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思い出の謎を解く

 最近、急に思い出したことがある。
 俺が三歳か四歳かくらいの頃に、家のテレビを壊した。

 壊した、っていうのは俺に言わせれば不本意な表現だ。
 正確には『画面に触ったら勝手に壊れた』、それだけだった。
 子供番組か何かを見てて、着ぐるみに興味が湧いて手のひらでテレビ画面に触れてみたら、ばちっと音がして火花が散り、テレビが急に映らなくなった。リモコンを弄っても二度と点かなくて、おまけにリビングが焦げ臭くなってきた。
 それで俺は慌てて店に走ってって、開店準備をしていた親父に泣いて訴えた。親父は全部聞かないうちから何が起きたか理解したみたいで、苦笑いしながら俺を宥めていた。
「父さんに似たのかもなあ……」
 なんて、ぼやきながら。

 その言葉の意味と、テレビが壊れた理由を俺は高二の今になってようやく知った。
 つまりはそれも傍迷惑な遺伝のせいってわけだ。
 雷獣の力はそんなにも昔から俺の中にあって、思い出の端々でたまに発現してはろくでもない事態を引き起こしていた――らしい。
 俺自身が覚えてない話でも、実はあれ雷獣のせいだったんじゃねってことが、実はそこそこあったのかもしれない。

 テレビ絡みで思い出したことがもう一つ。
 当時の俺はテレビとブロック遊びが大好きな、引っ込み思案な子供だったらしい。
 母さんは何度か俺を、近所の公園や遠くの児童館に連れていったりした。でも同い年くらいの他の子と全然馴染めなくて、最後には泣き出す俺を抱えて帰る羽目になったそうだ。この話は今になっても愚痴られるのが鬱陶しい。
 けど実際、今の俺を見てそんな頃があったなんて想像できる奴はいないと思う。
 萩子ですら、
「大地ってそんな子だったっけ?」
 の一言で流した。どうせあいつは忘れっぽいから覚えてるはずないけど。
 でも、今になって思う。
 もしかすると当時の俺は、自分が他の子と『何か違う』のを、直感みたいなもんで察していたのかもしれないって。

 そんな俺が幼稚園に通えるはずもなく、親父と母さんは俺の年少クラス入園を見送った。
 テレビを壊したのはその頃のことで――店もあるし、俺に一日中つきっきりってわけにはいかないうちの親たちは、手近なところから慣らすことに決めたそうだ。
 それが『お向かいの萩子ちゃん』だった。

 萩子の家には当時、じいちゃんが一緒に暮らしていた。
 日中はじいちゃんが萩子の面倒を見てた。萩子のじいちゃんは歌が下手で、いつも調子の外れた童謡や演歌を歌う。それに合わせて歌う小さな女の子の声は、俺が家の中にいてもよく聴こえてきた。
 何度か顔も見たことがあった。狭い田舎じゃ商店街ですれ違うとかしょっちゅうだし、萩子の家に出前に行く時、付き合わされたこともある。だけど人見知りの俺は挨拶どころか、同い年の子と顔を合わせることさえできなくて、いつも親の陰からこっそり覗くだけだった。
 そう言えば、あの頃の萩子も髪が長かったんだっけ。

 ある日、親父が開店前に俺を連れ出した。
 行き先はもちろん向かいの片野家で、約束してあるって言ってた。萩子の家の門をくぐる時、親父の方が緊張して手が震えてたのを覚えてる。
 肩まである髪を細い三つ編みにしていた萩子は、たった一人で外まで出てきた。困ったような真面目な顔で、大きな目を丸くして俺を見ていた。そういう顔は今と全然変わってなかった。
 親父がその前に屈み込み、萩子と目線を合わせて言った。
「萩子ちゃん。うちの大地と遊んでもらえるかな」
 もちろん、萩子はこの頃から優等生の萩子だ。大人の言うことに逆らうはずもなく、びっくりするほど素直に頷いた。
「うん、いいよ」
 そして俺に向かってはにかんだかと思うと、今よりずっと小さな手を差し出してきた。
「じゃ、お庭で遊ぼ」
 同い年の子が苦手な俺は、その誘いだけで親父の陰に隠れたくなった。
 でも親父が俺から手を離し、そっと背中を押してきたから、仕方なく手を握り返そうとした。

 その時、また『あれ』が起きた。
 ばちっと大きな音がして、火花が散ったような気がした。
 テレビが壊れた時と同じ、静電気みたいな衝撃が俺たちの手のひらの間に走った。

「わっ」
 萩子は声を上げ、とっさに引っ込めた手を不思議そうに眺めた。
 前みたいに焦げ臭い匂いこそしなかったけど、確かに大きな音がした。
「だ、大丈夫かな? 火傷してないといいんだが……」
 親父も慌てふためいて、萩子の手を覗き込んだ。
 萩子は尚も怪訝そうにしていたけど、気のせいだとでも結論づけたのかもしれない。気を取り直したようにもう一度、俺の手を握ろうとした。
「だめだよ、危ないよ」
 俺はその手を振り払おうとした。
 だって気が気じゃなかった。テレビを壊した時みたいにまた火花が散って、今度は目の前の女の子が焦げてしまうもしれない。手なんか繋いだらきっと危ない。
 そう思ったのに。
 萩子の小さくてぷくぷくした手は、何のためらいもなく俺の手を握り直した。
 その動作の自然さに呆気に取られていると、萩子はぐいっと引っ張ってきた。
「ほら、行こうよ。おじいちゃんが作ってくれたすべり台があるよ」
 それで俺はつんのめりながらも、やけに物怖じしないその女の子の後を追っかけ始めて――そのまま、二人で庭に出て遊んだ。すべり台を滑ったり、泥んこ遊びをしたり、一緒におやつを食べたりしながら、何度も手を繋いだ。初めての友達が嬉しくて、ちょっと恥ずかしくて、でもすげーいいことが起きたんだって気分で胸がいっぱいになっていた。
 その日以降、俺の手から火花が散ることは二度となかった。
 そして、俺と萩子は一番の仲良しになった。

 あの時の火花は何だったんだろうって、最近よく考える。

「……大地、ペンが止まってる」
 今、俺の目の前には十七歳の萩子がいる。
 俺ん家の涼しいリビングで、一緒に夏休みの宿題をしている。
 左手の包帯が外れてない俺はどこにも遊びに行けなくて、治ったらその分取り戻してやろうと八月序盤から宿題に勤しんでいる。ろくでもねえなと思うけど、萩子がしょっちゅう訪ねてきてくれるから、プラマイで言うとかなりプラスだ。天気もいい。
 ただ、優等生の監視の目は厳しかった。俺がちょっと考え事を始めただけで目ざとく見つけてくる。
「疲れたからちょっと休憩」
 無事な右手でペンを回すと、萩子は眉を顰めた。
「始めてから三十分も経ってないよ」
「嘘だろ、俺の体感では三時間は過ぎてる」
「すごくいい加減な体内時計だね」
「まあな。ラーメンの匂いでもう腹減ってるし」
 親父と母さんは今日も店を開けている。お蔭で家の中まで美味そうな匂いが漂っていた。
「でも残念でした。まだ十時過ぎだよ」
 萩子が壁掛け時計を笑って指差す。時刻はその通りだった。

 時計が掛けられた壁の前には、五十五インチの大きなテレビがある。
 あれから何度か買い換えられたうちのテレビだけど、俺が壊してしまうことは二度となかった。
 あの火花だってあれきり起こらなかった。萩子と何度手を繋いでも、大丈夫だった。

 何だったんだろうって、最近よく考える。
 それにどうしてあれ以来、一度も起きなくかったのか。
 ぶっちゃけ雷獣とか妖怪とか謎だらけだし、『なぜなのか』なんて解き明かそうって方が間違ってんのかもしれないけど。こればっかりは会長さんがたにも聞けねえし、ただ純粋に気になる。
 萩子だってあの時は痛い思いしたはずなのに、なんで――。

「お前さ」
 俺はサボりの態勢のまま、一人ペンを走らせる萩子に尋ねた。
「初めて一緒に遊んだ日のこと、覚えてるか?」
 それで萩子は顔を上げ、あの困ったような真面目な顔をした。
「えー? それって何歳の時の話?」
「三、四歳くらい。幼稚園入る前だし」
「うーん……わかんないな。どこで遊んだんだっけ?」
「お前ん家の庭で。うちの親父が俺連れてってさ」
「全然覚えてない。そんなことあったっけ?」
 やっぱり萩子は忘れっぽい。
 俺たちの最初の思い出すら、すっかり頭から抜け落ちてる。
「大地とは、いつの間にかすっごい仲良しって感じだったしね」
 それでいて、屈託なくそんなことを言う。
「どっちが先に誘ったとか、声掛けたとかすら覚えてないよ。大地は覚えてるの?」
「俺は記憶力いいからな、誰かさんと違って」
 わざと馬鹿にしてやったら、萩子は拗ねたように唇を尖らせた。
「十四年も前のことだよ、覚えてる方がすごいよ」
「だから俺がすごいって話だろ。もっと褒め称えろよ」
「大地だって正確に覚えてるとは限らないでしょ?」
 それが、ちゃんと覚えてる。
 どっちかって言うと最近思い出したってとこだけど。

 あれから十四年、いろんなことがあった。
 俺たちだって何度かは喧嘩もした。一度はめちゃくちゃでかいやつで、そのせいで何年も疎遠にさえなってた。
 だけど巡り巡ってまた一緒にいるようになったのは、何か、すげえなって思う。
 それができたのも、あの時怖がらずに手を握ってくれた萩子だから、かもしれない。

 なんたって空まで迎えに来る奴だもんな。
 怖いもの知らずなのも昔から、だった。

 今の萩子の手は、あの頃みたいにぷくぷくしてない。
 ペンを握るその手はほっそりしていて、指先から手首にかけてはすっかり大人っぽく見える。俺よりはずっと小さいけど、爪なんかもきれいにしてて、女の手だよなって思う。
「ほら、宿題やっちゃおうよ」
 萩子がまた勉強に戻ろうとするから、俺はふと思い立ち、テーブル越しに手を伸ばした。
 ペンを持つ萩子の手に、自分の手を重ねてみる。
 当然だけど、火花は散らなかった。少なくとも目に見えて何か起きたわけじゃなかった。
 なのに、
「わっ」
 やっぱり萩子は声を上げ、目を丸くして俺を見る。
「え……な、何?」
「……いや、別に」
 思いつきでやったことだし別に理由とかない。
 ただちょっと、握ってみたかっただけ。
 ――とか言うとさすがに墓穴でしかないので、俺は適当に答える。
「手相見てやるよ」
「大地、そういうのわかるの?」
 きょとんとする萩子の手を引っ繰り返し、柔らかい手のひらを指でなぞった。
「知ってるか? ここに線ある奴って怒りっぽいんだってよ」
「それ生命線だよ……みんなあるよ、線」
「あとこの線な。これ真面目すぎて貧乏くじ引く奴の相」
「大地、適当言ってるでしょ!」
「なんでわかった?」
 俺が笑うと、萩子はむっとしながら手を引っ込める。
「もう! いいからさっさと宿題しよ!」
 強く言い放ったその顔は、冷房の効いた部屋にもかかわらず少し赤くなっていた。

 その顔を見てるとこっちまで、嬉しくて微妙に恥ずかしくて、でもいいことが起きたなって気分でいっぱいになる。
 今更だけど。
 あれきり火花が出ない理由、俺はとっくの昔にわかってたのかもしれない。
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