Tiny garden

真昼のパレード(1)

 私の人生において、二十回目の誕生日が過ぎていた。
 十月も下旬に入れば急速に気温が下がり、朝晩の寒暖の差が激しくなる。遠くの山々はほんのりと色づき始め、空は高く爽やかに澄んでいる。
 そんな月の終わり頃、カボチャメニューが置かれるようになった大学の学生食堂にて、私と鳴海先輩は大槻さんから頼み事をしたいと持ちかけられていた。

「鳴海くんと雛子ちゃんさ、コスプレする気ない?」
 大槻さんからのその問いかけに、
「ない」
 鳴海先輩はにべもなく答えた。
「即答かよ! もうちょい迷うとか、俺の話聞くとかしようよ!」
 当然、大槻さんは悲しそうに訴えてきたけど、それで先輩の心が動くはずもない。
「迷う余地がないな。なぜそんなことをしなければならない」
「いや、それがさ。ちょっと人手が足りなくってさ」
「では他を当たってくれ」
「だから! せめて話だけでも聞いて!」
 一切興味を持とうとしない先輩に、大槻さんも必死になっている。
 私は少々かわいそうになってきた。
 ついでに、いかにここが大学の賑やかな食堂でも騒いでいれば人目につくだろうと思い、恐る恐る口を挟むことにした。
「コスプレの人手が足りないって、一体どういうことなんですか?」
「雛子、首を突っ込むな」
「さすが雛子ちゃん、彼氏と違って優しいね!」
 鳴海先輩は顔を顰めたけど、大槻さんは対照的に嬉しそうな顔をした。
「実はさ、うちの楽団でハロウィンに仮装パレードをするんだけど」
「ハロウィンの仮装、なんですか」
「そう。近隣の小中学校とも組んで、駅前通りをマーチングバンドで練り歩くんだ」
 言われてみればハロウィンの季節だった。
 少し前まではややマイナーだったこの行事も、今ではすっかり広まったように思う。街を歩けばあちこちでカボチャのランタンを見かけるようになったし、お店でも仮装グッズを取り扱っているところが随分増えた。ハロウィン当日ともなると駅前は仮装を楽しむ人々で溢れ返るものらしい。うちの大学の食堂でもこの十月はハロウィンフェアと称してカボチャのドリアとグラタンがメニューに並んでいる。既に国民的行事と呼んで差し支えないのかもしれなかった。
 だけど私にとっては――そして間違いなく鳴海先輩にとっても、ハロウィンはまだ縁遠い行事だった。鳴海先輩が仮装に興味があるはずもなく、ましてやお祭り騒ぎになどいい顔をするはずがない。私も目にする機会こそ増えたものの、自分からハロウィンに関わる機会までは今のところなかった。
「マーチングバンド? ファゴットでか?」
 そこで先輩が訝しそうにして、大槻さんが手をひらひらさせる。
「あれ持って行進は無理だよ。俺は当日、パーカスで参加予定でさ」
「お前、打楽器なんかできたのか」
「まあね。俺のスティック捌きはキース・ムーンの再来と言われてるんだぜ!」
「キース・ムーンとは誰だ」
「そこから!? 鳴海くん、本当に音楽聴かないよね……」
「本を読みたがらないお前に言われたくはないな」
 いつものことながら大槻さんと鳴海先輩の会話は微妙にすれ違っている。お二人が無二の親友として一緒にいることを不思議に思う人も多いらしい。しかし逆に言えば、この噛み合わなさであっても成立する友情が素晴らしいのかもしれない。
「とにかくさ、ハロウィンだから仮装でマーチなわけ」
 大槻さんが話を戻す。
「でもマーチングとなると俺以外にも出れないパートの子がいるじゃん。そういう子も他に回れたらいいんだけど、他にやれそうな楽器がなかったり、あるいは自分のパートがないならそもそも出たくないって子がいてさ、参加者がぐっと減りそうなんだよね。人が足りないとせっかくのパレードもしょぼくなっちゃうじゃん」
 そして私達に向かって手を合わせ、
「ってことでお二人さん! 仮装だけでも参加して貰えまいか!」
 頭を深々下げてきた。
 仮装と人手不足の経緯は概ね理解できた。ただ、この理由づけで果たして鳴海先輩の心が動くだろうか。
 私は先輩の顔を見る。先輩もちらりと私を見た後で、何も確かめないまま答えた。
「悪いな、大槻」
「ここまでの経緯を聞いても即答かよ!」
 大槻さんは悲痛な声を上げたけど、鳴海先輩は動じない。
「そもそも俺は仮装なんぞしたくない」
「服着るだけだよ? 別に恥ずかしくないよ?」
「恥ずかしい。あんなもの、衆目に晒されて面白がられるだけだろうに」
「やってみなきゃわかんないだろ。鳴海くん、コスプレしたことあんの?」
 今のはなかなか鋭い質問だった。
 嘘をつけない鳴海先輩はそこで唇を結び、大槻さんは目を白黒させながら私を見る。
「え? え? マジであんの?」
「えっと……」
 答えはもちろん『ある』だ。
 ただ、先輩が答えたくないことを私が答えてもいいものだろうか。詰まる私に溜息をつき、鳴海先輩は観念したように口を開く。
「一度だけ。母校の文化祭で付き合わされた」
「へえ! ってことは雛子ちゃんがお願いしたってとこかな」
「そんなところです」
 私は頷く。実際は他の男子を巻き込みたがっていた有島くん主導だったのだけど、私からもお願いしたことは間違いない。
「ちなみに何のコスプレしたの?」
「帽子屋だ」
「って、何だっけ。アリスだっけ?」
「ああ」
 鳴海先輩はためらいなく答えた。
 大槻さんは合点がいったような、いってないような曖昧な表情をした。
「どんなキャラか浮かばないけど……ってことは雛子ちゃんがアリス役?」
「いいえ、私はハートの女王でした」
 私が首を横に振ると、大槻さんが苦笑する。
「そ、そうなんだ。君、シンデレラの時もそういう役回りじゃなかった?」
「プリンセスという柄ではないと思ってますから」
 澄まして答えてはみたものの、本心は少し違う。当時の私は意地悪な義姉や女王といった、言わば大人の女性に憧れていたのだ。悪女を演じることで年齢以上に大人びて見えたら、またそういう雰囲気を得ることができたらという思惑がなくもなかった。それもこれもひとえに、年上の人を好きになっていたからに他ならない。
 当の年上の人は、どうにかしてこの話題から脱したいと心算を巡らせているようだ。いつの間にやら沈思黙考に耽っている。
「確かに、可愛い感じのコスプレはちょっと違うかもね」
 大槻さんはじっと私を見て、一人でしきりに頷いている。
「あ、雛子ちゃんが可愛くないってわけじゃないよ。たださ、ひらひらした女の子っぽい衣裳よりはもっとこう……大人っぽいのが合うと思うな。雛子ちゃんの魅力、元からある恵まれた素質を生かすような!」
 恵まれた素質、とは一体何のことだろう。
 そもそも私には仮装に当たって、絶対に外せない眼鏡というハンディキャップがある。何を着るにしても、眼鏡の似合う仮装なんてなかなかない。
「ねえ鳴海くん。雛子ちゃんは大人っぽい衣裳の方が似合うよね?」
 大槻さんが話を振ると、鳴海先輩は思索をやめて、真剣な目で私を見つめてきた。
 恥ずかしさに私が俯くと、先輩は微かに笑ってから答える。
「そうだな」
 肯定された。
 そう言うからには私も、先輩の目から見たら大人っぽくなったということだろうか。既に二十歳になっている私にとって、歳相応の落ち着きと魅力を得ることは目標であり急務でもある。いつまで経っても年上の人である先輩が、私が大人になったと思ってくれているのであれば、何より嬉しい。
「だよね! やっぱバニーガールとかミニスカ婦警とかナースとかいいよね!」
 大槻さんの語る大人っぽさは、正直なところ私の理想とはかけ離れていたけど。
 そしてもちろん、鳴海先輩にとっても。
「よくない」
 先輩は大槻さんの言葉を一蹴すると、にわかに眉を顰めた。
「雛子にそういう仮装をさせる気であれば尚のことお断りだ」
「えっ、鳴海くんは見たくないの? 雛子ちゃんのバニーガール」
「衆目に晒したくない」
「見たくなくはないんだね」
「とにかく、駄目だ。これ以上は頼んでも無駄だ」
 そう言い放ち、鳴海先輩は席を立とうとする。
「ま、待って! さすがにうちでもバニーとかは用意してないから!」
 当然、大槻さんは慌てて引き留めにかかる。
「予算とかあるし、ぶっちゃけベタな衣裳しか用意してないんだよね。女子用はほとんど元ネタ丸わかりのドレスばっかだし……でも既に揃ってるから、君らは本当着るだけだから。ね、雛子ちゃんはドレス着てみたくない?」
 ドレスという単語は私の心に響いた。
 物語を愛し、とかくロマンチックな海外児童文学を愛する者として、ドレスとは一度ならず二度三度と来てみたい夢の衣裳である。かつて私はハートの女王やシンデレラの義姉アナスタシアの仮装をしたけれど、その時に身にまとったドレスは間に合わせの素材をかき集めただけのものだった。上は安物のサテンブラウス、下は手持ちにたまたまあったシフォンスカートという組み合わせで、はっきり言ってしまうとドレスとは呼べない代物だ。もっとも高校生の財力ではその程度が限界であり、それでも私達は十分に仮装を楽しむことができた。
 ならば、ドレスを着たらもっと仮装を楽しむことができるのではないだろうか。
「どんなドレスがあるんですか?」
 私はすかさず食いついた。
 すると大槻さんも嬉しそうに顔を輝かせる。
「俺もじっくりは見てないんだけどさ、有名どころは揃えたって。魔女にシンデレラ、人魚姫に白雪姫――」
「いっぱいあるんですね。ちょっと見てみたいかも……」
 俄然興味が湧いてきた私は、鳴海先輩の顔を窺う。
 先輩は仏頂面で視線を返してきた。
「着たいのか」
「はい、ドレスはやはり女の子の夢と希望です」
「仕方ないな。お前がどうしてもというなら、協力してやってもいい」
「えっ」
 思わず戸惑いの声を上げてしまうほど、いともたやすく了解された。
 先程までのすげない態度は一体何だったのだろう。私のみならず大槻さんも困惑したようだ。
「君の手のひら返しっぷりもすごいね、鳴海くん」
「雛子が着たいというからその望みを叶えてやるまでのことだ」
「君が見たい、の間違いだろ」
 からかわれるように言われて、鳴海先輩は否定も肯定もしなかった。
 かくして私と鳴海先輩は、大槻さんに釣り上げられるが如くハロウィン初参戦を決めたのだった。
 先輩は仮装そのものには乗り気ではないようだったけど、大槻さんのことだ、きっと上手く乗せてくれることだろう。その時は私が写真を撮り、澄江さんのところへ送って差し上げようと思う。アルバムに加えるべき写真がまた一枚増えそうで、それもとても楽しみだった。

 ハロウィン当日の正午頃、私と鳴海先輩は大学のクラブハウス前で大槻さんと落ち合った。
 大槻さんは約束の時間より五分遅れて現れた。
「ごめんごめん! 準備に手間取っちゃってさ!」
 ただしその姿は、とうにいつもの大槻さんではなかった。
 くるくるとパーマがかった焦げ茶色のウィッグを被っている。くすんだ青のマントを羽織り、その下には白シャツと臙脂色のベストを着ている。チャコールグレーのズボンはふくらはぎ丈で、足元は裸足にスニーカーだ。
 そして胸元には、チェーンに通した指輪が鈍く光っていた。
 すぐにテーマはわかった。ただ裸足ではないのが惜しい。足の裏にはびっしり毛が生えているようでなければ――というのは、さすがに仮装で求める要素ではないだろうか。
「いち早く仮装しててごめんね。俺だってわからなかったんじゃない?」
 大槻さんの屈託のない笑顔は、その仮装と実によく似合っていた。
「口を開けばすぐわかる」
 鳴海先輩はそう応じた後、大槻さんをしげしげと眺める。そして尋ねた。
「これは、指輪物語か?」
「それそれ。俺が知ってんのは映画の方だけど」
 答えた大槻さんはちょっと複雑そうに肩を竦める。
「俺はイケメンエルフがやりたかったのに、あれよあれよという間にホビット役に回されちゃって」
 男性にしては小柄な大槻さんは、私と身長差が三センチあるかどうかというところだ。鳴海先輩とは十五センチ近く離れている。
 何となく『似合ってますよ』とは言いづらい雰囲気だった。
「なるほど、よく似合うな」
 鳴海先輩は遠慮をしないどころか、笑いを堪えながらそう言った。
「そこで笑います!?」
 もちろん大槻さんは心外そうに目を剥いて、
「いいよいいよ、君にもとびきり似合う仮装を用意してるから!」
 と言うなり、鳴海先輩の腕を取って引っ張り始める。
「待て、俺は仮装をするとは言ってない」
「じゃあ何しに来たんだよ。彼女の付き添いだけなんて許さないよ!」
「ならせめて、無難で目立たない衣裳にしてくれ」
「どうだかねえ」
 大槻さんの口元には悪戯っ子のような笑みが浮かんでいる。
「雛子ちゃんも行こ。君にはきれいなドレスがいっぱいあるから、好きなの選んでいいよ」
「ありがとうございます、楽しみです」
「俺にも選ぶ権利があるはずだ、違うか大槻」
 クラブハウスに向かって歩き出しながら、鳴海先輩は不安そうに確かめた。
 ところが大槻さんは至って明るく、
「鳴海くんにはありません! なぜかっつうと男子用の衣裳は種類が少ないからです!」
「それは聞いてないぞ!」
「言ってないからね。まあ心配すんなって、悪いようにはしないから」
 何だか随分楽しげに、鳴海先輩を引っ張っていく。

 私はそんな二人を追い駆けつつ、鳴海先輩にとびきり似合う仮装とは何か、密かに期待を寄せていた。
 先輩なら何でも似合うだろう。だけどせっかくだから、普段は見られない先輩を見てみたい。
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