Tiny garden

きょうも、あしたも(2)

 決勝戦当日は、予想通りのいいお天気になった。七月らしく、ここのところずっと晴れの日が続いているけど、今日はとびきりの快晴。雲一つない。
 青い空が一枚の板みたいに続いているのを、非常階段の窓から見上げる。それだけで何だかどきどきしてしまう。
「どうしよう、ご飯が喉を通らないかも」
 お弁当箱を開けながら私が言うと、耕太くんは不満そうな声を上げた。
「お前が緊張してどうすんだよ」
「そうだね。でも、何だかどきどきしちゃって」
「止めろよ、俺まで緊張してくるだろ」
 耕太くんもどきどきしてるのかもしれない。雄太くんのことは信じていても、今日はいよいよ決勝戦だ。そんな大事な試合をこれから応援しに行くなんて、どきどきしないはずがない。
 だけどとりあえず、お昼ご飯はちゃんと食べなきゃいけない。腹が減っては何とやら、だもん。いい演奏をする為には必要なことだ。
「指、怪我せずに済んだみたいでよかったな」
 私の手元を見ながら、耕太くんは言う。その私の手がお弁当箱の蓋を退けたら、あ、と驚きの声が上がった。
「まともに出来てる!」
「……失礼だなあ」
 耕太くんは、私のことは信用してくれてないみたいだ。少なくとも、私の料理の腕は。
「すげえな、弁当屋の見本みたいな弁当になってる」
「すごいでしょ。全部自分で作ったんだよ」
「へえ、やるな。後は味が問題だけどな」
「味だって問題ないよ、多分」
 私の家のご飯と、耕太くんの家のご飯は微妙に味付けが違うから、口に合うかどうかだけが問題。それ以外は自分で言うのもなんだけど、何とかなってると思う。
「じゃ、食べてみるかな。いただきまーす」
 手を合わせた耕太くんが真っ先に手を伸ばしたのは、ごま塩おにぎり。――料理の腕は一番関係なさそうなところだった。
「へえ」
 一口食べて、耕太くんは感心したように唸る。
「海苔巻いてないおにぎりなんて初めて食べたけど、結構美味いな、これ」
「そう? よかった」
「お前の家、おにぎりはいつもこれなのか?」
「ううん、違うよ。今日は縁起を担いでごま塩にしたの」
 私は得意げに答えて、耕太くんが噛り付いた、まん丸いおにぎりを指差す。
「ほら、白い方が縁起がいいと思って」
「ん?」
「白星だから。海苔を巻くと、黒星っぽいかなあって」
 考え過ぎかな、とも思ったけど、どうせならとことん縁起がいい方がいいなって。だって今日は特別大事な日だから。
「ああ、そういうことか。なるほどな」
 耕太くんはちょっと笑って、それからお弁当箱に視線を移す。
 今日のお弁当はパワフル路線。縁起を担ぐと、どうしてもそうなってしまう。
「お前、やっぱりカツ揚げてきたな」
 予想通り、とでも言いたげに耕太くんがにやっとする。
「うん。縁起物って言ったら、カツかなあって」
「縁起物って、鯛とか海老とかじゃねえの?」
「そんなの用意出来ないよ。おせち料理じゃないんだから」
 そう言いつつも、エビフライはあってもよかったかな、と今更思う。エビフライも十分縁起はよさそうだ。
「こっちは?」
 耕太くんがカツの横に並んだ揚げ物を指差す。
「それはミックスベジタブルの掻き揚げ。美味しいよ」
「掻き揚げって……カツ以外の揚げ物も縁起いいのか?」
「あれ? 『フライ』って縁起がいいんじゃなかったの?」
 私はきょとんとして聞き返す。野球で『フライ』って言ったら、縁起がいいんだって解釈してたけど。
 こちらを見たまま、耕太くんが瞬きを繰り返す。
「フライが、縁起がいいって?」
「うん。だって、アウトになるんでしょ?」
「あー……わかった。まあ、そう言えなくもないよな」
 頷いた耕太くんは、すぐに笑い出した。私から顔を背けながら、
「けどお前、その話は雄太以外にはするなよ」
「どうして?」
「フライで縁起がいいって思うのはピッチャーくらいのもんだ」
 そうなんだ。よくわからないけど……耕太くんに笑われちゃった。今度はもうちょっと野球のルールを勉強しておかないと。
 まだ笑っている耕太くんが、その掻き揚げを箸で摘んだ。すぐにかじりつき、その後で、ふと訝しそうな顔をする。
 一口飲み込んでから、私に聞いてきた。
「これ、グリンピース入ってる?」
「うん、ミックスベジタブルだから」
 答えた私は、掻き揚げを食べ続ける耕太くんのどこか冴えない表情に気付く。
 まるで無理して食べてるみたいだ。味付けが口に合わなかったのかな。衣が硬かったかな。それとも、もしかして――。
「もしかして」
 おそるおそる、確かめてみる。
「耕太くん、グリンピースが苦手だったりする?」
「いや別に」
 口をもぐもぐ動かしながら、耕太くんは言った。やっぱり微妙な顔をしてるけど。
「じゃあ、味付けが合わなかった?」
「そんなことねえ」
 素っ気ない返事。
「でも、あんまり美味しそうじゃないし」
「美味いって」
「無理しなくてもいいよ、口に合うものだけ食べていいから」
 私がそう繰り返しても耕太くんは聞き入れない。掻き揚げを口に押し込んで、微妙な表情のままで一個を食べ切ってしまった。
「本当に平気?」
 心配になってくる。口に合わないなものを無理して食べることなんてないのに、もしそうなんだとしたら耕太くんはちょっと意地っ張りだ。正直に言ってくれてもいいのにな。
「たまにしつこいよな、お前」
 耕太くんはしかめっ面を作ると、二個目の掻き揚げに箸を伸ばした。さくさくと音を立てて食べている。機嫌がよくないのか、口に合わないのか、表情からじゃよくわからない。
 仕方なく、私は耕太くんの様子を窺いながら白星おにぎりを食べ始めた。

 二個目の掻き揚げも飲み込んでしまってから、おもむろに耕太くんは言った。
「そういえば、お前、雄太に余計なこと言っただろ」
「余計なこと? 雄太くんに?」
 何だろう、としばらく首を捻る。雄太くんと話したのは昨日が初めてだから、昨日のことなのは間違いない。でも、言っちゃいけないようなことを話した覚えもなかった。
「おかしなことは言ってないと思うけど……」
 自信がなくて、消え入るような声になった。
 耕太くんがこっちを睨む。拗ねてるみたいな顔つきだった。
「いや、言った。俺たちが普段どんな話をしてるかとか」
「あ、うん、それは言ったよ。でも」
「昨日、散々突っ込まれたんだぞ、雄太に」
 そう言われてさすがにびっくりした。どうしてなんだろう、雄太くん。
「何か、おかしなことだったのかな」
 私も不安になりながら尋ねてみる。
「別に私たち、おかしなことばかり話してる訳じゃないよね?」
 部活の話と、野球の話と、雄太くんの話。それだって立派なおしゃべりの内容だし、耕太くんとなら楽しい。
「けどお前、世間話みたいだって言ったんだろ?」
 と、耕太くんは唇を尖らせる。
「世間話って駄目なの……?」
 更にびっくり。世間話だって立派なおしゃべりじゃない。
「駄目じゃねえの?」
 逆に聞き返されて、私はまた首を捻った。
「駄目ではないと思うけど……変?」
「知るかよ。俺に聞くな。とにかく雄太としては駄目らしくて口うるさく言われた」
 耕太くんはどことなく投げやりな口調だった。よっぽどきつく言われたんだろうか。変な、雄太くん。
「口うるさくってどんなこと?」
 気になってそう聞いたら、耕太くんは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「いや、……話題が少な過ぎるとか、もっと他に話すことあるだろとか」
「他になんて、何かあるかなあ」
「あと、お前が退屈するんじゃねえかとか」
「退屈なんてことないよ、楽しいよ」
 もしかして雄太くん、耕太くんが心配なのかな。耕太くんが口下手だって思ってるみたいだし。それで口うるさく言ってしまったのかもしれない。
 実際、耕太くんは口下手と言うか、確かに言葉が足りないかなと思うことはある。あるけど、一緒にいて退屈だなんて思うことは今まで一度もなかった。話題が少ないなんてことも考えもしなかった。やっぱり、心配ないと思う。
「雄太くんはきっと、いろんな人と話す機会が多いから、そう感じたんじゃないかな」
 私は当て推量でものを言ってみた。
「雄太くんからすると、世間話なんてしてる暇がないくらいなのかもしれないよ。いつも忙しいから、話すなら一番大事なことだけ話して、他愛ない話題までは辿り着けないんじゃないんだと思う。そうじゃないかもしれないけど……でも、そんな気もするんだ」
 最近ますます注目を集めるようになってきた雄太くん。テレビで名前を聞くことも多い。野球部が甲子園行きを決めるか否かの大一番を迎える今、誰か話したい人がいても世間話なんかしていられないのかもしれない。それはそれで大変そうだな、と思う。
「でも、耕太くんは時間があるじゃない。他愛ないことでも、世間話でもちゃんと出来る時間があるよ」
 話の中で大事なこと、話さなきゃいけないことを決める必要なんてないはず。話そうと思えばいつだって話せるんだから。
「だから耕太くんは耕太くんのスピードで、のんびりしてていいんじゃないかな」
 私はそう思って、言った。
「私もその方がいいな。のんびり、いろんなことを話したいんだ」
 耕太くんとたくさんのことを話したいって思う。何が一番で、どれが大事で、これは話さなきゃいけないこと、なんて決めなくてもいい。全部一番で、全部大事で、何もかも二人で話したいことにしちゃえばいい。
 私は他愛ないことでも世間話でも、部活のことも野球のことも雄太くんのことも、それから耕太くん自身のことも全部、話したい。
「けど、実際俺は話すの苦手だし」
 少しだけ笑うように、耕太くんは息をつく。
「お前とだって、いつか話すこともなくなるかもしれねえだろ。そうしたら、どうする?」
「なくなることなんてないよ。だってまだまだ話したいこといっぱいあるもの」
 まだ私には、耕太くんと話したいことがたくさん、たくさんある。話すことがなくなるなんて考えられない。もしそんな時が来たとしても、すぐにまた話したいことを見つけられると思う。耕太くんと一緒なら退屈することなんてないって信じてる。
「それに私、耕太くんのことまだ全然知らないんだもん」
 耕太くんのことよりも、雄太くんのことの方が知ってる気がする。だって耕太くん、あんまり自分のことは話してくれないから。
「今度教えて。子どもの頃のこととか、ちゃんと聞きたいなあ」
 そう言ったら、
「俺の話なんて面白くねえよ」
 心底呆れたような顔で耕太くんは答えた。
 それからミックスベジタブルの掻き揚げをもう一つ摘んで、やっぱり微妙な顔をして食べていた。
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