Tiny garden

大地を揺るがす最初の一歩

 最初の一歩は、できるだけ大きく踏み出した。
 新宮さんに借りたアニメで予習した。ロボットの登場シーンはインパクトが大事だ。踏み出す一歩目は大きく、重く、大地を揺るがすほどでなければならない。
 タックスティーラーの周囲には演出用のスモークが漂い、その中を照らすように赤い光が差している。中川原さんたちが作ったスモークマシンの煙は空気よりも軽いので、足元を映すモニターはクリアだ。着地点もちゃんと見える。
 右足が競技場のフィールドに下り立つと、私のいるコクピットにもずしんと響いた。

 二歩めの前に、観客席に目を凝らす。
 ベールを脱いだタックスティーラーを、市民の皆様はどう見ているだろう。
 観客席まではトラックを挟んでまだ数十メートルの距離がある。コクピットの窓ガラス越しに、さすがにここの表情は見えない。拡声器はあるけど音を拾う機能はないから、その声だって聞こえない。
 だけどその時、私と外界とを繋ぐインカムマイクから声がした。
『聞こえるか、平井!』
 新宮さんの声は、風が唸るような轟音の中に埋もれていた。
『すごい反応だ! 皆様が驚いてるぞ!』
 確かに聞こえる。インカムマイク越しに大勢の声がする。
 歓声のような、どよめきのような声が、ヘルメットの側面をびりびりと震わせている。
『やった……やったぞ! インパクトは十分だ!』
 そして新宮さんは本当に、本当に嬉しそうだ。
 すると私まで嬉しくなって、浮かんでくる笑みを誰も見ていないのに噛み殺す。
「新宮さん、行きましょう! もっと近くで見ていただかないと!」
 振動するレバーを握り直し、私は元気よく返答した。
『ああ! 俺たちのタックスティーラーをお見せしよう!』
 新宮さんの言葉にも応える為、二歩めも大きく踏み出した。

 タックスティーラーは競技場のフィールドを歩く。
 ディーゼルエンジンを低く唸らせ、排気ガスと演出用のスモークを吐きながら、重々しい足音と共に進む。
 だけど観客席へ近づくにつれ、それ以上に大きな歓声が窓ガラスを震わせる。

 私はトラックを境界線に、タックスティーラーをぎりぎりまで接近させた。
 この距離だと観客席の表情が見えた。
 目を丸くしている大人たち、大喜びで拳を突き上げる若者たち、声を上げながら手を振ってくる小さな子供たち――皆、このご当地キャラに夢中だ。
 もしかしたらロボットは、皆にとってのロマンなのかもしれない。
 とてもたくさんの人たちに、夢を与える存在なのかもしれない!

『平井、そのまま観客席の前を行進できるか』
「やってみます!」
 新宮さんの指示通り、私はタックスティーラーを方向転換する。
 このやり方は散々練習したからばっちりだ。両脚を一度固定して、コクピットを回転させる。爪先の向きを進行方向に合わせて、足踏みするように片脚ずつ修正する。
『ゆっくりやるといい。皆もすっかり釘づけだ』
「はい」
 私はレバーを慎重に動かし、九十度の方向転換に成功した。
 そして今度は観客席の前を横切るように、ゆっくりと、重々しい足音を響かせて歩く。
 皆がこちらを見ている。行進するロボットを、目を輝かせて見守ってくれている。
『すごいな……こんなに大勢の人に喜んでもらえるなんて……!』
 感極まったような新宮さんの声が、すぐ耳元に聞こえる。
 人々が上げる歓声も、本当に近くで聞こえる。
「新宮さんたちがやってきたこと、間違ってなかったですね!」
 コクピットの私は言う。
 一度はパイロットを下ろされた新宮さんには、きっといろんな思いがあったはずだ。
 でも私たちは今日に辿り着いた。タックスティーラーを見て、皆が歓声を上げ、大喜びしている未来に。
『平井、ありがとう』
 新宮さんにはお礼を言われたけど、それはちょっとまだ早い。
 何せタックスティーラーのご当地キャラとしての活動は、これからだ。

 興奮と大歓声の中、タックスティーラーは競技場内の行進を終えた。
 私は再び機体を転換して、観客席と正対する位置に立たせる。そして観客席のあちらこちらで焚かれるフラッシュの眩しさに目を細めた。
 タックスティーラーの初舞台、どうやら成功のようだ。
『――これにて、高見市地域振興課によるご当地キャラ、タックスティーラーのデモンストレーションを終了いたします』
 そんなアナウンスが流れた後、意外な言葉が続いた。
『ではここで、タックスティーラーに搭乗するパイロットよりご挨拶がございます』
「え!?」
 一仕事終えたと息をついていた私は、その言葉に思わず固まる。
 そういうプログラムがあっただろうか。何も聞いていない。
『ご当地キャラなんだから、中の人の挨拶は要らないと言っておいたんだがな……』
 インカムマイクの向こうで新宮さんも戸惑っている。
『平井、やれるか? できるなら拡声器を使ってくれ』
「やってみます」
 着ぐるみと違って、顔出しをしないわけにはいかないということだろうか。
 私はやむなくハッチを開け、シートから立ち上がる。
 がら空きのコクピットから見る観客席は、窓ガラス越しとは違う雰囲気だった。どよめきそのものが手に取るようにわかる。空気がびりびり震えている。
 まずお辞儀をしようとして、
『ヘルメット、一応取った方がいい』
「あ、そうですね」
 新宮さんの言葉に、私はヘルメットを脱いだ。
 そして乱れた髪を一度だけ手ぐしで梳いてから、改めて観客席に一礼する。
 拡声器のスイッチを入れる。
『皆様、はじめまして。この度タックスティーラーのパイロットを拝命いたしました、高見市地域振興課の平井と申します』
 歓声と拍手が起こる。
 その大きさと言ったら、私の方がびっくりするほどだ。
 だから次に何を言うかはちょっと迷った。
『あの、……タックスティーラーを、これからどうぞよろしくお願いいたします』
 自分の声が競技場の青空に響く。
 まるで私の声じゃないみたいにさえ聞こえる。
『高見市は、製鉄の街です。その歴史ははるか江戸時代にまで遡り、初めて高炉に火が入れられてから百年以上もの間、高見市の経済を支え続けてきました。私はその記憶を誇りに思いますし、故郷である高見市の製鉄所の明かりの美しさも、鉄工所のある街並みも、そしてこの街そのものが大好きです!』
 どうせなら高見市全域に響き渡ればいい。 
 タックスティーラーは、そんなこの街のヒーローになる。
『高見市の歴史と技術と誇りを忘れない為に、タックスティーラーは生まれました。ご当地キャラとして、次はタックスティーラーこそが皆様の誇りとなれますよう尽力して参りますので、応援よろしくお願いいたします!』
 もう一度頭を下げると、再び歓声と拍手が沸き起こって競技場を揺らした。
 この想いはきっと皆様にも伝わったことだろう。
 高見市が生み出したタックスティーラーがどれほどすごいものかも、確かに見てもらえたことだろう。
 満足する思いでシートに座り、ヘルメットを被り直したら、
『素晴らしいことを言ってくれたな、平井』
 新宮さんの声がそう誉めてくれて、私は一人密かに照れた。

 こうしてお披露目の日は大盛況のうちに幕を下ろし――。

「お、テレビに映る時間だぞ!」
 競技場に残って撤収作業に追われていた私たちは、梶谷さんの号令でテレビのあるテント内に飛び込んだ。
 今日来ていたテレビ局の一社が、夕方のローカル情報番組で早速特集を設けてくれるそうだ。タックスティーラー念願のテレビデビュー、見ないわけにはいかない。
 梶谷鉄工所の皆さん、高見工業大学ロボットサークルの皆さん、そして私と新宮さんが小さなテレビの前に詰めかける。
「ほら、茉莉ちゃんはお疲れだろ。こっち座って」
 梶谷さんはテレビの前にパイプ椅子を置いてくれた。
「でも、お疲れなのは皆さんも同じで……」
「いいからいいから。早くしないと始まるぞ」
 遠慮しようとしたけど肩を押され、私は恐縮しつつ腰を下ろす。
「何か、妙に緊張しますね」
 中川原さんが本番直前よりも硬い表情をしている。
「なあに、あんだけ成功収めたんだ。心配要らんよ」
 梶谷さんはさすが、どんと構えているようだ。
「あとは画面映えだな。ちゃんとあおりの構図も入っているといいんだが」
 新宮さんは既に映りの方を気にしている。
 私もさすがにどきどきして、テレビ画面を食い入るように見つめた。

 軽快な音楽と共に始まった情報番組の中、件の特集は冒頭のMCの直後にやってきた。
『高見市のご当地キャラとして製作されたのは、なんと高さ三メートルの大型ロボット!』
 ナレーションと共に、ビニールシートのベールを脱ぎ捨てるタックスティーラーの姿が映る。
 その時画面内の競技場と同じように、テントの中もどよめいた。
「いいぞ! 最高の構図だ!」
 新宮さんが拳を握り締めて叫ぶ。
 すると画面は一転、ハッチの開いたコクピットを大写しにする。
 そこにいるのはもちろん私だ。シートから立ち上がってヘルメットを取り、髪を直してからお辞儀をするところまで捉えられていた。
『そのロボットを操縦するのは高見市役所地域振興課の平井茉莉さん。二十四歳の清楚な美人職員です』
 画面がまた転換する。
 映っているのは勤めている地域振興課のオフィスだ。そこでパソコンと向き合う私の顔がテレビ画面の中にある。
『若い女性が無骨なロボットに乗る。このギャップが大きな話題となるのは間違いありません』
 また私の姿が映る。
 今度は本番直前、新宮さんから指示を聞いている私のいやに真面目な表情がクローズアップされている。
 というか、さっきから私ばかり映っているようだけど――。
『高見市の美人すぎる市職員に、市内外から熱い注目が集まりそうです』
 特集は、そんなナレーションと共に終わった。

 テントの中はしんと静まり返った。
 私も含めて全員、CMになってからもテレビの前から動けなかった。
「……だから言ったじゃないですか」
 それでも真っ先に口火を切ったのは中川原さんで、
「ロボ、ちびっとしか映んなかったなあ……」
 梶谷さんがこめかみを込みほぐしながら唸り、
「職場の映像、いつ撮られたんだろう……」
 私は私で強い疑問を抱いていた。
「そうか……」
 新宮さんは、眼鏡を外してもう片方の手で目元を覆う。
 そして低い声で呻いた。
「平井は、美人すぎたか……!」
 さすがにそれは言いすぎです!
 私はテレビ画面に反論したい気分でいっぱいだった。
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