Tiny garden

美しい装丁(1)

 古書店の店主、と一言だけ聞かされたら、はたしてどんな人物を想像するものだろう。
 鳴海先輩と大槻さんはアルバイト先である『古本の船津』を初めて訪ねた際、面識のない店長さんがどんな人か当てっこをすることにしたらしい。先輩は枯れかけた容貌の、気難しげな初老の男性を想像し、大槻さんは眼鏡をかけた若くてスタイルのいい女性を思い浮かべたという。先輩は自らの想像を『ステレオタイプだ』と苦笑気味に評していたし、大槻さんも『最近の流行はこの線だと思ってた』と今となっては話している。
 私だったら――もし何の前情報もなしに古書店の店主というキーワードだけで想像するなら、やはりお二人と同じように考えたかもしれない。職業の域を超えて古書を蒐集するビブリオマニアな店主、というのが古書店経営者に対する勝手なイメージとしてあったから、何となく浮世離れした人物のような気がしていた。気難しげな老人も若く美しい女性も、浮世を離れて古書の森にて隠棲するイメージにはしっくりと合う。
 だけど事実は小説より、想像より奇なり。
 初めて顔を合わせた店主の船津さんは、私が古書店店主という言葉からは想像しないタイプの人だった。

「お、君が雛子ちゃん? へえ、聞いてた以上に可愛いなあ」
 船津さんはまるで親戚の子を見るような遠慮のなさで、初対面の私をじっくりと眺めてきた。
「初めまして。私も先輩や大槻さんから、お話は以前から聞いていました」
 私は苦笑しながらも、確かにこのビジュアルは予想外だと、失礼ながら思ってしまう。
 まず金髪。目の覚めるような金髪は最近染め直したばかりらしく、根元から毛先まで見事なまでに金色だ。もっとも眉毛は真っ黒なのが少し気になる。この髪色の時点で浮世離れしているようには全く見えなかった。
 それから、夏だからなのかもしれないけどタンクトップにハーフパンツといういでたちも予想外だった。その上から少し汚れたエプロンを身にまとっている。足元はなんとビーチサンダルで、古書店というよりは海の家が似合いそうだった。
 鳴海先輩が言うにはまだ二十代後半だとのことだったけど、顎にごま塩のように散見される無精髭のせいでもう少しばかり年上に映った。先輩が以前言っていた『だらしのない人』という評価はこの髭についてのことなのかなと思う。
 何にせよ年上の、それもこれから雇ってもらおうという相手に対して見た目でどうこう言うのは失礼かもしれない。ただ私の十八年と九ヶ月の人生において金髪の方との接点なんてほとんどなかった為、どう接していいのか掴めないというのが正直なところだ。一体どういった理由があって、ここまで見事な金髪にしているんだろう。
「女の子のバイトなんて雇うの初めてだから、どきどきしちゃうぜ。雛子ちゃんはどう?」
 船津さんが尋ねてきたので、私は正直に答えた。
「私も緊張してますけど、雇っていただくからには精一杯頑張ります」
「緊張なんかしなくていいって。俺、美人は甘やかしちゃう方だからな」
「いえ、お気遣いなく。先輩がたと同じように働かせてください」
 見た目もそうだけど、言動もまた何と言うか軽そうな人だ。先輩が私の紹介を渋った理由がようやくわかった。
「お前も隅に置けねえよなあ。こんな子と付き合ってたら、毎日が薔薇色だろ」
 そう言って、船津さんはにやにやと鳴海先輩をつつく。
 つつかれた先輩はものすごく迷惑そうな顔をした。
「そういうからかいはやめてください」
「お、図星? 一緒に大学通って一緒にバイトして、もう幸せで幸せでしょうがねえってか?」
「ですからやめてください。正直に言えば言ったでからかわれるのも目に見えてますし」
「そりゃもう言ったようなもんじゃねえか。惚気やがってこの野郎」
「惚気てません!」
 先輩は強く否定したものの、船津さんは全く聞いていないようだ。反応に困る私を興味深げな目で見ながら、にまっと笑った。
「しかし、いいよなあ女子大生。ぴっちぴちに若さが漲ってるよな。見るからに美味そうだ」
 まるで魚みたいな言われようだ。私が思わず目を瞬かせていると、鳴海先輩は庇うように私の前に立ち、一層きつく船津さんを睨んだ。
「おかしなことを言わないでください」
「いやわかってる。食べない、絶対食べないって」
「当たり前です!」
 先輩の怒声に私も深く頷く。当たり前です。
 そもそも女子大生や女子高生であることを一種のステータスみたいに評されるのは違和感がある。若い学生であるということが、何か私の外見にプラスの印象を与えてくれているものなのだろうか。よくある評価の仕方であることもわかっているけど、大学生となった今でもいまいちぴんと来ない。
 とは言え私が船津さんの外見にあれこれ思ったのと同様に、船津さんも私に思うところでもあったのかもしれない。女の子を雇うのは初めてだというから、軽口の裏で、案外と扱いに戸惑っている可能性だってあるだろう。
 それなら少しは使い物になるところを見せなくてはならない。
「その辺にしときましょうよ、船津さん。現時点で既に大分セクハラっすよ」
 大槻さんが呆れたように口を挟むと、船津さんは首を竦めた。
「けど、女子大生の若さをじっくり観察するくらいはいいだろ?」
「よくないっす」
「そう言うなって。何せうちの店に来る若い女の子と来たら、他には荒牧ちゃんくらいのもんなんだから」
 この古書店は有島くんの行きつけの店であるというのは以前も聞いた通りだったけど、荒牧さんもよく、有島くんと一緒に足を運んでいるらしいと最近聞いた。ちなみにここへ来る前、二人に船津さんの印象を聞いてみたところ、有島くんは『古本という地層からひょっこり顔を出した地底人のような人』と言い、荒牧さんは『チェシャ猫みたいな方です』と言っていた。
 地底人についてはよく知らないから確かめようもないけど、チェシャ猫は――何となく、わからなくもないかも。
 それに二人とも口を揃えて、悪い人ではないと言っていた。
「荒牧ちゃんって?」
 大槻さんが怪訝そうにしたので、私はすぐに答えた。
「私の後輩です。文芸部の」
「へえ、東の子か。あ、去年の夏に彼氏連れで来てた子かな。ほっそりしてて小柄な……」
「そうだ」
 鳴海先輩が頷く。
 どうやら先輩と大槻さんは、この店で荒牧さんと有島くんを見かけたことがあるようだ。それほど都会ではないとは言え、つくづく世間は狭いものだと思う。
 後輩たちの通う店で、先輩がたのアルバイト先で、私も今年、初めてのバイトをする。

 船津さんは、仕事内容については大まかにしか説明しなかった。
「わかんねえことあったら鳴海か大槻に聞けばいいし、俺から言うこともねえだろ」
 あっけらかんと言い切ってから鳴海先輩に目をやり、
「いざとなったら彼氏が手取り足取り教えてくれるだろうしな」
 さながらチェシャ猫のように笑いながら言ったので、鳴海先輩は深く息をつく。
「あとは……そうだ。雛子ちゃん、有島のこと知ってんだろ?」
 話の途中で思い出したように問われて、私は頷いた。
「はい」
「じゃあ在庫の中にあいつ好みっぽい本見つけたら、よけといて。店に来た時に売りつけるから」
 有島くん好みの本がどんなものかも私はよく知っている。地底人とか、UFOとか、透明人間とか、そういうオカルトチックな読み物の類を彼はこよなく愛していた。私が思わず笑いを堪えると、船津さんもどこか楽しげに笑った。
「あいつ、うちの上客なんだよ。だから好きそうなの見つけたら、取っといてやってんだ」
 悪い人ではないという後輩たちの言葉は間違いではなさそうだと、その時ちょっと思った。
 ただ悪い人ではなさそうなものの、船津さんはその後すぐに『ちょっと出てくる』と言って店を出て行ってしまい――私は鳴海先輩と大槻さんが開店作業をこなすのを手伝い、結局三人でお店を開けた。
「あとはもう、俺らの上がりの時間まで戻ってこないよ」
 大槻さんが乾いた笑い声を立てたので、私は驚いた。
「そうなんですか? だって、店長さんですよね?」
「そうなんだけどね。どっか行っちゃうんだよいっつも。俺らに仕事任せて」
「はあ……何だかすごい営業形態ですね」
「羨ましいよね。俺も就職ってか、こういう店やれるようになりたいなあ」
 鳴海先輩と同様に就職活動を控えた大槻さんは、船津さんのお仕事ぶりに心から羨ましそうにしていた。
 私だったらこんなに本だらけの職場、片時も離れないで嬉々として勤め上げるのに。何度か足を運んだことはあったけど、古書店の中には古い紙とインクの匂いが漂っていて、甘くすら感じるその香りが心地いい。本がいっぱいに詰め込まれた棚を見ていると、興味のないジャンルにさえ心がときめいて背表紙の一つ一つを眺めて歩きたくなる。ただ季節は七月下旬、夏の盛りとあって、風通しのいい店内でも少し身体を動かすと汗が滲み出てくるのが厄介だった。私は久々に髪を結び、この日の為に買ってきたエプロンを身に着けて勤労に臨んだ。デニムのエプロンにしたのは先輩がたと合わせるつもりだったからだ。
「仕事を教える。こっちに来てくれ」
 開店後、鳴海先輩は店内の整理と店番を大槻さんに任せ、私を店の奥へと誘った。
 そこはどう見ても普通の住宅の居間で、テーブルやらテレビやらが置かれた生活感に何となくどきりとしたけど、靴を脱いで畳敷きの床に上がり込むと、居間の隅に積み重ねられた古本の山が視界に飛び込んできた。ダンボールから溢れ出ているもの、まだ紙紐で縛られたままのもの、プラスチックのケースに雑然と並べられているものなど置き方は様々だったけど、これらは全てこの店の在庫であるらしい。置き場所がないのでこうして住居スペースに保管しているのだそうだ。
「これが現在確認を済ませていない在庫だ」
 先輩は慣れきっているのか、どこか事務的な口調で言った。
「大まかな手順はこうだ。これらを一冊ずつ検め、タイトルや著者名、価格や出版社などのデータを書きとめ、NDCに則って整理をする。整理を終えたものは店内の本棚の空きを確認しつつ、店に出す」
「わかりました」
 作業自体はそれほど難しくなかった。普段本を読む時にもタイトルや著者名などの情報は当然確認するものだし、図書館にはよく足を運んでいるからNDCもいくらか覚えている。興味のあるジャンルだけだったりもするけど――いい機会だから、日頃読まないような本の区分も覚えておこうと思いながらデータを書きとめた。
 ただ、在庫の数が多かった。鳴海先輩曰く、この居間にある分は在庫のまだほんの一部であって、ここから二階に続く階段部分、あるいは二階にある船津さんの私室にも置かれている場合が多々あるらしい。おかげで午前中のうちはあまり捗らず、昼休憩を挟んで午後からも在庫の整理に追われることになりそうだった。
 それでも挫けずにいられたのは、先輩が一緒だったからだ。
 鳴海先輩は本のデータを書きとめる私の手元を覗き込んでは記入漏れがないかを確かめ、誤りがあればすかさず指摘してくれた。
「著者名が間違っている。ここはさんずいではなく、にすいだ」
「あ、本当だ……すみません。直しました」
「それからこのタイトル。副題まで漏らさず書き写してくれ」
「わかりました」
 きびきびと的確に教えてくれる先輩は実に頼もしい。私も生まれて初めてのアルバイトということでやはり少しは緊張していたけど、こうして鳴海先輩に丁寧に教えてもらえるのはすごく幸せだと思う。
 そんな思いが顔に、主に緩む口元に表れていたんだろう。作業の途中で先輩が、ふっと軽く笑った。
「あまり楽しそうにするな。勤務中だぞ」
「すみません、つい」
 私がはにかむと、先輩も在庫を書きとめながら視線を上げずに照れ笑いを浮かべる。
「気持はわからなくもない。俺もお前がいると楽しいからな」
「本当ですか?」
「ああ。船津さんはうるさいが、それでもお前がいるのはいい」
 そう言ってもらえて私も嬉しい。できればバイト仲間としても『いてよかった』と思われたいところだ。
 データを書きとめた本は分類に沿って、プラスチックのケースに収めておく。こうして分類ごとにまとめておくと、後で店へ出す時にわかりやすくていいとのことだった。
 私が何十冊目かの本をケースに収めた時、
「雛子、その本は取り置きじゃないのか」
 鳴海先輩が私を呼びとめ、私は一度しまった本をケースから取り出して確かめる。
 表紙に大きな黒々とした目の、銀色の人型宇宙人の集団が描かれた本――どうやら宇宙人が地球侵略を企てていると主張する本のようで、確かに有島くんが好きそうだと思った。
「本当ですね。気づいてくださってありがとうございます」
 私は先輩にお礼を言い、その本を在庫からよけておくことにした。
 それにしても随分と恐怖を煽り立てるような装丁だ。タイトルはびっくりマークを多用して危機感を強調しているし、表紙に飛び交うあおり文は宇宙人の脅威を訴える為なのかおどろおどろしい古印体で書かれている。そして何よりこの宇宙人たちの顔、黒目しかない大きな瞳は冷たく、顔からは一切の感情が抜け落ちているように映る。そんな異形の姿が複数人、それも写真のように写実的に描かれているから、私はどことなく薄気味悪さを覚えた。まさか実物を見て描いたわけではないだろうけど、少し怖い。
 何となくその本を視界に入れないよう、店のレジカウンター裏に置きに行ったところで、店内にいた大槻さんが私に声をかけてきた。
「今日の休憩どうする? いつもは鳴海くんと一時間交替で入ってんだけどさ」
 そういえばそろそろ昼時だった。
「先輩に聞いてみます」
 私は答えてカウンターの上に宇宙人の本を置き、店の奥にいる先輩を呼びに戻る。
 そして先輩と一緒に店へ取って返すと、大槻さんが私の置いた本を手に取って、ものすごく微妙な顔をしているところだった。
「何これ。これが、君らの後輩の取り置き本?」
「そうです」
「うわ……失礼だけど、どういう趣味の子? 何かすっげえ怖いよこれ」
「有島くんはオカルト物が好きなんです。UFOとか宇宙人とかも」
 私の説明に大槻さんは困惑気味だった。手に取っていた本を、まるで熱いものでも触るように指先で摘んでカウンターに置き、苦手そうに身を引いてみせる。
「怖い本ってどうしてこう、表紙とか装丁からして怖さ強調してくるんだろうな。何か触っただけで呪われそう」
 宇宙人が呪いをかける技術を持ち合わせているかはさておき、大槻さんの言うことも少しわかる。
 私はミステリ小説もよく読む方だけど、たまにホラーと紙一重のとてもぞくぞくするミステリに当たることがあり、そういうものは大抵表紙や装丁も意味深長に、恐怖感を駆り立てるようなつくりになっているのだ。さすがにこの宇宙人の本ほど直截的ではないけど、夜になると表紙が見えないようにしまっておきたくなったりする。
「怖い本だと開く前にわかる方がいいだろう。選ぶ側にも都合がいい」
 鳴海先輩はそう言ったけど、大槻さんはどうもこういうものが苦手のようだ。珍しくしかめっつらで応じた。
「もっともだけどさ……。読みたくないし読むつもりもない人間の目に入ることも考えて欲しいよ」
 気持ちはわかるものの、それを言い出すと際限がないのが表現の自由というものだ。私もコンビニに並んでいるようなゴシップ雑誌や扇情的な雑誌の表紙は品がなく感じられて見たくもないけど、それなら見ないようにするしかない。不快だ、嫌だという気持ちだけで排除することはできない。
「本の装丁は人の顔みたいなものだ。それだけ見て中身がわかるなら、よほど良心的だ」
 鳴海先輩が肩を竦めたので、大槻さんも苦笑した。
「まあね。装丁はいいのに中身がまるで合ってない本は、腹黒いイケメンみたいなもんだよね。それならまだ見た目の段階で脅してくる方がいい……のかな?」
 人は見かけによらぬものと言うけど、本もある意味ではそうなのかもしれない。この宇宙人の本みたいに表紙でわかりやすいのは親切な方で、わからないものは手に取って、開いてみなければ確かめようがない。時には腹黒い美青年も、地味な外見の性格美人も、あるいはとんでもないギャップを秘めた意外性のある人だっているものだ。
「俺はCDとかジャケ買いする方なんだけどさ。本にもジャケ買いってあんの?」
 大槻さんが興味深げに尋ね、先輩は意外にもあっさり頷いた。
「買うまではいかないが、美しい装丁の本を見かけて、思わず手に取ってみたことはある」
「へえ。本も人も見た目が肝心ってことかね」
 そう言うと大槻さんは急に訳知り顔になって、
「じゃあ雛子ちゃんのことも、まず装丁から入って手に取った、みたいな感じですかね?」
「は?」
 先輩は眉を顰め、急な飛び火に面食らう私をちらりと見てから言葉を継いだ。
「俺は別に、雛子を見た目だけで選んだわけでは――」
 ただしその言葉は途中で途切れ、先輩は唇を噛むように結んでから、溜息交じりに言い直す。
「今のはなしだ。とりあえず、休憩にしよう」
 大槻さんはそれを見てにやにやと楽しそうにしていたけど、レジカウンターの奥に置いた例の宇宙人の本を、表紙が見えないよう引っくり返しておくことも忘れなかった。
 見た目通りの怖い本は、表紙も怖いものなのだ。その気持ちはわかるので、私もあえて本をそのままにしておいた。
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