Tiny garden

友達になろう

 高校と比べると、大学は魔境だ。
 同じ制服を着て整列していた高校時代とは違い、大学に入った途端、皆が競うように個性を発揮し始める。それはもちろん服装に限った話じゃない。中身の方も奇人変人個性派のオンパレードで、中にはお前絶対高校の時はそんなキャラじゃなかっただろ、ってツッコミたくなるようなのも結構いる。ま、俺もあんまし他人のことは言えないんだけど。
 大学生って言ったら何か大人になった! って感じするし、交友関係も様変わりする新生活のスタートでもあるし、おまけに大学ともなると他県他市区町村から来た奴も相当いるわけで、大学デビューなんて単語があるのも当然だ。皆、新しい生活の始まりはよりカッコよくて理想的な自分で迎えたいもんだろう。背伸びする奴がいたってしょうがないし、そういうのがまた面白いもんなんだ。
 そんな個性派及び個性派を装いたがる者たちが群居する新入生戦国時代において、俺はあいつと出会った。

 入学直後の俺にとって、大学は確かに魔境だった。
 ってかむしろアマゾンのジャングルだった。何せ大学ってのは広い。そして高い。漫画に出てくるお金持ちの邸宅みたいな総面積にたくさんの建物がひしめいている。『本館』なんて目印になりそうな建築物は学部ごとにある始末だし、何たらセンター、何たら記念館なんていう建物もあちこちに点在しているし、付属図書館は地続きじゃなくて一旦外に出ないと辿り着けない場所にあるらしいし、おまけに構内の至るところに背の高い木が植わっていて、高一で成長の止まってしまった慎ましやかな背丈の持ち主としては、まさにジャングルに迷い込んだ探検隊の気分で彷徨うしかなかった。
 ちょうどその日、俺は高校時代の先輩に飲み会に誘われていた。一年早く大学に来ていた先輩は上手い具合に大学デビューを遂げたらしく、若干チャラくなられておいでだった。大槻てめー絶対飲み会来いよ、みたいな誘いをかけられた俺は、もちろん行きますよとへらへら答えつつ、来年辺りは俺もこんな感じになってんだろうなーなんてぼんやり考えていた。
 飲み会の集合場所は大学前のバス停と言われていた。だが無駄に広大な大学の周囲にバス停が一つしかないはずもなく、俺は最初うっかり間違えて正反対の方角にある別のバス停前に集合してしまった。すぐに気づいて、大急ぎで目的地を目指したものの、また間抜けなことに構内を突っ切るという暴挙に出てしまった。普通に考えれば多少遠回りでも外周を辿っていく方が確実だとわかるんだけど、先輩を待たせてるかもしれないという事実が俺の判断力を鈍らせた、ってことにしておこう。歩きながら音楽を聴いてたっていうのもその一因かもしれない。
 とにかく俺は道に迷った。見覚えのない建物と高い木々に囲まれた覚えにくい空間をぐるぐる彷徨い歩き、持ち歩いていたキャンパス見取り図を何度も確かめ、ついには先輩にメールも入れた。だが向こうも飲み会前で忙しかったのか返信はなく、そうこうするうちにだんだんと日も暮れてきて、飲み会駄目かもなー、ってかこれ遭難じゃね? 救助隊呼ぶしかなくね? って気分になって、音楽止めてイヤフォン外してポケットに突っ込んでいよいよ進退窮まった時、近くに人影を発見した。
 時間が時間だからなのか、あるいは俺がよっぽど辺鄙な一帯でもほっつき歩いていたせいか、その瞬間まで道を聞けそうな相手に遭遇することはなかった。だからその時点でめちゃくちゃほっとした。

 その人物は、中庭みたいなところにいた。
 古い木のベンチに腰を下ろして読書でもしていたようだけど、日が落ちてきたからか帰る気になったらしい。本を閉じて鞄にしまい、ベンチから立ち上がった。
 むかつくほど背が高くて、そのくせひょろりと痩せこけた男だった。顔つきは険しくて、特に目元は昔の軍人さんみたいに鋭かった。素っ気なく切り揃えただけの髪と、個性派揃いの大学ではかえって浮きそうな地味一辺倒の服装もあって、モノクロ写真にしたら『近代文学の文豪』なんてキャプションをつけられてもおかしくないような人間に見えた。
 きっとこの人のあだ名は『ブンガク』で、その名の通りお高くとまった文学青年で周囲からも扱いづらいと思われてるけど、実は飲んだらすげー陽気で別人みたいになって皆にやたら絡んでは適当な文学論吹っかけてくるから、それはそれで面倒くさいと思われてるタイプの先輩に違いない。たった一瞬の印象から俺は勝手な想像を膨らませて、やっぱ大学は魔境だと改めて思った。
 俺の勝手な想像なんて知るはずもなく、文学青年然とした『先輩』はそのまま俺の脇をすり抜けて行こうとした。
 これを逃したら俺はマジで遭難者になりかねない。慌てて声をかけた。
「あの先輩、すみません!」
 途端、その人ははっとしたようだった。
 普段からそう呼ばれ慣れているのだろう、当然のように足を止めてから、俺を確かめて不審そうな顔をした。一見して、知らない顔だと思ったに違いない。でも知り合いかどうかなんて切羽詰まってるこっちには関係ない。
「俺、入学したてなんですけど、道に迷っちゃって……」
 すぐさまそう打ち明けて、俺は当初の待ち合わせ場所であったバス停の名を告げた。どっちの方角にあるかだけでも教えて欲しいと尋ねた。
 その『先輩』は軽く肩を竦めてから、
「それなら、この道を向こうへ出て――」
 手を伸ばして説明してくれようとした。が、俺の顔を見下ろして何かを読み取ったんだろう、すぐに言い直した。
「口で説明すると少々わかりにくい。よければ案内しよう」
「いいんですか!? 助かります先輩!」
 俺はその人に向かって手を合わせた。地獄で仏とはこのことだ。この、いかにも文学青年気取ってる面倒くさそうな先輩に対し、一瞬にして尊敬の念を抱いた。
 案内してくれる間、その『先輩』はほとんど無駄口を利かなかった。その上やたら歩くのが速くて、歩幅で劣る俺はついていくのがやっとだった。それでも俺は助けてもらえたのが嬉しくて、うきうきとその人に話しかけた。
「いやあ、本当に助かりましたよ! 先輩に会えなかったら俺、マジで大学初の遭難者になってたかもしんないし! 先輩は俺の命の恩人っすよ!」
 俺の言葉をその人は、何となく困った様子で聞いていた。
 意外と人見知りで、知らない新入生と話すのに抵抗があったのか。それとも命の恩人ってのが重たかったのか。
 まあ気難しそうな人だしな、と返事がなくても気にせずにいたら、しばらく歩いてからその人が、後ろを歩く俺を振り返りながら言った。
「誤解をされているみたいだから、言っておきたいんだが」
「ん? 何すか」
 俺は追い着いて隣に並ぶと、その人の顔を見上げた。どう見ても成人してそうな、よく言えば大人っぽい、悪く言えば老け顔のその人は、溜息混じりに続ける。
「俺も今年度の新入生だ。恐らく『先輩』じゃない」
「――は?」
 思わず、間抜けな声が出た。
 びっくりのあまり立ち止まってしまった俺に合わせるように、その人――そいつもまた足を止めた。これだけの老け顔なら大人に見間違えられることも何度だってあったのだろう。俺があからさまに驚いても特に動じる様子はなく、むしろどうでもよさそうな顔をしていた。
 でもこっちはどうでもよくない。ってかすんげえびっくりした。
「ええ!? まさか同い年!?」
 俺が聞き返すとそいつは面倒くさげに頷いた。
「恐らくは」
「ってことは三月まで、高校生やってたの!?」
「当たり前だ」
「見えねええええええ!!」
 夕暮れの大学構内に響いた俺の絶叫を、後になってからそいつは――鳴海くんは、『恥ずかしかったからよほど置いていこうかと思った』などと振り返っていた。

 ともあれこれが俺と鳴海くんの出会いであり、俺の中で、大学ってやっぱ魔境じゃんと確信を深めた最大の出来事でもあった。
 俺はたちまちこの同期生に興味を持った。だってこんな老け顔、そしてその顔に見合った落ち着きようと若者らしくもない喋り方をするこの男が、俺と同い年なんてどうしても思えない。おまけにこいつは同じ市内の出身らしく、高校も市内の東高校に通ってたっていうからますます驚いた。こんな面白そうで天然ものの個性派らしい奴との出会いを俺は、十八年間もみすみす逃してきたわけだ。何ともったいない!
 それでまずはその日の飲み会に鳴海くんを誘ってみた。
「これから高校ん時の先輩と飲み会なんだけど来ない? 助けてもらったお礼に奢るから!」
「遠慮しておく。俺は未成年だし、騒がしいのは苦手だ」
 きっぱりと断る口調もいかにも! って感じの男だった。
 それならそれで、今度は飯でも奢ろうかって誘ってみたけどそっちも断られた。そもそも鳴海くんの方には俺を助けたという意識はないらしく、当たり前のことをしたのに礼なんて要らない、とすら思っているらしかった。あと、人見知りっぽいっていうのはどうやら当たりだったらしく、しつこく話しかけてたらそのうち鬱陶しいという顔をされてしまった。
 でもこっちとしては、この出会いを逃す気にはなれなかった。俺は割とお喋りな方だから大学に入ってからも友人及び知人はたくさんできたし、その中には大学デビュー組と思しき個性派も大勢いた。だけど鳴海くんのような文学青年気取りの友達はいなかったし、更にすごいのは鳴海くんが大学入学後に今のキャラになったわけじゃなく、高校時代からこんなんだったっていうところだ。同じ東出身の奴らからその情報を得てからは、もう絶対こいつと友達になんないと損する! こんな面白そうな奴放っとけるか! って心持ちで毎日毎日話しかけてた。学部が違うからそれほど顔を合わせる機会はなかったけど、彼の辞書にサボるって文字はないらしく、構内をうろちょろすれば一日一回は会えた。
「鳴海くんおはよー! そろそろ俺の名前覚えてくれた?」
 そうやって声をかけてたら、初めの二ヶ月間くらいは迷惑そうにされた。
「何の用だ」
「いや別に用とかないけど。もう知り合いなんだし、声くらいかけてもいいだろ」
 俺の答えを聞くといつも、鳴海くんは『物好きな奴だ』って顔をした。
 だけど夏頃には名前も覚えてもらったし、更に秋が来る頃には以前ほど迷惑そうにもされなくなった。いろいろ話をするようにもなったし、それでわかったけど意外なくらい話しやすい奴だった。どんな話題でもとりあえずこっちの話を真面目に聞いてくれるし、そうやって聞いた何気ない話を、興味なさげにしながらもちゃんと覚えててくれるし、思ったよりツッコミも上手い。下ネタだけはどうにも苦手らしくてあからさまに嫌な顔をされたけど、いつの間にやら向こうも俺の話を面白がっているようなそぶりさえ見せ始めた。飲み会への誘いは何度誘っても見事に断られたけど、お互いの一人暮らしの部屋を行き来して、たまに晩飯を一緒に食べるくらいの仲にはなった。
 そうして友達になった鳴海くんと、いろんな話をした。
 鳴海くんはやはり天然ものの個性派で、文学青年『気取り』じゃなく、本物の文学青年だった。
 読書が好きで図書館が好きで本屋が好きで、部屋にもいっぱい本があって、大学に一人でいる時は大抵本を読んでいる。いわゆる本の虫という人種だ。そのくせ音楽はまるで興味がないらしく、俺がいくら薦めても聴こうとしない。音楽のない人生なんて、本に例えるなら色のない絵本みたいなもんで楽しくも何ともないだろうに、俺がCD貸すからと言ったら、再生する機器がないとか抜かしやがった。今時オーディオどころかテレビもない部屋に住んでいるのが鳴海くんである。
「ニュースとかどうしてんの? テレビなしでさあ」
「新聞は取っているからな。困ったことはない」
「いやそうじゃなくて……緊急時とかさ、例えば災害があったら困るだろ?」
「ラジオなら用意している。心配するな」
 俺たちの会話は大体こんな調子で、こいつ年齢どころか生まれた時代すら詐称してんじゃねーの、と思うことも何度もあった。面白いっちゃ面白いけどさ。どんだけだよって。
 そんな時代錯誤の文学青年は大学では文芸サークルに所属していて、文章を書く方にも非常に関心があるのだと言っていた。将来の夢は作家であることも聞かせてもらって、どこまで徹底してんだと感心してしまった。まさに大学という魔境に眠る、化石のような男だ。
 交友関係はごく狭くて、まともな友人は俺くらいらしいということも知ったし、だからかケータイを持つ気はないらしいことも聞かされた。お菓子などの甘い物が大嫌いだってこともわかった。それから家族の話題には触れられたくないらしいことも察していたから、俺たちの間にそういう話が持ち上がることはほとんどなかった。そういうプライベートの話題の乏しさが、奴の化石っぷりをより一層際立たせていた。

 しかし、一見無味乾燥、ぱさぱさしてそうな鳴海くんの日常にも、潤いをもたらす要素があったりしたのだ。
 そのことがわかったのはやはり大学で、食堂で一緒にご飯を食べながら他愛ない会話を交わしている時だった。
「そういえば鳴海くんって彼女いんの?」
 答えがわかりきってる質問を、俺は鳴海くんにぶつけた。聞く前からいるはずないよなって思ってたし、いたらいたで聞かれる前にそういうことを匂わせてくるもんだろうって思い込みもあった。
 大学に入ってからというもの、『彼女いるの? 作んないの?』って質問をするのが普通の挨拶感覚にもなっていた。返答次第でお互いの友達を紹介しあったり、伝手を頼って合コン開いたりなんてきっかけにもなって、交友関係を広げることに一役買ってもいた。俺だって彼女はいなかったし、でも当たり前のように欲しいと思っていたから、その手の質問は天気の話よりもよっぽど気軽に話題に上った。
 その時、鳴海くんはなぜか黙った。考え込むように表情の動きを止め、でも俺の視線から逃れるつもりなのか、すっと目は逸らしてみせた。
 普段は落ち着き払っていていかにも賢そうな奴なのに、たまにこうして迂闊としか思えない行動を取るのが鳴海くんだ。今回だって適当に嘘をつくなり、笑い飛ばすなりすればよかったのに、そうしなかった。できなかったのかもしれない。
「え、マジでいんの?」
 その反応にぎょっとした俺が突っ込んで聞くと、鳴海くんは気まずそうな顔つきになった。
「言いたくない」
 しかしその答えは、語るに落ちたってやつである。
 そして判明した事実は俺を大いに仰天させた。いやだって普通にないだろ。この非社交的で生まれてくる時代を間違ってそうな天然ものの文学青年に彼女がいるとか! こいつにできてなぜ俺にいないんだ、って気持ちもあったし、それ以前にどんな子と付き合ってんのか想像もできなかった。
 普段の鳴海くんは異性に全く関心がないらしく、俺が大学で見かけた子を『あの子可愛い』と言ってもほとんど見向きもしなかった。たまにだけ通りがかった女の子を、目で追うってほどではないにせよちら見してることはあったけど、そういう場合でも強い関心を持っているってふうではなかった。テレビもない生活では女優アイドルその他の芸能人にアンテナ張ってるはずもないし、おまけに下ネタ大嫌いな人間だから猥談なんてもってのほかだ。そういう男があえて好きになるような、おまけにお付き合いなんか始めちゃう子ってどんなのだろう。俺はもう、好奇心を抑えることができなかった。
「え、え、いるんだったら言えよ! ってか知りたい、むしろ会いたい! どんな子? 鳴海の彼女ってどんな子? 可愛い? 美人? 写真とか持ってないの?」
 食いついた俺の矢継ぎ早な質問に、鳴海くんは黙秘を貫いた。今更遅いだろとも思ったけど、とにかく何も教えてはくれなかった。
「教えろよー、うちの大学? 同期? 年上?」
 俺はどうにかして特定してやろうと、手がかりになる情報を集めることにした。
 鳴海くんはまだ黙っている。ただ心なしかその表情が安堵しているようにも見えた――気のせいかもしれないけど、これはあれだな。うちの大学の子じゃないっぽいな。
 ってことで質問を変えた。
「あるいは、別の学校行ってるとか?」
 これは結構いい線いってる質問だったみたいだ。鳴海くんは呆れたように溜息をついた。
「何を聞かれても言うつもりはないからな。聞くな」
 意外と嘘つくの苦手なタイプなのかもしれない。俺はわくわくしながら、今の言葉を無視して更に突っ込んだ。
「じゃあ年下? まさか女子高生に手を出してるとか言ったりしないよね?」
 と言っても俺たちだって数ヶ月前までは男子高校生だったわけだし、いけないことみたいに言うのもおかしいのかもしれない。
 だが、これは作戦だ。猥談もしない生真面目そうな鳴海くんだからこそ、こういう指摘が図星だった場合、てきめんに顔に出るはずだ。
 そして予想通り、鳴海くんはあからさまに動揺した。
「……人聞きの悪いことを言うな」
 俺をぎりっと睨んだその表情は、わかりやすく汗が滲んで大変にきまり悪そうだった。
 ああもうこれ確定だなと俺は踏んで、追い詰めにかかった。
「そっかー女子高生かー。やるじゃん鳴海くん」
「肯定はしてない。勝手に決めるな」
「もうぶっちゃけたようなもんだろ。ってかさ、高校生ってことは東の後輩?」
「だから、勝手に決めつけるな!」
 鳴海くんは声を張り上げた後、そこが大学の食堂だったって事実に今頃思い当たったようだ。真っ赤になって俯き、しばらく口も利いてくれなかった。
 まあ口を利いてもらえないのは慣れてたし、俺はその後もお構いなしにあれこれ聞いちゃったんだけど。
「名前は何て言うの? 今何年生? 美人? 胸大きい? 可愛いかどうかだけでも教えてくんない? 実は写真持ち歩いてたりしない? いつもどこでデートしてんの? もう部屋に呼んだの? ってかもうちゅーした?」
 そしてどんな質問をしても、はっきり答えが返ってくることはまずなかった。
 ただ俺があんまりにも何度も聞いてると根負けしたのか、ごくわずかな情報だけは教えてくれるようになった。それによると彼女の名前は『雛子ちゃん』で、鳴海くんより二つ年下らしい。東高校では文芸部に所属していて、鳴海くんはそこで彼女と知り合ったらしい。そして――これは照れ隠しなのかどうか知らないけど、雛子ちゃんって子は美人でも、可愛いタイプでもないらしい。
「可愛くはないな。それどころか扱いにくい奴だ」
 鳴海くんはそんなふうに彼女を評した。
 扱いにくいって、女の子を指して使っていい言葉なのか。俺は正直呆れた。
「それってどんな子だよ」
「そうとしか言えない。意外とうるさい奴だったしな」
 これはもしや尻に敷かれてんのかな、などと俺は思いました。
 あとはまあ、あんまり情報らしい情報は貰えなかったけど、鳴海くんの黙秘は黙秘になってないことも多くて態度からいくつか推測のつくこともあった。鳴海くんは既に彼女を自分の部屋に招いているらしいし、ちゅーもしてるらしいです。羨ましすぎて死ねる。

 そして現在、大学二年に進級した俺は、噂の『雛子ちゃん』と二度も顔を合わせた。
 一度なんて一緒にお茶してお喋りしたんで、もう彼氏のやきもちっぷりったらなかった。しばらく言われたからね、ぐちぐちと。遅刻してきた奴が悪いんだろーって言い返してやりましたけど。
 実際に会った感想は、普通に可愛いって言うか……いやもう、あの子を可愛くないとか言える鳴海くんは果報者だと思う。眼鏡の似合う、可憐な文学少女ちゃんでしたよ。しかもすっげえいい子だったし、しかもあの鳴海くんにぞっこんだし、これ以上何を望むのだとあいつを張っ倒してやりたくなりました。まあ扱いにくいとかうるさいとかは、単なる照れ隠しかもしれない。そういう時は大抵、らしくもなく年相応の顔してるしね。
 でもって俺も雛子ちゃんみたいな彼女が欲しいとマジで思う。切実に。鳴海くんはそういう話をしたがらないくせに、俺にそういう話を振られるとわかりやすく顔や態度に出すものだから、そういうのが面白い反面、非常に目の毒だったりする。
 どうしたら俺にもあんな彼女ができるんだろうなー。やっぱ個性か。個性がないとこの魔境ではご縁もないってことですか。

 とりあえず今の俺には彼女こそいませんが、話の種には事欠かない、個性的な友達がいるんです。
 これでいつ、あいつの結婚式に友人代表として呼ばれても大丈夫。スピーチの題材も山ほどあるし、いくらでもそういう話をしてあげよう。
 もっとも、あの時代錯誤の文学青年が、普通の結婚式を挙げるかどうかはわからないけど――どっちにしろあの子と結婚することは間違いないだろうし、その時に俺が冷やかしつつ盛大に祝福するだろうってことももう決まってる。
 俺はこう見えても義理堅いからね。
 命の恩人の結婚式なんて、何を差し置いたって駆けつけるのが普通だろ?
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