Tiny garden

吾妻くんと話したい

 うちの学年に、吾妻くんはふたりいる。
 吾妻雄太くんと、吾妻耕太くん。ふたりは双子で、でもちょっと似ていない。
 私もじっくり見比べたことはないから顔立ちがどこまで違うかはわからないんだけど、ふたりは並び合ってもすぐ見分けがついた。
 野球部員の雄太くんが坊主頭で、真っ黒に日焼けした顔をしているのに対して、耕太くんは髪がちょっと長めで、日に焼けてはいなかった。耕太くんが色白なのは吹奏楽をやっているからかもしれない。そしてそのせいか、耕太くんは雄太くんよりも少しひょろりとして見えた。
 私は耕太くんと同じ吹奏楽部の、同じパーカッションのパートにいた。耕太くんは主にティンパニを叩いていた。私はパーカスのパートリーダーでもあったから、必然的に耕太くんと話す機会が多くなった。
 でも私は耕太くんが苦手だった。
 だって、愛想がないから。

 練習前のちょっとした打ち合わせでも、耕太くんは無愛想だった。
「吾妻くん、今日の練習は体育館だって」
「そっか」
「ティンパニ、先に運んで行っていいよ。私、後から行くから」
「ああ」
「ついでに、一年の子に運搬のやり方、教えてあげてくれないかな?」
「わかった」
 私が何を話し掛けても、返ってくるのは必要最低限の言葉だけ。
 これは私だけじゃなくて、他の子に対してもそうだったから、根っからの無愛想なんだと思う。
 パートリーダーとしては、もうちょっと楽しく話せた方がいいなあとも感じていたけど、どうやったら耕太くんとまともに会話が出来るのかなんて見当もつかなかった。
 雄太くんはこんなに無愛想じゃないのに。――私は、雄太くんの方とは話したこともなかったけど、知っていた。雄太くんはうちの学校の人気者なんだ。野球部のエース。いつも周りに女の子がいて、にこにこしながらお喋りしてる。雄太くんのそういう姿を見かけていたから、余計に耕太くんの無愛想が引き立った。
 同じ双子でも、随分違うものなんだ。

 夏が近付くと、雄太くんの人気はますます高まった。うちの高校の野球部が、県大会の決勝まで進んだからだ。
 惜しくも決勝では敗退してしまったけど、チームを牽引した豪腕エースの名前は県内でも広く知れ渡り、新聞社や地元テレビ局が取材に来たり、プロ球団のスカウトがこっそり見に来ていたって言う噂も聞いた。
 ますます日焼けした肌の雄太くんは、いつも女の子に囲まれていた。試合のことで皆から質問攻めにあっても嫌な顔ひとつせずに丁寧に答えているのを、学校の廊下や放課後のグラウンドで良く見かけた。
 相変わらず私にとっては『遠い人』だったけど、でも、驕ったところが見えなくて、いい子なんだなと思っていた。
 一方の耕太くんは、野球部の応援に駆り出されたお蔭で、少し日焼けしたようだった。でも無愛想なのは相変わらずで、私たちとはあまり会話が続かなかった。向こうから話し掛けてくることもない。演奏中に盗み見た横顔は、ティンパニを叩く時さえ不機嫌そうに見えた。
 雄太くんとは違う意味で、彼もまた遠い人だった。

 蒸し暑い体育館での練習が終わると、持ち運びのし易いパートの子たちは、一斉に音楽室へと戻って行く。
 金管パートも木管パートも足取りが軽くて、たまに羨ましくもなる。些細なことだけど、夏場は特にそうだ。大物が多いパーカスは一番最後に続くことになっている。耕太くんのティンパニはまだステージの上にある。私は自分のスネアドラムを片付けてから、耕太くんを手伝う為に体育館へと戻ってきた。
 広い体育館にひとりきりでいた耕太くんは、ステージ上ではなくて、グラウンドへと続く扉の前にいた。
 開け放たれた扉からは、夕方の陽射しと生温い風と、土の匂いが入り込んでくる。
 それともうひとつ、練習中の野球部員たちの掛け声がここまで響いてきていた。
 熱心な声。金属バットがボールを弾く甲高い音。監督の檄。もうすぐ行われる夏の地区ブロック予選を目指して、練習により一層熱が入っているようだ。時々舞い上がる乾いた土煙は、体育館の中からでもよく見えた。
 耕太くんはそんな野球部の練習風景を、ただじっと見つめていた。
 静かな体育館で、ティンパニのことも忘れたように、身動ぎもせず。
「……吾妻くん」
 私がその背中に声を掛けると、一瞬びくりとした後で、彼はこちらへ振り向いた。
「野球部の練習、見てたの?」
 歩み寄る私を、珍しく柔らかい表情で迎える。
「まあな」
 と言って、耕太くんは少し笑った。
「雄太の奴、このところ練習に打ち込んでるからさ。日射病にでもなんないかって、心配で」
「ふうん……」
 何でもないことのように私は答えたけど、実はとても驚いていた。
 耕太くんのこんなに穏やかな顔も、ちょっとだけだけど笑ったらしい顔も、全く初めて目にするものだ。
 吹奏楽部で二年以上も、同じパーカッションでやって来てるのに、私は耕太くんの笑った顔を見たことがなかった。今が、初めてだった。
 やっぱり耕太くんも、雄太くんのことでは笑うんだ。ふたりが学校で話しているのは見かけなかったけど、家では仲良しなのかもしれない。
 またグラウンドに目を戻した耕太くんに、私はそっと言ってみた。
「吾妻くんって、雄太くんと仲良さそうだね」
 すると耕太くんは鼻を鳴らして答えた。
「当ったり前だろ。双子なんだから」
 口調がどことなくうれしそうに聞こえて、何だかこっちまでうれしくなる。
 そっか、双子なんだもんね。当たり前だよね。でも本当に仲良さそうで、いいなあと思う。
 それにもっと、うれしかった。初めて耕太くんとちゃんと会話出来た。会話の糸口が掴めた気がした。部のことや音楽の話じゃ全然素っ気ないけど、雄太くんのことなら話してくれるんだ。
 浮かれたくなる気分で、私は質問を重ねた。
「吾妻くんたち、どっちがお兄ちゃんで、どっちが弟なの?」
「俺が上。雄太が弟。見えねえだろ」
「何卵性って奴なの?」
「一卵性。あんまり似てねえけど」
「やっぱり双子だと、テレパシーみたいになったりする?」
「ねえよ。お前、テレビの観過ぎ。……時々、気持ち悪いくらい気が合ったりはするけどな」
「小さい頃は似てた? 間違われたりとかしなかった?」
「あー、昔は俺もスポーツやってたからさ。小学生くらいの時は、親戚にも間違われたりしたな」
 耕太くんは私の好奇心からの質問に、ひとつひとつ丁寧に答えてくれた。
 やっぱり雄太くんに係わることには饒舌だった。
「スポーツ、してたんだ」
 今のひょろりとした耕太くんからはあまり想像出来なくて、私はその言葉を捕まえる。
 首を竦めた耕太くんは、笑いながら体育館の外へと視線を投げた。
 乾いた、温い風の吹くグラウンドでは、野球部員たちが練習を続けている。雄太くんの目立つ、がっしりとした姿もすぐに見つけられた。耕太くんの視線を追って行けばすぐに探せた。
「一応な。野球やってた。リトルリーグで」
「野球? じゃあ、雄太くんと一緒だったんだね」
 私はびっくりして、そう尋ね返した。
 知らなかった。耕太くんも野球、してたんだ。
 双子で野球やってるなんて、漫画みたいで素敵なのに、どうして辞めちゃったのかな。どうして吹奏楽部に入ったんだろう。
「小学生の頃だけ、な」
 溜息混じりの声が答える。
「でも向いてなかったんだよな、俺。雄太とは違ってさ。あいつばっかり上達するから面白くねえなって思ってるうちに、続かなくなってた」
 そう言った耕太くんの表情は笑顔。軽い、さり気ない笑みが浮かんでいた。
「雄太は才能あるだろ。だから俺、せめて応援だけでもしてやろうと思って」
 ごく穏やかに、言った。
「吹奏楽なら応援出来るから。やるならこれかなって、それで始めたんだ」
「そうだったんだ……」
 私は、だけどどう相槌を打っていいかわからなくて、ようやくそれだけを口にした。
 耕太くんは、雄太くんとは違うんだ。でもその違いを受け容れて、双子の弟を応援しようとしている。なんて素敵な兄弟なんだろう。
 兄弟のいない私は、耕太くんたちが羨ましくて堪らなくなった。
 野球に向いてなかった耕太くんには、思い悩んだ時期だってあったのかもしれない。でも過去は過去として吹っ切った彼が、とても格好良く見えた。
「素敵だね」
 呟くように言った私に、耕太くんはすぐに応じた。
「ああ。あいつは、やっぱすげえよ」
 耕太くんが見ているのは私じゃなくて、やっぱり、雄太くんだった。
 日の陰り始めたグラウンド。雄太くんは腕を振るい、とても速いスピードでボールを投げる。
 豪腕エースが引っ張る野球部は、今年の夏こそ甲子園に行けるだろうか。
 そうしたら私たち吹奏楽部もスタンドで応援だ。甲子園みたいな広いところで鳴らすスネアドラムはどんなに気持ち良いだろう。そして耕太くんはティンパニを叩くんだ、雄太くんの為に。
「甲子園、行きたいね」
 私がそう言うと、耕太くんはさも当然と言った様子で応じた。
「行けるだろ。雄太がいるんだし」
「そっか。そうだね」
 地区予選も県大会も勝ち抜いて、どうにか甲子園の切符を手にして欲しいな、と思う。
 野球のことは良くわからないけど、雄太くんの鍛えた腕が投げるボールは、風を切ってすごく速く飛んでいく。あんなに速かったら、打てる人はそうそういないんじゃないかって思うけど、どうなのかな。
 がっしりしたあの腕なら、何でも掴み取れそうな気がする。
「さあ、そろそろ片そうぜ」
 不意に耕太くんが言って、踵を返した。
 ステージへと駆けて行くひょろりとした姿。昔、野球少年だった彼は、その頃をほうふつとさせる機敏さでステージに飛び乗った。
 しばらくの間放ったらかしにされていたティンパニに手を掛けている。
 私もはっとして、慌てて彼の後を追った。ステージに上がり、ティンパニと彼へと近付きながら、ふと思い付いて告げてみた。
「ね、吾妻くん」
「何?」
「私、吾妻くんと話せてうれしかったよ」
 自分でも驚くほど素直に言葉が出た。
 そう、うれしかった。耕太くんとこんな風に気軽に話が出来て。私、耕太くんとは上手く話せないんじゃないかって思っていたから。
「ずっと話してみたいと思ってたんだ。吾妻くんと」
 私はその言葉を、本当に、純粋な思いで告げたつもりだった。
 だけど――。
 耕太くんの横顔は、その瞬間に曇った。
「何で?」
 そして返された声は、さっきまでとはまるで違う硬質なもの。
 こちらを向いた表情にも笑みはなく、穏やかさもなく、むしろ冷ややかな眼差しが私を射抜いていた。鋭く、厳しく。
「え……何で、って」
 咄嗟に私は言葉に詰まる。
 何で、なんて奇妙な質問だった。私と耕太くんは同じ部活の、同じパーカスなんだから、話したいって思うのは当然のことだと思う。私がそう思っていたからって、おかしなことなんてないはずだった。
 なのに、耕太くんは眉を顰めた。
 冷たい口調で言った。
「ああ、そっか。お前もか、もしかして」
 彼の手が、雄太くんよりも細い腕がマレットを掴む。
「雄太目当てなんだろ、お前も」
 投げ付けられた台詞は、私の鼓膜を打った。頬をぶたれたよりも強い衝撃だった。
 違う。何を言うんだろう、いきなり。私が、そんなはずはないのに。
「多いんだよな、お前みたいな奴。雄太に近付きたいからって俺を踏み台にしたがる連中。悪いけど、そういうのすっげー迷惑」
 耕太くんの手が振り上げられる。
 マレットが一撃、ティンパニを打った。
 容赦のない叩き方だった。がらんとした体育館に響いて、辺りの空気を震わせる。びりびりと痺れるほどに強く。私の全身をも震わせる。
 残響が完全に消えてしまう前に、彼は言った。
「二度と俺に話し掛けんな」
 違う。
 そう言いたかったのに、言葉にならなかった。
 今、沈黙してしまったら、きっと肯定の意味にしか取られないはずなのに――私はどうしても声を出せなかった。
 自分の行動を、そんな風に穿った見方をされたのが初めてだったからかもしれない。剥き出しの敵意を肌で感じたのも初めてだったから、かもしれない。
 何より、さっきまでとても穏やかだった耕太くんの、冷ややかな眼差しが突き刺さるように痛かった。
 ようやくちゃんと話せたと思ったのに、彼はまた遠い人になってしまった。
 ずっと、話したいって思っていたのに。

 その後私たちは、一言も口を利かなくなった。
 体育館からティンパニを片付ける時もそう。翌日以降の部活でもそう。廊下で擦れ違う時も、私は耕太くんの顔を見るのが怖くなって、彼の姿を見かけたら逃げるようにしていた。
 吹奏楽部でどうしても彼に連絡することがある時は、他の子や後輩たちに伝言を頼んだ。皆は訝しがっていたようだけど、説明する気も起こらなかった。とにかく、耕太くんを避けていたかった。

 だけどその一方で、私は、耕太くんに気付かれないように彼を見ていた。
 今までになく、彼を観察するようになっていた。
 そして今までは気付けなかったたくさんのことを知った。
 耕太くんの周りにも、女の子たちがたくさんいた。但し皆、耕太くんに用がある訳じゃないようだった。
「ねえ耕太くん。雄太くんの調子どう? 今度の試合、いいとこまで行けそう?」
「さあ。本人に聞けよ」
「耕太くん、これ、雄太くんに渡して欲しいんだけど」
「自分で渡せって」
「雄太くんって付き合ってる子とかいるのかな。聞いたことない?」
「知らねえ」
 女の子たちに囲まれた耕太くんが幸せそうに見えることはなかった。いつも無愛想な顔で、つっけんどんに応じていた。内心では私に見せたような怒りを抱いているのかもしれなかった。
 周りの子たちは耕太くんの本心に気付かない。耕太くん越しに、雄太くんを見ているから。雄太くんしか見ていないから。
 耕太くんはいつも無表情だった。吹奏楽部の練習でティンパニを叩く時さえそうで、あの日に見たような穏やかな表情は見せなかった。
 雄太くんのものよりも細い腕がマレットを構え、ティンパニを打つ。演奏中に盗み見た彼は、仮面でも被ったようにむっつりとしている。
 でも、内心は違うはずだった。私は知っていた。彼の穏やかさも、冷たさも、まざまざと見せ付けられてしまった。
 彼の叩くティンパニの音は、私の鼓膜を震わせた。頬を打つように響いた。私はその音を聞く度にあの日のことを思い出し、ぎゅっと締め付けられるような痛みを覚えた。
 誤解を解く機会も与えられないまま、一週間の時を無為に過ごした。
 その間もずっと、私は耕太くんのことをこっそりと見ていた。

 或る日の放課後。
 吹奏楽部の練習の為、私たちはいつものように音楽室に集った。
 パートごとに分かれて席に着き、顧問の先生が来るまでの間、めいめいで自主練習をしたり、音合わせをしたり、或いはお喋りに興じたりしていた。
 私はひとりで楽譜を見直すふりをしていた。
 ふり、と言うのはもちろん、耕太くんと接触しないようにする為で、彼が音楽室のどの辺りにいるのかなんて確かめもしなかった。彼の方を見るのは、彼と絶対に目が合わないと言う保証のある時だけにしたかった。そうしないとまた、冷ややかな眼差しを向けられるかもしれない――。
 だけど、不意に隣の机に、すとんと誰かの手が置かれた。
 男の子の手。いつか見た、雄太くんよりも細い腕。
 私はすぐに気付いて、顔が強張るのを自覚した。その時には既に隣の席に、男子生徒が腰を下ろしていた。逃げられなかった。
 あちらこちらでパート練習の音が聞こえてくる。まだ調和する前の無秩序な音の洪水が、心臓の動きを急がせた。背中を冷たいものが滑り落ちていく感覚。
「こないだは悪かった」
 耕太くんの声が、事務的な口調で言った。
 声色からは謝罪のニュアンスは感じ取れなかった。
「これ、詫びのつもり。貰って」
 顔を上げられない私の視界に、彼の手が、封筒を差し出してきた。何も書かれていない、素っ気ない茶封筒。
 訝しく思っていると、耕太くんは言い添えた。
「雄太の写真。それ、欲しいんだろ」
 すうっと、辺りが静まった。
 音楽室に満ちていた音の全てが遠ざかる。
 私は弾かれたように顔を上げ、あの日のように冷ややかな目をした耕太くんと視線を交わした。真っ向からぶつけた。
「パートリーダーと険悪になっちゃ、いろいろやり辛いからさ。特別な」
 ごく何気ない調子で、だけど込められるだけの嫌悪と侮蔑を込めて、耕太くんは私へと告げた。そして尚も茶封筒を差し出そうと、手を伸ばしてくる。
 反射的に、私は、彼の手を払い除けていた。
 封筒には当たらないように――だって、雄太くんには罪はないから――耕太くんの手だけを払った。
 ぱし、と乾いた音がした。音楽室には響かないほどの音だった。
「馬鹿にしないで」
 かっと頬が熱くなり、気付くとそう口走っていた。
 目を瞠った耕太くんを睨み付け、
「私、そんなつもりじゃない。そんなつもりじゃなかった」
 あくまでも潜めた声で言った。
「私――本当に、吾妻くんと、耕太くんと話したいだけだったのに」
 今更のように怒りが込み上げた。
 誤解をさせてしまったこと、それ自体は謝るべきだと思っていた。耕太くんの辛さ、切なさがわからない訳じゃなかった。
 でも、彼だって酷い。誤解したまま先走って、私の本心には気付きもしないで。
 本当に彼と話したがっている人がいるんだってこと、ずっと話したいって思ってたんだってこと、ちゃんとわかって欲しかったのに。
 驚きに目を瞠っていた耕太くんは、やがて慎重に尋ねてきた。
「……何で?」
 あの日と同じ問いを、あの日と同じ声で口にした。
 私はすぐさま答えた。
「好きだったから」
 言葉にするのに、最早躊躇いなんてなかった。
「耕太くんのティンパニ、好きだよ。すごく好きだったんだ」
 雄太くんの腕よりも細い耕太くんの腕が、だけど精一杯鳴らすティンパニの音が好きだった。いつだって私の心を震わせてやまなかった。
 音楽室はいろんな楽器の音で騒がしい。
 だけど私たちの周りだけが不気味なくらい静まり返っていた。
 ややあって、耕太くんはぎくしゃくと目を逸らした。
 冷たさも、鋭さも消え失せてしまった顔に、代わりに困惑の色が浮かんだ。
「何、訳のわかんねえこと言ってんだ、お前」
 この期に及んでそう言うか。私は短く言葉を返す。
「知らない」
 もう知らない。これ以上詳しくなんて言ってあげない。
 耕太くんみたいに強情で、ひねくれ屋で、女の子の気持ちに無神経な人なんて、勝手に悩んで勝手に誤解してればいいんだ。
 やっぱり耕太くんなんて苦手だ。私が話したいって思ってたのは、ずっと見ていたのは、耕太くんだけだったのに、そんなこと考えてくれようともしないんだから。
「知らないじゃねえよ。訳のわかんねえこと言ってんな」
「知らないったら」
「お前の言ってることの意味がわかんねえって言ってんだよ」
「教えないもん」
 私はそれきり唇を結んだ。
 音楽室に満ちた無秩序な音に、紛れるように耕太くんが舌打ちをする。
「変な奴」
 悪いけど、耕太くんほどじゃない。
 もう絶対教えてあげない。耕太くんが好きだなんて、絶対に言ってあげない。
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