Tiny garden

恋と未来とブッシュドノエル(1)

 服装よし。
 プレゼントよし。
 これでケーキの生地が焼き上がればクリスマスの準備は完了だ。
 あとは陸くんの家に持っていって、海ちゃんと一緒に飾りつけして、できあがったブッシュドノエルを三人で一緒に食べて――その後は陸くんと二人でクリスマスの街をちょっとだけ出歩く予定になっている。だからおしゃれだって気は抜けないし、髪だって今日は軽く巻いてみた。現時点ではいい具合にエアリー感が出てるけど、髪質のせいで時間が経つとへたっちゃうのもわかってる。でも今日はクリスマスイブ、できる限り、めいっぱいのおしゃれをしておきたかった。
 鏡に映る自分の姿を改めてチェックしてみる。
「……うん、いい感じ」
 ベージュのニットワンピに身を包んだ今日の私は、心なしかいつもよりも大人っぽく見えるような気がした。あくまで『っぽく』だから本物の大人にはまだ程遠いけど、陸くんが誉めてくれたらいいなあ、なんて思う。

 この間、前部長と電話で話した。
 ブッシュドノエルについてのアドバイスが欲しかったのもあるし、受験勉強真っ最中の先輩を労いたかったからでもある。前部長は長く苦しい受験生生活を戦い抜くにあたり、未来に待っているであろうキャンパスライフを心の支えにしていると言っていた。
『茅野さん私ね、大学生になったら髪切ってパーマかけて、ネイルもして、ピアスも開けるんだ……!』
 電話口でもわかる憧れたっぷりの口調で前部長が語るのを、私もまた眩しい思いで聞いた。パーマとかネイルとかピアスとか、高校生のうちじゃ許されないものばかりだ。大学生って大人なんだなあと思う。
 私も来年には受験生だけど、それが上手くいけば再来年には大学生だ。そうしたらやっぱりパーマかけたりネイルしたりピアスを開けたりするんだろうか。今はあんまり想像つかない。でも『大人っぽく』じゃなくて本当に大人になったら、陸くんは私のこと、もっと好きになってくれたりするかななんて――。
 想像のつかない未来に思いを馳せていれば、台所からオーブンの電子音が聞こえてきた。
 ブッシュドノエルの生地、焼き上がりだ。粗熱を取ってから陸くんのお家へ持って行こう。

 私は上手く焼けた生地とエプロンを携え、陸くんが待つお家へと急いだ。
 約束の午後二時ちょうどに訪ねていくと、陸くんはもちろん海ちゃんも大喜びで出迎えてくれた。
「よく来たな、一穂。待ってたぜ」
「お姉ちゃん、メリークリスマス! いい匂いだね」
「ありがとう。陸くんも海ちゃんも、メリークリスマス!」
 クリスマスの挨拶を返すと海ちゃんはにこにこしていたけど、陸くんは恥ずかしいのか首を竦めてみせる。
「柄じゃねえから俺はやめとく」
「じゃあ日本語でもいいよ。クリスマスおめでとう、陸くん」
「ああ、おめでとう。……っていうのも何か、ぴんと来ねえけどな」
 それから陸くんは照れ笑いを浮かべて、私の耳元で囁いた。
「どっちかつうと『来てくれてありがとう』だ。ケーキ、楽しみにしてる」
「……うん」
 私も照れながら頷く。その言葉、すごく嬉しかった。
 早速台所をお借りして、ケーキの飾りつけを始める。材料は全部陸くんが揃えてくれたので、私はクリームを泡立てて生地の内側にたっぷりと塗り、それを慎重にくるりと巻いた。
「わあ、ロールケーキ!」
 海ちゃんが歓声を上げるくらいきれいなロールケーキができた。
 切り株を作る為に一切れ斜めに切り取ってから、上に載せて更にクリームを塗りたくる。
「ねえねえ、海もやっていい?」
 ナイフを使ってクリームを塗る私を見て、海ちゃんが屈託なくねだってきた。じゃあどうぞとナイフを渡そうとしたら、すかさず陸くんが口を挟む。
「おい海、わがまま言わないって約束だっただろ。やめとけ」
「わがままじゃないもん。お姉ちゃんもいいって言ってるよ」
「せっかく一穂が上手に作ってんだから、ガキが無闇に手を出すな。できることだけやれ」
 陸くんの言葉に海ちゃんはむうっとむくれた。
「お兄ちゃんこそ向こう行っててよ、作んないんでしょ!」
「見張ってんだよ、お前が一穂を困らせないように」
「そんなことしないし! 言っとくけど邪魔しないでよね」
「しねえよお前じゃあるまいし」
 陸くん家の台所はぴかぴかで使いやすかったけど、広さとしては普通の一般家庭サイズで、三人で並んで立つには少々狭かった。陸くんと海ちゃんが私を挟んで言い争うのを、私はクリームを塗りながら笑いを堪えて聞いていた。
 そのうちにブッシュドノエルはいよいよ形になっていき、残るは飾りつけだけという段階で、
「あっ、飾りつけは海がやる! お兄ちゃんチョコペン書けるようにして!」
「何で俺がやるんだよ……おい一穂、これどうやって使うんだ?」
「湯呑みにお湯を注いで、その中で温めるといいよ」
 温めて柔らかくしたチョコペンで、海ちゃんはブッシュドノエルの側面に絵を描き始める。白い幹にチョコレートの線が引かれていくのを、隣で陸くんがはらはらしながら見守っていた。
「うっわ……もうちょいきれいに描けよな海。何の絵だよこれ」
「見ればわかるじゃん、うさぎだよ。こっちは猫ね」
「うさぎと猫がクリスマスと何の関係があんだよ」
「えっ、クリスマスの絵じゃないと駄目なの? 何で?」
 チョコで描かれた可愛いうさぎと猫のイラストの周りに、銀色のアラザンやカラフルなチョコスプレーを散らす。これも海ちゃんが喜んでやってくれた。
「海、お前チョコスプレーかけすぎだろ」
「美味しいからいいんだよ。チョコだもん」
「チョコペンにチョコスプレーってさすがにチョコ過剰じゃねえ?」
「お兄ちゃんうるさい。文句あるなら食べなくていいよ」
 最後に粉糖を振ったいちごを載せて、
「それ海が載せたい! ね、ね、いいよねお姉ちゃん!」
「だから出しゃばんなって。お前がやるくらいなら俺がやる」
「お兄ちゃんがやりたいんじゃん!」
「別にやりたいんじゃねえ、お前よりかは上手くできるっつってんだ」
 兄妹間でいちごの取り合いが始まりそうだったので、今度は私が割って入ることにした。
「まあまあ、いちごはいっぱいあるから一人二つずつね」
 ブッシュドノエルの上に三人がかりでいちごを載せた。切り株の分だけ乗せるスペースが狭くて、陸くんと海ちゃんが押し合い圧し合いするのを宥めたりしつつ、六つ全部載せてできあがり!
 白い切り株にうさぎと猫の絵が描かれ、更にアラザンやチョコスプレーで飾り立てられたブッシュドノエルは、クリスマスらしい賑やかな仕上がりだった。
 せっかく飾ったのにすぐナイフを入れるのももったいない気がしたけど、私も、それに陸くんと海ちゃんもとてもお腹が空いていた。記念写真の撮影を終えた後は早々にケーキを切り分け、陸くん家のリビングでいただいた。
「おいしーい!」
 海ちゃんは大喜びでケーキを食べてくれている。いつもはおませで大人びた顔をすることもある子だけど、お菓子を食べてる時は歳相応みたいな顔をする。そういうところは陸くんによく似ている。
「やっぱ自分で作ると美味しいね、お姉ちゃん!」
「そうだね!」
「何言ってんだ、作ったのはほとんど一穂だろ。海は飾っただけ」
 陸くんは呆れたように溜息をついたけど、ケーキを食べると険しかったその顔もふっと和んだ。優しい目で私を見ている。
「うん、美味いな。さすが一穂の手作りだ」
「えへへ、ありがとう!」
 やっぱり私も、陸くんに誉めてもらえると嬉しい。頑張ってよかったなって思う。
 そしてブッシュドノエルは本当に美味しかった。生地もクリームもふわふわで、そこにアラザンやチョコスプレーの歯ごたえがいいアクセントになっていた。いちごの甘酸っぱさもケーキの甘さによく合って、ブッシュドノエルはあっという間に私達のお腹に収まってしまった。

 ケーキの仕上げに時間がかかったからか、食べ終えた頃には午後四時を過ぎていた。
 冬場らしい日の短さで、窓の外はもう既に暮れかかっている。イルミネーションがきれいに見られる時間がやってくる。今頃、街はどんなふうに賑わっているんだろう。
「一息ついたらぼちぼち出るか?」
 後片付けまで全部済ませた後、陸くんが私に声をかけた。
「そうだね。私はいつでもいいよ」
 私が頷くと、海ちゃんがすかさず言った。
「お兄ちゃん達どこ行くの? 海も行っていい?」
「駄目だ」
 陸くんはきっぱりと拒んだ。
 その答えを海ちゃんは予想していたみたいだった。案の定という顔つきで口を尖らせた。
「だよね、お兄ちゃん達、クリスマスデートだもんね」
「そうだ。もうじき母さん帰ってくるし、それまで鍵かけて留守番してろ」
「はーい」
 不承不承返事をする海ちゃんに、陸くんはにやりと笑って、
「いい子にしてなきゃサンタ来ねえぞ、今夜だろ」
 脅かすようなその言葉に私はびっくりした。だって――。
 でも海ちゃんは実に素直に目を丸くしている。
「あっ! ねえお兄ちゃん、留守番ちゃんとできたらいい子?」
「そりゃそうだ。俺が保証してやる」
「じゃあ留守番する、いい子にしてる!」
 どうやら海ちゃんのところにはまだサンタクロースが来ているらしい。顔を輝かせた彼女に快く見送られて、私と陸くんは夕暮れの街へと出発した。
 家を離れて少し歩いた辺りで、私は声を落として尋ねた。
「海ちゃんにはまだサンタさんが来るんだね」
「そうなんだよ」
 私の手を握りながら、陸くんが笑う。
「普段は大人みてえな、ませた口ばかり利くくせにな。まだガキなんだよ」
「確かに意外だったかも。でもすごく可愛いね」
 手のひらが分厚い陸くんの手を握り返してみた。ずっと家の中にいたから、お互いの手はまだ温かい。だけど戸外の風は思ったよりも冷たくて、私はムートンコートの前を閉じざるを得なかった。せっかくの可愛いワンピが隠れてしまってもったいないけど、寒さには勝てない。
 陸くんは寒くないんだろうか。相変わらず帽子もかぶらずに潔く坊主頭を晒している。
「俺からすると便利だけどな。サンタ来ねえぞって言えば利口にしてるし」
 そう言うと陸くんは何もかぶっていない頭を傾げて、
「まあ、それも今年までかもな。最近ちょっと疑念持ち始めたっぽい」
「四年生ってちょうどそういう歳かもね」
「だよな、こないだ『うち煙突ないのにどうやって入ってくんの?』って聞かれたよ」
「陸くんはなんて答えたの?」
 気になったので突っ込んで聞いてみた。
 すると陸くんは少し恥ずかしそうに教えてくれた。
「『サンタは壁すり抜けてこれんだよ』って言った」
 それを、海ちゃんは素直に信じたんだろうか。
 私が黙ったからか、陸くんは顔を覗き込んできた後で目を細めた。
「正直な顔するよな、一穂も。俺も苦しい答えだったって思ってるよ」
「ごめん。でも私も、同じ質問されたら上手く答えられないなあ」
「だろ? 俺だって焦ったぜ、親はまだ黙っとけって言うしよ」
 陸くんは困り果てた様子でぼやいていたけど、でもそういうぎりぎりな質問にも頭を捻ってくれるお兄さんっていいな、と私は思う。いつか海ちゃんも本当のことを知ったら、改めてそう思うんじゃないかな。
 そして私は、陸くんのそういうところがとても好きだ。

 人で賑わう駅前通りに辿り着いたのは午後五時過ぎだった。
 その頃にはもう空は真っ暗に暮れていて、イルミネーションで彩られた街並みがまるで浮かび上がるように見える。ちかちか光る小さな明かりは眩しくて、瞬きの度にその光が瞼に残ってちらついた。
 目が眩むような光に溢れた街中を、たくさんの人達が歩いている。やっぱりと言うか何と言うか、カップルが多めだ。そしてこういうところに来るカップルは、誰も彼もが幸せそうだった。
「一穂、向こうにツリーが見える」
 陸くんが空いている方の手で指を差す。
 通りの先にひときわ目映い光を放つ大きなクリスマスツリーが見えた。本物のもみの木に光る電飾を撒きつけたそのツリーは、赤、緑、青にピンクと色とりどりの光を瞬かせながら立っている。見えてきたらいても立ってもいられなくなって、私も陸くんも早足になってツリーを目指した。
 ツリーは周囲を見物客に囲まれていたからあまり傍までは近づけなかった。それでも見上げれば首が痛くなりそうなほどの高さがあった。
「すっごく大きい……それに、きれい」
 思わず呟いてしまったけど、月並みな感想しか出てこないのが悔しいくらいだ。
 隣で陸くんが頷いた。
「確かにな。ほぼ毎年見てるけど、きれいとしか言いようがねえ」
「そうなんだ。ずっとやってるの? このツリー」
「ああ、俺が物心ついた頃からやってる」
 この街に来てからまだ二年目の私の問いに、陸くんは優しく答えてくれた。それから辺りを見回して、私の手を軽く引く。
「ここだとゆっくり見てもいられねえだろ。ちょっと落ち着けるとこに行こうぜ」
「落ち着けるとこ?」
「向こうにある喫茶店」
 陸くんはツリー越しに見える駅前通りの先を手で指し示す。
「今風の店ではねえけど、まあまあ美味い。奢ってやるから付き合ってくれよ」
「え、そんなのいいよ。いちごとかクリームとか用意してもらっちゃったし」
 ブッシュドノエルの飾りつけに使った材料は、陸くんが全部用意してくれたものだ。それだけでも結構な金額になったと思うのに。
「お互い様だろ、お前だってあのケーキ、ただで焼いたもんじゃねえはずだ」
 首を横に振った陸くんが、私の手を力を込めて握り直す。
 外をずっと歩いてきたからか、陸くんの手は一層温かく、対照的に私の手は少し冷たくなっていた。繋いでいない方の手は早くもかじかみ始めている。今日はすごく寒くて、おしゃれ重視で耳当てとマフラーをしてこなかったことを今更のように後悔していた。
「それにお前、寒そうだ。ちょっと温まった方がいい」
「確かに寒かったけど……」
 答えながら私は陸くんの頭に目をやる。もしかしたら陸くんも寒いのかもしれない、そう思った。
「喫茶店に行くのはいいけど、奢りっていうのは駄目」
「何でだよ」
「だって渡しにくくなるもん」
「何を?」
「クリスマスプレゼント」
 答えた私に、陸くんが大きく目を見開いてみせる。
「ケーキ以外にも用意してたけど、お金のことは気にしないでほしいな。じゃないと……」
「それならますますお互い様だ。俺も用意してた」
 陸くんの言葉に、今度は私が驚く番だった。
「プレゼント?」
「ああ」
「そ、そんなのいいのに……嬉しいけど……えへへ」
 慎ましく遠慮しようと思ったけど、現金にも顔が緩んでしまって駄目だった。
 だって嬉しい。陸くんがクリスマスプレゼントを用意してくれたんだって。私の為に。それはもう何だって嬉しい。絶対大切にするし部屋にも飾っちゃうと思う。でも使うものだったりしたら、きっともったいなくて使えないだろうな。
「それも渡したいから、どっか座ろうぜ。ここじゃ人が多くて落ち着かねえ」
 陸くんは私を促すと、ツリーの前を離れて駅前通りを歩き出した。
 目当ての喫茶店まではほとんど迷うこともなく、陸くんは古めかしいガラス扉もためらわずに引き開けた。カフェというよりはまさしく喫茶店と呼ぶべき、昭和レトロ的な店構えだった。
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