Tiny garden

恋と未来とブッシュドノエル(2)

 暖かい喫茶店の、窓際の席に向かい合って座った。
「わ……すごい。ここからでも見えるんだね」
 大きな窓の向こうに駅前のツリーが見える。高さがあるからてっぺんの星は見えないけど、ちかちかと明滅する小さな光をガラス越しに眺めることはできた。
「ここ、穴場なんだよ。ツリーが見えんのに毎年空いてる」
 陸くんはこのお店の窓からの眺めを知っていたみたいだ。得意げにそう言った。
 そして言葉通り、コーヒーの香りが漂う店内にはそれほどお客さんがいなかった。カウンター席に一人、奥のソファ席に二人、そして私達だけだ。こんなによくツリーが見えるお店なのにどうしてだろう。
「暖かいところからイルミネーション見られるなんてお得なのに、もったいないね」
 私が唸ると、陸くんは笑って卓上に置かれたメニューを差し出してくる。
「ま、今風の店じゃねえからな。一穂、何頼む?」
「ええと……メニュー見ていい?」
 陸くんが手渡してくれたメニューを眺めてみると、今風の店じゃないと評された理由がちょっとわかった。そこにはいかにも喫茶店って風情のメニューばかり並んでいる――スパゲッティナポリタン、ポークカツレツ、エビピラフにフルーツサンド。どれも私が普段行くようなお店にはないものばかりだ。そして思ったよりお高い。
「紅茶にしよう、かな」
 一通りメニューを検めてから、私は恐る恐る陸くんに告げた。紅茶だけで五百円、高校生には注文するのがためらわれる価格設定だった。
 すると陸くんは片眉を上げ、咎めるように私を見た。
「だから言ったろ、奢るって」
「い、いや、さすがに悪いよ」
「気にすんな。こっちのケーキセットとかどうだ、美味いぞ」
 陸くんはメニューを最後のページまでめくり、そこの下部に記されていた『ケーキセット』の文字を探すことなく正確に指し示した。それによればケーキと紅茶、もしくはコーヒーのセットで六百八十円。ケーキはチーズケーキ、アップルパイ、モンブランから選べるそうだ。ドリンク単品の値段を見た後だからか、良心的なお値段に見えた。
「美味しいの? 陸くん的にはどれがおすすめ?」
 私の問いに、やはり迷わず陸くんは答えた。
「アップルパイだな。ここのはアイスクリームが載ってて、温かいパイの上でそれが溶けるのが美味いんだ」
 聞くだけでよだれが出そうなセールスポイントだ。出かける前にブッシュドノエルを食べてきたけど、甘いものは別腹だから大丈夫。いやどっちも甘いものだっけ、でも私の別腹にはまだ十分な余裕がある。
「それにする!」
 すかさず食いついて、それから改めて尋ねた。
「でも、本当にいいの? ごちそうになっちゃって」
「いいって言ってるだろ。いつも美味いもん作ってもらってるからな、お返しだ」
 陸くんはさらりと言ってのけた後、店員さんを呼んで手早く注文を済ませた。ケーキセットを二つ、どちらもアップルパイと紅茶の組み合わせで。
 そして店員さんが立ち去ると、陸くんは着ていたスタジャンのポケットから平べったい紙袋を取り出した。もみの木の絵が描かれた紙袋には金色のシールで留めた赤いリボンがついている。
「これ、プレゼントだ」
「あっ、ありがとう。私も渡すね」
 慌てて私もバッグを開け、持ってきた陸くんへのプレゼントを手渡した。こっちもクリスマス用の赤い紙袋に収められた平べったい品物で、包みの上から触った感じがお互いとてもよく似ていた。ふんわり柔らかい。
「開けてみてもいい?」
 先に尋ねたのは私の方だった。
「ああ」
 陸くんは頷き、すぐに聞き返してくる。
「俺も開けていいか?」
「もちろん! 気に入ってもらえるか、どきどきだよ」
 それで私達はお互いに包装の封を剥がし、慎重に中身を取り出した。
 陸くんからのプレゼントは白いミトンの手袋だった。ざっくりしたケーブル編みの冬らしい手袋はもこもこのボアつきで、すごく可愛かったし、暖かそうだった。
「わあ、可愛い! これって陸くんが選んでくれたの?」
「一応な。お前、マフラーだの耳当てだのはしてるのに手袋はしてねえから」
 プレゼントを手袋にした理由を、陸くんはそう語った。
「けど一穂、手は大事にした方がいい。お前だって手が動かなかったら部活にも差し障んだろ。ちゃんといつも暖かくしとけ」
 さすがは陸くん、手の大事さをわかってる。私は神妙な思いでその言葉を聞きながら、早速手袋を手に填めてみた。サイズはちょうどよく、手を何度か握ってみたらミトンの手袋がぺこぺことお辞儀しているみたいに見えた。
「へへ……似合うかな?」
 私が両手に填めてみせると、陸くんも嬉しそうに目を細めた。
「似合ってる。色、どれにするか迷ったんだけどな」
「白いの、素敵だね。冬っぽいしすごく可愛いよ」
「そりゃよかった。お前、普段はカラフルっつうか、派手な色の服着てるだろ?」
 夏休み以降、私服で会う機会も多かったからだろう。陸くんは私の服の趣味を熟知しているみたいだった。まさに私はそういう服が好きだった。目が覚めるような派手な彩色の服。
「ネオンカラーって言うんだよ、陸くん」
「それだ。だから、何着てきても合うやつったら白か黒だろうと思ってな」
 その結果、白い手袋を選んでくれたんだ。そういう心遣い、嬉しいな。ミトンっていうところも家庭部っぽくていい。
「白で正解だったみたいだな。今日の服にもよく合ってる」
 陸くんは私が着てきたニットワンピに目をやり、はにかむような笑い方をする。
「そういうのもいいな、一穂。何かこう、大人っぽく見える」
「本当? だったら嬉しいな、大人っぽく見せたかったんだ」
 髪だってセットしてきたし、大好きなネオンカラーも本日は封印してベージュのニットワンピで勝負に出た。結果、陸くんは喜んでくれたみたいだ。テーブル越しにしげしげと、あまりにも熱心に見てくるものだから、恥ずかしくてむずむずしてくるほどだった。
 そんな陸くんへのプレゼントは、偶然と言うか考えることはよく似ていたと言うべきか――陸くんが寒くないようにと思って買った、黒いニット帽だった。
「帽子か、これ?」
 陸くんは最初、それが何だかぴんと来なかったようだ。何度もぐるぐると引っ繰り返していたので、私は笑いながら教えてあげた。
「ワッチ帽だよ、陸くん」
「わっち……って何だ。普通のニット帽と違うのか?」
「私もよくわかんないんだけど、見張り兵の帽子だからワッチ帽なんだって」
「へえ。そう言われると格好よく聞こえるな」
 満足げに言った陸くんは、その後でとても照れながらその帽子を頭に載せた。珍しく不器用な手つきで、明らかにかぶり慣れていない様子だった。坊主頭を全部覆い隠すみたいに生地を引っ張りながらかぶった後、困ったように苦笑してみせた。
「こういうの、微妙に恥ずかしいな。おかしくねえか?」
「よく似合うよ、別人みたい!」
 普段の陸くんはそれはもう強面で高校生離れした顔つきでとても格好いいけど、その潔い坊主頭が印象を左右しているのもまた事実だった。『まるでどこぞ帰りに見える』というのは陸くん本人の弁だったけど、そこまでではなくても坊主頭だからこその威圧感みたいなものは確かにあったと思う。
 でも今の陸くんは潔く無骨な坊主頭をワッチ帽で覆い隠していて、そうするとものすごく新鮮に映った。私の知らない陸くんの顔を知ってしまったみたいな、そういう新鮮さだ。大人っぽさと凛々しさがぐっと増して、一層素敵だった。
「一度、見てみたかったんだ」
 私は、プレゼントを帽子にした理由を陸くんに打ち明けた。
「前に言ってた話。高校卒業したら坊主やめて、髪伸ばすって言ってたでしょ。そうなったらどんな感じかなと思って」
 本当は、陸くんにだったら中折れ帽の方が似合うと思ってる。イタリアンマフィア的なアレ。でも今の陸くんに中折れ帽をプレゼントしてもかぶる機会は全然ないだろうし、そのくらいなら実用的な帽子にしようと考えてそうした。ニット帽なら暖かいし、陸くんの普段着にも合う。
 そして陸くんが帽子をかぶったら、本当はもう少し先じゃないと見られない『坊主頭じゃない陸くん』が見られるんじゃないかとも思って。
「そんなに見てえか、髪伸びたとこ」
 陸くんは釈然としない様子だったけど、私は力いっぱい顎を引いた。
「見たい!」
「じゃあ安心しろ。再来年には見られる」
 それまでちゃんと一緒にいる。陸くんはいつもそういうふうに、当たり前みたいに言ってくれる。私は陸くんのそういう気持ちも嬉しいと思う。
 前部長と電話で話した時、思ったんだ。私も大学生になったらパーマかけたりネイルしたりピアス開けたりするのかもしれない。それと同じように陸くんだってどこか変わるんだろうって。もちろんそれはずっと一緒にいれば確実に見られるものだけど、ちょっとフライングして未来を覗いてみたくなってしまった。坊主頭じゃない陸くんに会ってみたかった。いつもの陸くんも素敵だけど、未来の陸くんだって素敵だし、これから大人になるにつれどんどん格好よくなっていくに決まっているから――だから今、私の目の前にいる陸くんは、少し先の未来の陸くんなんだろう。
「本物ももちろん見るつもりだけど、今日は未来を先取りしてみたんだ」
 私が笑ったからか、陸くんはくすぐったそうに首を竦めた。
「お前が楽しそうなら、いいか。ところで一穂、鏡持ってねえか?」
「鏡? あるよ」
「貸してくれ。こういうのかぶったことねえから、何か落ち着かねえ」
 それで私は陸くんに鏡を貸してあげた。陸くんはそれを覗いて帽子の傾きを直したり、眉毛ぎりぎりまで深くかぶったりしていたけど、やっぱり恥ずかしそうにしていた。
「確かに雰囲気変わるな、これ。髪型ってマジで大事だな」
「だよね! 陸くん、どんな髪型目指すか今から考えといた方いいよ」
 そうこうしているうちに二人前のケーキセットが運ばれてきたから、私達は手袋や帽子を一旦脱いで、冷めないうちにアップルパイをいただくことにした。バニラのアイスクリームが載ったアップルパイは、さすが陸くんのご推薦だけあってとても美味しかった。シナモンが控えめに効いたしっとりめのパイだった。
「陸くん、このお店よく来るの?」
 今風じゃないなんて言うけど、こういうレトロなお店に出入りしてる男子高校生っていうのも渋くて素敵だ。私の疑問に、陸くんはまるでわざと内心を出すまいとするみたいな無表情で答えた。
「前に話したろ、ジム帰りに親父がケーキとか奢ってくれたって話」
「うん。……あっ、そのお店がここなんだね?」
「そういうことだ。もうちょっと向こうまで歩くとジムがある」
「へえ……思い出のお店に連れてきてくれたんだ」
 そういうのも嬉しいな。思わず顔がほころぶ私を見てか、陸くんも無表情を保てなくなったみたいで、やがて口元を緩ませた。
「昔もこの時期、ここの窓際の席でツリーを見てた。誰かを連れてくることになるなんて、あの頃は想像もしてなかったけどな」
 陸くんの想像できなかった未来が今なんだ。それってすごくロマンチックだと思う。
「連れてきてくれてありがとう」
 私がお礼を言うと、陸くんはすごく優しい表情を見せてくれた。
「礼を言うのはこっちの方だ。クリスマス、付き合ってくれてありがとな」
 当然ながら私は陸くんの誘いとあればいつでも、どこへだろうとお付き合いする所存です。

 喫茶店でのんびりして、イルミネーションも堪能したら、いつの間にやら門限の時間が迫ってきた。
「ぼちぼち帰るか? 今日は遅れたらまずいんだろ」
 陸くんの言う通り、クリスマスだからと門限を一時間延ばしてもらっていた。こういう時に一分でも遅刻すると次回以降の交渉に支障が生じてしまう。親との関係においてもまた信用が大切なのです。
「はあ……帰るのもったいないなあ」
 貰った可愛いミトンの手袋を填めて、陸くんと手を繋いでいても、帰り道を辿れば気分は沈む。
 デートの帰りはいつもこうだ。すごくすごく楽しかったのに『満足したからさあ帰ろう』ってことがない。もっと一緒にいたかった、帰りたくないって常に思う。
 とは言えどうしたって帰らないといけないのはわかりきってる事実でもあり、
「俺だって帰したくねえよ。帰るのやめろよ、一穂」
 陸くんに半ば冗談みたいにそう言われると、全く身勝手なことながら答えに窮してしまう。
「……やめたーい。でもやめたら怒られるし」
「だよな。こればかりは未来先取りってわけにもいかねえ」
 ワッチ帽をかぶった陸くんが白い溜息をつく。
 駅前通りを背にして十分も歩けば、道は住宅街へと差しかかり、辺りはぐっと人気が少なくなる。クリスマスだからなのか、冬だからなのか、明かりの点いた家々からは声も物音も漏れ聞こえずとても静かだ。私達も自然とボリュームを絞った声になる。
「なあ、一穂」
 陸くんが夜空に溶けるような声で切り出した。
 同時に繋いだ手が、ぎゅっと強く握られる。
「もし仮に、お前に門限がなかったとして、俺が帰したくないって言ったら……もっと一緒にいてくれたか?」
 並んで歩きながら、陸くんが私を見る。帽子をかぶった、もしかしたら未来の姿かもしれない陸くんの顔を、私は眩しいような、くすぐったいような思いで見つめ返す。
 今の問いかけには正直、どきっとした。どういう意味で聞いてるのか掴みかねたからだ。深い意味があるのかないのか――これでなかったら私が一人で勘違いと言うか考えすぎてるみたいで非常に恥ずかしい。
 でも、どっちの意味でも答えは同じだ。
 私はまだ帰りたくない。
「当たり前だよ。門限なかったら、こんな早くに帰らないもん」
 間を置かないように答えた私に、陸くんは小さく笑ってみせた。
「そうか、よかった。ちょっと気になってたから安心した」
「安心……? どうして?」
「俺はこういうの慣れてねえからな。一人で気が急いて、先走ってんじゃねえかって思うこともある」
 陸くんの言葉はいつでも堂々として、落ち着き払っている。本人が言うように急いているようにはちっとも聞こえない。でも陸くんだって私と同じ十七歳だ、戸惑うことも迷うこともあるんだろう。
「でも、お前も帰りたくねえって思ってくれてんなら……」
 不意に陸くんが、繋いでいた手を強く引いた。
「わあっ」
 当然私は陸くんの方へ引き寄せられ、勢いよく肩からぶつかりそうになる。そんな私を片腕であっさり抱き留めた陸くんは、頭を抱え込むようにして、いつものように大きな手で髪を撫でてくれた。
「そういうのが叶う未来も、期待してていいよな?」
 頭上で陸くんの声がする。
 私がもがくように頭を上げると、すぐ真上で私を見つめる陸くんは口元こそ笑んでいたけど、目は真剣だった。ワッチ帽がよく似合う陸くんは、大人の人みたいな精悍な顔つきをしていて、やっぱりすごく素敵だと思う。
「うん」
 だから私は、深く頷いた。
「いつになるかはわかんないけど……絶対来るよ、そういう未来」
 来て欲しいと思う。もっと陸くんと一緒にいたいと思う。私はその為の努力だって多分――いや、きっとできる。
 陸くんはほっとしたように息をつく。
「来るんだったらなるべく早い方がいいな」
「どうかなあ。門限交渉は今回のすら困難を極めたからね」
 その未来を先取りできるかどうか、それとも訪れるのをじっと待っているしかないかはまだ私にも、陸くんにだってわからない。
 ただ一つ言えるのは、私達が急ごうがゆっくり進もうが、その未来がやってくるのは確実だってことだ。
「やっぱ、ダイエットしとこうかなあ」
 未来に思いを馳せたらふと、私はその必要性に思い至った。今日も別腹だと言って二度もケーキ食べちゃったけど、先のことを考えたらちょっと控えといた方がいいのかもしれない。
「一緒にやるか、トレーニング。お前なら面白いくらい体重落ちるぜ」
 陸くんが唇を歪めて笑うので、ちょっとだけ恨めしい気持ちになった。
「とてもじゃないけどついてける気がしないよ……!」
「心配すんな、ちゃんと合わせて走ってやる」
 どこか楽しそうに語る陸くんと、同じスピードで帰り道を歩いている。

 きっと未来にだって、同じ速さで辿りつけるだろう。
 急いてるなんてことない、一緒に行けるよ、陸くん。
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