Tiny garden

risoluto(2)

 雄太とは近頃、まともに話をしていなかった。
 それは今までだって割と普通にあったことだ。試合前後の練習が厳しくなる時期なんかは、同じ家に住んでるのに朝しか顔を合わせないのも珍しくない。
 こっちだって双子の弟と数日、数週間口を利かないくらいで寂しがる年頃ではもうないし、家にいる時は一分一秒でも長く休むべきだと思っている。俺との、特に実のない会話に貴重な時間を割く必要もない。雄太の時間は俺のよりもずっと希少価値があるんだ。

 だからある晩、奴が俺の部屋に押しかけてきた時は、むしろ何で来たと言いたくなった。
「お前、ごろごろすんなら自分の部屋行けよ」
 俺は机に向かったまま、椅子の真後ろの床辺りで寝転がる雄太に告げた。
「や、だって俺の部屋散らかってるし」
 雄太はそんな言い訳をする。今日も練習があったせいか、その声は少しだるそうに聞こえた。
「俺の部屋だって散らかってるだろ」
「耕太のは、俺よりはましだよ」
「大して違わねえよ。つか、携帯弄るだけなら散らかってたってできるだろ」
 そうやって俺の部屋でみっともなくごろごろする雄太が何をしてるかと言えば、携帯電話を弄っている。どうやらメールで誰かとやり取りをしているらしく、さっきから断続的に短い着信音が響いていた。
 俺の部屋はフローリングだから、床に寝転んでたら腰によくない。そもそも横になるなら自分の部屋のベッドに入った方がよほど健康的だ。これから少しだけ受験勉強をするつもりで、まだ煌々と明かりを点けている俺の部屋は、身体を休めるには全くもって不向きだろう。
「何か、話でもあるんだろ」
 教科書をめくりながら俺は尋ねた。
 これは別に、誰かさん言うところの『双子のテレパシー』なんかでは決してない。長い付き合いの兄弟だからこそわかる、経験と実績に基づく予測だ。
「んー……あるってほどでもねえんだけど」
 雄太は唸った。携帯を弄りながら続ける。
「耕太さあ」
「何だよ」
 呼びかけられた俺が顔を上げると、雄太も携帯電話を床に置いたようだ。そのまま両腕を伸ばして大きく伸びをするのが視界の隅に映る。
「あー……っと。ところで最近、どう?」
「何だそれ」
 身体ごと振り返ると椅子が軋む音を立て、肘を乗せた背もたれが軽くしなった。雄太と目が合い、にまっとされるのを奇妙に思う。
 最近どう、って家族がする会話じゃないよな。このところあまり話していなかったからと言って、双子の弟にコンディションを尋ねられるのも複雑だった。
「別に夏バテはしてない」
 俺が答えると、雄太はひょいと身軽に上体を起こした。なぜか意味ありげな笑いを向けてくる。
「違うだろ。どうって聞いたら、普通は彼女のことって思えよ」
「はあ? どういう理屈だよ」
 聞いたこともない『普通』を持ち出してこられても困る。お前の普通が一般常識だと思うな。
 大体、どうって尋ねられたって、何て答えればいいんだか。
「仲良くやってんの?」
 答えに迷う俺に、雄太は気安く質問を重ねてくる。
 後輩たちに聞かれた時と同じく、こういう問いはぶっちゃけ鬱陶しい。でも相手が雄太なら下手に誤魔化すのは逆効果だ。
 俺はしょうがなく、答える。
「まあ……特に喧嘩もしてねえけど」
「俺、心配なんだよな」
 また仰向けに寝転んで、雄太はフローリングの床をごろごろする。蒸し暑い夜だったから、冷たいところを探しているんだろう。見てるこっちが暑苦しくなる。だから自分の部屋に戻れって。
「耕太みたいな無愛想で、非社交的な奴を好きになってくれる子なんて貴重だろ。何かで愛想尽かされたら困るのは耕太なんだからな。大事にしろよ」
 落ち着きのないそぶりとは裏腹の、真面目な声で言ってくる。
 とは言え、だらしなく床に転がってる奴の真摯な説教をありがたがる人間なんているだろうか。
「余計なお世話だよ」
 とりあえずそう言って、首を竦めた。
 心配されても困る。この性格はどうしようもないし、無理して相手に合わせる気も今更ない。向こうだってそのくらいわかった上で付き合ってるんだろうし、そんなの他人に――いや身内にだって言われる筋合いはない。
 だけど雄太は、改めて上体を起こしたかと思うと、
「それ! そういう姿勢がよくないんだっての!」
 俺に向かって指を差す。
「何が?」
 俺は思わず聞き返す。
 って言うか雄太の奴、今日はやけに突っかかってくるな。疲れてるんじゃないのか。
「耕太はちょっと気が緩んでる」
「は? どこが。緩んでねえよ」
「夏休みに入ったからってだらけてるだろ」
「だらけてねえって。そんな暇あるかよ」
 そりゃ甲子園行きを控えてる雄太の多忙さには敵わないものの、俺たちだって暇だってわけじゃない。夏休みに突入してからこっち、ほぼ毎日吹奏楽部の練習に参加してるんだから。気が緩むどころか、俺も彼女も最近じゃ吹奏楽以外のことを考える余裕すらなかった。ティンパニを叩く自分の姿が夢にさえ出てくるほどだ。
「忙しい時ほど危ねえって言うじゃん」
 雄太は自分の足を掴んでぐるぐる回しながら、俺に向かって講釈を垂れる。
「女の子ってのは放っとくと駄目なんだよ。しょっちゅう構ってあげないと」
「へえ」
「でも自分からは寂しいとか言わないもんだからさ、察してあげるのが礼儀なわけ。わかるだろ?」
 偉そうに喋ってるけど、どこで仕入れた知識なんだろうな。野球部の連中って結構軽そうなのも多いし、そういうところで吹き込まれたりとかしてんのかな。馬鹿だな。
 俺の反応が冷ややかなのに気づいたか、雄太が眉を吊り上げた。
「真面目に聞けよ! 耕太の彼女だって寂しがりやだったりとかさ、毎日連絡欲しがったりとか、絶対あるって!」
「寂しがるも何も、毎日会ってるっての」
 一応、部活で。
 そう答えてやったら、雄太が途端に顔を顰めた。
「学校はノーカンだろ普通に考えて! そもそも耕太たち、付き合ってから一回でも遊びに行ったりしたのかよ。休みの日とか」
「いや」
 俺は即答した。
 そんなこと、考えもしなかった。だからそんなに暇じゃないんだって。
「しろよ! っつうか絶対彼女もしたがってるって!」
「何でわかるんだよそんなこと」
「そういうもんだろ。いつになったら誘ってくれんだって思ってる、絶対!」
 雄太の力説に、俺は渋々少しだけ考えてみた。
 あいつもそう思ってるだろうか。つまり、休みの日にでも二人で遊びに行きたいとか、そういうベタなお付き合いみたいなのを望んでいるんだろうか――考えてみたけど、いまいちわからなかった。
 今まで向こうから誘われたことはなかったし、誘ってくれと言われたこともない。なかったと思う。つか、あいつはどういうところに行きたがるのかすらまだ知らない。完全に部活繋がりの相手だから、そういう話もまだしたことがなかった。
 だったら、試しに誘ってみてもいいか。まあ、暇ができたらだけど。あいつがどういうところが好きか聞き出して、部活や受験勉強が一段落してお互い余裕のある時にでも。来年くらいかな。
「そのうちにな」
 思案の末、やんわりとそう答えた。
 だけどその雄太は、俺の答えが不満だったようだ。思いっきり哀れむような目を向けられた。
「そのうちっていつだよ」
「そのうちは……そのうちだろ。時間ができてからだよ」
「耕太さ、そんな暢気なことでいいわけ?」
「いいんじゃねえの?」
 向こうだって今が忙しい時期だってわかってるだろうし、そんなに焦ることもないだろう。
 俺はそう思うのに、雄太は大げさに肩を竦めてみせた。
「これだから耕太は」
「何なんだよさっきから……」
「いいか、今は高校生活最後の夏休みなんだぞ!」
「知ってるよ」
「その貴重な夏を、部活だけで使い尽くすなんてもったいないと思わんかね!」
「いや、別に。つか何なのその口調」
「恋のアドバイザー雄太と呼んでくれたまえ!」
「そういうテンションには俺、ついてけねえから……」
 部活だけに消費するのはお互い様だ。雄太にとやかく言われる筋合いもない。
 最後の夏休みだって自覚はある。だからこそ、それ踏まえた上で忙しいって言ってんのにな。部活だけじゃなくて受験勉強も、夏期講習だってあるし、どれ一つ取っても後悔なんてしたくないし――。
 と、そこまで考えたところでふと思い当たった。

『耕太くんは夏休み中、暇な日とかある?』
 彼女に、そう尋ねられていた。
 俺は確か、あるわけねえだろ、と答えていたと思う。
 部活に甲子園に受験勉強に夏期講習にと、忙しいのは彼女も同じだ。だから何でそんなわかりきったことを聞くのか、その時は首を傾げたくもなったが、今思うと。
 つまり、そういう問いだったんじゃないだろうか。
『でも、一日くらいは暇かなと思って聞いてみたんだ』
 あいつの声がさっき聞いたばかりのように耳の中で蘇る。
 鮮明なそのトーンに、俺はようやっとその意図を察することができた。
 しまった。何でその場で気づかなかったんだ。いや、デートとかいう頭が端からなかった俺が思いつかないのも当然の帰結だろうけど、それでもあいつが何でそういうことを尋ねてきたか、考えてみてもよさそうなものじゃないか。よっぽど暑さで頭がいかれてたのか。馬鹿だ。
 せめて、聞き返してやるくらいはしてもよかったな。お前は暇な日あるのかって。そういうところから話は広がっていくものだし、いつまでも同じ話題を繰り返して満足してるなんて、気が緩んでる、だらけてると言われても仕方ない。

「意外にまともなアドバイスだ」
 夢から醒めたような気分で、俺は雄太に言った。
 内心、考える機会をくれたことには感謝していたが、それをうっかり口にしようものならあれこれ突っ込まれまくって駄目出しされまくることが想像できたので、黙っておいた。
「へへ、だろー?」
 床の上にあぐらをかいて、雄太は得意げに笑う。
 すっかり日に焼けた顔は俺とちっとも似ていなくて、もう並んで歩いても双子とは思われないだろう。
 ちょうどその時、床に転がっていた雄太の携帯がまた鳴った。雄太ははっとしてそれに飛びつき、手早く操作してメールの文面に目を通す。にやにやし始める。
 一連の行動を見守っていた俺は、ああ、だから急に女心とか言い出したのか……と腑に落ちた。
 そして言われっ放しは悔しいから、聞いてみた。
「お前こそ、あの子とは連絡取ってんの?」
 髪の短い子を思い浮かべながらの質問に、雄太は澄ました顔で答える。
「俺はさあ、言っとくけど耕太よりは時間の使い方、上手いよ」
 だったらその希少な時間を割いてまで気遣ってくれた厚意に、きっちり報いなきゃならないだろう。

 どういう口実を持ち出すかは、正直、ちょっと悩んだ。
 そもそも口実なんてなくても『デートだ』って言えば解決するのかもしれない。でもそんな単語が易々と口に出せるような性格じゃないし、この時期に浮かれて遊び歩くのはやっぱり抵抗があった。
 だから何と言うか、何かのついでにみたいな感じにしようと思った。
「じゃあ俺、電話するから。お前は出てけ」
「え、今!?」
 俺の発言に雄太が目を剥く。
「駄目かよ。俺のこと暢気だって言ったのお前だろ」
「言ったけど。耕太、らしくもなく即断即決じゃん」
「うるせえよ、出てけ」
 思わず睨むと、雄太は魔女みたいな薄気味悪い笑い声を立てながら部屋を出ていく。ドアがきっちり閉まり、すぐに隣の部屋のドアが開閉したのを耳で確かめた後、俺は自分の携帯電話に手を伸ばす。
 あいつはもう寝てんじゃないかと危ぶみもしたけど、幸いなことに電話はすぐに繋がった。
『耕太くん、どうかしたの?』
 怪訝そうに尋ねてくる声を聞くと、ついこの間の会話がまた蘇ってくる。
 今後は、些細な会話も聞き漏らさない方がよさそうだ。何気ない話の間にも、もしかしたらすごく重要なことを言われているかもしれない。彼女と話す時間を、もっと大切にしようと思った。
「ちょっと、聞きたいことあって」
 俺が切り出すと、ますます不思議そうな声が返ってきた。
『聞きたいことって? 部活のことかな?』
「いや、あー……違わねえか。まあ、半分当たり」
 忙しい時期だ。部活の予定も踏まえた上で考えないとならない。
「なあ、今度の日曜って、練習午前で終わりだろ」
 予定表を見ながら確かめる。
 電話の向こうからも即座に返事があった。
『そうだね。お昼までで終わるから、休養に当てるって話だったよ』
 俺はそこで、考えておいた口実っぽいものを出してみる。
「その日、疲れてなかったら、ちょっと買い物付き合って欲しいんだけど」
『買い物? どの辺まで?』
「駅前辺りまで。遠征用に買いたいもんがいくつかあってさ」
『あ、それなら私も! いいよ、部活の後で一緒に行こっか』
 とりあえず、反応は悪くない。手ごたえを感じつつ、俺は更に続ける。
「で……ついでに、最近かなり暑いし、冷たいものでも食ってくとかどうだ」
『いいなあ、それ。暑気払いもしないとね』
 彼女が屈託なく笑うのが聞こえた。
 喜んでくれてんのかなって思ったら、もう一言、付け足す気になれた。
「それで、もし時間余ったら、二人でその辺ぶらつくのとかさ……」
 でもいざ言ってみたら、さすがに気恥ずかしくなる。
 ここまで逐一説明するよりか、いっそ決定的な単語口に出しちゃった方がまだ恥ずかしくないんじゃねえの、と自分で自分に突っ込みたい。
 とは言えもう遅いし、ってか既に電話の向こうには伝わってて微妙な沈黙が続いてるし、おまけに、
『……あの、それって、もしかして』
 恐る恐る尋ねようとされたから、慌てて認めた。
「ま、まあ、そういう感じ。夏休みだし、そういう機会もあってもいいかなと」
『うん……。そ、そうだね。そういうのもいいよね』
 彼女は早口になって応じてから、ちょっと照れた口調で言い添える。
『私もね、実は耕太くんと一緒に出かけられたらなって思ってたんだ。夏休みだし』
 ほら見ろ。やっぱりあの時の会話は、そういうことだったじゃないか。
 一体いつまで、俺は馬鹿でいるつもりなんだろう。そんなのはそろそろ卒業しないといけないのに。
 何にも変わってないなんて、自分で思ってるうちは駄目だ。

 日曜の予定を軽く話し合った後、
『じゃあ、また部活でね。おやすみ、耕太くん』
 明るい挨拶をくれてから、彼女は電話を切った。
 俺はそのまま、汗でべたべたになっている携帯電話を見つめ――それから少しの間だけ、来る日曜に考えを馳せてみる。
 こういうの、初めてだしな。どこ行こっかな。つか、お互い私服だったら間違いなく緊張するな。あいつが相手でも上手く喋れるかな……。
「にやにやしてんなよ、耕太」
 不意に、部屋の外から声がした。
 ぎくっとして戸口に目をやると、ドアは確かに閉まっていた。
「見もしないのに、何でわかるんだよ」
 部屋の中から言い返すと、雄太も廊下から返事を寄越す。
「わかるんだって。耕太、あの子と話す時は大体そうだし」
「そんなことねえよ!」
 自信はなかったけど俺は怒鳴った。すると雄太はまた薄気味悪い笑い声を立て、階下からは母さんの『喧嘩してるの?』と訝しげな質問が飛んでくる。そうなればもう否定する気も失せて、俺は溜息をつくしかない。
 あいつと話す時、そんなににやついてるかな、俺。
 だからパーカスの後輩たちもあんなことを言ってきたのか……なんて、今更思い当たったら気まずくて、つくづく俺は馬鹿だと実感を深めた。
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