Tiny garden

夜をくぐる(3)

 雛子が作ったカレーは、食堂などで食べるものとはまた違う味がした。
 スパイスはやや弱めでそれほど辛くなく、あっさりとした味わいだった。具は大きめに切られており、食べ応えがあった。外で食べるカレーは具材が小さく、口に入れるとすぐに溶けてしまうことが多い。だから少し新鮮に感じた。
「お味は、どうですか」
 俺が二口目まで食べたところで、雛子がおずおずと尋ねてきた。彼女はまだ自分のカレーに手をつけておらず、俺の感想を強張る表情で待ち構えている。
「美味い。こんなカレーは食べたことがない」
 素直に答えると、彼女は胸を撫で下ろしてみせた。
「よかった……。先輩の口に合うかどうか、不安だったんです」
 それから銀色のスプーンを持ち直し、自らも食べ始めながら俺にも勧めてきた。
「お替わりもありますから、どんどん食べてくださいね、先輩」
 彼女の家の居間のテーブルは、二人分の食器だけを並べるには広すぎた。二人でいてもなお静かな家の中が、夕食時だからといって賑わうこともなかった。だがそれでも不思議と物寂しさはなく、無心になってカレーを食べる俺を、雛子がちらちらと眺めては時々くすっと笑う。
「なぜ笑う」
 気になって俺が問うと、雛子は眼鏡の奥の目を細める。
「だって嬉しいんです。私の作ったご飯を、先輩が美味しそうに食べてくれて」
「本当に美味いからな」
 家庭の味としてのカレーは生まれて初めて食べた。外食のカレーは味つけが濃く、一杯食べればもう十分というものが多いが、これならお替わりをいただこうかという気分にもなる。国民食だと持て囃される理由がわかったようで、得心した。
「先輩にそんなふうに言ってもらえるなんて……」
 雛子はいたく感激した様子で呟いた。
 直後、愉快そうに瞳を輝かせて続けた。
「ところで先輩、このカレーには隠し味を入れたんですけど、何が入ってるかわかります?」
「隠し味なんだから、隠れていなければ意味がないだろう」
 俺はそう言い返したが、雛子は『当ててみてください』と言わんばかりに黙って微笑んでいる。
 そこで俺はもう残り少なくなった自分の皿からカレーだけを掬い、味を確かめるように口に含んだ。しかし隠れているものの味など探り当てられるはずもなく、首を傾げるしかなかった。
「わからない」
 早々に降参した俺に対し、彼女は楽しげに答えた。
「実は、チョコレートが入ってるんです」
「チョコレート? カレーにか?」
 驚いて皿を見下ろしたが、隠し味が目に見えて残っているはずもなく、全くわからなかった。確かに言われてみれば色合いは似ているようだが、味わいはまるで正反対だ。
 雛子は俺の驚きも予想していたというように、ゆっくりと頷いた。
「はい。先輩なら驚いてくれるだろうと思いました」
「それは驚くに決まっている。想像もつかなかった」
「でもカレーにチョコレートって、結構ポピュラーな隠し味なんですよ」
「知らなかった。それでなぜこんなに美味くなるんだろうな」
 俺が疑問を口にすると、彼女もそれはわからなかったのか、悩ましげに眉根を寄せていた。
「どうして、でしょうね。わかりませんけど、美味しいからいいんです」
「わからないのに隠し味として入れているのか」
「そうです。あ、もしかしたら、美味しい物同士だからなのかもしれないですね」
「それはないな」
 まるで子供のような理屈を言う。料理がそんな単純な足し算でできているはずもないから、恐らく何か説明のつく理由があるのだろう。俺もチョコレートは好きだが、こうして完全に溶けてしまってはその味を探し当てることができない。そのことだ何だか妙に悔しい。
 ――チョコレートの味、しませんか?
 不意に、かつて聞いた彼女の声を思い出した。
 そして思い出してしまったことにいくらかの動揺を覚えた。食事時に考えていいことではない。
 だが甘い物が苦手だった俺がチョコレートを好んで食べるようになったのは、彼女の言葉がきっかけだった。チョコレートが完全に溶けて、味がわからなくなっているのはあの時と同じで、その符合は暗示的だと思う。
 俺は差し向かいに座る雛子に、それとなく目をやった。
 彼女は俺の反応に満足したのか、今は熱心にカレーを食べ続けている。銀色のスプーンを咥える唇は艶のある桜色をしていた。よく食べる割にとても小さな、可愛らしい口をしている。
 こちらの視線に、程なくして彼女が気づいた。
「お替わりですか、先輩」
「いや……ああ、そうだな。貰えるか」
 慌てて皿を空にすると、彼女はにっこり笑って立ち上がる。すぐに皿を持って台所へ行き、お替わりを持ってきてくれた。
「ありがとう」
「いいえ。来てもらったお礼に、たくさん食べてください」
 雛子はそう言ってから、あ、と軽く口を開けた。すぐさま続ける。
「ところで先輩、お風呂はどうします? 入っていきますよね?」
「借りてもいいのか?」
 俺は聞き返した。外を歩いてきた時に汗を掻いたので、できれば軽く流しておきたいところだったが、他人の家の風呂場を借りるのも実は初めてで抵抗があった。貸したことならあるが。
「もちろんいいですよ」
 頷いた雛子は、その後で遠慮がちに言い添えてきた。
「お湯張った方がいいですか? 我が家では暑いうちは大体シャワーで済ませるんですけど」
「俺もそうだ。そちらの都合に合わせよう」
「わかりました」
 そういえば、歯ブラシこそ持ってきたがシャンプーや石鹸の類は忘れてきてしまった。あとで雛子に打ち明けて、何か借りなくてはならない。
 俺が二杯目のカレーを食べながら思案を巡らせていると、今度は雛子が俺をじっくりと見つめてきた。
 その視線に気づいて軽く目を瞠れば、彼女はなぜかうろたえ、萎縮したように首を竦める。そしてぼそりと切り出した。
「あ……あの、先輩」
「何だ、どうした」
「……一緒に、入ります?」
 雛子が発したのは、こちらの胸を抉じ開けて心臓の中心に爆弾を投げ込むような一言だった。
 当然、すぐに爆発した。閃光が瞼の裏に走り、爆風が胸の奥に吹き荒れると、あまりの衝撃に声を発するどころか瞬きもできなくなった。固まる俺の前では、赤くなった頬に手を当てた彼女が言い訳を始める。
「い、言ってみただけです。その方があの、新婚さんみたいかなって……思って……」
 思いつきだけでとんでもない、大それたことを言うものだ。
 からかわれているのかとも思ったが、彼女の表情に嘘の気配は見えなかった。お蔭でこちらとしても出方に迷う。嫌かどうかと聞かれれば無論、嫌ではない。今更恥ずかしがるような間柄でもない。だが自分の部屋ならいざ知らず、他人の家でそういうことをするのは狼藉を働くようで抵抗があった。
「お前の家でそういうことはさすがにな」
 俺がやんわりと諌めれば、雛子も俺の答えを予期していたのか、真っ赤になったまま頭を下げた。
「そうですよね、すみません。変なこと言って」
「いや、変と言うほどではない。気にするな」
 どうせなら俺の部屋にいる時に言えばいいものを。そう思ったが、今は口に出さないでおいた。
 そのうち試してみることにしよう。

 食事の後、俺は彼女の家の風呂場を借りた。
 ついでにシャンプーなども借り受けたので、風呂から上がった俺の髪は雛子と同じように甘く、女らしい香りをまとっていた。
「俺の頭がこんなにいい匂いになったことが、これまであっただろうか……」
 呆然と呟く俺を、同じく風呂上がりの雛子が笑いながら見ている。
「このシャンプー、お気に入りなんです。香りがいいですよね」
 髪を乾かした彼女は例によって水色のパジャマを着ていた。去年、旅先で見たものとはまた違う、白い水玉模様のパジャマだった。彼女の寝間着は押し並べて水色をしているのかもしれない。
 既に階下の電気を消し、明かりが点っているのは俺達がいる雛子の部屋だけだ。水色のカーテンを引いた窓の向こうには青みがかった夜空が広がっているはずだった。時刻は午後十時を回ったばかり、お互いに寝つくには少し早い時分だった。
 フローリングの床に座る俺の隣、ぴったりと寄り添うように彼女も座っている。自分の髪と同じ香りがする俺の髪が物珍しいのか、ふと膝立ちになって匂いを嗅ぎに来た。転ばないようにそっと、俺の肩に手を置いている。
「これだと先輩、誰か女の人からシャンプーを借りたってばれちゃいますね」
 そうして俺の頭上で彼女が面白がるので、俺は溜息をつきながら答える。
「ばれてまずい相手はいない。知り合いに会っても、多少気恥ずかしいだけだ」
「もちろんそうでしょうけど……あっ」
 言葉の途中で、俺は彼女の腰を掴んで抱き寄せた。あっさりとバランスを崩した彼女が、俺の膝の上にすんなり収まる。
 雛子は俺を見上げ、どことなく困ったように眉尻を下げた。
 彼女がこういう時に見せる、この困り顔が好きだ。普段なら瑣末なことで困らせたり悩ませたりはしたくないと思うのに、こういう局面でのみ困らせたい欲が生じるのが奇妙だ。
「気が早いか」
 俺は尋ねた。まだ寝るには早い時間だというのに、もう寝るつもりになるほど焦れた気分だった。
 雛子は目を逸らしながらも首を振る。
「いいえ、そんなことは……電気消しましょうか」
「俺はどちらでもいい」
「消したいです、私は。恥ずかしいですから」
 強硬に主張した後、雛子は有無を言わせず部屋の明かりを消した。
 たちまち部屋の中は暗くなったが、カーテンの隙間から漏れる月光のおかげで全く見えないというほどではなかった。薄闇の中、俺達は手探りでベッドまで辿り着くと、そのままもつれ合うように潜り込んだ。その際、彼女を壁際に押し込むことも忘れなかった。
「あ、先輩。私がそっちでいいですよ」
 壁に押しつけられた雛子がそう言ったが、俺はあえて場所を変わらなかった。
「これでいい。狭くないか?」
「せ、狭いって言うか……すごくくっついちゃってますね」
「そうだな」
 湯上がりの彼女は体温が高く、抱き締めていると温かかった。
「私の部屋に、先輩が一緒にいるなんて……」
 暗くても表情がわかるほど、彼女の顔が近くにある。まだ眼鏡をかけている。レンズの向こうで黒い瞳が濡れたように光っていた。
「これからは部屋で寝る度に、先輩のことを思い出しそうです」
 艶のある唇が動いてそんなことを呟く。
 俺はそこに口づけながら応じた。
「なら、俺も同じだ。あの部屋で寝る時、よくお前のことを考える」
 一人の夜が寂しいと思ったことはないはずだった。既に一人暮らしを始めて二年半になろうとしていたし、実家での生活も孤独で、ずっと独りぼっちでいたようなものだ。
 だが俺の部屋を雛子が訪ねてきて、そして帰ってしまった後で、どこにもぶつけようのない切なさを覚えることがあった。寝具に彼女の体温が残っているような気がして、抱きかかえて眠りに就いたのも一度や二度ではない。しかもそういう気持ちは帰る彼女を見送った直後ではなく、一人の夜が更けてしまった後で思い出したように湧き上がる。上手い具合に寝入って、明るい朝を迎えてしまえばなくなってしまう衝動だったが、それは消えてしまうのではなく、一時忘れてしまうだけに過ぎないのだろう。
 改めて考えると俺は、一人の夜を寂しがる雛子のことを笑えなかった。
「先輩は、私がいないと寂しいですか?」
 雛子が俺の頬に手を添えて、気遣わしげに尋ねた。
「何を聞く、当たり前だ」
 彼女のいない日常がもはや考えられないほどだ。失うことなど考えられない。
 そして今日のように、普段よりも濃密に二人の時間を過ごすと、遠い未来を夢見る気持ちが募り出す。
「今日のように……お前と二人で暮らせる日が、早く訪れればいいのにな」
 そう言うと、俺はベッドの中で彼女を強く抱き締めた。今日の出来事を思い出すだけで幸せで、たまらなく幸せで、込み上げるいとおしさに胸が潰れそうだった。このままいっそ、俺の部屋まで彼女を連れて帰りたい。昼夜を問わず共にいられる時間を、未来と言わず明日からでもすぐに始めたい。
 軽く息をついた雛子が、俺の腕の中で答える。
「本当ですね。私も早く、そういう日が来て欲しいです」
 しかし一つだけ、そんな未来に対する気がかりがある。
「もしそれが叶ったら、雛子、俺が堕落しないように見張っていてくれ」
 俺は雛子の背を撫でながら、湧き起こる衝動とは正反対の頼みを口にした。
「堕落……? 先輩がですか?」
「そうだ。日がな一日お前といたら、俺はお前に溺れてしまいそうな気がする」
 俺は彼女をいとおしく、とても大切に思っているが、だからこそ自らの欲求にも逆らえない。雛子に対して愛情をもって接する時、同時に込み上げる性欲を切り離して考えることができない。彼女が傍にいればそれだけで満ち足りていて幸せだと思うのに、同時に彼女が欲しくてたまらなくなる。一見矛盾しているようで実は普遍的な愛情を、俺はこれからも抱え続けていくのだろう。
 だからせめて、堕落したと言われない程度に規律正しい生活を送らなくてはなるまい。
「堕落する先輩なんて想像もつきません。そんなこと、あるんですか?」
 雛子は俺を上目遣いに見て、笑い声を立てた。眼差しは絡めとるように俺を捉えている。単に大人びているだけではない、色気のある表情に期待が高まり、背筋が震えた。
「十分にあり得る。今の俺を見てもそう思わないか?」
「いいえ。先輩は私を、一心に愛してくれているんだって思います」
 こちらの問いかけをきっぱりと否定して、それから彼女は囁き声で続ける。
「私は、先輩が私に溺れてくれた方がずっと嬉しいです」
 紅茶に砂糖を一匙投じたような、甘くかすれた声だった。
 彼女は時々、とんでもない言葉を口にする。そういう言葉を聞くともう駄目だった。
 あっさりと、溺れてしまった。

「……じゃあ先輩は、二日目のカレーも食べたことがないんですか?」
「ああ、ないな」
「カレーは二日目の方が美味しいんですよ。どうしてかはわからないんですけど」
「チョコレートと同じか。わからないものを信奉しているなんて面白いな」
「きっと熟成されるんだと思います、何かが。明日の朝、食べていきます?」
「是非食べてみたい。今日の時点で既に美味かったからな」
 今日とは言ったものの、いつの間にかとうに日付は変わっていた。
 シングルサイズのベッドに横たわった俺達は、余韻に浸るようにとりとめのない会話を交わしていた。あまり実のある内容ではなかったが、そういうやり取りが涼風のように疲れた心身に心地よかった。
 彼女を欲して溺れてしまった後は、いつも反動のように静かな時間が訪れた。先程までの激情が嘘のように心が凪ぎ、食事の後のような充足感に満ちている。雛子もまた屈託のない微笑を浮かべており、先程とはまるで別人のようだと思う。
「じゃあ目が覚めたらご飯を炊きます」
 雛子は身体ごとこちらを向いて、潤んだ瞳で俺を見つめている。眼鏡を外して枕元に置いたのは、あとはもう寝るだけだからだろう。明かりのない部屋の中でも彼女の肌の白さは目に眩しかった。寒そうにしたら布団をかけてやろうと思うのだが、今のところはまだ必要なさそうだ。
「先輩は明日、何時までいられるんですか?」
「明日か……。実は船津さんのところに顔を出すことになっている」
「あ、もしかしてバイトの呼び出しですか」
「そうだ、運悪く捕まってしまった。だから朝のうちに帰る」
 正直に答えると彼女は残念そうにしたが、それでもすぐに笑顔に戻った。
「忙しいのに来てくれて、本当にありがとうございます、先輩」
「気にしなくていい。本音を言えば俺も、もう少し一緒にいたい」
 秋になると大槻は忙しいし、かといって俺が断れば船津さんは雛子に声をかけかねない。それでやむなく引き受けた。もうじき俺も忙しくなるから、頼みが聞けるのも今のうちだけだ。
「俺と大槻が就活にかかりきりになったら、あの店はどうなるんだろうな」
 溜息混じりにぼやくと、雛子はおかしそうに笑った。
「その時は有島くんを雇うって言ってましたよ」
「有島を? あいつはアルバイト禁止じゃないのか」
「大学に入ったらお店を手伝うって約束させられてるそうです」
 雛子はそう言ってから、手のひらで俺の胸に触れてきた。温い感触が肌に溶けていくようだった。
「有島くん、推薦に挑戦するんだって言ってました。先輩と同じですね」
「……あいつ、どこを受けるんだ」
 まさかと思って尋ねると、雛子は俺が知らなかったことに目を見開き、また笑う。
「来年の春が楽しみですね。もっと賑やかになりそうですよ、先輩」
 やはりか。賑やかと言っていいのか、騒々しくなりそうだと言うべきか。
 そういえば東高校の文化祭ももうじきだ。有島と荒牧は今年、文芸部で何をするのだろう。去年のように仮装に加担しようとは思わないが、見に行ってやるくらいはいいかもしれない。
「なあ、雛子」
 俺がそのことを切り出そうとした時、目の前の雛子がまどろみ始めているのに気づいた。
 起こすまいと口を噤めば、かろうじて聞こえてしまったのか、彼女が慌てたように目を擦る。
「あ……何ですか、先輩」
「いや、何でもない。眠いなら寝てしまうといい」
「でも先輩が……せっかく……」
「いいから。我慢してまで起きているものじゃない」
 俺が促すと、雛子はとろとろと幸福そうに瞼を下ろした。
 程なくして安らかな寝息が聞こえてくる。彼女の寝顔は起きている時よりもあどけなく、見つめているこちらの心が和むようだった。少し前までは困らせたいとすら思っていた相手に、今は穏やかで幸福な眠りを祈りたくなるから本当に、奇妙なものだ。
 そして今夜はとても、いい夜だった。
 俺は布団を引き上げて彼女の肩口を包むと、自らもその中に潜り込んだ。
 そして一人用の枕を分け合うようにして身体を並べると、しばらく彼女の寝顔を見つめてから眠りに就いた。

 翌朝、俺は二日目のカレーをごちそうになった。
 雛子の言っていた通り、二日目のカレーは初日のものよりも美味さが増しているようだった。俺は彼女の手料理を堪能し、そして朝のうちに彼女の家を出た。
「先輩、ありがとうございました。お気をつけて」
 近所の目もあるだろうから見送りはいいと言ったのだが、雛子は玄関先に立って俺を見送ってくれた。俺が一度だけ振り返ると、小さく手を振ってくれた。
 俺も手を振り、それから一人で帰途に着く。
 九月下旬、まだ小鳥がさえずる朝の時分。少しだけ肌寒く思えるのは秋だからではなく、夜すがら彼女の温かさに触れていたからかもしれない。
 一人で帰っていくことに寂しさがないわけではない。
 だが二人でくぐった夜の記憶と、ほのかなシャンプーの香りとが、俺をしばらくの間、自然と微笑ませてくれた。
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