Tiny garden

友は鏡

「へえ、じゃあもうご挨拶とか済ませちゃったんだ」
 アルバイト先の古書店で、作業の合間に俺は尋ねた。
 鳴海くんは取り澄ました声で答える。
「ああ。一度は伺わなければと思っていたからな」
「ちゃんと『お嬢さんを私にください』って言った?」
「言ってない。そもそもそういう段階でもないだろう、大槻」
 俺の冷やかし混じりの言葉にはちょっと声を尖らせる。本棚の陰で見えないのをいいことに、俺はこっそりにやにやしておく。『古本の船津』はどうやって経営成り立ってんのってくらいほとんど来客のない店で、特に今日みたいな雨の日は全くと言っていいほど人が来ない。いつもは私語に厳しい鳴海くんも、雨音のせいでちょっとガードが緩んでる。
 しかもつい昨日、とうとう雛子ちゃん家に行ってご両親に挨拶をしたって言うから、これはもう根掘り葉掘りするしかない。俺は仕事をしながら鳴海くんにあれこれ質問を浴びせた。
「じゃあどんなふうに言ったの? 参考までに聞かせて」
「嫌だ、恥ずかしい」
「恥ずかしがるなって。俺もそういう日が来るかもしれないんだからさ、勉強させてよ」
「そう言われてもな。俺を参考にするより、自分で考えた方が早いんじゃないか」
「じゃあさ、雰囲気だけでも教えて。ちゃんと噛まずに挨拶言えた?」
「恐らくは」
「何だよ、実は結構緊張しちゃってたんじゃないの?」
「それは当たり前だ。挨拶もできない奴と思われては台無しだからな」
 気のせいか、今の声はちょっとベテランぶってた。もしかしたら本棚の向こうにはどや顔の鳴海くんがいたのかもしれない。
 そうは言っても本番当日は結構あがりまくったりしたのかね。俺は氷の彫像のようにかちこちの鳴海くんが雛子ちゃんと並んで正座する姿を思い浮かべて、またしてもにやにやした。雛子ちゃんのご両親とはどんなやり取りしたんだろう。夕飯一緒に食べたらしいけど、あの顔で『お母さんの手料理美味しいです』みたいなこと言ったのかな。つかご両親にはどんなふうに呼ばれたんだろうな。寛治くんとか? 想像つかないなあ。
「でも、雛子ちゃんのご両親なら優しい人たちだっただろ?」
「そうだな。二人とも、雛子によく似ていた」
 何でも聞いたところによれば柄沢家はお父さんお母さんもお兄さんまで全員眼鏡一家らしい。やっぱ遺伝なのかな。そういうところも含めて、全員顔もよく似ているのだと鳴海くんは言っていた。
「そういえば、お前もご両親やお兄さんに似ていたな」
 更に鳴海くんがそう続けたから、俺は見えもしないのにどういう顔をしていいのか迷う。
 気を遣うのが一番よくないだろうし、至って普通に答えたけど。
「まあね。俺のちっちゃい頃の写真と兄貴のちっちゃい頃の写真、一卵性双生児じゃねえのってくらい激似だからね」
「そんなに昔から似ていたのか。なるほどな」
 鳴海くんは納得したそぶりで相槌を打つ。
 こういうふうに、最近の鳴海くんは家族の話をよくする。いや、自分の家族の話をするわけではないけど、俺の家族についての話を普通に聞いてくれるようになった。今まではそれすら敬遠している向きがあったから、こっちも気を遣って、話題にも出さないようにしてたわけなんだけど。
 今年の初め頃だったかなあ。うっかり口滑らせちゃって、兄貴たちの話をしちゃったんだよな。姪っ子がちょうど生まれたばっかで、そん時の兄貴のどたばたっぷりが印象に残りすぎてたから。
 でも鳴海くんは嫌な顔もせず、でも多少気を遣うようなそぶりを見せてその話に何気なく乗っかってくれた。
 それからだ。俺が家族の話を、鳴海くんにするようになったのは。
「身長が早々に打ち止め食らってるとこまでそっくりなんだよ、俺ら」
「へえ。写真を見た限りでは、ご両親も小柄だったな」
 鳴海くんとこういう会話を、気負わずにするようになるなんて思ってなかった。何かこう、俺たちの間にあった壁もしくはバリア的なものが一枚取っ払われたような感じだ。
 と言ってもそれは別に俺の功績でも何でもなくて、鳴海くんの心境の変化ってやつなんだろう。何があったのかは知らないし聞くのもちょいと抵抗ある、でもいい変化であることだけは間違いない。俺も、気を遣うのが億劫だって言うんならそもそも友達やってないけど、でも気を遣わずに済むんならそっちの方が断然いい。
「そうなんだよな。遺伝なんだと思うよ、普通に。せめてあと七センチあればなあ」
「何で七センチなんだ」
「そしたら大台乗るから。百七十」
「分けてやれたらいいのにな、俺の分を」
 鳴海くんのそういうコメントは俺を弄りに来てるわけではなく、割と本気で気遣いとして言ってるっぽいからおかしい。長い付き合いのうちに、俺がそういうネタを振られても気にしないってことを把握したせいかもしれない。俺はこの野郎と笑みながらやり返す。
「そんなこと言って、君が縮んだら雛子ちゃんがショック受けちゃうだろ」
「そうか? あいつは気にしないどころか気づきもしないかもしれない」
「『すらっとしてない鳴海先輩は先輩じゃない!』って言い出すかもしんないよ」
「言わない。雛子も、俺の背の高さを気に入ったとは言ってなかった」
 さりげなく遠回しな惚気いただきました。はいはいごちそうさまです。
 内心手を合わせたところで、そういえば腹減ったなと思う。ケータイで時刻をチェックすると、あと十分で十二時ってところだ。
「鳴海くん、今日の昼飯どうする? 雨降ってるし、ピザでも取る?」
「ピザか……俺は弁当がいい。この程度なら気にならないし、買ってこよう」
「え、いいの?」
 そりゃ俺もコスト割高な出前ピザよりはお弁当の方がいいけどさ。今日の買い出しは鳴海くんだし、雨ん中買いに行くの大変じゃねって思ったら、本人は平然としてた。
「大した降りじゃない。お前は何がいい?」
「じゃあ……塩から揚げ弁当とポテトサラダ、あと豚汁」
 俺は遠慮なく注文をして、鳴海くんはわかったと言い、一旦仕事を抜けると買い出しの為に店を出て行った。
 店主の船津さんは俺らがバイトに来ると高確率で消えやがるので、今もいない。俺は一人ぽつんと店内に残り、雨音と鼻歌をBGMに本棚の整理を続けた。

 程なくして、店のガラス戸がぎいっと開いて、
「おかえり、早かっ――じゃないや、いらっしゃいませ!」
 鳴海くんが戻ってきたのかと思いきや、店に入ってきたのは男女の二人連れだった。俺は慌てて言い直し、それからレアな来店者を出迎えるべく本棚の陰から飛び出した。
 すると女性客の方が、ハンカチで半袖の腕を拭きながらこちらを向いて、微笑んだ。
「大槻さん、こんにちは」
「あ、雛子ちゃんか。いらっしゃい」
 よくよく見るまでもない見知った顔だった。外の雨はそれなりに強くなっていたのか、彼女は一旦眼鏡を外し、それも水色のハンカチで丹念に拭いた。
 それから背後を振り返り、連れらしい見知らぬ若い男に声をかける。
「お兄ちゃん、大丈夫? ハンカチ使う?」
「タオル持ってる。ちょっと待った、眼鏡拭かないと……」
 お兄ちゃん、と呼ばれた男はやっぱり眼鏡を外してそれを拭き、かけ直してから俺に向かって頭を下げた。
 俺も頭を下げ返す。この人が、雛子ちゃんのお兄さんか。
 社会人っつってたっけ。確かに俺や鳴海くんよりもちょっと年上に見える。黒縁眼鏡で割と人のよさそうな顔つきをしている。目元は雛子ちゃんにそっくりで、背は雛子ちゃんよりも、俺よりも高く、鳴海くんよりは低いかなってところか。
 そうやって観察してたら、雛子ちゃんがふと気づいて教えてくれた。
「うちの兄です」
 それからお兄さんの方を向いて、
「お兄ちゃん、こちらの方が大槻さん。鳴海先輩のお友達で、大学の先輩なの」
 と言うと、お兄さんも控えめに微笑んでみせた。
「初めまして。妹がいつもお世話になってます」
「いえいえ、こちらこそ雛子ちゃんにはお世話になりっ放しで」
 俺は挨拶をすると、店内をきょろきょろし始めた雛子ちゃんに向かって言っておく。
「鳴海くんなら弁当買いに行ってるよ。さっき出たばっかだから、もうちょいかかるかも」
「あっ、そうなんですか」
 雛子ちゃんは少し残念そうな顔をした。まあ当然か。
 それから店内を改めて見回し、
「あの、今日は店長さんは……?」
「いない。俺たちと入れ替わりで出てったからね、夕方まで戻んないよきっと」
「そうなんですか。本当にあんまりいらっしゃらない方なんですね」
 全くです。ふらふらしてても店やってけてバイトも雇えるなんて羨ましすぎる。俺も卒業したらこんな暮らしがしてみたいよ。
 しかし不在の船津さんは、実は雛子ちゃんに会えるのをものすっごく楽しみにしている。今年の夏休みは雛子ちゃんもこの店でバイトするって話になってて、かねてから『あの』鳴海くんの彼女の顔を一目拝みたいと思っていたらしい船津さんはもううっきうきだった。まあ、単に若い女の子が来るのが嬉しいってだけかもしんないけど――相対的に鳴海くんがかりかりするんだろうなって状況が目に浮かぶようだ。一番大変なのは無論、板挟みに遭っちゃう俺ですよ。
「とりあえずほら、本でも読んで待ってて。鳴海くんには会ってくだろ?」
 俺が聞くと、雛子ちゃんよりお兄さんの方が早く口を開いた。
「当然だよな。ヒナは彼氏に会いに来たんだもんな」
「お兄ちゃん!」
 冷やかされてむっとする雛子ちゃんが可愛い。
 なるほど、こういう妹なんだ。ちょっと意外だけどこれはこれであり。
「って言うか、お兄ちゃんが先輩のバイト先を見てみたいって言ったんでしょ」
「そうだった。いや、ヒナのバイト先にもなるって話だからさ」
「もう……じゃあ私、本選んでる。お兄ちゃんは?」
「俺もぶらぶら見て回るよ」
 兄妹は声をかけ合い、めいめい好きな本を探し始めたようだった。俺も整理途中の本棚へと戻り、仕事を再開する。
 前に詳しく聞いていたから、雛子ちゃんの本の好みは知っている。今日もやっぱり児童文学の棚を見ている。手にしているのは『ビーチャの学校生活』――名前からしてロシア文学かな。何か、鬱展開がありそう。
 お兄さんの方はとりあえず一通り見て歩くつもりのようだ。狭い店内をゆっくりを歩いていた。ただ目に留まるような商品はなかったのか、いくらもしないうちに店を一周して俺のいる本棚のところまでやってきた。
「何かお探しですか」
 俺が店員らしく声をかけると、お兄さんは一瞬驚いたようだったけど、すぐ笑顔になった。
「見て歩いてるだけです。やっぱ古書店だと、新しい作品はあんまないんですね」
「ないっすね。写真集とかも、下手すると十年二十年前のアイドルのとかありますし」
 本棚に差し込んであった往年のアイドルの水着写真集を取り出すと、表紙を飾る挑発的かつ前時代的な水着姿を目にしたお兄さんはたちまち苦笑した。
「こういうのはちょっと……買って帰ると確実に揉めるんで」
「揉めるんですか」
「ええ、確実に。それはもうめちゃめちゃに」
 どういうことだと俺は思ったけど、そういえばとすぐ思い出した。
 確か雛子ちゃんのお兄さんって結婚控えてたんだよな。鳴海くんがご挨拶に出向いた日、お兄さんのフィアンセも同席してたとか何とか――そりゃ写真集なんて持って帰れないよなと俺もそいつを引っ込めた。
「そう言や、ご結婚されるんですよね。おめでとうございます」
 初対面の相手にお祝い言うのもどうかとは思うんだけど、知ってるのにスルーってのも失礼だよな。そう思って俺は言った。
 またしてもお兄さんは驚き、
「ありがとうございます。妹に聞いたんですか?」
「いえ、鳴海くんからです。何かそういう理由で帰ってこられたって」
「へえ……仲いいんですか? 彼と」
 彼、という呼び方に何とはなしの不自然さがあった。普段はそう呼んでないっぽいなと思う。
「仲いいっすよ、大学じゃいつもつるんでます。一緒に飲んだり飯食ったりこうやってバイトしたり」
 俺が正直に答えると、雛子ちゃんのお兄さんはいよいよ珍しげに俺を見る。
 そりゃ俺と鳴海くんが見た目的にも、性格的にも似通ったところがあんまりないのは自覚している。もともと赤の他人なんだから、雛子ちゃんとお兄さんのように、俺とうちの兄貴のように激似ってことはなくて当然だ。類は友を呼ぶなんてことわざはあるけど、俺たちの共通項なんて大学が一緒なことと、同い年なことと、あとは髪が黒いこと? そんなところだ。
 しかし友達っていうのは人を映す鏡みたいなもんで、どんな奴とつるんでるのかで相手のことがわかったりする。つまり今の俺は鳴海くんを映す鏡なわけだ。なるべくきれいな鏡でないとな、友人代表として。
「失礼ですけど、見た感じ正反対みたいなタイプですよね。その方が馬が合うのかな」
 割ときっぱり、お兄さんは言った。
 俺もそう思うんで別に失礼とは感じなかった。むしろ、ですよねーって思う。
「大槻さんでしたっけ。やっぱり東高の卒業生なんですか?」
 見た目正反対、性格も似てない俺と鳴海くんの共通項を、出身校だとお兄さんは見たらしい。残念ながらはずれだけど。
「違います。俺は向陽出てるんですよ」
 と答えると、今度は別の意味でお兄さんが目を瞠った。
「向陽? じゃあ俺の後輩ですね」
「マジっすか!」
 何と、こんなところで先輩OBに会うとは。俺は逆に聞き返す。
「おいくつでしたっけ。確か、雛子ちゃんの五つ上?」
「そうです。大槻さんたちとは三つ違いかな」
「じゃあぎりぎり一緒に在籍してないっすね。へえ、先輩だったんすか」
「偶然ですね。いや、同じ市内にいれば学校も被るもんでしょうけど」
 お兄さんは出身校の名前を久々に聞いたんだろう。俄然テンション上がったみたいで目を輝かせていた。
「部活って何かされてました?」
「俺っすか? 吹奏楽やってました」
「あ、そうなんですか。じゃあ西野ってまだいました? 音楽の西野先生」
「いましたよー顧問だったんで三年間がっつり世話になりました」
 俺が頷くとお兄さんは思い出し笑いをするみたいにくくっと喉を鳴らして、
「あの人、まだフィガロって呼ばれてます?」
 音楽の西野はむしろ担当教科体育じゃね? 顧問やるならラグビー部の方向いてね? ってくらいガタイのいいおっさんだ。およそ繊細さのかけらもない顔つきをしていたが、にもかかわらずプライベートではオペラ愛好家で、市民オペラにも積極的に参加しているバス歌手でもある。市民オペラは街中にもポスター張り出される規模のものだから、先生が何の役で参加したかってのは一目瞭然なわけだ。
「俺らの時はあいつパパゲーノって呼ばれてましたけどね」
 ちょうど俺らが三年の時に参加したらしいオペラの演目が『魔笛』だったんで。そう言い添えるとお兄さんは激しくツボったようだ。腹を抱えて笑い出した。
「パパゲーノ!? マジで?」
「マジっす。また今年もやるらしいし、新しいあだ名ついてるかも」
「存在感あったよなあ西野。卒業式でも『仰げば尊し』を生徒よりでかい声で歌ってて」
「ああ、俺ん時もですよ! 何かやたら重低音でハモってくる奴いるなと思ったらパパゲーノで、泣くに泣けなかったっす」
 大体何でお前が仰げば尊しだよお前が師だろ、と俺の中のツッコミ属性が疼くような出来事だった。まあ悪い先生じゃなかったんだけどさ。強烈なんだよなとにかく。
「あと誰がいたかな……体育の山川は?」
「いますよ。未だに上ジャージ下スラックス足元サンダルの謎ファッション貫いてます」
「うわ、まだ直してないのか。生活指導に率先して怒られてたよな、あいつ」
「怒られてましたね。また生活指導もほっときゃいいのに構いに行くからしょっちゅう揉めてるし」
「一周回って付き合ってんじゃないのかって言われてたな、あの二人」
「俺ん時は五十年物のツンデレって呼ばれてましたよ、生活指導の竹内」
 思い出話は尽きないものだ。気がつけば俺と雛子ちゃんのお兄さんは肩を並べて高校時代の思い出を語り合っており、さすがにそれを聞きつけたのか、ここでようやく雛子ちゃんが近づいてきたかと思うとこちらを覗き込んできた。
「お兄ちゃんと大槻さん、さっきから何の話してるの?」
 怪訝そうな問いに俺とお兄さんは顔を見合わせ、それから答える。
「高校時代の話。何と大槻さんも俺と同じ、向陽の出身だったんだよ」
「そうそう。在籍年度被ってないけど知ってる先生多くて、話合っちゃってさ」
「ふうん……?」
 雛子ちゃんはますます不思議そうにしている。
 お兄さんはそんな妹ににやりとしたかと思うと、
「ヒナは東だからわかんないよな。仲間外れにするみたいでごめんな」
「……別にいいよ。交ざりたいとまでは思ってないし」
 そう簡単に挑発には乗らず、雛子ちゃんは肩を竦めた。お兄さんといる時の雛子ちゃんは意外とクールだ。何かもうちょい可愛い妹やってんのかと思ったから、やっぱきょうだい相手となると違うもんなんだなって思う。
「ヒナも向陽行けばよかったのに。お兄ちゃん、いい学校だぞって言っただろ」
「だって遠いもん。東に行くより更に電車乗らなきゃいけないんだよ」
「そしたらヒナも俺たちと一緒になって思い出話に花咲かせられたのになあ」
「だからいいってば。それに東に行ってなかったら、鳴海先輩とは会えなかったんだから!」
 雛子ちゃんが真剣な顔でそう言い放つと、お兄さんはオーバーに肩を落とす。
「また惚気かよ。本当にお前は先輩、先輩ってそればっかだな……」
「い、いいでしょ! って言うか大槻さんの前で変なこと言わないで!」
 すみません、ばっちりしっかり聞いちゃいました。
 ぱっと耳まで赤くなった雛子ちゃんの為に、俺はあえて慰めの言葉をかける。
「大丈夫、鳴海くんもいっつもそんな調子で雛子ちゃんのこと惚気まくりだから」
「あ、やっぱりそうなのか」
 お兄さんは腑に落ちた顔で頷き、突っ込んで尋ねてきた。
「大槻さんの前ではよく惚気るの? 彼」
「信じがたいほど惚気ますねー。もう会話の端々に好き好きオーラがだだ漏れでこっちが悶えます」
「ほうほう。それで?」
「ご挨拶の件だって『挨拶もできない奴と思われては台無しだ』つって、かなり意気込んでいったみたいですよ」
 友人代表として、友の格好いい台詞は伝えておく。これで鳴海くんの株価爆上げ間違いなしだ。
「大槻さん、恥ずかしいから止めてください! 兄と一緒に何言ってるんですか!」
 代わりに俺の株が下がった気がしなくもない。
 と、その拍子、タイミングよく店のドアが再び開いた。
 そして弁当屋の袋を提げた鳴海くんがハンカチで頭を拭きながら入ってきて、
「今戻った。このまま休憩に――何だ、来てたのか」
 真っ先に雛子ちゃんに目を留めて、親しい相手にしてみせるようにほんのちょっと表情を解いた。
 それから店内を見回し、今度はお兄さんにも気づいたようだ。急いで会釈をした。
 途端に雛子ちゃんは真っ赤な顔のまま鳴海くんに駆け寄り、どこか拗ねたみたいな顔つきで言う。
「先輩、気をつけてください! うちの兄と大槻さんが結託してるんです!」
「何の話だ」
「何か出身校が一緒だったらしくて、すっかり意気投合しちゃってて!」
「……知り合いだったのか?」
 鳴海くんが目を剥いて俺を見る。
 俺が口を開くより先に、お兄さんが答える。
「単に高校が一緒ってだけ。ほら、寛治くんのお友達っていうから、高校一緒なのかって思って聞いてみたんだけど」
 そして今度は俺が、ちょっとだけ驚く。
「寛治くんって呼ばれてんの!?」
 まあ案の定だけど。名前で呼ばれてる可能性はあるなと思ったけど、いざ聞くと何だろうこの新鮮さ、慣れない感じ。寛治くんだけに。
 俺の反応に鳴海くんはあからさまに顔を顰めた。
「だから何だ。本名なんだからそう呼ばれて当然だろう」
「だって俺、聞き慣れないもん。つかすっかり雛子ちゃん家に溶け込んじゃったね君!」
「そうだよ溶け込んでるんだよ。寛治くんはもう俺の弟みたいなもんだからな!」
「いい加減にしてお兄ちゃん! 先輩まで困らせないでくれる!」
 俺、お兄さん、雛子ちゃんが口々に声を上げるものだから、鳴海くんはすっかり困惑している。
「どういうことだ。俺のいない間に何があった」
 それ、俺は別に隠そうとまでは思ってないけど、聞いたら確実に怒られそうな予感する。

 後日、大学で顔を合わせた雛子ちゃんは、お兄さんが遠方へ帰っていったことを報告してくれた。
「兄が、大槻さんにもよろしくって言ってました」
 さすがは雛子ちゃんのお兄さん、そういうとこは律儀だ。感心する俺に、雛子ちゃんはちょっと恥ずかしげに続けた。
「あと、大槻さんを見てたら先輩のことが一層よくわかったって。喜んでました」
 これには俺以上に、居合わせた鳴海くんが慄いていた。
「大槻を見て俺の何がわかったというんだ!」
「いや、友達って人を映す鏡みたいなもんじゃん」
 俺という曇り一つない鏡に映った鳴海くんは、きっと素晴らしい男に見えているはずだ。そう思って頷く俺に、しかし鳴海くんは容赦なく冷水を浴びせかけてくる。
「大槻越しに俺を見られたら、要らないところばかり拡大されていそうで嫌だ」
「んなことないって。俺にはきっとありのままの君が映ってるよ。ね、雛子ちゃん?」
 同意を求めると、雛子ちゃんははにかみながら小首を傾げた後、何か思い出したように頷いた。
「映ってますね。大槻さんには、私の知らない先輩が、時々」
「……そういうものは見なくていい」
 鳴海くんも思い当たる節でもあったか、すっかり恥じ入っていた。
 でも映っちゃうんだからしょうがないじゃん。
 俺はこれからも鏡っぷりに磨きをかけて、君たちの惚気っぷりを余すところなく! 映していきますので今後ともよろしく。
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