Tiny garden

吾妻雄太と話したい?(2)

 予感は、その日のうちに的中した。
 放課後になって、出来るだけ急いで帰ろうとしたあたしは、クラスのあまり仲良くない子たちに取り囲まれてしまった。
 普段は挨拶と世間話くらいしかしない子たちが、あたしに向かって盛んに、親しげに話し掛けてくる。
「ね、今日の休み時間、雄太くんと話してたでしょ?」
「吾妻雄太と仲良かったの? 今まで全然そんなそぶりなかったよね?」
「結構親しげにしてたけど、一体どういう関係なの?」
 皆、よく見てるんだなと思った。雄太もそこんとこ、気を遣ってくれればよかったのにな。なまじ人気者なんだから。
 あたしは仕方なしに、正直に答える。
「別に仲良い訳じゃないよ。小学校の頃はクラスメイトだったから、卒業文集貸してくれって頼まれただけ」
 そう打ち明けると、皆は様々な反応を見せた。あからさまにほっとする子もいれば、まだ疑わしげな目の子もいる。
「えー、そんなのずるーい!」
「羨ましいよねえ。私も同じ小学校がよかったな、雄太くんと!」
 そんな声を上げた子もいて、さすがにどきっとした。
 ずるい、かあ。単に偶然クラスメイトだったってだけなのに、あたしが悪いみたいに言うんだ。出る杭は打たれると言うし、やっぱ雄太とは距離を置こう。文集なんていっそ返ってこなくてもいいや。残り少ない高校生活、無事に過ごせる方がずっといい。
 あたしがそう思っていたら、不意に一人の子が口を開いた。
「ねえ、昔のクラスメイトだって言うなら、それなりに仲いいんでしょ?」
「え? いや、別にそれほどじゃ――」
「雄太くんの写真、撮って貰えるようお願い出来ないかな?」
 反論を遮って持ち掛けられた頼み事。
 それに他の女の子たちも、
「あー、あたしも!」
「私も! 出来ればユニフォーム姿がいいな!」
「ね、お願い! 代わりに写真撮ってきてくれない?」
 口々に言い出して、あたしは息を呑む。
「え、でも、仲良いって訳じゃないし」
 恐る恐る言っても、皆は笑うばかりだ。
「そうかなあ。結構仲良さそうに見えてたけど」
「別に仲良くなくたって、元クラスメイトなら写真くらい貰えるでしょ?」
「それとも駄目なの? 雄太くんの写真が、他の子の手に渡ったら嫌だとか?」
 ――読めてきた。
 つまり、踏み絵ってことみたいだ。あたしが雄太のこと好きになってないかどうか、調べたいってことらしい。
 仲良くないから、なんて言っても疑われるだけなんだろうか。どうにもまずいこの状況。あたしには答え、一つきりしかないじゃない。
「……機会があったら、頼んでみる」
 答えた。
 すると皆は揃ってほっとしたような、うれしそうな表情になった。
 きっと皆、本気で雄太のことが好きなんだろうな。
 でも全員が揃って雄太を好きなら、誰かが雄太を振り向かせた時、喧嘩になったりしないんだろうか。そこはやっぱり『出る杭は打たれる』で、打たれないように足並み揃えるだけ?
 あたしと一緒だ。あたしの方が皆よりも、更に臆病でいるけど。
 昔とは違う。あたしはもう昔みたいに雄太のことを好きにはなれない。常にびくびくして、皆の目を気にしながら、話し掛けることすらままならない人を好きになったら、辛いに決まってる。
 雄太は昔とちっとも変わってない。野球馬鹿で、友達が多くて、明るくて、あたしが好きだった頃と全然変わらない。あたしは同じ高校になって、三年目にようやく雄太に話し掛けて貰う、それよりも前から雄太のことを見ていた。横目でこっそり見ていた。それだけなら、雄太があたしを忘れているなら、昔みたいに好きになるはずもないって思ってた。
 話し掛けられた時、怖かった。昔の記憶が、雄太のことを好きだった頃の想いが甦ってきそうで怖かった。あたしが欲しいのは誰にも恨まれずひっそりとしていられる平穏な高校生活であって、懐かしい初恋の思い出じゃない。
 だから証明しなくちゃいけない。
 あたしが雄太を、もう好きじゃないってこと。大勢の女の子たちに、あたしは打たれたがってる杭じゃないってことを証明しなくちゃいけない。

 それで結局、家に帰る前にグラウンドへ立ち寄る羽目になった。
 西日のきつく射し込んでいる、土の匂いがする放課後のグラウンド。少しだけ風があったけど、温くて到底涼めるものじゃなかった。この季節は、校庭の緑さえ暑苦しく見えてしまう。
 水の撒かれたグラウンドからは、ゆらゆらと水蒸気が立ちのぼっていた。その向こうに野球部のユニフォームを着た集団を見つけて、喉が鳴る。幸い、練習はまだ始まってないみたいだ。
 どう声を掛けようか迷っていると、先に雄太の方が気付いて、こっちに駆け寄ってきてくれた。
「どした、誰かに用?」
 相変わらず気安く尋ねてくる雄太。でも今は、その方がありがたい。
「うん、雄太――吾妻に、頼みがあるんだけど」
 あたしは言い、怪訝そうにする雄太に携帯電話を取り出して、見せた。
「写真、撮らせて欲しいんだ。クラスの子に頼まれて」
「写真? 俺の?」
「うん」
 頷くと、雄太はおかしそうに笑い出す。
「何それ。俺の写真なんかどうすんの?」
 どうすんのか、それはあたしの方が聞きたい。
 もちろんそうは言えずに、あたしは少し横柄な態度を取った。
「文集、貸してあげたでしょ? そのお礼、写真でいいから撮らせて」
 そんなこと言わなくたって、雄太なら気軽に撮らせてくれるだろうとわかってた。頼めば断らないだろうと思ってた。でもあたしはとことん、雄太に関心のないふりをしなきゃいけない。打たれるのは怖かった。今、グラウンドの片隅で、ユニフォーム姿の雄太と話していることだけでも、怖かった。どこからか常に視線を感じていた。一刻も早くここから逃げ出したかった。
 雄太はあたしの内心に気付かないだろう。おかしそうに、にやっとした。
「ふーん。本当に、頼まれただけ?」
「は? 何が?」
「いいや、別に。……これで撮ればいい?」
 そう言って、雄太はあたしの手から、あたしの携帯電話を攫う。
 使い方、わかるんだろうか。こういうの、よく頼まれるのかな。慣れた手つきでカメラモードを起動して、構えた。
「自分で撮るの?」
 あたしが尋ねると、雄太は自信たっぷりに答えた。
「まあね。見てろよ、俺撮るの上手いから」
「へえ……」
 関心のないふりをしたあたしの、視界が不意に、傾いた。
 肩をぐっと引き寄せられた。次いで、斜めの視界でライトが光る。シャッター音が耳障りに響いて、――察した。
 雄太の手が、肩から離れた。撮れた画像を確かめる横顔が、楽しげに笑っている。
「ほら、撮れた。上手く撮れてるだろ?」
 携帯電話の小さな画面に、わざわざ引っ付いて写る二人。片方は日焼けした笑顔の雄太で、もう片方は青白い、呆然とした顔のあたしだ。そしてそれを認めた時、あたしは血の気の引く思いがした。
「な……何、撮ってんの」
「何って、写真に決まってんじゃん」
 平然と答える雄太の手から、あたしは携帯電話を引っ手繰る。
 駄目だ。消さなきゃ。こんなもの見られたら何言われるかわからない。 震える指がキーを押す。削除しますか、なんて間の抜けた問いかけに即座に答える。――はい。消してください。こんなもの、跡形もなく削除して二度と出てこないようにしてください。あたしの身の安全の為、何もなかったことにしてください!
「あ、消しちゃった」
 この期に及んで雄太が、笑いながら言ってくるから、思わず睨み付けてやった。
「こんなもの、人の携帯で撮らないで!」
「え? こんなものって」
「言ったでしょ、頼まれたんだから。あたしが写ってたらおかしいじゃない! 雄太の顔だけでいいんだってば! 人の迷惑も考えないで、勝手におかしな真似しないで!」
 一息に言った。
 怖かった。あたしは、雄太のことが怖かった。
 目の前で雄太が、はっとしたように笑みを消す。視線が足元に、スパイクシューズの爪先に落ちる。唇が固く結ばれる。気まずそうな表情が過ぎる。
 温い風が吹いてきて、そのタイミングで雄太が、言った。
「――ごめん」
 ぎこちない微笑がその後に続いた。
「何て言うか、ふざけただけなんだ。お前がそこまで怒ると思わなくて……ごめん。次はちゃんと撮るから」
 手を伸ばしてきて、あたしの手に触れないように携帯電話を攫っていく。そして何も言えなくなったあたしに、もう一度笑ってみせた。
「ごめん。迷惑、掛けてたんだな」
 雄太はその後もあたしを責めなかったし、怒りもしなかった。快く写真を撮ってくれて、それから、ふらふらとグラウンドから立ち去るあたしを、ただ放っておいてくれた。
 でもあたしは、撮って貰った画像を誰にも渡せなかった。渡す気になれなかった。これも全部削除したら、何もなかったことになるだろうか。そう思ったけど、そんなはずはないとわかっていた。

 雄太を傷つけてしまった。
 雄太は、知っているのかもしれない。知ってたのかもしれない。自分のことを好きでいてくれるたくさんの女の子たちの存在。知っていたのに、それでもあたしに話し掛けてきたのは、多分、あたしのことを友達だと思っていてくれたからだ。小学校を卒業してからは全然顔を合わせてもいなかったあたしのことを覚えていてくれて、友達だと思っていてくれてたからだ。
 あたしはその友情を裏切った。雄太の気持ちを裏切った。自分のことばかり考えるあまり、雄太の気持ちなんて考えもしなかった。
 でも、だったらあの時はどうするべきだったのか。わからなかった。
 あの画像を残しておくことは出来なかったはずだ。もっと優しい言い方をすればよかったのか、それともクラスの子たちに言われたことを、正直に打ち明ければよかったのか――どちらも正解じゃないような気がして、あたしは家に帰ってから、ひたすら悩んだ。
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