解明の余地がある

 考えてみれば、俺は昔から親父のことを、ちょっと変わってんなって思ってた。

 一番初めにそう感じたのは小学校に入りたての頃だ。
 萩子ん家で夏休みに旅行へ出かけて、帰ってきてから萩子が俺にお土産をくれた時、
『おじいちゃんとこに行ってたんだ』
 って言った。
 でも俺は萩子のじいちゃんと顔見知りだったし、萩子とおじさんおばさんが旅行してる間はあの家で一人で留守番して、近所の公園でやってるラジオ体操にも元気よく通ってたことも知ってたから、何言ってんだろうってまず思った。
 俺の疑問に萩子は、わかりやすく答えてくれた。
『あのね、お母さんの方のおじいちゃん家に行ったの』
『何それ。萩子、じいちゃん二人いんの?』
『そうだよ。うちでいっしょに住んでるのは、お父さんの方のおじいちゃん』
 それから萩子は首を傾げて、
『大地にだっておじいちゃんは二人いるでしょ?』
 って当たり前みたいに聞いてきた。
 俺のじいちゃんとばあちゃんは幽谷町に住んでて、たまに店にも来てくれる。でも各々一人ずつしか知らなかったし、本当ならいるはずのもう一組には会ったこともなかった。
 萩子の話を聞くまで思いつかなかった俺も俺だけど、そういえばそうだよなって思って、家帰ってすぐに親父に聞いた。萩子にはじいちゃん二人いるんだけど、だったら俺にもいるんじゃないのって。
 すると親父はちょっと真面目な顔になって、こう答えた。
 ――お前のおじいさんは一人だけだよ。父さんには親がいないからな。

 息子の俺が言うのもなんだけど、うちの親父の真面目さってのはあてにならない天気予報みたいなもんで、どこまで信じていいのかいつも怪しい。その時の口調も、今になって思えば冗談っぽかったような気がする。
 でも当時のまだ純粋だった俺は、あ、聞いちゃいけない話なんだなって子供心に思った。だって親がいないとかいかにも訳ありっぽいし、かと言って墓参りに行くってことも一度としてなかったし、きっと何か、普通じゃない事情があるんだろうってませたことを考えた。
 それから俺が成長していくにつれ、やっぱうちの親父は変わってのかなって実感する機会が何度もあった。
 例えば、幽谷町内のことはやたら詳しいのに他の町のことは全然知らないとか。東京とか大阪とか、ニュースによく映る大都市の名前は知ってても、地図見て場所を当てられなかったり、四十七都道府県を全部言えなかったりする。その度に親父は、ちゃんと学校行ってなかったからなってあっけらかんと笑ってた。
 例えば、出前やってる店なのに親父は車の免許持ってないとか。むしろ自転車も乗れなくて、何度か練習はしたものの俺の方が補助輪取れるの早くて、結局諦めてしまったらしい。俺が出前を任される以前は母さんが代わりに運んでた。
 あと、どういうわけか絵がすっげえ上手いとか――店の壁にもべたべた貼ってあるスケッチは全部親父の作品で、なぜか幽谷町を空から見下ろした景色ばかり描いてある。親父曰く、若い頃はすることもなくて暇を持て余してたから、絵ばっかり描いて過ごしてたらしい。母さんと知り合ったのも絵がきっかけだったらしいけど、親の馴れ初めなんて想像すんのもこそばゆいからそこは流す。
 そんなわけで親父が変わり者だってことを十分わかってきた俺は、いつからかその身の上についても推測を立てるようになっていた。
 多分だけど、親父は元々絵描きか何かアーティストっぽいものになりたくて、でもそれを厳格な実の親――つまり俺の、もう一組のじいちゃんばあちゃんに猛反対されたんだろう。夢を諦めきれない親父にじいちゃんらは出てけ、と勘当を言い渡し、親父もなら出てってやるよとむきになって家を飛び出し、紆余曲折あって幽谷町に流れ着いた。親がいないって言い張るのも、学校に行けなかったってのも、全てはそういう事情があってのことなんじゃねえかなって思ってた。
 俺の想像力なんて所詮安っぽいドラマ仕込みで、現実よりはるかに生ぬるかった。
 現実には親がいないどころの話じゃなく、そもそも自称アラフィフの親父が実際はいくつなのかすら謎のままだ。少なくとも航空法ができるよりずっと昔、空飛んでても人に見つかる心配のなかった時代から生きてることは確かだから、我が親ながら謎すぎる。

 そんな謎だらけの親父も、見た感じはただのおっさんでしかない。
「萩子ちゃんが来てくれると、うちの店も随分華やぐなあ」
 今は店のカウンターの中から、行儀よく座る萩子を見て目尻を下げている。
 何が嬉しいのか知らねえけど、今夜の親父はやたらはしゃいでて気持ち悪い。萩子連れて帰るから、って電話入れた時からずっとこんな調子だった。
「夜遅くにお邪魔してすみません」
 カウンター席に座る萩子が頭を下げる。
 時刻は夜の十時過ぎ、もうのれんをしまった営業時間外の店内に、客はこいつと俺だけだった。何で俺も入ってるかって、今夜のラーメン代は俺のバイト賃金から天引きされる約束だからだ。実の息子から金取んのかよって思うけど、親父はそういうとこはしっかりしてるから困る。どこで学んだんだか。
 だけど金貰うからにはラーメンだって手を抜かない。カラオケ帰りの俺たちが店に入ると、待ち構えてた親父は仕事中と同じスピードでラーメンを仕上げ、あっという間にカウンターには元祖しびれラーメンの丼が二つ並んだ。
「いいんだよ、萩子ちゃんはもう身内みたいなもんだから」
 相変わらず親父はにやけた顔で言う。
「大地も前々から、萩子ちゃんにお店に来て欲しいって言ってたんだよ。感謝の気持ちを伝えたいってね」
「そこまでは言ってねえよ。連れてくるって言っただけだろ」
 何でそこで話盛るんだよ、と俺はうんざりする。盛るなら具にしろよ。
 大体、連れてくるから何か作ってやって、って最初に言ったのも大分前の話だ。それこそゴールデンウィークの頃――ボウリングの帰りにわざわざ追っかけてやってまで誘ったのに、萩子にはあっさり断られた。でも今日は粘りに粘ったらどうにか折れてもらえたようで、とりあえずほっとしてる。
 前みたいに、誘ったらついてきてくれるようになったんだよなって。
「またお前は素直じゃないことを言う」
 親父が口うるさく俺の感傷に水を差す。
 別にいつもは素直じゃなくねえし。むしろ萩子の前ではかなり素直にしてると思うけどな。今は単に、うるさくて邪魔なのがいるから舌打ちしたくなるだけだ。
 萩子自身もそれがわかってるみたいに、こっち向いて少し笑った。五時間のカラオケの後だし、夜遅いせいもあってかさすがに疲れた顔はしてたけど、でも大好物のラーメンの前だからか幸せそうにも見える。太るとか気にする柄には見えねえ。
「いいからさっさと食わせろよ。麺のびるだろ」
 俺が親父を黙らせようと文句を言えば、親父はカウンター越しに萩子だけを見て、
「そうだったな。さ、どうぞおあがり萩子ちゃん」
「はい。いただきまーす」
 促された萩子はいそいそと箸を割る。
 それで俺もようやく、いただきますを言って目の前のラーメンにありつけた。カラオケでも何かしら食ってはいたものの、駅前から四十分かけて歩いて来たらすっかり腹が減っていた。たまに豚骨とか、こってりしたやつが食いたくなったりはするけど、自分ちのラーメンもなかなかだとは思ってる。言うとめんどいから言わねえだけで。
 ただ、味以上に作ってる人間がレアだ。その点だけはどこの店にも負けてない。
 ――あ、人間、じゃねえのか。見た目はごく普通のごっついおっさんだけど。
「萩子ちゃんは美味しそうに食べてくれるから、おじさん嬉しいなあ」
 と言うか、萩子を眺めてでれでれしてるところはまさにその辺のおっさんって感じでしかない。あいつ女子高生に鼻の下伸ばしてるぜって母さんにチクってやろうかと思ったけど、母さんだったら『萩子ちゃんでしょ? じゃあいいじゃない』って言いそうだから成り立たない。
 いいのか悪いのかで言ったら、よくないけどな。眺められてる方の萩子はちょっと食いにくそうだし、つかいつまでここにいんの親父って思うし。そりゃ本来ならとっくに閉店してる時間なのに店開けて待っててくれたのは感謝してるし、たとえ金払うんだとしても、残業でラーメン作ってもらったのだってありがたいとは思ってる。もう作ったんだから用なしとか言うつもりもねえけど、けど何て言うか――ちょっと空気読んで席外すとかできねえのかな。
 できねえよな。どっかズレてんのは親父に限った話じゃねえし。
 会長さんとかいい人だけど、すっげえ天然っぽいもんな。今日のカラオケでも実感した。
 さっきまでの、同好会の人たちと過ごした五時間を思い出しつつ、俺は右隣に目をやる。萩子はしびれラーメンを夢中で食べてる。つい最近もこうしてカウンター席に並んで座って、萩子がラーメン食べてるところを見てたことがあったけど、その時よりも食べっぷりがいいし、顔色なんて比べ物にならないくらい明るい。
「あ、……チャーシュー欲しい?」
 じっと見てたら何をどう解釈したのか、萩子がそう聞いてきた。
 前の時には貰ったからか。いや、あん時は箸使えなかったからチャーシューっつっただけで、別に肉好きってわけじゃねえんだけど。
「……くれんなら貰う」
 でも以前のやりとりを思い出して答えたら、その時とは違い、萩子は箸で掴んだチャーシューを俺の丼の上に置いてくれた。
 別に期待はしてなかった。けど何か態度違わねえ? とは思った。
 昨日だっていきなり抱きついてくるとか、むちゃくちゃ撫でてくるとか、こいつの性格だったら普通しないよなってことされて何だって思ったけど、あれだよな。俺が人間じゃない時だけですか、そういうことしてくれんのは。
 何だろ。珍獣扱いなのか。
「一枚じゃ足りなかった?」
 不思議そうに首を傾げる、萩子は人間だけどやっぱりズレてる。
「大地、行儀が悪いぞ。物欲しそうにするんじゃない」
 俺を咎めてくる親父はもっとズレてる。本当にいつまでここにいる気なんだか。時間が時間だし、これ食べたら萩子は帰さなきゃならねえのに。
「してねえよ。いいから静かに食わせろ」
 顔を顰めてそう言うと、俺は山椒味のラーメンを黙々と啜る。
 で、食べながらやっぱり考える。――親父の謎っぷりったら半端ねえし、その血を引いてる俺も昨日のあれこれ考えたら結構な謎持ちだし、そもそも幽谷町自体がいろいろと謎すぎる。そういうの、これからここで暮らしてくうちに全部明らかになるんだろうか。そんな気はちっともしねえけど。
 ただ、謎って言うならごく普通の人間であるはずの萩子だって大概、謎だらけだ。
 こうして誘ったらついてきてくれるようにはなったけど、今度は二人でどっか行こうって約束したけど、そういうのをこいつはどんな風に考えてるんだろうな、って辺りとか。
 この間までずっとつきまとってた謎は解き明かせたけど――すごく大切で特別、って言ってもらったけど。
「これからはまたいつでも食べにおいで。大地もきっと喜ぶよ」
 親父がまた余計なことを、萩子に向かって口走る。
「はい、そうします」
 それで嬉しそうに大きく頷いた萩子を、俺はやっぱり謎だ、と思っている。何でそんなに嬉しそうに笑ってくれんのかな、って意味で。

 常識で考えたらこっちの謎は、うちの親父の謎よりも解明の余地があるはずだ。
 でも萩子を見てると、訳のわからなさじゃ妖怪といい勝負だよな、って思う。

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