」
「毎日毎日肉中心の弁当なのに、気にすることなんてあるのか」
「今はいいの。夏だからスタミナをつけようと思ってるんだから」
 平然と言い返してから、清水はふと思いついたような顔をした。
「なら、イカチリはお肉じゃないし、ヘルシーだよね? 後で作り方教えてね」
 素の清水はやたら朗らかで、よく笑うし、よく食べる。
 負けず嫌いの癖にあまりかりかりしていない。言い過ぎたかなと思う冗談でも笑い飛ばしてくれる。接し易い相手だった。料理の腕もそのうちに上達するだろう。焦ることはないと思っている。
 それにしても、仲がいいと評されると戸惑いたくなるのに、二人で過ごす昼休みは楽しい。居心地がよかった。料理のことを話せる人間がいて、それが明るい性格をしていて、よく笑ってよく食べているのを見ているのが楽しい。弁当以外の楽しみが出来たような気がする――むしろこれも、弁当の楽しみのうちの一つに含まれるのかもしれない。

 ただ弊害もなくはない。
 俺と清水が弁当だけで繋がっている関係でも、傍から見ればそうは映らないらしい。人からよく聞かれるようになった。すなわち、彼女との『本当の』関係を。
「だから、はっきり言っちゃいなさいって。隠すことないでしょうが」
 藤田さんが噛みつくように促してくる。この先輩が同じテーブルに乗り込んでくると、俺と清水は互いに気まずくなってしまう。相手が目上の人なので強くは言えないからだ。
「付き合ってるんでしょ?」
 尋ねられ、俺はうんざりしながら答えた。
「違います」
「じゃあ何でいつも一緒にご飯食べてんの? 普通そこまでしなくない?」
「何でって……別におかしくないと思いますけど。清水とは同期ですし」
 知らず知らずのうちに反抗的な物言いになってしまい、慌てて口調を修正する。
「そ、それにお互い趣味が一緒で、話が合うんですよ。それだけです」
 本当にそれだけだった。
 にもかかわらず藤田さんを筆頭に、社内の人間には俺達が付き合っているとうだと誤解をされているらしい。
 もし実際に付き合っていたのだとして、隠し通す気があるならそもそも社内で親しくすることもないと思うのだが、皆からの追及は一向に止む気配がない。あの渋澤ですら俺達を疑っているらしい。
 となれば、口さがない人間の代表のような藤田さんが黙っているはずもなかった。
「隠さなくてもいいのに。本社はともかく、うちみたいな地方勤務じゃ社内恋愛禁じてないし」
 そう言って藤田さんは首を竦めた。
「播上くんは栄転しそうにないし、地方でぐだぐだやってる限りはいいんじゃないの? いい加減認めたら?」
 さりげなく失礼なことを言われているような気がする。もちろん自分が出世コースを歩んでいるとは露とも思っちゃいないが。
「とにかく、違いますから」
「じゃあ何なの。清く正しい男女間の友情だとでも?」
「それは……」
 友情なのかと聞かれても、やはり言葉に詰まってしまう。
 清水は彼女ではないが、友達でもないような気がする。単語を当てはめるならそれこそ『同期』か、堅苦しい言い方をすれば『同好の士』といった程度。せいぜいがそんなものだ。こうして昼食を食べている相手が女の子である必要はどこにもない。料理好きな人間でさえあれば誰でもよかったくらいだ。それがたまたま清水であり、その清水がいい子だったからこそ、こうして居心地のよさを味わえているだけで――。
「もういい。播上くんに聞いても埒明かないし」
 わざとらしい溜息の後、藤田さんは視線を清水へと転じた。
 俺の隣で、清水がびくりとしてみせる。
「清水さん、どうなの。本当のところは」
「え……」
 清水は返答に窮し、困り果てた顔をしていたが、やがて目を伏せてしまった。違う課の先輩に問い詰められてもそりゃあ困るだろう。こんな先輩がいて済まないと詫びたくなってくる。
 矢面に立たされる覚悟で俺が口を開きかけた時だった。
「強いて言うなら」
 不意に面を上げた清水が、そう切り返した。
「メシ友ってやつです、私達」
 隣の席から見る横顔に、負けず嫌いの表情が閃く。
 そのせいか藤田さんも一瞬だけ言葉を詰まらせたようだ。
「メシ友? 何なの、それ」
「一緒にお昼ご飯を食べる仲だからメシ友。そういうことです」
 きっぱりと言い切った清水が、こちらを向いた。
 俺の顔を見て微笑む。ほんの少しぎこちなく、でも、やはり、負けず嫌いらしい表情で。
「そうだよね? 播上」
 俺も一瞬だけ言葉に詰まった。だがすぐに思った。
 ――メシ友。いい形容だ。
 恋人じゃないし友達でもない、けれど同期と言うだけでは説明不足かもしれない関係を、全てひっくるめて言い表すのにぴったりだ。
「ああ」
 頷いたその時、なぜか笑えた。
「納得いかなーい」
 藤田さんが不満げに呻いている。
 でも事実なんだからしょうがない。追々、皆にも理解してもらえるといい。

 何せまだ一年目だ。仕事でも他のことでも、焦る必要なんてない。
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