Tiny garden

例年よりも暑い夏(2)

 外の暑さのせいか、店内はやや混み合っていた。
 私たちは席が空くまで数分待つことになったけど、待ったおかげで広々とした四人掛けの席に案内してもらえた。大きな窓の傍にある明るい席だった。
 普段なら日差しが強い席なんてちょっと、と思うところだけど、冷たいものを食べるならむしろ好都合だ。夏の日差しを浴びながらソーダフロートなんて、いかにもこの季節ならではって感じでいい。

 ここへ来る前に耕太くんからお勧めを聞いていたのもあって、注文はすぐに済んだ。オーダーを取り終えたウェイトレスさんがメニュー表を下げると、あとにはレモンを浮かべた水のグラスが二つ、残された。
 真向かいに座る耕太くんがそのグラスの一つを手に取り、水を飲む。
 私も少しだけ水を飲んでおく。それからグラスをテーブルに置くと、ほぼ同じタイミングでグラスを置いた耕太くんと目が合った。
 途端、耕太くんは困ったような顔をする。
「何だよ」
 そう尋ねるなり目を逸らされたから、私は不思議に思って聞き返した。
「何って、何が?」
「いや、お前、こっち見てるから。何かなって」
「あ、ごめん」
 私も慌てて視線を落とす。確かにじろじろ見てるみたいで、失礼だったかもしれない。
「別に見られて嫌だってわけでもねえけど……」
 耕太くんの声はぼそぼそときまり悪そうだった。
「こうやって向き合ってると、変に緊張するから」
「う、うん。私もそうかな」
 確かに変な話なんだけど、緊張する。デパートで買い物をしている時は感じなかったけど、こうやって向かい合わせで座っているのって目のやり場に困るし、本当に二人でいるんだなという実感もあって、落ち着かなくなる。
 恐る恐る顔を上げるとまた目が合って、耕太くんが驚いたようにびくりとするから、私も慌ててしまう。
「部活ではずっと一緒にいるのにね。学校で会う時とはやっぱり、違うね」
 吹奏楽部も三年目で、耕太くんとも毎日のように顔を合わせている。無愛想な耕太くんとはこれまであまり話をする機会はなかったけど、それでも長い付き合いには変わりない。最近ではたくさんお喋りもしているし、校内ではすごく仲良しになれた気がしていた。
 なのに、こうして学校の外で会うと、途端に心許ない気分になる。
 二人でいるのに慣れないと言うか、むしろ新鮮だと言うか、とにかくすごくどきどきする。
「まあ、だからって黙ってることもないよな」
 そう言うと、耕太くんはぎこちなく笑った。
「何か話すか。適当に、いつも通りに」
「そうだね」
 私は頷いたけど、適当にと言っても話題が思いつかない。せっかくのデートで部活の話をするのもどうかと思うし、雄太くんのことを尋ねようにもさっき会ったばかりだし。必死になって話題を探していれば、やがて耕太くんがぽつりと言った。
「やばい。俺マジで緊張してきたかも……頭、真っ白だ」
 それなら私が張り切らなければと思ったタイミングで、注文したソーダフロートが二つ、私たちの席に運ばれてきた。真っ白なバニラアイスの乗った、泡が弾けるメロンソーダは見た目からして涼しげで、それだけで場の空気がふっと、クールダウンしたようだ。
 テーブルに置かれたソーダフロートのグラスを見て、お互いほっとしたのも束の間。
 今度は混み合う喫茶店の入り口が再び開いた。私たちの席までグラスを運んできたウェイトレスさんが、エプロンの裾を翻してそちらへ向かう。私も何となくその動きを目で追い駆けて――。
「あ!」
 視線が入り口に辿り着く前に、聞いたことのある男の子の声が響いた。
 ドアを開けてお店に入ってきたのは、雄太くんとその彼女さんだった。二人は私たちがいるのを見て、揃ってびっくりした顔になる。もちろん私だってびっくりだ。すぐに視線を戻せば、真向かいに座る耕太くんはテーブルに突っ伏していた。
「マジかよ。この店まで被るか?」
 呻くような声が聞こえて、私は笑いを噛み殺す。
「すごい偶然だね」
 内心、偶然とも思っていなかったけど。だって夏と言えば、このお店だというから。きっと耕太くんの思い出と同じものが、雄太くんの中にはあるんだろう。
「お連れ様ですか? ご一緒のお席でよろしいですか?」
 入り口ではウェイトレスさんが、雄太くんたちにそう尋ねている。手で示した方向は私たちのテーブル。もともと四人掛けのこの席は、あと二人、座れる余裕が確かにある。
 店内を見回せば、他に空いている席はなさそうだった。暑さのせいで混んでいるようだったから、こういう時はしょうがない。
「あー……ええと、耕太、いい?」
 雄太くんの問いに、耕太くんは無言で私の方を見る。私が笑んで頷くと、肩を落として答えた。
「もう勝手にしろ」

 こうして、私たちは四人でテーブルを囲むこととなった。
「デート邪魔しちゃって悪かったな、耕太」
 四人分のソーダフロートが並ぶテーブルで、雄太くんは相変わらず照れ笑いを浮かべている。席を入れ替えて座ることにしたから、雄太くんの隣には彼女さんが座っているし、私の隣には耕太くんがいる。横目で窺えば不機嫌そうな仏頂面が見えて、きっと気まずく思ってるんだろうなと察しがついた。
「お互い様だろ」
 自棄気味に答えた耕太くんは、猛烈な勢いでフロートのアイスを食べ始めている。頭が痛くならないんだろうか。ちょっと心配。
「次からはもっと独創的なデートコースにしような、お互い」
 雄太くんがそう言ったけど、でも何となく、独創性を狙えば狙うほど被りそうな気が、私はしている。双子の兄弟ともなれば季節ごとに同じ思い出がたくさんあるだろうし、行きたいところだって同じなのかもしれない。
「被るの嫌なら、いっそ事前に申告しあうっていうのは駄目なの?」
 雄太くんの彼女さんがそう言うと、すかさず耕太くんがスプーンを持つ手を止め、溜息をついた。
「言ったら言ったでうるせえんだよ、雄太。すぐ駄目出しとかしてくるし」
「いや、さすがに兄弟のデートプランにまで口挟んだりはしませんって」
 笑い飛ばすように言った雄太くんは、その後で意味ありげに笑う。
「つか、耕太が言いたくないだけだろ? 柄にもなく恥じらっちゃってさ」
「うるせえ」
「今日だって全っ然口割らねえし。よっぽど彼女さんを怪しい場所にでも連れてくのかと思ったよ」
 雄太くんが追い討ちをかけるように続けた。
「お前じゃあるまいしそんなことするかよ」
 即座に耕太くんは言い返したけど、私が見ているのに気づいてか、ふいっと顔を背けてしまう。
 そして雄太くんもそこで心外そうに、隣に座る彼女さんに顔を向けた。
「俺だってそんなことしねえっての。な? 俺たちのデートなんていつも慎ましいよな?」
「まあね。雄太の評判、下げたくないし」
 髪の短い彼女さんがさらりと答える。
 雄太くんは校内でも、今となってはこの辺りでも有名人だから、二人で会うのは大変なこともあるだろうと思う。でもいつも幸せそうで、いいな。ちゃんとお互いの為に頑張ってるんだろうな。
「お前らこそ何だよ、熟年夫婦みたいな空気出しやがって」
 呻くように言った耕太くんが、目の端で私を見る。
 そういえば私以外の三人って、幼なじみなんだっけ。納得しかけた拍子、耕太くんが雄太くんに噛みついた。
「こっちはまだ付き合い短いんだから、ちょっと放っといてくれたっていいだろ。出かける前とか緊張すんだから、お前の相手なんかしてられないんだよ」
「それは緊張しすぎだろ! どんだけ気負ってんだよ耕太!」
 雄太くんが遠慮なく笑うと耕太くんはいよいよ真っ赤になって、既に食べきったアイスクリームの下にあるソーダを飲み干しにかかった。
 双子なのにあんまり似てないって言うのは今更だけど、耕太くんは照れ屋さんだなってつくづく思う。おかげで私までちょっと恥ずかしくなって、黙ってソーダの上のアイスを食べた。美味しかった。

 結局、私と耕太くんはいち早くソーダフロートを食べ終え、雄太くんたちよりも先にお店を出た。
 今日の用事はもう済んでしまったからあとは帰るだけなんだけど、まだ午後四時前だし、このまま家に帰るのは少し寂しい。そう思っていたら、耕太くんが言ってくれた。
「まだ明るいけど……もしよかったら、家まで送る」
「あ……ありがとう」
 このままお別れは嫌だなと思っていたから、私は嬉しくなってすぐに頷いた。
「じゃあ、送っていってくれるかな」
「ああ。時間あるし、なるべくゆっくり帰るか」
 日差しの色が濃くなり始めた時刻、まだ蝉たちが賑やかに鳴く街並みを、私たちはゆっくり、のんびり歩き出す。
 今日は部活もあったし、いっぱい歩いたから、身体は心地よくくたびれていた。それに楽しかった。特別何かがあったわけじゃないけど、必要以上に緊張もしてしまったけど、初めてのデートとしてはこんなものじゃないかなって思う。何より、耕太くんと一緒にいられて楽しかった。
「まさか二度も、雄太と行き先被るとはな……」
 耕太くんは不満そうにぶつぶつ言っていたけど、それはそれで面白かったし、いいんじゃないかな。
「でもおかげで、緊張解けたところもあるよね」
 私が言うと、耕太くんは喫茶店で向き合っていた時よりも自然に笑った。
「それはそうだけど。だからってずっと、あいつらと一緒ってのもな」
 四人で過ごすのも楽しいとは確かに思った。雄太くんは明るいし、雄太くんと一緒にいる時の耕太くんは私といる時とはまた違う顔をしている。雄太くんの彼女さんとは話も合うし、学校ではたまに二人だけでおしゃべりすることもあったりする。だから四人でいるのも悪くはないんだけど。
「俺はせっかくだから、お前と話したいって言うか……」
 言いながら耕太くんは私を見て、どこか恥ずかしそうに頬を掻く。
「も、もちろん毎日話してるけどな。こういう時間もたまにはあってもいいよな」
「そうだね。私も楽しかったよ」
 私もやっぱり、耕太くんと二人でいるのが一番楽しいかもしれない。
 緊張するけど、話題がなかなか増えないけど、それでもだ。
「本当に? 俺、あんま話さなかったし、つまんなくなかったか?」
 耕太くんはほっとしたのか、はにかむように微笑む。
「ううん、本当に楽しかった」
 私はかぶりを振ってから、やっぱりはにかみたくなる気分で続けた。
「って言うよりね、誘ってもらえただけでも十分、嬉しかったし……」
「……そ、そっか。そりゃよかった」
「うん。今年はお互い忙しいだろうなって思ってたから」
 今年の夏は特別で、それだけに慌しかった。
 私も耕太くんも練習に追われるばかりで、なかなか暇を持てなかった。それは仕方のないことだとわかっている。この特別な夏を迎えられるのはほんの一握りの吹奏楽部員だけだ。望んだ人が皆、いられるわけじゃない。だから頑張らなくちゃもったいない。本番までもう時間もない。
 そういう時だからこそ、こうして短い時間だけでも二人でいられたのが、嬉しかった。
「誘ってくれてありがとう。おかげで明日からまた、頑張れそうな気がする」
 私がそう答えたら、耕太くんはまたちょっと笑った。
「俺も、まあ楽しかった。けど、次こそは二人きりがいい」
「そう?」
 どきっとした。
 いや、私だって二人で会うのが嫌なわけじゃない。当然、二人きりの方が一番いいに決まってるけど……。それを耕太くんの口から、はっきり言われると、びっくりする。
「慣らしとかなきゃいけないって思うんだよな、こういうの」
 耕太くんの意見はこうだった。
「部活だけだと足りないって今日、わかったし。学校以外で会っても普通に話せるようになりたいって思った。別にあんな、熟年夫婦みたいになりたいとは思わねえけどさ……」
 そう言うと、耕太くんは真面目な顔を作るみたいに唇を結んだ。少し間を置いてから、私に向かって言葉を継ぐ。
「とりあえず、二人でいても緊張しなくなるのを今年の夏の目標にする」
「う、うん」
「だから……時間見つけて、また誘うから」
 それからやっぱり恥ずかしそうに、でもどことなく幸せそうな笑みを浮かべて耕太くんは言った。
「この夏はお互い忙しいけどさ。よかったら、付き合って」
 当然、私はすぐに頷いた。
「うん。もちろん、どこにでも付き合うよ」
 すると耕太くんは安心したように俯いて、片方の手のひらをシャツで拭ってから、私の方に黙って差し出してきた。
 私がおずおずその手に触れると、耕太くんは素早く私の手を捕まえた。あまり力を込めずに握られて、その後はずっと手を繋いで歩いた。
 家に着くまで会話こそ少なめだったけど、お互いに手は離さないように、離れないようにしていた。

 特別な夏はもう始まっている。
 どんなに酷い暑さでも、私は、耕太くんと一緒なら越えていけると思う。だからその為にも、次のデートも早めにしよう。短くてもいいから、ほんのちょっとだけでもいいから、次は、次こそは二人きりで過ごそう。
 一緒に夏を越えていくんだ。ずっとずっと終わらない夏を。
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