Tiny garden

ガールズトーク@2年C組

 宿泊研修の夜と言えば、クラスの女子だけで集まって、秘密のトークがお約束。
 ところが今回の幕開けはちょっと趣が違っていた。

「ねえねえ皆、うちのクラスの男子の中だったら、誰が一番好み?」
 口火を切ったのはひかりだった。
 いつも明るくて元気いっぱいな彼女は、随分と唐突な話題振りで居合わせたC組女子一同の注意を引きつける。
「何それ、何でうちのクラス限定?」
 あたしは思わず突っ込んだ。普通こういう時は『好きな人いる?』って聞くもんじゃない?
 いや、個人的にはその質問の方が微妙と言うか厄介なんだけど――にしても今の質問は、何て言うか範囲が狭すぎる。たかだか十数人のC組男子の中から好みのタイプを見つけるのは結構難しいと思うんだけどな。
「だって『好きな人いる?』って聞いても、皆ぶっちゃけてくれないと思って!」
 ひかりは悪びれずに答え、いつも隣にいる倫子から呆れたような目を向けられていた。
「だからってその質問はないでしょ。って言うか、恋バナとか興味ないし」
「えー! みっちゃんも興味持ってよー! 話そうよせっかくの夜なんだし!」
「いい。どうしてもって言うなら私、音楽聴いてるから勝手にやって」
 倫子が持参したヘッドフォンをかけようとすると、ひかりの手がそれを素早く掠め取る。そしてひかりは勝ち誇ったような笑みを浮かべる。倫子は彼女を見上げて深く溜息をつきながら、しょうがない子、とお母さんみたいな顔をしてみせた。
 この二人は幼なじみで、普段からとても仲がいい。親友同士というよりは保護者と被保護者の関係にも見える。
「でも、確かにちょっと興味あるかも。うちのクラスも格好いい子多いし」
 すると、綾乃が話題に乗っかってきた。ちらっとあたしたちの方を見ながら、
「ね、せっかくだから皆のも聞いてみたくない?」
 と水を向けてくる。
 C組男子の格好よさの程はともかくとして、綾乃も、そしてひかりもれっきとした彼氏持ち。つまりこの手の話題に乗り気なのは独り身じゃない余裕のある子たちだ。
 あたしはまあ、ダイレクトに好きな人を聞かれたわけじゃないからまだましなんだけど……。
 綾乃の言葉を受けて、睦実はあたしの方を見た。『どうする?』って聞きたげな顔をしていたから、あたしは軽く笑っておく。
 そういう流れになっちゃうならしょうがない。お互い、無難なところを答えておくしかないよね?
「……まあ、混ざってやってもいいけどな」
 あたしに軽く笑い返してみせた後、睦実が答える。すぐにひかりへと目をやった。
「ただし、こういうのは言いだしっぺからだぞ。ってことであんたからだ、ひかり」
「え、そういうルール!? あたしの聞いても面白くないと思うよー?」
「千葉さんの言う通りじゃない。口火切ったのあんたなんだから、責任持ちなさい」
 トップバッターの座を譲られひかりは慌てていたけど、倫子にも突き放され、反論を早々に諦めたようだ。やや照れたような顔つきで早速言った。
「えっとねー、あたしは、C組の子だったら緒方くんかなー」
 彼女が挙げた名前に、居合わせたC組女子の視線はひかりではなく、綾乃へと集中した。
「おい、早速名前出てきたぞ。どうする?」
 睦実がにやにやと冷やかしたけど、当の綾乃は涼しい顔をしている。
「そりゃあね。確かに自慢の彼氏だもの。どこかで名前が出てくるって思ってたから」
 そして堂々と惚気てみせた。ごちそうさまですー。
「や、別に好きとかいうんじゃないからね」
 むしろ名前を出したひかりの方が慌てていた。フォローするように続ける。
「たださ、男の子はやっぱ優しくないと駄目だって最近思うんだよね……。いくら他にいいとこがあったって、優しさがない人はパスかなーって。そこ行くと緒方くんって超優しいじゃん?」
 実際、緒方くんは今時珍しいくらい温厚で、優しい人だ。基本男子は呼び捨てがデフォのあたしでさえ『くん』付けしてしまうほど、何かこう、彼の優しさには敬意を表したくなる。彼が誰かを悪く言ってる姿はまるで見たことがないし、何かを頼まれて嫌な顔をしてみせたことだってない。
 長身のバスケ部員で、見た目はちょっとだけ頼りないかなと思うこともあるけど、綾乃とはお似合いのカップルだってあたしは思ってます。
「そうだよね、男子は優しくないとね」
 あたしは声に出して同意した。本当、C組の男子の中にはどんだけってくらい口の悪いのもいたりするから。
「だよねー! こずえちゃんわかってる!」
 同意をもらえたからか、ひかりはうきうきと声を上げた。その後で隣の倫子の方を向く。
「はい、じゃあ次はみっちゃん!」
「何で私!?」
 いきなりバトンを渡され、今度は倫子がうろたえる。
 それに対し、ひかりは平然と答えた。
「だってあたしの隣にいるし。あとはあれ? 連帯責任ってやつ」
「何の責任なの。無断で連帯させないで欲しいんだけど……」
「いいからいいから! 先に答えちゃった方が後から楽だよ」
 ひかりにほぼ押し切られるようにして、倫子はやむなく考え始めたようだ。眉間に皺を寄せて難しげな顔をしている。
「C組の中から選ばなきゃ駄目?」
「一応ね。あ、でもみっちゃんは、別に三年生から選んでもいいよ?」
「……待って。うちのクラスで探すから」
 倫子はうずうずしているひかりを押し留めた後、更にたっぷり三分考えた。そして、
「強いて言うなら。あえて、どうしてもうちのクラスで名前挙げるなら、だけど」
 と前置きしてから言った。
「笹木くんかな」
「へえ……!」
 ひかりが驚いたような声を上げた。
 実は、あたしもちょっとだけ驚いた。他の皆もそうだったんだろうか、興味深げに倫子の方を見ている。特に睦実は、少しだけ心配そうな顔つきで。
「やっぱり! みっちゃん、キザキャラが好きなんだね!」
「そうじゃなくて。あんたが『優しい人がいい』って言うから、私もそう言ってみただけ」
 肩を竦めた倫子が、大人びた口調で続ける。
「笹木くんっていい人だし、優しいじゃない。下級生にも人気あるみたいだしね。真面目な人だから私とは話合わないと思うけど、強いて挙げるならこの人しか思いつかなくて」
 何か、好みのタイプを語ってる物言いじゃない気もするけど……。
 ともあれ、笹の名前が出てくるのはわかる。ぶっちゃけ誰か一人は――睦実以外の誰かが名前を出すんじゃないかって、あたしは密かに思ってた。野球部のキャプテンで、女の子にいつもきゃーきゃー言われてて、そしてすごく優しくて。あたしなんかにも未だに優しくしてくれるのが少し嬉しくも、心苦しくもあったりする。
「笹はねー、確かに格好いいよね」
 ひかりの言葉に、綾乃も頷く。
「うん、わかる。人気あるのも理解できるって言うか。ちょっと言うことキザだけどね」
「ちょっとどころじゃないだろ……」
 と睦実が突っ込めば、たちまち同意の輪がC組女子全体に広がった。
「まあ、ちょっとっていうレベルじゃなくキザだよねー」
「言うことがいちいちポエムっぽいよね」
「こないだなんか空見上げて、『飛行機雲ってなんて儚いんだろう』って言ってたしね」
 どっと沸き起こる笑い声の中、あたしは内心密かに彼へと詫びた。
 ごめん、笹。いっぱいお世話になっといて何だけど、これはフォローできない……!
「馬鹿か、何言ってんだあいつ……!」
 睦実がなぜか恥ずかしそうにしていたのが印象的だった。

 さて、笑いが一段落したところで、ひかりが次のバッターを指名する。
「じゃあ次は……そうだなあ、綾乃行ってみる?」
 指名を受けた綾乃は、少しの迷いもなく答えた。
「私も淳也かな。C組に限定しなくてもそうだけどね」
 まあ大体わかってたけど、緒方くんだそうです。重ね重ねごちそうさまです。
「聞くまでもなかった感じ?」
 ひかりのツッコミに綾乃は頷いた。
「当然」
 もっとも、ここで違う男子の名前が出てきたら逆におおごとだろうし、綾乃の姿勢は間違っちゃいないだろう。羨ましいけどね。クラス内公認カップルとか、めちゃくちゃ羨ましいけどね。
「それなら次は……」
 綾乃からは面白トークを引き出せないと見込んだらしいひかりが、ふとこっちを向いた。
 目が合った途端、にやりとされた。
「こずえちゃん、どう?」
「……来ると思った」
 もう、目が合った瞬間に思った。
 たちまち皆の視線があたしに集まり、まるで記者会見を受けてる気分になる。芸能人ってこんな気持ちでインタビューされてんのかな。大変な仕事だなあ。
 ともあれ、答えなきゃいけない。別に『好きな人』じゃなくて、しかもC組男子限定だから難しいことなんてないけどね。
「あたしは……うーん、強いて言うならノリかな」
「新嶋くん?」
 綾乃が意外そうに聞き返してくる。
 あたしは頷き、深く追及される前に理由を述べた。
「まあまあいい奴だし。あと何だかんだでエースだからね。練習とかよく取材に行くけど、やる時はやるって感じが格好いいかなって……強いて言うならだよ?」
 野球部の現エースピッチャーは、小柄だけどなかなかの球速とコントロールを誇っている。実際、試合で投げてる姿は本当に格好いい。
 ただし、スタミナがないんだよね。それでいてサボり癖があるんだからもう本当どうしようもない。今年初めて初勝利を果たした東高校野球部を、まだまだ引っ張ってってもらわなきゃならないのに。
「こずえちゃんはもっと違う人がタイプだと思ってた」
 ひかりにも随分驚かれたようだ。
 その言葉にはひやひやしつつ、あたしはさっさとバトンを次の人に渡しておく。
「じゃあ次、睦実!」
「げっ。こっち回すなよ、こずえ」
 睦実はしかめっ面になったけど、さっきひかりが言ったように、こういうのは先に言っといた方が楽だって。後になるともっと突っ込まれると思うしね。
 彼女も皆に詰め寄られ、一度賛成した手前、言わないわけにはいかないと思ったようだ。ろくに考えもせずに言った。
「あたしは、あの中だったら匠かな。強いて言うならな」
「えー!? 本当に?」
「睦実は違うでしょ。外崎くんみたいな子、好みじゃないはずだけど」
 すぐさまひかりと綾乃に追及されかかっていたものの、睦実は頑として言い張る。
「いや、だから強いて言うならだって。他にいないんだよ、それらしいの」
「でも外崎はないよー。だってあいつ、すっごく口悪いし」
 ひかりは信じがたいというように続けた。
「こないだだってさ、教室でちょっと肩ぶつかっただけなのに『斉木とぶつかったから骨折れた』とか言うんだよ! 酷くない? 女子に言うことじゃなくない?」
「まあ口は悪いけどさ、あれでいいとこもあるんだよ。あたしはあいつと付き合い長いし」
 睦実は苦笑いでこの場にいない匠を庇う。
 匠はね。女子相手でも平気で酷いこと言うし、本当に口が悪い。だからって嫌な奴ってわけじゃないんだけど、ひかりみたいな子と喧嘩になるのもちょっとわかる。
「外崎くんって、A組の子と付き合ってるって話じゃなかった?」
 綾乃がそう言ったので、あたしは頷いた。
「うん、小林さんね。野球部のマネージャーさん」
「小林さんはいい子だよな。匠みたいな馬鹿にはもったいないくらいだよ」
 睦実の言う通り、匠の彼女はA組の小林さんだ。聞いた話によるとなかなかの世話焼き女房っぷりらしいので、野球馬鹿な匠とは上手くバランス取れてるのかもしれない。
 ひかりはあんまり納得いってない様子だったけど。ふと気づいたように口を開いた。
「けど千葉ちゃん、結局外崎のことあんま誉めてないよね」
「そ……んなことないだろ。いいとこあるって言ったよ、あたしは」
「いいとこって具体的にどこよー」
「いろいろだよ。つか、あたしばっか突っ込むな!」
 形勢不利と見てか、睦実はひかりの追及を無理やり打ち切った。そして次のバッターを探そうと視線を巡らせ始める。
 と、そこで一人に目を留めた。
「あ、そうだ。佐藤さんはどう?」
「え?」
 急に話を振られたからだろうか。それでなくても日頃からぽややんとしたところのある佐藤さんは、名前を呼ばれてぱちぱち瞬きをした。
「好みの男子、うちのクラスで言ったら誰?」
 睦実が畳みかけると、佐藤さんは困ったように笑う。
「……それ、言わないと駄目かな」
「駄目ってこたないけど。どいつもこいつも論外って言うんならそう言ってもいいぞ」
「そんなんじゃないんだけどね」
 そこで佐藤さんは小さく両手を振り、
「私が名前挙げたら、何か、その子に嫌がられるんじゃないかなって思うから」
 と言うものだから、あたしは即座に反論した。
「そんなことないって」
 佐藤さんはあんまり自分に自信を持てないタイプの子みたいで、こうやって時々、後ろ向きな考えを口にすることがよくあった。うちのクラスの男子は匠を筆頭に口の悪いのが多いから、余計に萎縮しちゃうのかもしれない。
「大丈夫! ここで話してることはオフレコだし、ってかばれたらあたしたちもまずいし」
 ひかりも明るくフォローに入る。
「考えてみたら、みゆきちゃんとそういう話したことないよね。聞いてみたいなあ」
 そしてひかりにねだられると、佐藤さんも困った様子ながらもようやく、答えようと考え始めたみたいだ。
 しばらくしてから、迷いつつも言った。
「うーん……好みって言うか、すごいなって思ってる人なんだけど」
「うんうん! 誰?」
「山口くん、かな」
 へえ。
 佐藤さんの挙げた名前は、あたしにとってはむしろ意外だった。
「山口? ああ、いい奴だよね」
「わかるわかる。男子の中では話しやすい人かな」
 ひかりと綾乃が評価するように、山口は一言で言うなら『いい奴』だ。割かし明るくて社交的で、勉強も運動もそこそこできて、見た目もまあ悪くない。何て言うか、失礼かもしれないけどオール八十点みたいな男子。
 あたしは山口と中学が同じで、だから奴のことは少し知ってる。昔からいい奴ではあったんだけど、東高校に入ってからの山口はちょっと格好つけと言うか、涼しい顔で八十点を維持することに意識が向いてるようで、気取った感じさえするなと密かに思ってた。中学の頃はバスケとかしてて、すごく頑張ってて、何についても一生懸命な印象があったのにな。
 そういうわけで今の山口を好みだと思う子がいるのが、意外と言うか、やっぱそんなもんなのかなあ、と言うか。
「あの、好みって言うよりはね。あんなふうになりたいなって気持ちなんだけど」
 佐藤さんはそう主張していたから、どちらかというと憧れの人って意味合いなんだろうけど。
 そういえば山口って彼女いないんだよね。仮に――まあ、既に本人がそういうのじゃないって否定してるけど、佐藤さんと付き合い出したりしたら一体どんな感じになるのかな。やっぱり八十点男子的な澄ましたお付き合いをするんだろうか。それはそれで格好つけすぎな感じがして、ちょっとむかつくかもしれない。
「なるほどねー。みゆきちゃんの理想はあんな感じなんだね」
 ひかりが妙に感心しているので、佐藤さんはちょっと照れてたようだ。微笑ましいのう、とほのぼのしながらも既にあたしは次の打者へ狙いを定めていた。
 まだ聞いてない子がいるからね。ここで終わったらもったいない。
「次、由仁ちゃんの番!」
 あたしが指名すると、俯き加減でいた由仁ちゃんはわかりやすくびくっとした。クラスの女子でも一番背が高い彼女が、今だけはまるで授業中、先生の目から逃れる時みたいに縮こまっているのがおかしかった。
「あれ、でも相原さん、付き合ってる奴いるだろ? F組の……」
 睦実がそう言うと由仁ちゃんは更にわかりやすく赤くなった。すぐさまひかりが芝居がかった仕種で人差し指を振る。
「彼氏持ちの人も漏れなく申告してもらってまーす。由仁ちゃんにも言ってもらわないとね」
「そうそう。川瀬くん以外の男子は眼中にないかもだけど!」
 あたしは追従しつつ冷やかしてみる。
 由仁ちゃんと川瀬のお付き合いっぷりと言ったらそれはもう穏やかと言うか、のんびりと言うかで、まるで高校生の模範的な男女交際って感じのほのぼのさ加減だった。それはそれで可愛らしくていいと思うんだけど、周囲からすると若干のもどかしさを感じなくもない。川瀬はもうちょい強引にでも押していくべき、というのがあたし個人の見解であり、恐らく周囲の共通認識でもあるはずだった。
 で、そんな鉄板カップルの彼女が、あえて名前を挙げる好みのタイプとは。
「強いて言うなら、でいいんだよね?」
 由仁ちゃんは恐る恐るといった様子で答える。
「それなら……C組の子なら、恩田くんが理想かな」
 お、全く違うタイプが来た。これ聞いたら川瀬、めちゃくちゃ焦るだろうなー。オフレコの約束だから耳に入ることはないだろうけど、ちょっと教えてやりたいとか思ってしまった。
「川瀬と恩田って大分違うよな。……相原さん、彼氏に何か不満とか?」
「ち、違うよ。そんなことないから」
 睦実もあたしと同じことを思ったようで、由仁ちゃんを慌てさせていた。
 とかく押しの弱さばかり目立つ川瀬とは違って、恩田くんは文句なしの優等生だ。成績はいつも学年ベストテン圏内、人と話す時もはっきり意見を言うタイプ。クラス委員とか生徒会とか向いてそうだなって思うんだけど、どうやらおうちの手伝いが忙しいらしくてそういうのは一切やっていない。ちなみに恩田くんの家は駅前近くのお蕎麦屋さんだ。
 あたしからすると緒方くんとは別の意味で『くん』付けしたくなる男子だった。いい人だと思うし、人当たりもいいんだけど、何か話してて威圧感があるんだよね。間違ったこと言ったら手厳しく批判されそうな空気みたいなのが。実際そういうことがあったわけでもないんだけど、なんでそう思うんだろう?
「恩田くんって同い年なのに、しっかりした人だと思ってたの」
 由仁ちゃんは理由をそう話す。更に、
「あと、内海さんとも仲がいいみたいだし」
 と付け加えると、室内の空気がほんのちょっと沈んだ。
「内海さん、かあ……一緒に来れたらよかったのにね」
 綾乃も呟いた名前の主は、その言葉通りここにはいない。

 一年生の時から休みがちだった内海さんは、それでも二年に上がって、夏休み前頃からぽつぽつと学校に来るようになった。
 そしてその頃から、恩田くんと仲良くなったみたいだ。二人の間にどんな出来事があったかなんて知らないけど、教室や廊下で、恩田くんと内海さんが話をしているのをよく見かけた。そういう時、内海さんはすごく嬉しそうな、明るい表情をしていたっけ。
 ただ、あたしたちが話しかけても内海さんの反応はぎこちなく、顔つきも緊張しているみたいに硬かった。今回の宿泊研修も、同じ班の子が誘ってみてもいい返答はなくて、そして当日、彼女は欠席していた。
 あたしには、内海さんが学校に来たがらない理由はわからない。ただ少しずつでも登校するようになった理由は間違いなく恩田くんにあるんだろうし、だったら仲のいい子がもっと増えれば、もっと来やすくなるんじゃないかなって思ったりする。
 単純すぎるかな。

「でもさ、恩田くんといる時の内海さん、結構雰囲気明るいよね」
 ひかりが相変わらずの朗らかさで語る。
「だからもう少しなんじゃないかな、って思うかなあ。もうちょっと何かきっかけとかあったら、クラスにも馴染んで普通にいられるようになるんじゃないかな」
「そうだね。そうなるといいよね」
 あたしも同じように思う。願望込みだけど。
 来年は修学旅行だってあるし、その時こそクラス全員で行きたいな。そういうの、きれいごとかな? クラス全員で、なんて必ずしも皆が望んでることじゃないかもしれない。でもあたしは、C組はそういうクラスだったらいいな、って思ってる。
 工藤先生だって、きっとそう思ってるはずだ。
 皆はどうなんだろう。少なくともこの場の空気から察するに、C組女子は多かれ少なかれ内海さんのことを気にしている。皆、優しい子ばかりでいいな。
「何かしんみりしちゃったね」
 やがて、倫子が口を開く。すると睦実がすぐに続いた。
「だな。そろそろ、お開きにするか」
 もう夜も遅いし、恋バナって空気でもなくなったし。そろそろ終わりにしようかな、とあたしたちが伸びやらあくびやらを始めた時、ひかりがあたふたと言い出した。
「ま、待ってよ! あたし、一番聞いてみたい子に聞けてない!」
「一番って?」
 あたしは思わず聞き返す。
 ひかりが手のひらを向けて指し示す先を、皆も黙って追い駆ける。その先にいたのは――さっきから皆の話を真面目な顔で聞いていた、ヒナだった。
「ヒナちゃんにこそ一度聞いてみたかったんだよ! 好みのタイプ!」
 気炎を上げるひかりに、あたしたちはなるほど……と心から納得した。
 ラストバッターの指名を受けたヒナは、どうも自分にお鉢が回るとはつゆとも思っていなかったようだ。眼鏡の奥の瞳を大きく瞠り、怪訝そうに言った。
「私? ……私のは、言うまでもないと思ってたけど」
「や、言うまでもなくないから。皆、ヒナの好みを不思議に思ってるから」
「そうだよー。ヒナちゃんは先輩のどこが好きなのかなーってずっと思ってたもん!」
 ヒナの彼氏は、『あの』鳴海先輩だ。
 既に東高校を卒業してしまった先輩だけど、今の二年、三年にとってはいろんな意味で有名な人だった。あたしは幸いにも直接口を利いたことこそないものの、ヒナと先輩が話をする場に居合わせたことは何度かあって、その度に顔も口調も怖い人だなあ、と思っていた。
 ぶっちゃけヒナと先輩が付き合いだした当初は、何か弱みでも握られたのか、脅されてしょうがなく付き合ってるのかとやきもきさせられたものだった。ところが話を聞いているとヒナはどうも本気で先輩のことが好きなようだし、二人の関係は交際からもうすぐ一年になる今、大変に順調らしい。あたしにはまず、女子と牧歌的にお付き合いをする鳴海先輩というのが想像つかないんだけど、デートとか普通にしてるらしいです。一度でいいから怖いもの見たさで覗いてみたい。
「私にとっては鳴海先輩が理想の人だから」
 ヒナはそう言うけど、それじゃ好みがわからない。誰かC組男子を例に出して、ヒナが先輩のどこを好きだと思ってるのか見極めてみたい。
「いいから、好みの男子を言ってみてよ。あ、C組でだよ?」
 そういうルールだからと、あたしはヒナを促した。
 もうたくさん名前が挙がった後だからか、ヒナは少し悩んだようだ。顎に手を当ててしばらく考え込んでいた。それでも最後には誰かが浮かんだらしく、やがて口を開く。
「私も、強いて言うなら、だけど」
「うんうん」
「工藤先生、が好みかな」
「――……え」
 思わず、あたしは固まった。
「え、ちょっ、他の男子とかじゃなくて工藤ちゃん?」
「ヒナ、もしかして年上が好きなの?」
 ひかりや綾乃が食いつくと、ヒナは柔らかく微笑んだ。
「うん。もしC組で選ぶなら、工藤先生が頼もしくて、いいなって思うよ」
「で、でも、おじさんじゃない?」
 あたしが恐る恐る尋ねてみても、返ってくる答えは変わらなかった。
「そんなことないよ、素敵だよ」
 その言葉に同意できないわけじゃなかった、むしろ完全に共感できた。でも――どうせ叶わないってわかってるし先生が既婚なのもとうに知ってるけどでも、何か、すごく複雑なんですけど!

 お開きになった後で迎えたその夜、あたしはちっとも寝つけなかった。
 ……やっぱり、皆、素敵だって思うのかなあ。
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