Tiny garden

タックスティーラー、出撃!

 もっとも、その静寂は長くは続かなかった。
 すぐに地鳴りのようなエンジン音と共に機体がぶるぶると震え始めた。

 タックスティーラーはディーゼルエンジンを積んでいると言っていたけど、エンジン音はかなりうるさい。かけ始めはハッチのガラス窓がぶるぶる震えるほどだった。
「結構、すごくうるさいかも……」
 一人きりなのをいいことにぼやいておく。
 握ったレバーも手のひらがびりびりするほど振動していて、危うく手を離してしまいそうになった。どうにか堪えて握り直す。
 エンジンがかかった直後、左右のレバーの間にあったモニターが音もなく点いた。
「あ、新宮さんだ」
 モニターにはこちらを見上げる新宮さんと中川原さんが映っており、タックスティーラーの両足も見えた。景色が床しか映っていないのを見ると、どうやら足元を確認する為のモニターのようだ。
『映ったか。見えるか、平井』
 新宮さんの声がして、私に手を振るのが見える。
「はい、見えます」
『そのモニターからは足元が見える。今日は心配要らないが、今後の為にできる限り注意を払うようにしてくれ』
「わかりました」
 操縦席は後方以外の二百七十度がぐるりとガラスで覆われており、辺りを見回すことができた。
 前方には新宮さんと中川原さんの顔だけが見え、その向こうには閉じたシャッターの端で何か作業を始める梶谷さんの姿があった。
 そしてシャッターがゆっくりと開いていく。
 外はとっぷり暮れていて、倉庫の中よりも暗いのがわかった。

 やがて新宮さんと中川原さんはタックスティーラーの左側へと退避した。
 モニターにも映らなくなった姿を肉眼で追うと、倉庫の壁際に立つ新宮さんが片手を高く挙げた。
『平井、タックスティーラー出撃だ!』
「しゅ、しゅつげき? 出発じゃなくてですか?」
『ロボットのお約束だ。細かな差異は気にするな』
 何にせよ、歩いてよしの合図ということだろう。
「……では、行きます」
 私は大きく頷いて、深呼吸を一つした。

 まず、右のレバーをぐっと引いた。
 たちまち操縦席が後ろに大きく傾き、
「ひゃっ、思ったより揺れる!」
 つい声を上げた私の目の前で、タックスティーラーは大きく右脚を上げていた。
 曲がったままの脚がガラス窓越しにも見えた。何枚かの鉄板を繋ぎ合わせたような膝の中に、複雑に絡み合ったコードや工業部品が覗いていた。
『大丈夫か?』
 早速の悲鳴が聞こえたからか、新宮さんの声が飛んでくる。
「す、すみません。驚いただけです」
『ならいいが……脚はちゃんと上がっている。まずは下ろしてみてくれ』
「はい」
『深呼吸して、落ち着いてな』
 新宮さんの声は冷静で、私もいくらかほっとできた。
 斜めに傾くシートに寄りかかり、深く息を吐きながら、一度引いたレバーをゆっくりと押していく。
 その動きに合わせてタックスティーラーも右脚を下ろしていく。
 曲げたままゆっくり、そろそろと、少し前方の床を目指して足裏を下ろそうとする。
 操縦席が今度は前にのめるように傾き、タックスティーラーの右脚がずしんと床についたのが感触とモニターから確認できた。お腹の底に響くような軽い衝撃の後、操縦席ががくんと傾きを直す。
「わっ……ああもう、揺れすぎ!」
 気分が悪くなるほどじゃないけど予告もなく大きく揺れるのは勘弁して欲しい。遊園地のアトラクションだってアナウンスくらいしてくれるのに、こうも不意打ちだとびっくりする。
『そんなに揺れたか? どこか打ってないか?』
 またしても新宮さんの心配そうな声がした。
 私の悲鳴はいちいち彼に筒抜けだ。怯えてばかりではかえって心労を増やすことだろう。
「すみません、大丈夫です」
『続けられそうか、平井』
「はい」
 まだ行ける。
 まだ、最初の一歩が終わったところだ。

 ともあれこれで重心が右脚に移った、ということだろうか。
 私は確認の為に窓の外を見る。
 新宮さんと中川原さんは壁際に立ってこちらを見ており、そのうち新宮さんだけが私に向かって親指を立ててみせた。
『ファーストステップ、成功だ』
「本当ですか、よかった……!」
『いいぞ平井、お前にはやはりパイロットの才能が――中川原、ちょっと黙ってろ。初めてでこれなら十分だろ』
 地上では新宮さんと中川原さんが何やら揉めているようだ。
 会話が数秒遠ざかった後、再び新宮さんが言った。
『俺はお前を信じてる。このまま行けるな』
「はい!」
『目標は倉庫の外だ。行ける限り行ってくれ!』
 通信先の新宮さんの声はものすごく嬉しそうで、ノリノリだ。
 私はまだ緊張していたけど、その声の新鮮さを実感する余裕くらいはあった。

 にしても、
「歩くのって意外と大変なんだ」
 たったの一歩でこんなにぐらぐら揺れるだなんて思わなかった。
 二足歩行になったせいで人間は腰痛を抱えるようになったと聞いたけど、これなら納得できる気がする。確かに身体に悪そうだ。
 ただ、聞いていた通りだ。操作はそんなに難しくない。もしかしたら着ぐるみを着て歩くよりもずっと楽かもしれない。
「よし、もう一歩」
 気合を入れ直し、今度は左のレバーを引く。
 操縦席が後ろに傾くのは右脚の時と同じで、膝を曲げた左脚がぐいっと持ち上げられるのを確認してから、レバーを倒す。
 上がった左脚が大股で歩く人みたいに大きく前へと踏み出して、下りる。
 足の裏がしっかりと床に下りた時の衝撃を、身体で覚えておく。
 これで二歩進んだ。倉庫の出口までの距離はまだある。
 目測であと三、四歩というところだろうか。
 大した距離じゃない。
「……いける、と思う」
 独り言を呟いた後で、私は知らず知らずのうちににやりとしていた。
 乗る前の緊張が嘘みたいだ。必要以上に怯えていた自分が今になっておかしく思えてきた。何をそんなに臆していたんだろう。
『上手いぞ。どうだ、タックスティーラーの乗り心地は?』
「何とか、慣れつつあります」
 新宮さんの問いにそう答える余裕さえあった。
『なら心配は要らないな』
 安堵の溜息が聞こえ、それから彼は少し笑う。
『思う存分楽しんでくれ、平井!』
 そうだ。あとは新宮さんの言った通り、楽しんでしまえばいい。
「善処します!」
 応じながら、私はまた右のレバーを引く。
 一歩踏み出すごとに大きく揺れる操縦席も、傾くタイミングさえ掴めればどうってことなかった。タックスティーラーの、いちいち足を大きく上げる大げさな歩き方にも慣れてきた。
 外から見たらどんなふうに歩くのか、見てみたかったような気もする。ロボだけど一応ご当地キャラなのだから、見た目は大事だ。愛嬌がないと。

 よその町のご当地キャラをテレビで観たことがある。
 いろんなキャラクターがいるものだけど、大抵は着ぐるみを着ていても足捌きは軽快で、くるくる回ったりぴょんぴょん飛び跳ねたりとコミカルな動きを披露していた。
 もし私がタックスティーラーの『中の人』になるなら、愛嬌があるかどうかも私の技量にかかっているのかもしれない。
 皆がタックスティーラーを見て、愛着を持ってくれるかどうかは私の操縦次第ということになってしまう。
「そんなこと、できるかな」
 私は左右のレバーを動かしながら、これを降りたら新宮さんに何と言おうか、そのことを頭の隅で考えている。
 タックスティーラーは動きこそ遅いけど身体が大きい分、一歩の歩幅も大きい。
 三歩、四歩と進んでいくうちに、程なくして倉庫の外へと踏み出していた。

 シャッターの開いた戸口をくぐり抜けた先には、夜の景色が広がっている。
 鉄工所の敷地は緑のフェンスで囲まれていて、更にその外側を背の高い木々が並んでぐるりと植わっていた。倉庫から漏れる明かりを背にしたタックスティーラーの影がそのフェンスに、木々の上に、まるで大きく塗り潰すように落ちている。
 人間と同じ二本脚の、だけど人間より遥かに大きい巨人のような影だった。
 見慣れた鉄工所の風景に、突如として非日常的な存在が影を差したような光景だった。
 こんな大きな影、見たことない。
「皆、見たらびっくりするだろうな……」
 私はそっと呟いた。
 市役所で働く同僚に。
 ロボットが好きだった弟に。両親に。
 そして市民の皆様に――タックスティーラーを、早く見せてみたくてたまらなくなった。
 高見市はよそから見たら存在感のない、味気ない街かもしれない。
 でもこんなにすごいものが作れて、それをご当地キャラにしてしまえるんだって自慢してみたい。誇れるものがある街なんだって日本中に伝えてみたい。

 込み上げてくる高揚感と共に、私は足元の影から視線を上げた。
 そしてガラス窓越しに、遠くに見える製鉄所の明かりを見つけた。
「あ……」
 思わず声が零れた。
『平井? どうした?』
 新宮さんの問いかけにも、すぐには答えられなかった。

 それは高見市民なら誰もが知っている、目映い光を湛えた景色だった。
 天を突くように高く伸びた煙突の足元にぼんやりとオレンジがかった光が溢れ出ている。夕日が空から下りた後、あの場所に身を潜めてじっと留まっているような、温かい光が製鉄所を包んでいる。
 遠くからでもよくわかる美しいオレンジ色の夜景に、子供の頃の私は憧れを抱いていた。太陽が夜になるとあの場所で眠るのだと本気で信じていた。
 だけど子供の背では遠くにある製鉄所の明かりを、例えば家の庭から眺めることなんてできなかった。どんなに背伸びをしたところで見えるのは赤白の煙突と、そこに点る航空障害灯の明滅する光だけだった。

 そんな時、よく父にせがんで肩車をしてもらった。
 父の肩の上からは製鉄所の光もちゃんと見えた。
 ちょうど、今みたいに。

「きれい……」
 私は溜息をついて、タックスティーラーからの景色に見入っていた。
 高さ三メートル超のこの機体からは、父に肩車をされた時よりも遠くの方がよく見えた。
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