Tiny garden

Honey

 その日、氷見はいつもよりも少し遅れて、演劇部の部室へとやってきた。
 扉を開け、中に入り、後ろ手で閉める。一連の動作の間も、なぜか表情が硬い。
「こんにちは」
 こちらから挨拶をしてやれば、ぎくしゃくした会釈が返ってきた。
 それから氷見は慌しくコートを脱ぎ、鞄と一緒に机上に置く。椅子を引いて腰を下ろした途端、深く溜息をついた。
 外へでも行ってきたのか、氷見の髪は風に吹かれたように乱れ、頬は紅潮していた。眼鏡のレンズも曇っている。今日は木枯らしの強く吹く日で、何の為に外へ行ったんだろうと不思議に思う。寒いのに。
 それにしても、様子が変だ。何かあったんだろうか。
 元々、私と氷見の関係は非常に気まずい状況にある。現在も気まずさ続行中だ。氷見は私を口説く為の台詞を、私自身に書かせようとしているし、私は相変わらずスランプに陥ったまま、氷見に世界最高の台詞を捧げる為の覚悟とアイディアを持ち合わせずにいる。――ありのままに書くとまどろっこしいことこの上ない関係だけど、過不足ない事実なんだからしょうがない。まあ有り体な言い方をするなら、告白した方と、されたまま返事を保留にしてる方、ってことだ。
 でも今日の氷見の態度は、尚も続く気まずさとは趣の違うもののように思えた。やっぱり何かあったのかもしれない。
「どうかした?」
 一応、尋ねてみる。後輩を気遣うのは先輩の義務だ。二人しか部員のいない演劇部。普段は振り回されっぱなしだけど、せめてこういう時くらい先輩らしいところを見せたかった。
 氷見は眼鏡を外して、曇ったレンズを拭き始めた。眼鏡を外した顔は何度か見たけど、掛けている時とそう変わらない、可愛い顔立ちに見えた。
「先輩」
 答えの代わりに発された声も、やや硬い。思わず居住まいを正した私に、眼鏡を掛け直した氷見が言った。
「後々誤解されたりすると嫌ですから、一応、話しておきますけど」
「何が?」
「俺、今日、告白されたんです」
 何を、とまで聞くのは野暮だろう。そう思いつつも、私は息を呑んだ。
 びっくりした。そりゃあびっくりもする。告白っていうのは、やっぱり、そういうことだよね。誰にされたんだろう。
「クラスの子です」
 にこりともせずに氷見が言うから、私は反応に困った。
「そう、なんだ。ええと……おめでとう、なのかな」
「めでたくないです。ちゃんと断りましたから」
 すぐさま氷見はそう答えて、眼鏡の奥の眼差しを鋭くする。
 今日の氷見は虫の居所がよくないみたいだ。妙にカリカリしているように見えた。
「しかし、断るだけでも労力が要るものですよね。気は遣うし、下手なこと言えば期待させるし。する方も大変だけど、される方もきついものだってつくづく思います」
 疲労の色濃い呟きを聞きながら、そんなものかと私は思う。

 そっか。氷見、断っちゃったんだ。そりゃそうか――って言ったら自惚れみたいで嫌だ。別にこっちを振る選択肢だってあっただろうし。
 何となく、複雑だ。氷見のことを好きな子がいるってことも、氷見がその子を振ってしまったってことも。じゃあどうして欲しかったのかなんてわからないけど。
 氷見に告白した子は、氷見のどこが好きだったんだろう。やっぱり、声かな。あの声にやられる気持ちはよくわかるから、そういう子がいても仕方ない。それに氷見は顔だって悪くないし、演技も上手いし、華もある。私からすれば生意気だけど、同い年の子から見たら理知的に見えるのかもしれない。客観的に見ても、氷見って結構もてるタイプなんじゃないだろうか。

 ふと思いついて、それとなく尋ねてみる。
「こういうことって、結構あるの?」
 すると氷見は、少し意地悪く笑ってみせた。
「気にしてくれてるんですか、先輩」
「……ま、まあね。氷見の交友関係とか、よく知らないし」
 多少はね。いや、別に嫉妬してるとかじゃなくて。付き合ってもいない相手の交友関係まで気にするのもおかしいし。何か我ながら言い訳がましいと思うけど、あくまでも多少だけだ。
「高校に入ってからは、初めてです。今回は別に仲いい相手でもなかったです」
 氷見の答えは簡潔で、だけど意味深長だった。
 つまり、あれですか。高校では初だけど、中学時代は結構もててたと。そういうことですか。ってことは高校でもこの先、回数を重ねていくのかもしれない。氷見にはまだ二年以上、在学期間がある訳だし、これからどんどんカウントされていくのかもしれない。
「すごいね」
 感嘆を込めて私が言うと、氷見は首をひょいと竦める。
「すごくないですよ。本命から好かれなきゃ何の意味もないです、空しいだけです」
「そっか。確かにそうだよね」
「他人事みたいに言わないでください、先輩」
 睨まれたので私は目を逸らした。他人事のつもりはなかったんだけど、まあ、無神経な発言ではあったかもしれない。氷見の本命が誰かなんてことは、一応わかってるつもりだ。自覚しきれてないけど。
 というかそんなにもてるんだったら、もっといい子がいるんじゃないのって思ったりもする。よりどりみどりとまではいかないだろうけど、ある程度選べはするんじゃないの? 告白してくれる子の中に、氷見の好みの子はいないんだろうか。お眼鏡に適うような子は。
 どうして、私なんだろう。こんな煮え切らない上に平々凡々な先輩の、どこがいいんだろうな。
「氷見ってさ」
 疑問をすぐに口にしてみた。
「具体的に、どういう子が好みなの?」
 途端、氷見は思い切り顔を顰めて、私を眇めるように見た。苛立ちを隠さない低い声で答えてくる。
「それを、先輩が聞きますか」
「いや、その、だって……無理に答えなくてもいいけど」
 聞いてみたかっただけなのに。だって私のどこが好きかは聞いてない。いや、告白の返事を保留にしてる奴にそんなこと教える義理はないって言うなら、もちろん諦めるよ。ただちょっと聞いてみたかっただけだから。
 もごもごと言い訳をする私を見遣って、氷見はわざとらしく嘆息した。その後で早口気味にこう言った。
「俺は、煮え切らない上にデリカシーのかけらもなくて、見た目どこにでもいるような平凡さで、だけど頭の中は蜂蜜が詰まったみたいにうんざりするほど甘い言葉で溢れているような人が好みです。――この答えで満足ですか」
「……理解はしたよ」
 かちんと来たけどね。そうか。私はいいとこなしか。
 それに今のところ、私の頭の中は空っぽだ。氷見の言うところの泉はもう枯れてしまっていて、蜂蜜どころか水の一滴も出てきやしない。こうして毎日、部に顔は出しているけど、相変わらずルーズリーフは真っ白なまま、ペンは本来の役目も果たせずくるくる回されるばかりだった。スランプは氷見のせいばかりとは言えなくなっていたから、後は自分で何とかするよりほかないんだろうけど。
 だから、今の私は氷見に好かれるような人間じゃなかった。それでも幻滅せずにいてくれる後輩は、すごいと思う。物好きだなあとも、ちょっと思うけど。
「長嶺先輩は、アラン・リックマンがお好きなんでしたね」
 逆に、氷見がそう尋ねてきた。私は頷く。
「うん」
「やっぱり、年上が好きなんですか」
 更に質問を重ねてくる。氷見のその物言いには、僅かな棘も感じられた。
「うーん……まあ、そうなのかもしれない。頼れる人がいいから」
 何となく答えたけど、私の好みはそれほどあてになるものでもなさそうだった。何せこっちはもてた経験もなければ、そもそも恋愛を身近なものとして考えたことすらなかった。
 いつだって観客でいられたら幸せだった。誰かと誰かの恋愛を創り出せることが出来たら、それでよかった。私自身を主役に据えた恋愛を創り出そうなんて気はさらさらない。好みのタイプとして挙げた俳優も、結局は『自分の書いた台詞を言わせてみたい人』にしか過ぎないのかもしれない。甘くて、いい声だしね。
 だから、年上が好きってことでもない気がする。かといって、年下を恋愛対象にするのも考えられないけど。
「いくつか、出演作品を観ました。目下勉強中です」
 氷見は言って、ちらと意味ありげに私を見る。
「そのうち思い知らせてあげますよ。年下だって包容力はあるんです。どうせ、たった一つ違いですしね」
 そう言い放つ後輩の顔を、何だか複雑な思いで眺めていた。たった一つ違いなんだけど、その一つが随分と大きいような気がするのは、私の方だけなんだろうか。年の差だけはどうしようもないものだから、そう思うのかな。
 それにしても最近の氷見は、言うことがだんだん気障になってきた。あんなに私の書いたものを馬鹿にしていたくせに――これも、私の好みに合わせる為の演技なんだろうか。わざと気障な男を演じているとか? そんなこと思うのも、ちょっと自惚れっぽいかな。
 もしくはこれこそが本来の氷見で、本質を隠さなくなってきただけ、なのかもしれない。氷見の声は確かに、気障な台詞を口にするのにぴったりだから。
 どうせならもっと純粋な気持ちで、その甘さに浸れたらいいのにな。
「嫌なら、先に言ってください」
 ふと、氷見が声を落とした。
 目を向ければ、硬い表情が飛び込んでくる。思い詰めたような面差し。
「今ここで、俺のこと、振ってください」
 そんなこと、急に言われても。当然私は目を見開いたし、広い部室の空気がぴんと張り詰めるのを皮膚で感じ取る。氷見が一歩を踏み出すタイミングはいつだって脈絡なく、唐突だった。
「じゃないと俺、本当に諦めがつかない。ずっと諦め切れないと思うから」
 鋭い言葉。気まずさがあの日の記憶ごと甦って、私は唇を結んだ。当然、言うべき答えなんて考えてもいなかった。

 氷見の言葉はいつもなら、一つ一つ、溶け込むように聞こえた。甘い台詞は当然、心が痺れるように感じた。どんなに生意気なことを言われても堪えなかった。腹の立つことはあるけど、この声に言われたならまあいいか、と思えた。
 でも、氷見の甘い声で鋭いことを言われると、途端に心臓が痛んでくる。蜂蜜のようには溶け切らない言葉が、胸を深く抉る。他人事ではいられない心許なさと、氷見を待たせている焦りが募って、この場から逃げ出したくなる。
 演技じゃない言葉だと知っているから、なんだろう。氷見はきっと余裕がないんだろうし、私だってない。氷見の気持ちを受け止めることも、さらりと受け流すことも出来ずにいる。

 溶けない甘さは澱のように、辺りに沈み込んでいる。
 私の声も、そこにぼそりと落ちた。
「……考えとくって言ったじゃない。今すぐ答えなくちゃ駄目?」
 逃げてるみたいな台詞になった。事実、その通りなんだけど。待たせるだけ待たせておいてまだ逃げる気か。こんな感じの悪い女、絶対いいエンディングを迎えるはずない。私の脚本なら、最後の最後で地獄に落としていると思う。
 氷見みたいに一途な男は、幸せにしてやりたい。――でも、相手が悪い。お芝居の中ならこの後、もっといい人にめぐりあえそうなものだ。
 私の答えを、氷見は陰鬱な表情で受け止めた。
「それは、俺の方から駄目なんて言えないです。ただ……」
「うん」
「今日、思ったんです。告白されて、断るのって、ものすごく労力の要ることだって」
 ぽつぽつと言葉が零れる。溶けない、重たい響きだった。
「相手がクラスメイトで、これからも毎日顔を合わせるってわかっていたから、尚のことでした。下手なことを言って必要以上に傷つけたら、この先気まずい。でも、遠慮しすぎて期待を持たせたら後々厄介です。だからとても、気を遣いました」
 溜息も一つ、落ちた。
「その時にふっと、長嶺先輩のことを考えたんです。もしかしたら先輩も同じ気持ちだったのかもしれない。先輩は、同じ部の後輩と気まずくなるのが嫌で、あえて俺を振らなかったんじゃないかって思いました。違いますか?」
 確かめるような問いに、ぎょっとする。
「いや、それは、そういうんじゃ……ないよ。うん」
 でもたどたどしい答えじゃ信憑性もないだろう。実際氷見も、疑わしげな目つきになった。
「じゃあどうして、ばっさり振ってくれなかったんですか」
 追及の手は緩まない。むしろ鋭利さを増していく。
「待たせるってことは、前向きに考えてくれてるってことなんですか、先輩」
 それは……どうなんだろう。
 どうなんだろうって、私も大概他人事みたいな言い方ばかりするものだ。でも、本当にどうなのかよくわからない。氷見に対して、先輩後輩としての気遣いや遠慮がゼロかと言ったら、そうでもないと思う。だからと言って、単に気遣いばかりで返事を保留にしてる訳でもなかった。
 例えば、氷見が私に愛想をつかしてしまったら、きっと相当ショックだと思う。今、見捨てないでいてくれる後輩の存在が非常にありがたいと思っているから。もしも氷見が、私じゃない他の子と付き合い出したら、やっぱり寂しい気はする。氷見の声が、私の与り知らないところで甘い蜂蜜漬けの言葉を紡ぐのは、すごく寂しいことのような気がする。出来ることなら、氷見が発する全ての言葉を聞き逃さずにいたい。私に宛てられたものじゃなくても――むしろ、私宛てのものじゃない方がいい、らしい。だけど、そのくせ他の女の子と付き合われたりするのは嫌だと思ってるんだから、むちゃくちゃ勝手だと思う。
 じゃあ、氷見のことが好きなのかって言うと……嫌いじゃないんだよなあ。好き、ともちょっと違う気がするけど。少なくとも、氷見が私を好きなように好きな訳じゃない。
 この先こんな風に気まずいままで、何か変わったりするんだろうか。きっかけとなるスイッチも押せないまま、私の考えていることといったら曖昧なばかりでちっとも前向きじゃない。スランプからも抜け出せていないし、このままでいる訳にもいかないのに。

 前向きに、考えてみようか。もうちょっとくらいは。
 氷見の思うようには考えられないかもしれないけど、ちょっとはポジティブに捉えてみようかと思う。今の状況、私と氷見の関係を。
「あのさ」
 さっきの質問に答えるには間を置きすぎた。いや、何から何まで間を置きすぎ、時間を掛けすぎだ。今から何か変えようとしたって、いつまで掛かるかわかったもんじゃない。
 でも何もしないよりはましかな。前向きに考えれば。
 私は氷見に向き直り、訝しげなその顔に告げた。
「告白、断ってくれてありがとう」
 とりあえずそれは、うれしかった。告白してきた子にはすごく申し訳ないけど。
 氷見が片眉を上げた。少し笑ったようだ。
「そうですよ。先輩の為に断ったんですから。ようやくわかってくれましたか」
 うん、わかった。ようやく認める気にもなった。あとは私が、氷見のそれだけの気持ちに応えていけるかどうかだ。
 何だかんだで、私は氷見のことをよく見ている。その男の子にしては可愛らしい顔立ちも、眼鏡の奥の眼差しも、スイッチが切り替わった時の色っぽさも、ちゃっかり見逃さずにいるようだ。氷見の声が好きだけど、好きなのは声だけじゃなかったのかもしれない。
「私、氷見のことも好きだよ」
 そう言ってみた。
 直後、氷見はしかめっ面で聞き返してきた。
「俺のこと『も』って、何なんですか、先輩」
「いや、だから。ベルベットボイスと同じくらい氷見のことも好き――」
「それ、うれしくないです」
 ずばりと遮られて、私は口を噤んだ。そんなこと言われたって、今の気持ちはその通りなんだもん。
「今はまだ、見ているだけでいいくらいなんだ」
 スランプから抜け出せないうちは氷見の為の台詞なんて書けない。まして自分に捧げられる台詞なんて書けそうにない。だから私は氷見を見ているだけでいい。そうすれば年の差だって気にしなくていいだろうし。
 多分、今の私にとって、氷見はスターの一人なんだ。スクリーンの中にいるムービースター。華があるし、いい声だから、当然強く惹かれてしまう。でもまさかスクリーンの中に飛び込んでまで、会いに行こうだなんて思わない。そういう存在なんだと思った。
 見ているだけでいい。その声を、傍で聞けるだけでいい。他の子には取られたくない、独り占めにしたい気持ちもあるけど、だからといって飛び込んでいく覚悟が出来るほどじゃない。
 いつだって、観客でいられたら幸せだった。
 私の言葉は少なからず氷見に衝撃を与えたようだ。口元が引き攣っていた。
「……見ているだけで何が楽しいんだ」
 しかも素に戻っている。スイッチ、切り替わったみたいだ。
「楽しいよ。映画観てるみたいで」
「俺は見世物じゃない。そもそも見られてるだけじゃ、俺がちっとも楽しくない」
 吐き捨てるように言った氷見は、眼鏡のレンズ越しに強く私を見据えた。憤懣やる方ない様子で息をつく。その後、続けた。
「じゃあこっちだって、先輩がそこまで言うなら考えがある」
「考え?」
「もう、しおらしくするのは止める」
 いつ、氷見がしおらしかったんだろう。生意気なことばかり言うくせに。
 私が瞬きを繰り返していれば、氷見は椅子から立ち上がり、座ったままの私を見下ろした。眉間に深く皺を刻み、唇もぎゅっと結ばれている。忌々しげな表情で、やがて言った。
「映子」
 私の名前を呼んできた。
 瞬間、心臓が大きく跳ねた。呼び慣れてない、その甘い声で呼ぶのは反則だ。スターに突然名前を呼ばれて、動じずにいるファンがいると思う?
「先輩って呼びなさい」
 素早く注意したけど、聞く耳持たず。氷見はつんと顎を逸らした。
「嫌だ。これからずっとあんたのことは名前で呼んでやる。この声で本当に殺してしまえるまで、ずっとずっと呼び続けてやる」
 生意気なくせに甘い声、甘い台詞。気障な台詞の似合う男、私のスター。
「映子、愛してる」
 言葉の割に乱暴な口調で投げつけられて、私は動悸の激しさに喘いだ。頭が熱い。言い返すのがやっとだった。
「後輩のくせに生意気!」
「どうせたった一つ違いだ」
 まあ、そうだけど。その一つの差が大きいんじゃないのかな。
 でもこの分じゃ、私が本当に殺されてしまうのもそう遠い日のことではないように思う。今でも十分心臓が忙しないし、甘くて、重くて、苦しくてしょうがない。容赦なく蜂蜜の溶け込んでいく空気から、逃げ出す術も浮かばない。
 不意に身を屈めた氷見に、顎を掴まれて、唇を奪われた。ざらりとした熱い舌の感触。以前とは違って、冷たくなかった。だから我に返るのが一瞬遅れた。
「本当に甘いな。蜂蜜で出来てるみたいに……」
 氷見が私の唇を舐めて、そう言った。なんて気障な奴。
 私はもう死にかけている。今度こそ殺されてしまうだろうか。とどめを刺されてしまうだろうか。そっと呼吸を整えながら、笑う顔に向かって言ってやった。
「そっちこそ」
 氷見の方こそきっと、蜂蜜でいっぱいになっているに違いない。その頭の中にはきっと、蜂蜜がたっぷり詰まっているんだ。だったらいっそ台詞なんて、自分で書けばいいじゃない。
 こっちはあれきりずっと熱せられっ放しで、いい加減干からびてしまってるんだから。
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